POEM
季刊詩誌「地球128号」 2001年 12月
特集 第26回 地球賞発表受賞のことば ふりあおぐ 岡島弘子 | P.8 |
サンクトペテルブルクの聖イサク寺院には天井に白鳩のフレスコ画があります。広げた翼の大 きさは三メートルということですが、ふつうの鳩の大きさにしか見えません。それほど高い所に描 かれているのです。みまわすと鳩のまわりにたくさんの聖者の絵があります。美しいステンドグ ラスモ。それからです。ふりあおぐ癖がついたのは。 レストランに入ったときも見上げてみました。なんと天井は透明で、太陽光線がシャンデリア がわりなのです。雲が通るたびに並んだお料理が陰ったり、また明るくなったり。 日本に帰ってからも見上げてみましたが、もちろん何もありません。でも大空があり、雲があ り、太陽があります。なによりも憧れがあります。そのとき私は水になった気分でした。太陽が しっかり受け止めている水。私もそのように地球賞を受け止めます。 推薦して下さった皆様。選考委員の皆様。本当にありがとうございました。 |
つゆ玉になる前のことについて | P.27 |
顔にあかりをともしたい 枝がつぼみをつけるように 花びらが一枚一枚ほぐれるように 寡黙なくちびるをひらきたい あ い と 花がひらくように 目をみひらいて 世界のすみずみまで見さだめたい 樹液を吸い上げるように ささやかな水を飲み さやぐ葉むれのように すこしだけ風を拾い 薄暑をしのぎ 実が あおくふくらんで はぐれていくように 片思いをふくらませる 桃の実が熟す 私の生が とほうもなく うれる そめたほほの うぶげがひかって いのちのぶらんこをふりきったとき 空が沈みはじめる 高い香りにつつまれた ながいながい夕焼け あまい肉をあじわおうとして ふいに瞑くなる 幸福をこころゆくまで歩きつくしました と うなずいて 大地にとつぜん落ちる桃の実のように 毛ぶかいねむりに手をひかれ 私もあかりをおとしたい |
儚い美しさ ―舞台になった金子みすゞ | P.85 |
三田 洋 | |
金子みすゞの生まれた山口県長門市はわたしのふるさとでもある。みすゞとは大津高校(大津 高女と合併)の同窓生であるが、在校中にみすゞの名を耳にしたことはない。それほど忘れ去ら れた存在であった。 六月の中旬、わたしはみすゞの生涯をえがいた芸術座の「空のかあさま」を観るきかいがあっ た。長門市仙崎に住む姉が上京してきて招待してくれたからである。姉はみすゞの生家から徒歩 四、五分のところに住んでいて、みすゞが発掘されると、すぐに教えてくれたり関連の本を送っ てくれたりした。 芝居の演出は石井ふく子、みすゞ役は斎藤由貴、母親役は池内淳子が演じた。開演のベルがな り会場のライトが落ちると、紺碧の空を模した垂れ幕いっぱいにみすゞの詩が映し出される。そ の特徴からすぐにみすゞの字体であることが判った。それに合わせて斎藤由貴の詩の朗読が始ま ると、わたしの世界は一変した。朗読は過酷な現実に押えこまれたみすゞの感性が滲み出るよう に哀しく美しく、みすゞの薄幸の生涯が白鳥のように舞いおりてくるのだった。みすゞの詩は多 くの人が朗読しているが、斎藤由貴のそれほどみすゞの世界にせまるものを聞いたことはない。 舞台上の斎藤のみすゞは演技過剰の部分が気になったが、優れた才能に現実がついていけず挫 折を繰り返しながらも、なお詩の世界に生きようとする童謡詩人をそれなりに演じていた。とき おり、覗く儚くも美しい斎藤の表情についひきこまれることもあった。特に結婚後のみすゞはこ の薄福の詩人の光と影を繊細で陰影深く描き出していた。そして、過酷な地上にかろうじて身を 支え立つ姿は、あの「夕鶴」の舞台のつうを想起させた。 苦しみに耐え、そのきわに立つ人は美しい。これをみすゞが観たらどう思うであろうだろう。 自死のまえに、びっしり書きこんだ手帳を、自分に代わって生き続けて欲しいと西條八十や弟に 必死で託したみすゞの心情を思うと、こみあげてくるものをとめようもなかった。 ふるさとの海は国定公園になっている。その紺碧の海の美しさは譬えようもない。わたしはみ すゞが見、愛したこの海を見ながら、町並みや空と同じ空間に生きてきた。しかし、みすゞの才 能をまったく無名のまま葬り去っていた同郷人として、罪のような意識をもっている。いまは、 みすゞと同じ郷土を共有するという僥倖にまみれながら、詩には詩で応えていくしかないと、そ の罪に報いたい気持ちでいっぱいである。 |
星あかり | P.48 |
原口久子 | |
足もとで生まれた闇が 家々を埋め尽くして 山を這い上がり 空へのぼって世界を覆う 星は目覚めて花を開かせ 宇宙の話をはじめる 一体何の話をしているのだろう 私も加わって話したい 今まで生きてきた 物語のすべてを 明日に続く夜の道を 歩きながら話しても 私の話は終らないであろう 星たちは話しに飽きて 時を刻む息吹きも忘れ 眠ってしまうだろう 満点にちりばめられた 星たちの声が聞こえてきた 振り返らずに歩いていこうと 私はその言葉と星あかりを 身体いっぱいに吸い取って 明日燃やすためにたくわえる 夜の道も明け方に近づくと 闇は星から離れて走り出し 山を駆け下りて静かに消える |
傾くとき | P.111 |
岡本雅子 | |
私が生まれた頃は 高速道路や新幹線が 日本の歴史上に華々しく誕生し 未来の空の下を みんな 急ぎ足で生きていた 〜戦後二十年の新しい法則の中で〜 カラーテレビにカップラーメンのCMが映し出され 魔法使いサリーの大きすぎる可愛い瞳と ウルトラマンの勇気をたたえる主題歌が 私たち子供の胸へ いつも夢と正義を語ってくれた 〜紙芝居の去ったマスメディア時代の波と〜 傾くとき それは 心が 歴史と時代に引き寄せられ 思い出という器から |
森に棲む | P.166 |
秋本カズ子 | |
夏の間 船がつく中禅寺湖先手ケ浜 山に抱かれる湖は 森への入口 いや森の底から流れる水の出口だ 森へ入っていく私の足裏を 木の葉の弾力が持ち上げる かかえられない幹が視界をさえぎり 光を求めて背のびしたまま 空がふさがれ下草をも寄せつけず 命つきたささ竹のあとがある 見上げる私の声が 小さな蟻のようで 樹のささやきにつぶされる 一時間ほど歩く 倒木がはんらんし 骸のような森の奥 朽ちていくものたちの吐息が かすかな風の流れをつくる 何百年も立ちつくしたまま 鳥もとばないしじまの底だ 息をとめ後をふり返る 古かぶらが人にみえてくる 魂が群れているいにしえの底 西の湖を出て ほっと長い息をする 鹿が樹皮をかじっていた 水際で生きものが交じり絆を刻みながら くり返し棲んでいるものたち 堆積された土の中をめぐらした根が 水を貯えては 深い闇を食っていた |
蜃気楼 | P.202 |
秋谷 豊 | |
荒れ果てた廃墟の城に行きつくには 一日かかって次ぎのオアシスまで歩く 日に一度は 砂あらしがまきおこり 黄砂のなかに白い砂の湖が見えた ―秋の天行人絶えし曠野を 誰ぞや東に馬首を都に向けて旅ゆく 王昌歳の詩だ 今日ぼくはきみの辺塞詩を あの雲と置き換えながら 西へ西へと進む 夏の曠野の空は真っ青で ふんわりとしたかげろうのように見える 砂漠の逃げ水に 群れを失ったラクダは そこをさして走って行く 隊商も僧侶も兵士も走り ぼくまでがまるで夢を見ているとでもいったように 遠くに走って行こうとする だがここで迷ったら百年目 ぼくの死体は草もないくぼみで 天山行路の旅人の目印にされてしまうだろう |