「自然」の概念について へのコメント
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前川整洋さんは No.233「「自然」の概念について」で書きました。 >山に登っていれば、自ずと自然を思想的に捉えるということが身についてく >るといえます。単純に言えば、「山はいいな」と思うことが思想である、と >いえます。この連休、NHKで北極の氷が融けはじめて、氷の上で狩猟して >いる白熊が、絶滅の危機にあると放映せれていました。この絶滅は自然のな >り行きなのか、人災なのか、はっきりしませんが、何らかの手を打っていか >なければならないといえます。 > ところで、『現代詩と歩んだ「自然」の概念』という評論風のものを書き >ましたが、明治期の詩人で思想家の北村透谷の劇詩『蓬莱曲』に注目して重 >点的に書きました。横浜文学学校の合評・講評に提出した後ですが、『蓬莱 >曲』についてどうゆう論評がされてきたか、合評・講評の前に知っておいた >方が良いと思い神田で古本をあたってみました。透谷に関する古本はどれも >2000円以上なので、手ごろなものとして色川大吉著『北村透谷』を購入 >しました。『蓬莱曲』についての箇所をこの連休に読みましたが、戯曲家と >しての透谷をクローズアップした内容で、私が期待した自然の概念や宗教の >視点からはあまり論じられていませんでした。宗教についてはキリスト教と >仏教が渾然としているという論評は、私の書いたことと一致しているようで >す。透谷の評価としては、天才思想家で、透谷がいなければ島崎藤村もいな >かったかもしれない、と書いてありました。
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