衆生の倫理 へのコメント
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前川整洋さんは No.335「衆生の倫理」で書きました。 >『衆生の倫理』発売記念公開講座 >6月23日(月) 新宿住友ビル7F 朝日カルチャーセンター >『衆生の倫理』の著者で文芸評論家の石川忠司氏と小説家の保坂和志氏との >対談形式の講義 >サブタイトル:現代に生きる倫理とは > >4月から石川忠司先生の現代小説塾を受講しているので、新しいことも知り >えるであろうと上記講座を受講しました。サラリーマンはコンプライアンス >の語をよく耳にします。企業はコンプライアンス(法令遵守)優先の経営が >求められていますが、コンプライアンスも倫理の大枠の一画です。メモ書き >のレベルですが、講座の内容は次のようでした。 > >孔子は論語しか書いていない。― 伊藤仁斎(江戸前期の儒学者)の指摘 >論理的に演繹する、これは孔子ではない。 >友あり、遠方より来る。― ただ学問は楽しい。理由づけはしない。 > >倫理の本質 ― 何故かと説明できない。説明できたら、それは弱いものと >なる。 >その外のあるものは弱い。 >小説を読む、その外に価値を創らない。 >面白さは解説できない。 >小説を精神分析や脳科学で解説するようになってきた。しかし、精神分析は >文学から導いきたものである。それによって文学を解説することはできな >い。 > >倫理の根拠は、倫理にしかない。 >孔子という人間の力。 >漢文で表記していることが重要。 >言葉自体で完結している。 >二葉亭四迷 ― 口語体で内面を微妙なところまで表現できるようにした。 >一方では、端的さを失うという弊害もあった。 >話し言葉 ― 同じ地平で回っている。 >漢文 ― 別の地平でも回っていて、上書きも行える。 > >ニーチェの永劫回帰 ― この人生で解決しないと、次の人生も同じことに >なる。 >時間も場所もまったく同じ人生のくり返し ― くり返す意味がない。 >ダライラマの生まれ変わり ― 信じている人もいる。保坂氏は単なる世襲 >と思っている。 >三島由紀夫の『豊饒の海』 ― 生まれ変るという決め事のなかで書いてい >る。 > >現実的な利害があって、フィクションと現実の峻別を意識する。 >保坂氏は、そうではなく、利害ではなく、高いところ行かなくてはならな >い、との考え。 > >科学 ― 一定の手順を踏めばいくらでも反論できる。 > >小説を書く ― 保坂氏は、向上するためのもの、修業と思っている。 > >私は中学時代にいじめられっ子だった。エッセイでは、事実そうでなければ >書いてはいけない。 >小説では書けるが、そのなかで、そうであったことがわかるように書いてな >くてはならない。 > >自然と風景 ― 戦時中にチベットに潜伏した西川一三(かずみ)は、ヒマ >ラヤの景観を宇宙の真実、と書いている。保坂氏は、これには共感できると >して、宇宙の真実とは、内容ではなく、風景そのもののことであり、忘れら >ない風景については、一生他はいらないと思えるほどのものである、として >いた。 >自然の風景は、深淵な思想である。きれい、美しい、胸をうつ、これには個 >人差はない。思った瞬間は、万人に共通している。これは心理を入れる器で >もある。 >石川氏は、足立区に生まれ育ったことから、汚れてはいても綾瀬川に宇宙の >真実を感じる。何故かの質問がでたが、素晴らしい音楽を聞き終わったと >き、音楽の落しどころは説明できない、綾瀬川には生きている所の落しどこ >ろを感じる。 >PM7時にはじまり、終了予定時間はPM8時30分であったが、PM9時を過ぎ >ていた。あとはもろもろに質問がつづいてから散会となった。
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