「仏像 一木にこめられた祈り」展の再考 へのコメント
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前川整洋さんは No.254「「仏像 一木にこめられた祈り」展の再考」で書きました。 >横浜文学学校のKさんからの宮原昭夫小説集オリジナル年賀状発売の連絡メー >ルに、「仏像 一木にこめられた祈り」展の私の書き込みに対し、「一木彫 >の展示なので、木像全般や仏像全般の話とはそのままでは結びつかないので >は?」とのコメントがありました。 > そう言われると、私の書き込みは、「仏像 一木にこめられた祈り」展で >の感想であって、木像全般を言ったものではなく、少々思慮には欠けていま >した。 > 半年前の 「最澄と天台の国宝展」では、感銘を受けた木像が幾つかあり >ました。その中に、天台大師像(愛知・瀧山寺)、伝教大師像(滋賀・観音 >寺)や聖観音菩薩像(滋賀・延暦寺)がありました。木の素地が出ているも >のは、人の姿かそれに近いものがイメージに陶酔できるようです。聖観音菩 >薩像も、観音像としては最も人間に近い姿をしています。ビーナスが彷彿し >てくるような像です。 > 木像であっても彩色や漆箔されていれば、金銅仏と容易には見分けられま >せん。如来像や千手観音像は金色や金属的黒光りしていた方が、宗教上の説 >得力は大きいようです。 > 「仏像 一木にこめられた祈り」展では円空と木喰の仏像が、期待通りの >素晴らしさでした。仏教というより木のアニミズムともいえそうです。
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