詩集『海賊海域』より へのコメント
注:タグは使えません。改行は反映されます
タイトル(必須)
お名前(必須:全角文字のみでお願いします)
E-mail:(出来るだけ)
Home page URL:(あれば)
ここまでの内容をブラウザに記憶させる(タイトル以外)
コメント:(必須)
前川整洋さんは No.143「詩集『海賊海域』より」で書きました。 > 私と同じ現代詩創作集団「地球」同人である柳原省三氏より詩集『海賊海 >域』(土曜美術社出版、2004年)をお送り頂きました。柳原さんは村上 >水軍で知られる愛媛県在住ですが、昨年の「地球」の研究会でお会いできま >した。海の男らしくがっちりした体格で素朴な雰囲気が、印象的でした。 > 題名の『海賊海域』には、海ならではのさまざまな危険が象徴されていま >す。自然の脅威とテロや強盗の危険が渾然と待ち構えている。そのような危 >険や乗船スタッフの厳しい労働と生活をユーモアも交えながら、詩ならでは >の臨場感で伝えています。また、家族愛についの詩では、海の男の、また、詩人の純粋な精神が表現されています。 >『海賊海域』より2編を紹介します。 > > 海域 > >めずらしく >波を忘れた海 >黒潮の紺青もうららかに霞み >あの目の奥を射る >光のぞめきも今はない > >沖縄には >台風十六号がいて >暴風が吹き荒れているはずなのに >ほんの少し離れてしまうと >まるでこんな具合なのだ > >嵐の前の静けさという言葉は >ここから生まれたのに違いないが >ぼくらの船は遠ざかる >嵐の傍の静けさというべきか > >だがはるかにはるかに遠く >朝も夜も >陽炎の立ちのぼるあの海域には >今もなお深い静かな嵐が >ぼくらを待ち受けているのだろう > > > > 砂の海 > >熱砂の海は重い大気に押さえつけられ >波打つこともできずに >苦しげな陽炎を放っている >そこには真っ赤な >気球のような朝日が昇り >中途半端な生命の存在を許さない >砂の海を彷徨い >陽炎と共に消滅する無念さを思う >人間の闘争心と利益追求の欲望は >どんな場所にも可能性を求めるのだが >命がじりじり乾燥してゆく悲哀を思う >妻よこの地は暑くて辛い >ビールも飲めず週刊誌さえままならぬ >お金は欲しいが >長くいると梯子を外され >経済戦士の剥製にされてしまう >ぼくは執拗な砂漠の蝿にたかられながら >心を瑞々しく保つ術がない >乾いた動物のふんの近く >甲虫が一匹干からびている >たった一つの小さな命を >砂の海のなんに焦がれて果てるやら > > > 簡単に詩評を述べておきます。 >航海での一連の詩おいて、一般的な労働や生活にはない、さまざまな厳しい >体験が語られている中で、ユーモラスな表現を忘れていない。それは、現実 >を客観的に直視していることによる、と考えられる。 >「海域」では静かな海の情景から入いっている。そこには、ギラギラした陽 >射の照り返しもない。近海には台風十六号が、日本列島へと進んでいる。 >「嵐の前の静けさ」が言葉上の冗談ではなく、現実として詩人を囲み込んで >いる。 >最終連での「今なお深い静かな嵐が/ぼくらを待ち受けているのだろう」の >句により、嵐をはじめ、テロ、海賊など、さまざまの危険がそれぞれの海域 >に潜んでいることが、読者へと投げかけられている。 >「砂の海」は、アラビアで上陸したときの体験であろう。詩人の感性で砂漠 >という「砂の海」を表現している。海においてと同様の自然と生命の戦いが >描き出されている。干からびた一匹の甲虫、それは力つきた残骸ではなく、 >全力を出し切った姿なのであろう。
[
記事表示にもどる
]