能と猿楽 へのコメント
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前川整洋さんは No.274「能と猿楽」で書きました。 > 勤務先での能観劇募集の抽選には外れてしまいました。いろいろ勉強していないと理解しがたい演劇なので、焦らずに行こうと思います。とりあえずドナルド・キーンの『能・文楽・歌舞伎』を読んでいます。キーン先生の探求の後を辿る妙味があります。能はドラマ性の希薄な演劇ですが、能の成り立ちはドラマそのもので、この逆転劇には少なからず驚きました。 > 能は観阿弥、世阿弥の親子が、猿楽から発展させたものです。猿楽については大陸から伝わった散楽が、我が国オリジナルの猿楽となったもの。猿楽は、横浜文学学校で合評・講評のあった小説『赤松女囃子』のドラマの基軸になっていて、受講生には多少馴染みがあります。猿楽が舞踊をまじえた劇であるのに対し、能はストーリーを簡略化して詩的表現化された舞踊主体の劇です。 > 猿楽の能へ転機を、次のように書いてありました。 > 「一三七四年、時の将軍、足利義満が、京都の今熊野での上演を観賞した際に、転機が訪れる。猿楽が能として高められる時が来たのであった。当時四二歳であった観阿弥は翁に扮し、息子で後の世阿弥が千歳を演じたのだが、これにすっかり魅了された義満は親子への後援を申し入れたのである。こうして、それまで一座と共に地方を廻って文盲の農民を相手にしていた観阿弥は、宮廷の保護を得られるようになり、これによって最も洗練された観客のためにの創作が可能になったのである」 > 能は足利家のステイタスであったといえそうですが、6代将軍・義教は田楽を重んじ、世阿弥に憎しみをいだき、70歳を越えていた世阿弥を佐渡に島流しにします。義教は『赤松女囃子』において暗殺されるあの足利将軍です。この事件は、『能・文楽・歌舞伎』には次のように書かれています。 > 「猿楽観劇中に起きた義教の暗殺という蛮行は、幕府にとって不穏で深刻な脅威を示していた」 > 暗殺後の幕府内部の切り崩しや、足利家の権威がまだ絶大であったことなどを考え合わせると、義教暗殺は大がかりなプロジェクトと連携がなくてはなしえないように思われました。しかしながら、『赤松女囃子』のストーリーのように、一気にしかも怒りにまかせてそうなってしまったのかもしれません。 > 能の発展にはいろいろなドラマも織り込まれている、といえそうです。
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