POEM

季刊詩誌「地球128号」  2001年 9月

特集 新しい時代に詩人は何ができるか
1.試される抒情性と想像力         P12
三田 洋
 新世紀が孕む光と影
 この世紀の未来像ほど予測を拒否するものはない。拡大する環境汚染、溢れる情報の渦、デジ
タル化を筆頭に加速度をます科学技術、政治的経済的な混乱など新しい時代はいま危機的な岐路
に立たされている。
 頻発する凄惨な事件、理由なき殺人、激しさを増す児童虐待、生きがいの喪失、自己中心的思
考などにみられる精神的荒廃は世代や階級を超えて浸透している。六月には大阪の小学校で八人
の児童が刺殺された。かって重大犯罪者と一般者との間には鋭い深淵が横たわっていた。しかし
現代人は病んでいて、誰もがその深淵を超える危険性を孕んでいる。この状況下では人類はあと
五十年で破滅するだろうと警告する専門家もいる。
 それとは逆に医学や生物学の進歩、特にヒトゲノムを初めとする遺伝子研究により人類の寿命
は二百位も延長されると予測する研究者もいる。さらに密かに進められているクーロン人間の登
場となると人間は永遠の命を持つことになる。新世紀はこの恐ろしいほどの落差の狭間で、わた
したちは鋭く振幅しつづけることになる。
 詩や文学に携わるものとして最も危惧しているのはこの精神的荒廃の問題である。わたしたち
を覆う病は重い。詩は豊かで多様な精神的土壌の上に生み出されていく言語芸術である。豊かな
精神は愛や美や真実の世界を湧出し詩に彩りや内奥を与えてきた。その精神的土壌が危機に瀕し
ているのだ。


今世紀の初め、冬の暖かい日だまりの部屋で、アンソロジーや詩集のページをめくりながら、わ
たしはその豊かで多様な抒情詩の絢爛たる輝きに目を見張った。そして前世紀は抒情の時代であ
った、わたしはそう確認した。例えば、次ぎのような詩が目に留まった。

彼方の岸をのぞみながら
澄みきった空の橋上の人よ
汗と油の溝渠のうえに
よごれた幻の都市が聳えている
重たい不安と倦怠と
石でかためた屋根の街の
はるか、地下を潜りぬける運河の流れ、
見よ、澱んだ「時」をかきわけ、
櫂で虚空を打ちながら
下へ、下へと漕ぎ去ってゆく舳先の方位を。
         (鮎川信夫「橋上の人」から)
雲の多い三月の空の下
電車は速力をおとす
一瞬の運命論を
僕は梅の匂いにおきかえた
         (谷川俊太郎「春」から)



 精神上の危機は抒情詩に危機でもある。わたしたちの孤独は深い。詩を書くことで精神的環境
づくりができればいい。抒情詩は感性を豊かにし認識を深め精神に直接作用する。抒情は読み手
の深部まで届く他者へ差し出す孤独の手だからだ。戦後の激しい抒情批判以来わたしたちは抒情
詩に誤った罪の意識や劣等意識を持ちすぎてきた。こうした非抒情的な状況は時代の精神をます
ます荒廃させていくという悪循環を繰り返すであろう。
以下略


2.詩の治癒力  ― 「地球」同人の作品から ―   P19
岡野絵里子
 時代の病を嘆く人は多い。時代が大きくカーブして、今まであたり前のように思っていた事柄
や常識が揺らいでいる。社会が曲がり角にさしかかって変化しようとする時、人は揺れて、その
心の闇や歪みが露呈されるのではないだろうか。
 新しいものや変化に最も敏感に反応するのは若い世代だ。子どもたちの言動が社会の有様をそ
のまま映し出して鏡に思えることがある。小学校、中学、高校と教育の現場から発せられた詩を
、「地球」同人の作品の中から読んでみたい。

「髪の毛が薄いネ」とか「白髪が増えたネ」とか
憎まれ口を言いに来た
怒ったり 注意したりしていると
コンパスで円を描くように
足を大きく延ばし 強くはないが
お尻を蹴って逃げた
鈴木正樹 「シオちゃん」部分

 大きく足を延ばして蹴る。小学校三年生の女の子がする挨拶ではないと思う。鈴木先生が心優
しい詩人であって、子どもを苦しめたり、蹴り返したりするような人ではないことを熟知しての
ことなのだろう。背景を考えれば、自分はいつもののしられ、蹴られているというメッセージが
あるかもしれない。わかってくれそうな人につっかかるのだ。
 詩人の役割の一つは、気づくことであると思う。世界が悲鳴に満ちる前に、このようなサイン
を拾い、つぶやきを聞きとることだ。それを差し出した作品は、読む者をはっとさせ、現実に再
対峙させる。


 詩には治癒力がある。読む者だけでなく書き手をも等しく癒す力だ。詩を書くことで、詩人は
昔流すことのできなかった涙を流し、少女と自分を洗い癒す。

 文化とか未来とか真理とか そんな言葉がホールの天井に響きわたっていた 学とは 学校と
は かけがえのないものをかけがいのないと説明するのは難しい 汗が頬を伝ってしたたり落ち
た 子どもたちは背凭れのついた備え付けの椅子に 焦点の定まらない目をして座っていた 頭
を垂れて眠っている子もいる ポケットからピストルのように 携帯式パソコンを 飛び出させ
ている子もいる 目を見開いてこちらを見ている子も 意味のない笑いを浮かべていた

網谷厚子 「未来」部分
 ポケットに入る携帯式パソコンが普及した近未来の高校。コミュニケートしようと必死の教師
に対して、生徒はまるで反応がない。将来にも暗い展望を抱かざるを得ない教師の苦悩が伝わっ
て来るようだ。文化、未来、真理といった遠い抽象語は役に立たない。まして学校や学ぶことの
かけがいのなさをいくら説明しても、それは生徒の心を動かすことはできないのだ。
 新世紀に詩人のすべきことは、この作品が教えてくれるように、抽象論や説明ではなく、魂の
置き場所をまっすぐに示す直截な表現ではないだろうか。詩人が日々向き合うには言葉そのもの
である。言葉によって言葉を作り、言葉を超えた世界を創造する。詩人によってテーマは異なっ
ても、魂を抱えた人間の生に触れることに違いはない。それぞれの立場と視点から、信じる一点
を指すこと。そのためには胸を切り開いて自らの魂のあり様も示さなければならない。
 詩「未来」では、最後に思いがけず、生徒たちが校歌を歌って退職する教師へのはなむけとし
てくれる幸福な結末があって救われる。校歌である点に何らかの秩序が感じられ、何より歌とい
う自己表現的な行為に私はほっとする。
 人の心の闇や病が入れ変り立ち変わり目の前に現れる時、私たちは詩の非力を痛感する。ちょ
うど医師が現代医療の限界を思い知ったり、聖職者が神の沈黙に絶望したりするように。だが、
詩のもつ治癒力を信じていたいと思う。「起きて、食べて、仕事に行く。それだけではどうして
も生きられぬということを、自分の肉体と通した言葉で書かなければ」と征矢泰子は生前書いて
いたそうだ。「それだけではどうしても生きられぬ」魂が人にある限り、詩はそれをうたい、癒
し続けることだろうと思う。


3.掲載詩から
   雲の影             P91
名古きよえ
私の上に 雲の影が落ちて
幾日か 去らない日
私は雲が連れてきた
水の音を聞いています

風はあなたの友だち
誘われて 流れていった夕暮れ
私は青空の下で
石の音を聞いています

空が晴れるのもまた悲しいのです
空があまりにも青いのは淋しいですね
だから鳥は歌い
馬は走るのです
私はわたしに影をつくる

人の命 人の愛の
終わりは 重ぐるしい
あなたに慣れていなければ
大地は割れる

影の下を歩きながら
私は羽を開く
いくぶん地上から浮いて
生きることをあなたの目で見る

生きることは分析と統合
羽はその役目をしてくれる
羽ばたいて 羽ばたいて
巡るあなたの悠久のなかで
私の内側は 熱くなるほど
活発に動いている

   冬を生きて         P143
水木萌子
目の前がまっ白になる
すさまじいまでに吹き付ける修羅の嵐
寒々と身を捩って不運をかこち
どこまでもつれない世をはかなんで
なおも 死ねないときは
視界を閉じて 耳を塞ぎ
言葉さえ削り落して
いつしか ヒトは 樹に変わる

冬は突然やって来る
樹を執拗にいたぶると思っていた冬
だが、それは間違いだった
疲れ切った大地を休ませ
星を散りばめてはその先に河を渡し
獣たちを眠らせ
この樹にまで
太くて長いルーツをくれた
じっと耐えているようで
実は 精力的にうごめき
表は 涸れ凋んで凍結しても
無数の兆しを柔和に秘めた
したたかな冬

いくつもの冬を生きて
ヒトは 巨木となっていく
白い闇の、理不尽な地吹雪に煽られても
最早 ぶざまに倒れたりしない
機が熟し
満開の華に酔い痴れたら
再び ルーツに立ち戻って
浅黄の葉を待つのだ
やがて 陽光と雨に注がれて
濃く 深く
緑が饒舌に繁茂する


4.青春の登山史             P180
秋谷 豊
山仲間の安川茂雄や奥山章と、新宿のバーでよく飲んだのは、昭和二十七年、八年ごろのことで
ある。そのバーは花園神社の裏あたりの錯綜した暗い露地にあった。わびしく、陰気くさい、木
の扉に「エコー」とペンキで書かれてあり、たそがれ、はげしい雷雨に遭ってずぶ濡れのまま「
エコー」に逃げ込んだ。
 廃虚の東京が、めっきりにぎやかになったのは、このころからだった。進駐軍の払い下げの寝
袋をかつぎ、軍隊靴とはいて、若いクライマーたちは、ひたすら山に登りに行った。海外遠征な
どはまだはるかに遠い夢で、その日の食物を手に入れるのがやっとの時代だ。


 私は第二次RCCのために、つぎのような詩を書いた。
おれはハーケンを歌おう
あの ほそい岩の裂け目に
たった一本
打ち残してきたハーケンを歌おう
落雷に打たれた岩の小さな壁に
打ち込まれている錆びついたハーケンを
おれは歌おう
 
ハーケンは寡黙だ
だがおれは一本のハーケンを歌おう
うすよごれた雪渓の終わりの歌
短い季節に群落をつくる花の歌
おれたちの心に打ち込まれる
純粋な歌

おれはあのハーケンを歌おう
ハーケンは凍る霧のなかの歌
錘のように
岩に鋲靴をたらして眠る
夜の歌
おれたちの現在を支えるのにふさわしい
鋼鉄の歌だ
(「ハーケンの歌」)

 自分の詩を引用して恐縮だが、この詩はRCCを特集した山岳誌『ケルン』に発表し、のちに特
集『登攀』(昭和三十八年)に収録した。ハーケンという岩登りの道具を素材にしたロッククラ
イミングを主題とした詩で、テレビやラジオでいくどか放送され、中学と高校の国語の教科書に
も掲載された。
 日本有数のクライマーであり、私のよき山の友であった奥山章は、昭和四十七年七月二日、自
ら命を絶った。ついで安川茂雄も、ガンで死んだ。
 青春を賭けるものは山しかないと、黙々と岩にいどんできた彼らの一生は、力強さをもって登
山のなんたるかを、いまもういちど私に教えてくれる。山に登れなくなったから、自ら命を絶つ
。これは相談されても、できない相談だろう。しかし、奥山はその最後に一つを選んだのである

 昭和二十一年から、昭和二十七、八年ごろまでを、戦後登山初期の開拓期とみるならば、私に
とって新宿の「エコー」は、青春の登山史の一項を形成する(いまはもはやあとかたもないが)
。感傷をこめて言えば、友情もあった。涙もあった。
 平成十年六月、山岳会の若い仲間といっしょに、私は久しぶり一ノ倉沢滝沢下部にいた。しか
し目の前の大岩壁にもう私の休む場所はなかった。

黒い岩
秋谷 豊
谷川岳一ノ倉沢三ルンゼの黒い胸壁は
双眼鏡でのぞくと傾斜角だ
しんとした青空にいなずまがひらめき
岩の廃墟のなかをしずかにめぐっている
つめたい夏よ
 
青春時代 ぼくは何度か夢を見た
衝立
烏帽子奥壁
滝沢
澄みわったた空が岩の塔をとりまいている
あの岩へのすばらしい渇望を―
 
霧の日のルンゼの暗い逆層のスラブを
たった一人で通過する危険に
ぼくは身の毛がよだった
トップを行く友は一体どこへ消えたか
 
ああ 時は流れ 夏は去った
岩にとり残されたぼくはひとりだ
否 ひとり生き残ったというべきか
いまはこれ以上近づけない 遠いところで
黒い岩峰ははげしい夏の日に耐えている


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