「戦争」俳句について へのコメント
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前川整洋さんは No.243「「戦争」俳句について」で書きました。 >登山は自然が相手で、戦争という人と人との対決の行為とは、正反対の行為 >ということになります。他方、平和でなけらば山に登れないのも現状です。 >9/7の横浜文学学校で拙筆「いろいりな俳句について」の合評がありまし >た。 >そこでの社会俳句の章で次の句を挙げ、簡単な句評も書きました。 > 機関銃蘇州河ヲ切リ刻ム 三鬼 > 黄土の闇銃弾一箇行きて還る 〃 > これから先に何が起るか分からない、不気味さを感じさせられる句であ >る。 > 合評でこれは誤読である、との指摘がありました。実際に機関銃が撃たれ >ている、戦場の恐怖を言っている、とのことでした。そこで掲句の出典とそ >こでの説明があるのか調べました。出典は、「鷹羽狩行編:俳句実作入門2 >新しい素材と発想、角川書店、一九九六」で、説明には、西東三鬼は出征体 >験をもたないが、内地にいて前線を思い描いた戦火想望俳句を熱心に作っ >た、とだけありました。三鬼は太平洋戦争前の昭和15年の京大俳句事件で >検挙され執筆禁止となっています。 > 昭和12年から日支事変での句なのですが、日支事変は宣戦布告なき戦争 >として知られていて、どんな戦争であったかは、歴史の闇にあるといえま >す。要塞の攻防とか、大隊規模での野戦はなかったように思われます。国内 >では、戦線拡大を狙う軍部と拡大を抑えようとする政党との綱引きも行われ >ていました。俳句では兵士としての戦場体験にもとづく作品は極めて少ない >ようです。そのよなことからも、掲句が戦場のどういった場面を伝えている >のかは、分かりずらいようです。一句目については、機関銃がバリバリ撃た >れている場面とした方が正しいかもしれませんが、作者が兵士として現場に >いたわけではないことや日支事変の実情から、これから切り刻まれるであろ >う、との予想にもとれるようです。
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