現代詩創作集団「地球」研究会9月30日 へのコメント
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前川整洋さんは No.246「現代詩創作集団「地球」研究会9月30日」で書きました。 >10月はじめは山に行く予定でいましたが、天気もよくなさそうで、「地 >球」研究会に参加しました。天気が良くても、研究会の方に参加していた >と思われます。現代詩創作集団「地球」研究会が9月30日、北浦和労働会 >館で開かれました。 > 秋谷豊代表の挨拶の後、石原武氏による詩展望の次の談話がありました。 > 『地球 142号』の特集は当初、「詩と音楽」であったが、秋谷さんの >提案で「詩と音楽の美的体験」となった。これで詩が音楽的になった。シュ >リアリズムの優勢からイメージ偏向となったが、音楽性をとり戻すことで、 >絵画的から知的になった。音楽性は抒情にもつながり、音楽性により現代詩 >を再生させることができる。 > > 『地球 142号』掲載詩に対する諸先輩の講評がありました。印象に残 >った指摘として、次のことを挙げておきます。 >・ 普段は常識の世界に生きている―詩を書くときはそういう意識の先まで掘 >り下げる。 >・ 描写力はあるが、さらに異質な一行で波風を立ててほしい。 >・ 時間の経過がわかりにくい詩があったが、時の流れを上手く使っている詩 >もあった。 >・ 昔の映画館でフィルムが切れて、騒ぎとなり、それで周囲と人たちに親し >みが湧いたとあるが、その現象の奥まで探り、人間の実相にまで迫ってほし >かった。 >・ 作者の肉声が入っていて良かった。 >・ 「地球」の詩は、実が重いものが多い。実とは、見聞、体験、感想であ >り、虚は、詠う、比喩、非日常である。虚は、遊ぶ、壊すといったことでも >ある。実と虚がぶつかり合うことが必要であろう。 >・ 詩らしくしようとすると、よけいなことが多くなる。自分のもっている浅 >さが出てしまうこともある。 >・ 作者が言葉に酔ってしまうと、逆に読者には伝わらない。 >・ 連が進むに従って、連が長くなっている。まとめきれないと長くなること >がある。 >・ 詩「伝言板」、題名から詩的である、形而上学的に、ドラマ的にも。 >・ さらっとしている分だけ、強さ、デッサン力があった。しかし、中身はそ >れほどでもなかった。 >・ 詩はインスピレーションに付け加えをしていかなくてはならない。付け足 >しすぎることもある。 >・ 望遠レンズで見ると思わぬアクセントがつき、良い画像ができることがあ >る。 > > 私の詩「紅葉とは」については斉藤正敏氏の講評がありました。簡単に書 >いておきます。 > 講評の前に最近感じたこととして次のコメントがありました。 > ある詩誌の編集後記に、同人の詩に標準以下のものもあった、とあった。 >それでは、標準ならいいのかと思った。詩に標準の物差しを当てるのどんな >ものか、そうではないのではないか。 > 私の詩についての講評は。 > 紅葉の美意識を語っている。4連の「西陣織りの方が/艶やかで趣向がこ >らされている」と、それまでと違う意見がでてくるが、常套的である。ま >た、最終行、「紅葉の広がりは芸術の根源」は、詩の言葉として一般的であ >り。陳腐ともいえる。しかしながら、標準以下の詩ではない。(会場からド >ット笑い) > > なかなか厳しい指摘で、私としては頭をかかえてしまいそうでしたが、帰 >りの電車で、最終行は次の一行へ推敲することを思いつきました。 > 紅葉は生命讃歌の美の劇場
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