俳句派と短歌派 へのコメント
注:タグは使えません。改行は反映されます
タイトル(必須)
お名前(必須:全角文字のみでお願いします)
E-mail:(出来るだけ)
Home page URL:(あれば)
ここまでの内容をブラウザに記憶させる(タイトル以外)
コメント:(必須)
前川整洋さんは No.194「俳句派と短歌派」で書きました。 >俳句はものを提示する文芸なので、硬い表現は自ずからそうなります。和歌や短 >歌はしらべに乗せて感情を詠いあげます。五七五七七の七七が、やわらかな調べ >をつくりだしています。 > 夏空に馴染みて聳え羅臼岳 >「聳え」には力強さや高さを表すイメージがこもっています。「馴染み」は最北 >端の空の大らかさであり、また、羅臼岳もしかりといったところです。 > 文章についてもいろいろ作者のスタイルがあり、情に流される書き方は、目指 >しているところではありません。論理性を追求していますが、そこに何かを見出 >そうとしています。 > 立原道造の詩を探求していたところ、道造は藤原定家に惹かれたことを知り、 >定家についても勉強してみました。和歌の最高峰は柿本人麻呂で、その次に西行 >がいって、定家はその下というのが一般的評価とされていたわけです。この説は >斉藤茂吉により定説化されたようです。しかしながら、定家による言葉の技巧に >よる耽美の世界も味わいがある、と思われます。俳句とは別の境地ですが。
[
記事表示にもどる
]