POEM

詩についてT

詩は文法にとらわれず、短い言葉によるメッセージであり、創作であると、私は
考えている。そこには新しい表現とリズムによる訴えや余韻の効果が含まれて
いなくてはならない。
いまさら何故、詩なのか。 詩でなくては、表わせないことがあるからであろう。
「詩とは何か」と、さまざまに言い表わされてきた。先人の定義の主なものを、
ここであげておく。
  • 散文は歩行であるのに対し、詩は舞踊である。(ポール・ヴァレリー)
  • 詩には新しくとらえた対象(意識と事物)の一面がある。(吉野弘)
  • よい散文の定義は − 適切な場所におかれた適切なことば。よい詩の定義は
    − 適切な場所におかれたもっとも適切なことば。(コールリッジ)
  • 偉大のことをいう簡潔で単純な方法。(エドワード・フィッツジェラル)
  • 詩とは、生命を強烈に実感することによって引き起こされた情緒の表現である。
    (S・R・ライアット)
  • わたしは詩についていろいろなことをいってきたが、そのうちでもっともおもなもの
    は、詩はメタファだということだ。あることをいって別のことを意味し、別のことをいう
    ことによってあることを意味するメタファだ。(フロイト)
  • ところが名づけると、すぐにそれに慣れ、名前は、実体を無視しひとり歩きしたり、
    乱暴に流通し、その機能すら、失って行く。そして、名称や言葉で世界を、壊したり
    洗い直したり、再構成したりしはじめる。詩は構成するための破壊力になる。
    (杉山平一)
  • 詩とは、精神と現実とが沸騰的交渉ののちに、沈殿して生じた結晶である。
    (ピエール・ルヴェルデイ)
 現代詩についてはいろいろ定義されている。口語自由詩ともとれるが、その時代ごとの
現在作られた詩と考えれば良いようである。
 尾崎喜八、串田孫一と並び山岳詩の第一人者の秋谷豊は戦後すぐに、ネオロマンシズム
を唱えつつ詩会「地球」を創設した。
 この3者の代表作を挙げておく。


山頂の心
尾崎喜八
海抜三千百メートル、
岩の楼閣北穂高の
岩の頭にがっちり立ってる。
真白に吹き上げて来る横尾の霧は
寒くしゅうしゅうと身にしみるが、
霧が晴れればかっと明るい眼前に
きのうの槍があり南岳があり、
急登三時間の大キレットも
かえって今では懐かしい歌だ。
たとえ飛騨側の朝の尾根から
Go Back! Go Back! と
雷鳥のさそいの声は響いて来ても、
あとへ引く心はさらさら無い。
見ろ、北は秋風の越中立山、
南に釣尾根が天の廊下だ。


山 頂
串田孫一
まあここに腰を下ろしましょう
疲れましたか
ここが針ノ木岳の頂上です
水ですか ぼくはあとで貰います
この光る真夏の天の清冽
ぼくたちはもうその中にいるのです
しいいいんとしてゐるこの筒抜けの深さ
何だか懐かしいやうな気がしませんか
七絃琴が奏でてゐる
これが天体の大音楽かも知れない
あすこの左のそいだやうに平らなところ
ええ 雪がところどころ残ってゐるあそこ
あれが五色ヶ原
きつと黒百合が伝説風の顔して咲いてゐる
明日の朝は早くこの黒部の谷を越えて
日暮までに辿りつきませう
小屋にスキーがあつたら滑れます
そこから赤く荒れた浄土を越えて
正面ののびのびと大きいのが立山です
その右の黒い岩峰の群
あれが剣岳
あそこまで遥かな山旅ですが
ゆつくり歩いて行きましせう
岩魚を食べ 雷鳥を見て
雛をつれて這松のある岩尾根にゐます
寒ければ上着を着たら・・・・
何を考えてゐるの
ちよつと こつちを向いてみて
今日一日でほんたうに日に焼けましたね
今かうして連なる峰々を見てゐると
夢の中の憩ひのやうでもあるけど
こんな山肌の色を見たことや
淋しい谷を霧に濡れて歩いたことが
あなたをやわらかく救ふ時があるでしせう
取りつきやうのない寂しさの中を
蟻になつた気持で歩いたことが
あなたを元気づけることがあるでしせう
天へ飛び立つて行くやうな歓喜と
永遠のやうなものに包まれてしまつた哀愁と
それが儚い人間には必要なのです
冷たい水もう一杯のみますか


登 攀
秋谷豊
うすよごれた鋲靴の踵を支点に
ピトンを打ち込む
その岩壁には ねむるべき石も
やすむべきテラスもなかった
ぼくらをいまこんなに垂直にするものは
なんであろう
くろずんだハンマーを握り
ザイルを腰に巻きつけ
ぼくらをいまこんなに薄明に近づけるものは

−山がそこにあるからだ
と 見知らぬ一人の登攀者は語ったが
あの雪渓と雷鳥のねむりはぼくらの渇き
霧にまかれ
きれぎれの雲をくぐり
おお そのながい苦痛のあとに
今 行手に 一つの大きな夏がやってくる

ぼくは思う ふいにぼくの生涯が墜落する
この薄明のなかの
それは荒々しい季節の予感なのだ
と−


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