残虐殺人の潮流 へのコメント
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前川整洋さんは No.260「残虐殺人の潮流」で書きました。 >家族内でのバラバラ殺人に社会が驚愕し、ニュースショウーでは内容の分析 >がさかんに毎日行われています。人が人に制裁する殺人は古来からあったこ >とではありますが、神をも恐れぬ残虐さから、殺人がゲーム化されているよ >うです。 > 宗教心があれば、人を裁けるのは神仏でけである、ことに到達します。宗 >教教育が必要な時代になっているといえます。高校において、ソクラテスの >「無知の知」、デカルトの「われ思う、故にわれ在り」という言葉を教えて >いるのであれば、仏陀の慈悲、キリストの愛も真剣に教育すべきと考えま >す。 > 他方、中近東では聖戦の名のもとに殺し合いが行われています。NHKのニュ >ーススペシャルで先日放映されていましたが、サウジアラビアではイラクで >ゲリラとなる若者が多く、対策として学校で教育している聖戦を、国王が認 >めた戦いだけに限る、ことが検討されているとのことでした。聖戦とはユダ >ヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教ならではの戦いなので、理解しがた >いといえます。 > 経済的裕福さや社会的地位最優先の社会体制は、残虐行為に走る精神構造 >をつくり出すことになっているようです。どこの国も芸術・宗教も含めた文 >化大国をめざしてもらいたものです。
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