現代詩創作集団「地球」研究会6月10日 へのコメント
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前川整洋さんは No.235「現代詩創作集団「地球」研究会6月10日」で書きました。 >9日からは山行の予定でしたが、あいにくの天気のようだったので止めに >し、踵は完治していないのでほっとしました。また、「地球」研究会にも参 >加できたことにもほっとしています。来週末に梅雨晴間があれば、山に出か >ける予定です。 > 現代詩創作集団「地球」研究会が6月10日、北浦和ターミナルビル・カ >スタスホールで開かれました。 > 秋谷豊代表の挨拶の後、石原武氏の同人詩集講評と詩展望の次の談話があ >りました。 > 世界文学はロマンティシズムを理解して、次の文学を企画してきた。理解 >してとは否定して、ということでもある。藤村、朔太郎を否定して、西脇順 >三郎はモダニズム(象徴主義、シュリアリズムなど)を推進した。誰もがロ >マンティシズムには憧れをもっているが、モダニズムの衣装を着ていないと >かっこがつかないという面はある。秋谷豊は否定されたロマンティシズムに >呼吸を与えてきた。彼の抒情詩は抒情精神で詩を書くということである。 > 『地球 141号』掲載詩に対する諸先輩の講評がありました。印象に残 >った指摘として、次のことを挙げておきます。 >・ 安易な題名のつけ方が、詩を安っぽくしている。 >・ 自分の位置、作者の位置から探っていない。 >・ 観察者を越えて詩人となれるか。描写中心は饒舌になる。 >・ 登場人物について、どういう人か、作者との関係はなどが曖昧である。 >・ 街の中の木とビルの対比を自然と人工の対峙として捉えているが、街中の >木々は自然であろうか?むしろ人工なのでは。 >・ 外界を伝えるだけでなく、自分の中へ入って行き、内面を見つめるべき。 >・ 結のところで勝負の表現がほしい。 >・ 転がなく平面的、衝撃的な連がほしい。 >・ 「生まれでたことへの嫌悪」との句には疑問がある。リルケは、「生れ >た、とは大したことだ」と言っている。 >・ 詩を書いた動機が伝わってこない。詩を書いた必然性が分からない。かか >わった感情の起伏が出ていない。 > > 私の詩「忘れられた探険家・松浦武四郎」については大石規子氏の講評が >ありました。簡単に書いておきます。 > 叙事詩となっている。知らない人物を知ることができるように書いてあ >る。こういう詩では、どこで自分を出すかが難しい。最後のところ、 >文明の進歩に追いすがり >武四郎の思想は >復活への道へと踏み出している >に作者の感動があるのであろう。 > いつもこういう詩だと、読者は飽きてくる。
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