登山レポート

大規模プロジェクトによる自然破壊

 地球の環境破壊、すなわち自然破壊を引き起こす人為的活動は、大きく二つに分けられる。行
政機関や企業により大規模かつ組織的に行われるもの。代表的なものにダム建設、河川改修、林
道建設、観光開発、宅地造成などである。これに対し、登山者などの個々人が長い年月の間に少
しずつ侵して行く場合とがある。前者は政治上の問題であるが、後者は各個人のマナーの問題と
いえる。ゴミは持ち帰る、草地などに踏み込まない、国立公園内では指定地以外でキャンプをし
ない、沢で洗剤を使わないなどのことが求められている。
 ここでは前者に該当する自然破壊を引き起こしている幾つかの大型プロジェクトについて、問
題点の詳細を追ってみることにした。

1.黒部川ダム
 ダム開発が行われた川は、清流ではいられなくなるとされている。その一例として、黒部川の
問題を取り上げる。
 黒部上流は太古の自然が残されていた。冬の豪雪と、アプローチの険しさ。それに加え、江戸
時代には加賀藩の黒部奥山廻り役によって、伐採が厳しく監視されるなどして、森は守られてき
た。伐採したとしても、黒部川に流された木材は、下流に着くまでに激流ためボロボロになって
しまう。その豊富な水量と激流は、電源開発に利用されることになる。
 黒部といえば一般の人たちには「クロヨン」が有名だが、正式名称は黒部第四発電所である。
このダムは、7年の歳月と延べ1万人の労働者が投入され1963年に完成した。東京オリンピック
と並ぶ「世紀の大事業」と目された。黒部川には現在、関西電力だけでも9つの発電所(合計
88万2500キロワット)が運用されている。これらのダムはコンピュータでコントロールされ、水
系は一括管理されている。黒部ダムで放流された水は、仙人ダム、小屋平ダムを経て、下流へと
向かう。上流で発電に利用された水は、下流ダムでも次々に再利用されるシステムとなっている
。85年に北又川出合上流に建設された出し平ダムは、水の再利用をさらに効率的にするための
ものであった。
 冠松次郎は著書『渓』で、黒四工事後の黒部川の変容を、次ぎのように書いている。
「第四発電所の工事で一番変わったのは、東谷と赤沢である。少なくともその合流点付近では共
に原形を全くとどめていない。落口に滝の連続していた東沢の滝も見えなくなり、谷幅は広くが
らりとして明るくなった。温泉の出ていた岩の段丘も削りとられてしまったようだ」(「黒部そ
の後」1959年)
 ダムの存在を危うくしているのが、堆砂の問題である。堆砂によりダムが機能しなくなるだけ
でなく、ダムにより砂が下流に流れなくなってしまうことが、地域の自然に多大な悪影響をもた
らすのである。上流で土砂が取られるとどういうことになるか。河口の海岸線は砂浜の消失に曝
されることになる。1936年、吉原海岸に地上5メートル、全長約1キロの防波堤ができた当時
、防波堤から汀まで砂浜が48メートルもあったが、70年にはすべて消失した。
 黒部川は急峻なV字谷で、しかも風化されやすい花崗岩であるため、源流から宇奈月ダムへと
流れる年間の土砂量は、約203万トンと推定される。この東京ドーム一杯分を超える土砂のた
め、ダムはすぐに土砂で埋まってしまうのである。関西電力の調査では、仙人谷、小屋平両ダム
の堆砂率は約90%にも達している。
 出し平ダムは、堆砂という難問に対処した国内初の本格的な排砂ゲートをもつ排砂ダムであっ
た。排砂ゲートから堆砂を放出できるよういなっている。しかし、それが反対に大きな自然破壊
を引き起こすことになった。1994年2月、出し平ダムから5万立方メートルのヘドロと化した土
砂が、河口へと吐き出された。堆積した土砂を取り除くとともに、自然環境への影響を調べる「
試験排砂」でもあった。土砂は瞬く間に黒部川下流域を真っ黒に染め、富山湾まで達した。黒部
川内水面漁協や県漁業共同組合連合会などから、今後の排砂絶対反対の声が上がった。しかし、
関西電力は観測データ不十分と、試験排砂を繰り返した。排砂が行われてから、川虫も見掛けな
くなったという。排砂で多くの魚が死んだが、支流に逃げ込んだ魚もいる。しかし川虫もいなく
なると、魚は戻って来なくなってしまうと考えられている。
 水力発電、洪水防止、飲料水の貯水とダムの果たしてきた役割は小さくない。一方、自然環境
には多大な悪影響を与えつつある。今後のダム建設は本当に必要なものか十分検討の上、堆積土
砂を徐々に放出するできる設備をもったものが建設されなくてはならない。

2.島々谷川砂防ダム
 北アルプスの島々谷川は徳合峠と大滝山を源流としている。大滝山側の沢には6号砂防ダム建
設が計画されている。それは高さ42メートルもあり、砂防ダムというよりは多機能の巨大ダム
の規模である。このダムにより上流1キロメートルが、土砂に埋まることになる。このような小
さな沢にこれほどのダムは必要なのか。その質問に対する建設省松本砂防工事事務所の回答は、
「大きな砂防ダムが造れる地形は限られている。空撮や現地調査からなどから考えると、42メ
ートル砂防ダムも建設可能ということになったのでしょう」というものであった。この発言から
、必要性により決まってきたダムの規模ではなかったことが伺える。
  ダムから上流には土砂が堆積してしまう。川の流れは分断される。魚は遡上できなくなる。
このようにして水系は変わってしまうのである。渓谷美も失われることになる。
 上流域の砂防ダムで土砂が止められたことにより、海岸浸食も深刻化してきた。この対策には
、ダムの下部に土砂を流すための穴を開けたオープンダムや、鋼鉄のジャングルジムのような構
造物で土砂を食い止めるスリットダムのような「土砂を流す砂防ダム」の導入が予定されている
。現在、建設中である約4000のダムのうちの30%程度をはじめ、計画中の年間4000の
ダムについても、8〜9割はこうしたダムになるという。
 しかし、各都道府県や砂防工事事務所は、砂防部のマニアルに基づいて工事をしているだけで
、河川の実態に合った計画になっていないのが実状といわれている。「現場の技術者が生態系に
対応した計画や工法ができない場合もあるし、古い人の中には、人命第一だけしか頭にない人が
多く、なかなか、生態系の話にはならない」と述べる研究者もいる。
 渓流を最もよく知っているのは、登山者・釣のベテランや研究者などである。従来の砂防工事
には、これらの人たちの意見は無視されていた。情報公開を進めた上で、現場を踏まえた議論の
もとに計画と工事がなされ、防災と自然保護を両立したものにして行かなければならない。

3. 吉野川河口堰
 吉野川河口堰の建設計画は、「第十堰改築事業」と名付けられている。第十堰は、江戸時代に
地域の農民が、農業用の分水流を作るために青石を積み上げた堰で、当時の第十村にあったこと
から第十の堰と呼ばれていた。第十堰の名称はこのような経緯がある。第十堰は250年にわた
り地域の暮らしを守ってきた。今もその役割を果たしている。
 建設省の計画は、この堰を取壊し、1500憶円かけて大量の水を溜めるゲート式の堰(河口
ダム)を1.5キロ下流に造ろうとしている。実現すれば全長680メートルの長良川河口堰を
上回り、全長725メートル、高さは7階建てのビルに匹敵する巨大構造物が、吉野川を遮断す
ることになる。
 それに引換え第十堰は、渇水のときでも堰を通過する透過水や湧水が絶えることがなく、自然
との共生をなしとげた構造物なのである。
  自然環境問題としてクローズアップされた長良川河口堰では、ゲートが閉められて数ヶ月で
アオコが発生、今では川底一面にヘドロが堆積し、堰下流の蜆漁は全滅、遡上鮎は激減した。
  吉野川河口堰ダム湖では30日も水が滞留する。ここを水源とする市民の水道用水は悪化し
、ヘドロの堆積は吉野川の生態系を取り返しのつかないほど悪化させることになると考えられる

 利水目的については、根拠が示されないまま97年8月に突如撤回された。また、150年に1度
起こると予想される大洪水に対し第十堰では危険水位を越えるとされているが、建設省の計算で
は過去の洪水痕跡より1メートルほど過大に見積もっていることが判明した。さらにいえることは
、河口堰の治水効果は堰上流4キロ区間において、洪水水位を10センチ下げるのみと試算されている
。それなば、現在の堤防を補強する方が効果は大きい。また、公共事業の無駄が大きな社会問題
になっている現状において、すべてを人為操作に頼ることなどから、維持管理費が年間10数億
円かかることも見逃せないのである。
 住民投票では圧倒的多数で、河口堰の建設中止が指示されたが、中止の決定はまだなされてい
ない。超党派の国会議員による「公共事業チェックを実現する議員の会」の現地視察が行われた
とき、左藤謙一郎会長代行は、「第十堰を初めて見て、これこそ人と自然が共生する将来像だと
鮮烈な印象を受けた」と述べている。
 河口堰という巨大構造物は建設されてしまえば、それが存在する限りその地域の自然にマイナ
スの影響を及ぼし続けることになると考えられる。行政主導ではなく、住民や研究者を含めた十
分な議論のもとに、自然と共生できる方策が打ち立てられなくてはならない。

4. 大規模林道
 南アルプスや白山の渓谷が切り開らかれ、スーパー林道と呼ばれる、従来より大規模な林道が
建設された。同様なスーパー林道は全国に23路線が計画された。そのうちの8路線が国立公園
内であったこともあり、自然保護団体による激しい反対運動が展開されることになった。現在は
その数倍規模の「大規模林道」と称する林道の建設が進められている。
 林道は林業には欠かせないものであり、地元の産業促進にも役立つものであるが、規模の大き
な舗装道路は山岳ハイウェイであり観光道路なのである。自然環境を大きく変貌させることにな
る。
 大規模林道は、林野庁の外郭団体である森林開発公団により全国7地域で進められている。幅
5〜7メートルの完全舗装で大型バスが相互通行できるものである。山村地域の過疎化対策とし
て、都市とも交流できる多目的林道を目指している。「山村振興」の大儀名文のもとに、都会の
人は口をだすな、という風潮があった。ところが都会の人も発言する権利はあるのである。それ
は、この建設の費用の70〜85%が国庫補助金でまかなわれていることなどによる。
 スーパー林道の場合、現実は「山村振興」ではなく、有料の観光道路または営林署の専用道路
として使われている。地元住民には膨大な借金と維持管理費が残された。山形・新潟両県にまた
がる朝日スーパー林道や、栃木・群馬両県の奥鬼怒スーパー林道のように、半年は雪に埋もれる
厳しい自然環境によりほとんど使われていないケースもある。
 これらスーパー林道失敗の反省のないままに、大規模林道の建設が推し進められている。これ
らの建設は自然破壊を招くだけでなく、林道の維持管理が地形的に難しい場合が多くその費用も
多大なものになると予想される。自然破壊の問題としてでなく、財政の問題としても取り上げら
れなくてはならない。建設費の3分の2が国庫補助金で、3分の1が資金運用部資金からの長期
借入れによっているのである。長期借入れについての返済は、関係都道府県の負担金からと、林
業や地権者などの受益者の支払によることになる。建設事業を推進している森林開発公団は何の
責任も負っていないのである。大規模林道は観光開発が実態である。観光開発であるなら、森林
開発公団の一事業として進める事業ではなく、「自然保護」と「山村振興」に根差した総合的も
のが、地域住民の合意のもとに地方自治が主体となて進められなくてはならないといえる。
 以上述べてきた大規模プロジェクトは、ことごとくゼネコン(総合建設会社)が、建設を請け
負っている事業である。ゼネコンは多大な不良債権を抱え込んでいることからも、社会における
非難の的となっている。一方、ゼネコンは法律を犯しているわけではなく、ゼネコンがプロジェ
クトを立案推進しているのでもない。ゼネコンを非難しても自然破壊に歯止めがかかるわけでは
ない。
 ゼネコンが非難されるべき問題は、受注における談合の疑惑が常に付きまとっていることであ
る。見せ掛けでは公正をきしつつ、官側にも都合の良い実績のある会社、ここでは技術もあり政
界にも顔が利くという意味で、力のある会社ということになるが、そのような会社が請け負うこ
とになるような都合の良いやり方として、談合がはびこってしまったのである。このような政官
と企業の癒着の体質が、不必要な公共事業までもまかり通る社会を作りだしたといえる。公共事
業の発注は従来のような運任せ的な選別ではなく、技術水準が高く効率的なマネイジメントの進
んだ企業が選ばれる、審査中心の新しい方法が、考え出されなくてはならない。受注金額の安さ
だけではなく、技術の斬新さや施工の合理さ、メンテナンスの容易な構造なども考慮されたもの
が望ましい。
 本論である自然と共存したインフラ構築には、それなりの研究や新しい技術が必要であり、と
いうことはそれだけ費用もかかることになる。これについては、一般の人たちの理解が求められ
ている。また、公共事業以外に産業がないといわれている地方の振興については、新しい方策が
考えだされなくてはならない。もちろん観光も重要な手段であろう。これは地域住民の叡智を結
集しなくてはならない。さらに、無責任な行政および官庁の存在もあるが、それらは選挙で選ら
ばれた国会議員や地方公共団体の議員の統制下にあるのである。というのは法律や条例のもとに
行政が執行されているからである。私たち一人一人の政治への無関心が、将来にマイナスな行政
をもたらしてきたともいえる。このような自然破壊は、この国の将来を象徴しているともいえる
。暮らしやすい生きがいのある社会にするために、一人一人が政治に感心をもち、身近な問題か
ら対処していくことにより、打開の道は拓かれるはずである。


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