登山レポート

山へ行ってきました

このコーナーは白山書房のホームページに投稿したものです。最近登った山の報告です。
白山書房のホームページ もご覧になると他にもいろいろな情報が得られるはずです。



7月27日〜7月28日
斜里岳  北海道
斜里岳は阿寒山群と知床連山の中間に位置しています。
北海道の百名山の中で最も地味な山かもしれません。
それだけに未知の魅力がある山ともいえます。秀麗な独立峰です。
コース:清岳山荘〜下二股〜上二股〜馬の背〜斜里岳〜上二股〜熊見峠〜清岳山荘

午前4時頃起床し朝食を済ませたが、小雨だったので出発を見合わせる。
午前6:50、霧雨になったので、出だすことにした。10分ほど歩き、飛石伝い沢を渡たる。
その後も飛石伝いに右え左えと沢を渡り返す。水量は少ないので、水の中を歩いてもよいよう
なものであるが、足が濡れるのもやなので飛石を頼りに渡り返す。下二股の分岐に至る。
沢コースの新道と尾根コースの旧道とにここで分かれる。沢コースを採る。清廉の滝を過ぎるが
飛び石伝いの沢の渡り返しは続く。次々に滝が現れる。羽衣の滝、万丈の滝、見晴らしの滝
七重の滝、霊華の滝と、各滝の横を通り過ぎる。旧道との合流点の上二股に着く。
晴れ間が現れはじめる。ここから徐々に登りがきつくなり、馬の背の鞍部へと詰める。
雲海の上にでたので、見晴らしがきくようになる。約25分の登りで、斜里岳に着いた。
 羅臼岳の山頂部は雲に隠れていたが、国後島は見下ろすような近さに見えていた。
旧道から下った。新道を下ると滑るので危険である。



夏草のおほふ斜里岳あと一息




平成15年5月1日
九重山: 大分県、宮崎県
 九重山は山群の総称で、昔は久住山が最高峰と思われていましたが
現在は中岳が最高峰であることが分かっています。芹洋子が歌って大ヒットした
「坊がつる讃歌」の坊がつるとは、反対側の久住高原から登りました。火口跡の
ようなお鉢を、丸みのある山々が取り囲んでいました。砂礫の山腹あり、草原も
あり、沼ありの奇想天外とまではいかないまでも、かなりユニークな山群でした。
コース:豊後竹田=赤川温泉〜久住山〜御池〜中岳〜花公園=豊後竹田

 豊後竹田から久住高原行のバスは、午後の1本だけなので、6時35分、竹田駅前で
タクシーに乗る。バス道路から林道に入った赤川温泉登山口で下車する。曙躑躅と思われ
花が数百メートルにわたり咲いている所を登る。草原に出ると祖母・傾山の稜線と阿蘇山
が見えていた。砂礫地となり、かなりきつい登りが長く続く。久住山山頂は登山者で一杯
であった。お鉢を隔てて座す三俣山の丸みのある山体が印象的である。
 砂礫地を下り、御池へと登る。御池は砂礫地の窪みにある。ここから急坂を登り中岳に
着く。正面に火山岩の山肌の久住山が近い、坊がつるは近からず遠からずに見下ろせる。
東千里浜の草原に下る。山間にしては広々とした草原だ。そこで昼食をとり、30分ほど
昼寝をしてから下山した。下山した登山口に、花公園と呼ばれるいろいろな花壇のある
公園(有料)があった。花壇を散策してから15:30、竹田行のバスに乗った



九重山

火山礫の急坂を登り
久住山山頂についた
火口跡であろう大きな窪地を
取り囲んでいる丸みのある山々
九重山群
隣の星生山稜線からは白煙が上がっている
山々はメロディーを奏でている
それぞれが大気を震わせて
山々は空間を煌かせている
それぞれの砂礫や草原の山肌で
山々は大地のドラマを語っている
それぞれの形と陰影で

1700メートルの山々
3000メートル級の
広大さと多様さで
空と向き合っている





平成14年10月14日〜10月16日
日光白根山: 栃木県、群馬県
日光白根山は草津白根山と区別するため日光と付いているようです。丸沼からは
ロープウエイもあり、丸沼、菅沼から登るのが一般的です。私は奥日光湯元から
登りましたが、予想以上にハードな登りでした。そんなことから登りは私だけ
でした。山頂からは男体山、隧岳、武尊山、皇海山と見渡せ、山頂部の地形的
奇抜さも加わって浄土を連想できるような一場面でした。
コース:湯元〜国境平〜五色山〜五色沼〜避難小屋〜
                     〜白根山〜避難小屋〜前白根山〜湯元

薄明の午前5:28、旅館をで出す。登山口からすぐに急登となる。金精峠への道路
が近い。登山口も間違えたかもしれない。長い急登から鞍部に着く。道標に「国境平」
とあった。登山口を間違えていとことに驚きながら、少し慌てて五色山へと急ぐ。
五色山山頂からは白根山が意外なスケール、3000メートル級の重厚さで立ちはだか
っていた。五色沼に降りて、避難小屋の建つ鞍部へと登り返す。登りに掛かり急登の
白樺林を抜けると、秋天を突くように聳えていた。砂礫地を登り、午前11:00
白根山に着いた。丸沼、菅沼から登ってきた登山者で一杯であった。
 下りは避難小屋まで戻り、前白根山に登り、湯元へと下った。この下りがかなりの
急降下で、ここを登らない方がよかったようだ。午後3:30、リフト下の登山口に
着いた。



日光白根山

台形状の頂稜が
尖りがげんに少し傾いた
日光白根山
彼方からもすぐにそれと分かる
隧岳 武尊山 苗場山 皇海山から
眺めたとき 神妙なものが伝わってきた

奥日光湯元から登りだし
五色山に立ったとき
意外なスケールと形相で白根山が
立ちはだかっていた
山頂部の崩れた岩壁が
端正な山体を さらに格調あるものにしている
谷状に凹のある岩の山頂部は
そう毘沙門の貌形
戦いの神は
いつも怒りをこらえている
大勢の目を避けながら




8月12日〜8月14日
平ケ岳 群馬県、新潟県
平ケ岳は、群馬県と新潟県の県境にある、あまり知られていない山です。
長丁場の山とは聞いていましたが、予想以上のきつさでした。歩きはじめ
の頃に岩、草、潅木と、掴めるものは何でも掴んでの急登が2時間続き、
これには少々参りました。百名山における行程のきつさはトムラウシ山の
次ぎくらいと思われますが、山頂には5人でけという人の少なかったこと
からもそのことが窺えます。山頂直下の姫ノ沼は、こじんまりと幻想的で
なかなかでした。
コース:鷹ノ巣登山口〜下台倉山〜台倉山〜姫ノ沼〜平ケ岳
                     〜姫ノ沼〜台倉山〜下台倉山〜鷹ノ巣登山口

麓の清四郎小屋を出ると、小雨であったので30分くらい、登山中止を
考がえながら様子をみていた。雨があがったので5時10分出発した。
30分ほど歩いてから、凄い急登となる。登り詰めた所が、下台倉山である。
ほぼ平坦な所を約2時間歩き白沢清水に着き、また1時間の急登から姫ノ沼に
立った。ガスが立ち込めていたが、山頂に着いたときは、尾瀬側は晴れて
至仏山が近くに見えていた。隧岳山頂部は雲の中。入道雲が多かったので、
早々に下山した。麓近くで雷な鳴り始め、慌てて樹林帯に駆け下った。
午後5時37分、清四郎小屋に戻った。



天空の湿原

山頂の湿原は
天空の湿原でもある
岩菖蒲が池塘を囲んでいる
ほのぼのとした光の小宇宙

これほどまでに優しいのは
周囲とのハーモニーがあるからだ
森では個々の樹木は己を堅持している
草原での草々はあらあらしく雑然としている

膝下の高さの水草
向こうには山頂
夢心地より
もう少し淡々とした夢心地




7月28日〜7月30日
利尻山 北海道
 月曜日であったこともあり、多くのパーティが登って
いました。しかし、霧雨に猛烈な風で、半分位のパーティは登頂を諦めた
ようです。私は山頂まで登ってきましたが、風に吹き飛ばされそうでした。
9合目からは粒状の火山礫で、足場が崩れ、固定ロープに頼りながらの登り
でした。
コース:鴛泊登山口〜8合目避難小屋〜利尻山〜8合目避難小屋〜鴛泊登山口
 宿舎の女将に、私ともう一人が鴛泊登山口まで車で送ってもらう。車の中でも
風の唸りは聞こえていた。4合目を過ぎ稜線に出ると、まともに風が吹きつけて
きた。山頂までは行けないかもしれないと思う。8合目避難小屋の野外ベンチには
多くの登山者が休憩していた。最果ての山に登りたいと全国から登山者が訪れて
いたが、ここで諦める登山者も多かったようだ。それも思い出と思うしかないようだ。
 行くだけ行ってみようと山頂を目指す。9合目の立て札に「ここからが正念場」
と書いてあった。粒状の火山礫で足場が崩れるが、ロープが張ってあるので特に
危険はない。更地に出ると吹き飛ばされそうだった。なんとか山頂にたどり着けた。
 悪天候のときは、9合目からは危険な山であった。3日は姫沼までハイキング
して、4日目にまた利尻山に登ったが、霧で展望はまたなしであった。



利尻山

島の山だから簡単であろう
と考えられがちた
9合目からが粒状の火山礫
ロープは張ってなかたら転げる落ちそうだ
ただならぬ風の強さ
更地に出ると
体が浮きあがりそうだ
ときおり下山のパーティとすれ違った
山頂には5パーティくらいいた
晴れていれば360度 海を見渡せた
登れたことに満足するしかない
一人だけだったら
途中で諦めていたかもしれない




4月28日〜5月2日
霧島山と開聞岳 鹿児島県
 霧島連山の韓国山と高千穂峰は、山頂は霧で展望はないにもかかわらず
家族連れなどで大賑わいでした。
 翌々日の開聞岳は、ときより強く雨の降る中での登山でした。
出会ったのは数パーティでした。ずっと樹林帯の道であったが、山頂は
樹林が切れていて、晴れていれば屋久島まで見渡せたのでは、と思われ
残念でした。
コース:大浪池登山口 〜 大浪池避難小屋 〜 西周りコース 〜 韓国岳 
〜 えびの高原 =(タクシー)= 高千穂河原〜  高千穂峰 〜 高千穂河原
大浪池登山口でバスを降りる。ほぼ平坦な石畳の登山道を歩きだす。椎、
樫などの樹林である。10分くらいで石畳でなくなる。ひと登りで大浪池
避難小屋に着く。わずか登ると大浪池火口壁に立つ。大浪池が一望である。
正面には韓国岳が見えてはいるものの、山頂は雲に隠れている。
西周りコースを採る。平坦な潅木林の道を歩く。ときおり深山霧島が
咲いていた。東回りコースの道と合流してから山頂への登りとなる。
きつい登りが続く。霧が濃くなり、稜線にでると強風に曝された。山頂が
家族連れやカップルでごったがえしていた。小雨の中、風が強く展望はない。
早々にえびの高原へと下った。エコミュージアムセンターというビジター
センターに下り着く。昼食に弁当を食べてから、タクシーで高千穂河原に
向かう。
 高千穂河原は広い駐車場になっていた。鳥居を潜り石畳の道を登りだす。
樹林帯から抜け出ると、火山礫の急斜面が立ちはだかっていた。多くの
下山の登山者の中を登りだす。登山ストックをもってこなかったので、
厳しい登りとなる。登りきってから火口外周を歩いてからまた登りとなる。
濃い霧のなかを山頂に着いた。祭壇のように石が積み上げられてあっり、
そこに逆鉾が立ててあった。
コース:5月31日
開聞岳登山口 〜 ふれあい公園中央事務所 〜 2合目登山口 〜
  開聞岳 〜  〜 ふれあい公園中央事務所 〜 開聞岳登山口
雨降りの中、開聞岳登山口でバスを降りる。幅の広い道路を緩く登り、
ふれあい公園中央事務所に着く。ここで大型ザックを預かってもらう。
公園内の道路から2合目登山口に着く。樹林帯の中の山道を登り出す。
同じような山腹を巻く登りが続く。2、3パーティが登っている。8合目
から潅木林となり、道に岩が多くなる。樹林が切れた箇所もときおり現れる。
晴れていれば海が見渡せるはずだ。ときどき岩場も現れる。潅木に囲まれた
山頂に着いた。雨が降っていて展望はない。晴れていれば、高い木々は
ないので、見晴らしは効きそうだった。


開聞岳

春雨に霞む海岸線
その先の雲の下から裾野が伸びる
田園は海と渾然一体である
さりげなく座す開聞岳
何の変哲もない緑の平野
うす暗い緑の円錐形の山は
海と呼応しながら
淡々と美を演出している
今は靄で何も見えてはいない





10月13日〜10月15日
皇海山(すかいさん) 栃木県・群馬県
コース:銀山平 〜 庚申山荘(泊) 〜 庚申山 〜 鋸山 〜 皇海山 〜 鋸山 〜 六林班峠
 幾度と道に迷い厳しい山行でした。出会った登山者も、口々に迷ったと言っていました。鋸山
近くの岩場は急峻であったが、急峻な個所の距離が短いので注意していれば大丈夫です。皇海山
山頂には6〜7人いました。庚申山荘は登山者で一杯でした。アップダウンも激しく時間もかかる
コースです。もしもの場合に備え、日の長い時期に登った方が無難なようです。
山の状況:  早朝、川崎の自宅を出って、渡良瀬鉄道の通洞で下車。ここで観光施設となっている足尾銅山
跡を見学してから、タクシーで銀山平に入る。約3時間歩き庚申山荘に着き、ここに泊まる。
 翌朝、薄暗いうちに歩き出し、道なりに行けばよい所を、ガレ場を登ってしまい道から外れて
しまう。次ぎは岩壁方向へ曲がらなくてはならないのに、道なりに進み道から外れてしまう。巨
岩、奇岩と通り抜け庚申山に着く。道が分からなくなりながら稜線を進む。樹林が切れると日光
白根山や男体山が間近に見えている。急峻な岩場こ越えて鋸岳に着く。一旦、鞍部まで下り急登
から皇海山に着いた。帰路は鋸山から六林班峠に下り、紅葉の山腹を歩いた。皇海山の上の方は
針葉樹林帯で紅葉はない。沢を渡る所で道が不鮮明であった。庚申山荘に戻ったのは午後4時近
く、銀山平のかじか荘に着いたのは暗くなった午後6時であった。


山の詩:皇海山

ガレ場が多く
道には熊笹が被り
鹿のためか獣道も多い
幾度も道に迷った

急峻な岩場
激しいアップダウン
ひどく疲れた

仕事なら
止めることはできない
山登りは
やはり止めることはできない
皆登っている
紅葉に魅せられた
山の奇抜な山容に心を躍らされた
岩場のスリルが応えられなかった
どれともいえない

直線と灰色からなる街
蛍光燈に照らされた半日
そこからお飾りくらいの木々の
住宅地へと帰る

山登りは仕事とは裏表だ
どちらが欠けても
生活は止まってしまう



7月29日〜8月6日
十勝岳、雄阿寒岳、雌阿寒岳  北海道
コース:望岳台 〜 十勝岳避難小屋(2泊) 〜 十勝岳 〜 白銀温泉(泊)
       〜 阿寒湖畔温泉(泊) 〜 雄阿寒岳 〜 阿寒湖畔温泉(泊)阿寒湖畔温泉(泊)
       = フレベツ林道登山口 〜 雌阿寒岳 〜 オンネトー湖畔 〜 阿寒湖畔温泉(泊)
 今年の北海道は本州の梅雨の状態と同じでした。到着日、帰りの日それに雄阿寒岳
に登った日が晴れで、あとは雨でした。十勝岳は20パーティ位、雌阿寒岳は10
パーティ位、雄阿寒岳は5パーティ位を見掛けました。雌阿寒岳フレベツ林道からの
登りでは、誰にも会いませんでした。このような天候なので、例年より登山者は
少なかったと思われます。
山の状況: 十勝岳:悪天候のため十勝岳避難小屋に2泊した。水のない所で、食器に雨水を
溜めたりして、縦走のための水を工面した。天候は回復せず、曇でかなりガスっている中を登った。
不安はあったが、コースサインが、かって経験してないほど沢山付けられていたので、山頂にたどり
着けた。予定していた美瑛岳への縦走は中止した。活火山でいろいろと不気味な様相であた。
雄阿寒岳:朝方は雨模様であったが、5合目近くから晴れ上がった。しかし一面雲海で阿寒湖は
見下ろせない。雲海に雌阿寒岳が、神々しく聳えていた。大雪山、十勝連峰、日高山脈と見渡せ
た。
雌阿寒岳:オンネトー湖側登山口行のバス始発が、午前11:25であった。そこまでタクシー
を使うと、6000円ほど掛かる。フレベツ林道の登山口までなら3000円で済む。役場まで
行って、フレベツ林道からの登山は危なくないか尋ねたところ、大丈夫とのことであた。フレベ
ツ林道から登りだした。小雨でかなりガスっていた。風がないだけ有り難いと思った。2時間位
歩き稜線に出ると、風速は23m位、吹き上げて来る噴煙の蒸気に霧が混ざり、視界は断続的に
ゼロとなった。(霧の塊のようなものが、噴煙の蒸気であったかは確認できていない)さらに硫
黄が道に張り付き道が消えかけている。遭難しかねないと思いつつ、朦朧と歩いていた。広大な
山頂部斜面に突き当たり、そこからは順調に進め、山頂にたどり着けた。ここも風が強く、噴火
口に突き落とされそうであった。


山の詩:阿寒岳

椴松の森は
岳樺の回廊となってから
這松の回廊となり
五合目の小広場に出た
ここからは背丈より低い這松帯を進み
なかば這松に覆われた火口跡の外壁を通り
一登りで雄阿寒岳山頂に着いた

周囲は果てしない雲海だった
雌阿寒岳はドーム状の山体を
大きく浮き立たせていた
その山肌は夕日に染まっているかのように
赤褐色に煌めいている
阿寒富士はエスコートするように隣接している

阿寒とはアイヌ語で不変の大地
神とは形ある存在でなくてはならない
アイヌは
カムイ熊を神とした
雄阿寒岳も雌阿寒岳も大地の守護神
洗練された山体と山肌は
人々をそう信じさせている



4月29日〜5月3日
宮之浦岳(屋久島)  鹿児島県
コース:淀川登山口〜淀川小屋(泊)〜宮之浦岳〜新高塚小屋(泊)
                        〜縄文杉 〜白谷小屋(泊)〜白谷雲水峡
 鹿児島から屋久島までの飛行機が、屋久島地方の大雨ため欠航となり、羽田に引
き返すのかと思われましたが、鹿児島市内に泊り、翌日、高速船は満員であったの
でフェリーで屋久島・宮之浦港に着きました。今年から淀川登山口近くの紀元杉ま
でバスが運行されるようになっていたので、時間の遅れを取戻せました。淀川小屋
から宮之浦岳近くと白谷小屋からの下山は晴れましたが、あとは雨でした。淀川小
屋と新高塚小屋の大混雑が印象に残ったともいえますが、やはり屋久杉の太さに最
も驚きました。
山の状況: 12:30、フェリーで宮之浦港に着く。今年からバスが紀元杉まで運行されて
いた。紀元杉までバスに乗り、小雨の中を夕刻、淀川小屋に着いた。もう少し遅か
ったら小屋から溢れていた。翌朝はすぐに急登に掛かる。長い登りから小花之江河
の湿原に着く。湿原があるとは知らなかったので驚いた。次ぎ花之江河の湿原を抜
け、登りとなり稜線に上がる。笹原のピークが幾つか並んでいた。遠くには海も見
えている。この上なく優しい山容だ。宮之浦岳山頂に着いた時はガスで展望はなかった。
狭い山頂には20人位いて大賑わいである。
 下りに掛かると雨が降り出し、新高塚小屋までは地図上より長く感じる行程だった。
新高塚小屋は淀川小屋以上の大混雑だった。
 翌日も雨。縄文杉、ウイルソン株も途中で見学した。縄文杉とウイルソン株の間
は、ほとんどに木道が敷かれてあった。縄文杉へのハイカーと頻繁にすれ違う。
この日は白谷小屋に泊まる。ここは混んでいなかった。
 翌日は晴れた。白谷雲水峡に下った。狭い岩の廊下を激流が走っていた。途中か
らコンクリート製石畳の遊歩道になっていった。屋久杉や桜躑躅を見ながら歩いた。
 予想はしていたが、雨に悩まされた。いろいろな面で凄く意外性に富んだ山であった。


山の詩:屋久杉の登山道

靄の登山道
屋久杉がまた現れる
巨人のように
栂 山車 姫沙羅 柘植 榊
他の木々を統べることなく
瞑想に耽けっている

何故じゃまをする
語りかけられたようだ
森を荒らしにきたのではない
山々や海を見渡し
森にひたしむために歩いている
屋久杉は黙っていた
登山者も瞑想に耽りながら歩いていた



2001年1月1日〜4日
八ヶ岳  長野県
コース:美濃戸口〜赤岳鉱泉(泊)〜硫黄岳(山頂附近まで)〜
              〜赤岳鉱泉(泊)〜地蔵ノ頭〜赤岳鉱泉(泊)〜美濃戸口
 入山した日の午後は晴れていた以外は、連日、小雪でした。赤岳鉱泉は、
元日は満員でした。赤岳を目指している人はごく一部のようでしたが、冬山も
大衆化、レジャー化しているようです。旅行社の山麓回遊の団体も赤岳鉱泉
で一緒でした。
山の状況:硫黄岳は小雪の中を登りだし、赤岩ノ頭の森林限界にでたときは、
吹雪であった。ここからは小石が埋まる程度の積雪で、トレースがなく、また
視界もガスのためあまり効かない状況であった。20分登ってから下山に掛かた
が、赤岩ノ頭までのルートが不明瞭で迷いそうになりながら下った。
 翌日も小雪のちらつく中、赤岳を目指す。前日ほど風はなかった。行者小屋
から地蔵尾根を登る。樹林帯は積雪1メートル位であった。岩稜地帯は積雪が
少なく、アイゼンで岩を踏んだり、雪を踏んだりの登りとなる。地蔵ノ頭(約2700m)
まで登り、よろけるほどの強風であったためそこで引き返した。岩稜地帯の下る
ルートが不明瞭で戸惑った地点もあったが、下りきれた。予想はしていたが、予想
以上の状況であった。

山の詩:雪山にて

登頂を諦め赤岳鉱泉に戻った
食堂で一休みしながら
ときどき窓に目をやる
小雪が風に煽られながら降りしきる

窓の外には次々にやって来くる登山者がいた
誰もがフードを被り
オーバーヤッケに身を包み
足にはロングスパッツにアイゼンを付け
手にはピッケル
アイゼンやピッケルは指導を受けなければ
十分には使いこなせるものではない
誰もがある程度それらをマスターし
雪山に挑んでいるのであろう

それまでに彼ら彼女らを
惹きつける雪山の魅力
危険が大きく簡単には登れない
技術をマスターしてなければならない
オールランドに登りたいという岳人のプライド
それにも増して
雪におおわれたモノクロールに
さまざまの形と影が浮かび上がる
幻想の世界にひたりたいのだ
それも自分の体力と技術によって



10月28日
ももくらやま
百蔵山  山梨県
コース:猿橋駅〜林業センター〜百蔵山〜山ノ神の祠〜猿橋〜猿橋駅
学生時代の仲間3人とハイキングに出掛けました。タクシーを利用するつもりでしたが、
歩きに来たのだからと、猿橋駅から歩くことになりました。友人たちはほとんど山に登る
ことがないので、下山してから、「あすこまで登ったんだ」と幾度も百蔵山を見上げてました
帰りに日本三奇矯にはいっている猿橋にも立ち寄りました。友人たちとっては初めての
猿橋で巧みな造りに感心してました。
山の状況:道路は歩いているうちに林道となる。林業センターに着く前に林道から山道
に入る。登りは徐々にきつくなり、急斜面の直登となる。このコースを登りにしない方が
良さそうである。山頂附近からは紅葉半ばであった。山頂は広めの落ち着きのある場所で
あった。

山の詩:百蔵山

思いがけないきつい登りが続く
わずかに紅葉した雑木林
その登りは30分続き
平坦な所に登り詰めた
扇山との分岐点だった
平坦地を200メートルほど行くと
きつい登りには意外な広さの
山頂に着いた
数パーティが昼食をとっていた
樹林に囲まれているが
中央本線の通る山間側と
反対の奥多摩側は開けている

変化に乏しい登路
靄に包まれた周辺の山々
重々しい曇空
何を求めてここまで登ったのか
疎らな雑木に囲まれ
ほのぼのとした雰囲気
山間の集落とそこを通り抜ける高速道路を
見下ろしながらの昼食
家々も高速道路も
ぼんやりとした緑の中に沈んでいる
日常生活の外側にいる解放感
人間社会から遠ざかった充足感

明るさのある松林を歩いてから
山腹の下りとなる
薄暗い杉林を
猿橋駅へと下った



10月13日〜10月15日
苗場山  長野、新潟
コース:秋山郷 〜 苗場山 〜 三俣中央
飯山線・津南駅から秋山郷行のバスに乗りましたが、津南駅からバス停まで1.5キロほど
あり、バス停まで走ってなんとか間に合いました。山頂ヒュッテは満員でしたが、頼み込んで
予約できました。 天気は、登った日の午後は晴れましたが、後は小雨と薄曇りでした。
山の状況:民宿で一緒だった人に、車に同乗させて貰い3合目に着く。
良く整備はされているが、ぬかるんだ道を登る。山頂の湿原に着く。枯れ草の湿原を眺めながら
1時間近く掛けて、山頂ヒュッテに着いた。ここからは壮観な山岳景観が展がっていた。皇海山
白根山、至仏山、ヒウチ岳と雲海に立ち並んでいた。
山頂ヒュッテは毛布だけだったので寒かった。
翌日は苗場三俣へと下山した。和田小屋まで下った所で、山頂ヒュッテで知り合った2人連れに
出会い、バス停まで車に乗せて貰うことができた。山麓はまだ紅葉してなかった。

山の詩:山での出会い

麓の民宿の夕食で
細身の人と向かい合わせになった
それまではマラソンをしていた
53歳から山に登りはじめた60歳
百名山を73登り
日高山脈の最高峰・幌尻岳にも
登りたいと言っていた
苗場山山頂ヒュッテでは
白髪の人と隣会わせた
それまではゴルフをしていた
60歳から山に登りはじめた63歳
年間2回の富士登山を含め
30回くらい山に出掛ける
マレーシアにある4000メートル峰・キナバル山に
できれば年内に登りたいと言っていた

山が好きで
そこを歩くのが好きなのだ
多くの山に
困難な山に
登ろうとする焦り
それに打ちかとうとするような
着実な一歩一歩
人生とは立ち止まっていることではなく
歩るくことだ




8月2日〜8月3日
羊蹄山  北海道
コース:自然公園入口(真狩) 〜 羊蹄山 〜 羊蹄山登山口(比羅夫)
幌尻岳と羊蹄山と登る予定で千歳空港に降りましたが、幌尻岳は沢の増水で、中止し
羊蹄山だけ登ってきました。幌尻岳は昨年登っているという受け身の気持ちだったためか
激流に押され、3回目の徒渉で下山してしまいました。翌日からしとしと雨降りで、それで
よかったようでした。
山の状況:倶知安駅前から6:45の始発で自然公園入口に向かったが、他の登山者より
1時間ほど遅いようであった。下山の登山者とはすれ違ったが、登っている登山者とは出会
わなかった。急登の連続で、しかも北海道の記録的な暑さも加わり厳しい登りとなる。各合目
ごと木に札が掛けられてあった。8合目を過ぎて潅木林を過ぎると、日本海と雲間にわずか
太平洋も見渡せた。

山の詩:麒麟草

急登に次ぐ急登
七竈や岳樺が覆い被さり
登山道は明るいトンネルとなっていた
急登の登山道に麒麟草が
切れ目なく咲いている
どこまでも咲いている
木洩れ日に
小さな花片の集まった房を灯しながら

潅木林を抜けたとき
お花畑の大斜面から
日本海が見渡せた
ニセコアンヌプリの山群に隔てられて
雲間には太平洋も見えている

日盛りに登り一辺とうだった
羊蹄山はもうこりごりという登山者もいたであろう
あの麒麟草にまた会いたという登山者も多いであろう




4月30日〜5月5日
剣山  徳島県
石鎚山 愛媛県
コース:剣山〜 じろうぎゅう
次郎笈
〜丸石、石鎚山
どちらかは雨であろうと覚悟して出掛けましたが、好天に恵まれ十分四国の山々と堪能
できました。
山の状況:剣山は日帰りの人は沢山いたが、剣山〜次郎笈〜石丸の縦走路では独行者
とすれ違っただけだった。石鎚山は驚くほど人が多かった。

山の詩:剣山縦走

剣山
次郎笈
丸石
と稜線はすき間なく熊笹に覆われている
他の山域にない自然の生態
遊び心を誘われる解放感
四国ならでは自然の趣
青空に黄緑色のハーモニーの中で
夢心地への心の彷徨へと入って行く
ほとんどの山々の斜面は穏やかな傾き
説明板には
熊笹に似た笹は四国笹となっていた
西日本の最高峰
石鎚山につぐ
剣山は西日本第二の高峰
ではあるが
抜きんでた高さではなく
盟主を唱えるということはない
隣接の山々ものんびり座している
丸石に近づくにつれて
山道に笹が被さり
笹の丈は胸近くにまでなった
徐々に丈は短くなり膝くらいになる
丸石山頂に立った
登路を振返ると
次郎笈
剣山と
四国笹に覆われた黄緑色の
丸みのある山体が
どっしりと並んでいた
四国は平和な山の国である



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