添削句についての考え方 へのコメント
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前川整洋さんは No.196「添削句についての考え方」で書きました。 >原句 > 縦走路 木もれ日浴びて 一休み おがた >添削句 > 休憩を木漏れ日見つつ秋の山 > >まず原句には季語が抜けています。季語がなくても季感あれば俳句とみなされますが、プロレベルでの話しになります。 > 次にどちらの句に、情景が浮かぶかが、大きなポイントとなります。俳句は伝統の文芸で、歴史的に淘汰された作風があります。そのセオリーからは、主観的表現は避けなくてはなりません。「あびて」が主観的であり、常套的である、といえます。主観的であって客観的であればそれにこしたことはありませが。 > それから、縦走路で切れをいれると、縦走路が強調されます。木漏れ日のほのぼのとした明るさにどうかな、と思いました。また、縦走路というと、高山が連想され、高山では潅木林か針葉樹林となります。檜の木漏れ日は、鮮明に切れ切れしていて、体験的にはのんびりしながら浴びてという雰囲気ではありませんでした。人それぞれの経験からも句の捉え方が違ってきます。 > 添削句は添削者の作風と経験によるもので、それを受け入れなくてはならないものではありません。
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