現代詩創作集団「地球」研究会8月29日 へのコメント
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前川整洋さんは No.336「現代詩創作集団「地球」研究会8月29日」で書きました。 >現代詩創作集団「地球」研究会が8月29日、北浦和労働会館で開かれました。 >山岳詩の第一人者である秋谷豊代表の挨拶では次の話しがありました。昨年の夏は中国の昆明、麗江、シャングリラを訪れ『第10回アジア詩人会議』に参加した。日本側からの参加者は34名、中国側からは21名であった。今年の5月16日(金)〜19日(月)に韓国での「日韓文化交流―アジアの詩に集い」にも大勢が参加した。来年は地球環境をテーマに扱う。 >石原武氏からは、「日韓現代詩交流」の談話があり、内容は中国や韓国の代表的な詩人との交流の逸話や裏話などでした。いろいろな感動的な交流が行われてきたことを知りました。 > 『地球146号』掲載詩に対し、鈴木豊志夫氏、鈴木正樹氏、大石規子氏、谷口ちかえ氏による詩評がありました。印象に残った指摘として、次のことを挙げておきます。 >・詩「長江第一湾」、ここは観光名所としては、川があるだけ。歴史的にはいろりろあって、ナシ族の集落もある。観察眼の鋭い紀行詩となっている。 >・詩「地図にないシャングリラ」は、現地に行く前に構成してあったのでは。想像が羽ばたいている感性に溢れている内容である。紀行詩はこうしたらいい、とは言いずらい。 >・短編詩。異質の言葉を衝突させる。心のスケッチ。具象のようで抽象。 >・人の言葉は、短いと効果があるが、長いと説明的となる。 >・主題からそれたところは、できるだけとる。 >・詩「闇をほどいて」は、生と死についてデリケートな筆致で書いている。最後の句は言いすぎでは。 >・「千の風になって」の反歌のよう。 >・「主があたえて/主がとりたもう」は宗教的。こういう句があるときは、全体的にもっと強い表現にすべき。 >・詩「カメバチのためのエチュード」は、記録と観察でつづられている。「カメバチ」はスズメバチのこと。 >・時代のことを書いているが、一般論になっている。個別のことを書かないと。「が 私のからだから/育ったふるさとのにおいは/少しずつ消え」、ここにこだわり、時代と対峙してほしかった。 >・詩「折れるひと」は題に惹かれたが、「折れる」だけでもよかった。 >・クマゼミのニュースを本質に向かって詩にしている。ユーモアを交えての文明批評になっている。 >・詩「響き」は合唱曲にすると生きる。 >・全文平仮名書きは抵抗感をもたせる意味があるが、その意味が薄い。 >・最初にいい詩を書こうとするのではなく、自分の書きたいと思うことを書く。 >・詩「町の灯」という題名は、チャップリンを連想する。 >・「白が 白色でありえない」は具体的でなく、その後の「ました赤では 全くない」は損、無彩色で押すべき。「褐色は枯葉の色/滅びの色」は主観が強すぎる。 > >『地球146号』には拙作「聖(ひじり)岳」が掲載されています。この詩についは大石規子氏の次の批評がありました。 > 山に登らない人にも分かるように書いてあって、山に連れて行ってもらっているよう。「聖」にこだわって書いている。「世俗」と「自然空間」の対比も分かりやすかった。
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