「二十四の瞳」と小豆島 へのコメント
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前川整洋さんは No.252「「二十四の瞳」と小豆島」で書きました。 > 先日の草津白根山で今年の登山は一段落です。小説を読むことはない私で >すが、古書店で目についた「二十四の瞳」を買い、読んでみました。この小 >説への興味というより、一度旅行で行ったことのある小豆島の風光に魅かれ >ていたためです。ロケ用オープンセットを改築した「二十四の瞳映画村」 >は、そのときは訪れませんでした。 > 田舎の分校での女教師と学童との抒情詩的な素朴な心の交流のストーリー >と思っていましたが、意外にも反戦をテーマにした社会小説であることに驚 >きました。とともに、小豆島の、街から離れた岬という舞台設定の絶妙さ >に、イメージが書き立てられ、不滅の名作であると感動しました。素朴な学 >童の行動と成長が、小豆島の風土と一体化していて、素朴であることの意義 >が謳いあげられている、といえます。人間性の風土への依存性も感じられま >した。 > 時代は昭和3年頃から終戦直後までです。12人の学童の5人が男で、その >うち3人は戦死します。国家間の利害や世界情勢とは無関係な村も、戦争の >泥沼に呑み込まれます。 >過疎化か観光地化、あるいはベットタウン化の時流です。時代はどんどん流 >れ変貌していることが、この小説からも感じられました。 > > 「二十四の瞳」読み了え神無月
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