俳人・飯田龍太逝去 へのコメント
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前川整洋さんは No.267「俳人・飯田龍太逝去」で書きました。 >現代俳句の第一人者、飯田龍太さんが死去(読売新聞HPより) >現代俳句の第一人者で、山村の風物を鋭敏な感覚でとらえた俳人の飯田龍太 >(いいだ・りゅうた)さんが、25日午後8時35分、肺炎のため甲府市内 >の病院で死去した。 >86歳だった。告別式は3月6日午後1時、同市南口町1の29アピオセレ >モニーホール天昇殿。自宅は山梨県笛吹市境川町小黒坂270。喪主は長 >男、秀實(ひでみ)さん。 > 俳人・飯田蛇笏(だこつ)の四男として同県旧境川村に生まれた。国学院 >大学国文科に進み俳句を始め、戦後は蛇笏が主宰する俳誌「雲母(うん >も)」の編集に携わった。30歳の時の句「紺絣(こんがすり)春月重く出 >でしかな」が称賛され、1954年に第1句集「百戸の谿(たに)」を刊 >行、甲斐の自然に深く根ざした清潔、孤高の句風を確立した。代表句に「一 >月の川一月の谷の中」。 >62年、父の死去にともない「雲母」主宰を継承。92年、同誌を通算90 >0号で終刊した後は、俳壇の第一線を退いた。57年、現代俳句協会賞。6 >9年、句集「忘音」で読売文学賞。81年に日本芸術院賞恩賜賞。83年紫 >綬褒章。84年から日本芸術院会員。句集に「童眸(どうぼう)」「麓(ふ >もと)の人」「山の木」「遲速」など。2005年に全10巻の全集が刊行 >された。 >(2007年2月27日21時43分 読売新聞) > >飯田龍太先生の俳句会「雲母」を引き継いだのが、私が所属する俳句会「白 >露」です。先生はNHK俳壇やNHK学園の講師もされていとことから、私もいろ >いろ勉強させて頂きました。登山はされなかったようですが、南アルプス山 >麓に住まわれていて、山の名句も多く残されています。龍太俳句は、平明そ >うな表現に、象徴性が強く難解な句が多いという印象をもっています。代表 >句に次の句があります。 > 山河はや冬かがやきて位につけり > 一月の川一月の谷の中 > 雪山に春の夕焼け瀧をなす > 雪の峰しづかに春ののぼりゆく > 暑き餉や田に山脈の腕ひらく > 夏川のみどりはしりて林檎の國 > 秋嶽ののび極まりてとどまれり > >私も哀悼の句を作りました。 > 龍太逝く山の満作まだ散らず > 音たてず来る春雪崩龍太逝く > 合掌
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