POEM

季刊詩誌「地球130号」  2002年 6月

特集 地球の詩祭2001

国民文化祭ぐんま 2001現代詩大会

1.シンポジウム いま埼玉の文学は ―武蔵野から世界へ―         
パネリスト  秋谷豊(詩誌「地球」代表)
        飯島正治(詩人・埼玉新聞編集委員)
        松本鶴雄(文芸評論家)
        石原武(司会)
石原武:
 埼玉は抒情の風土といわれる。地勢的に山と川の陰影に富み、その沖積平野の豊穣な表情は、
近代の、詩の夜明けの故郷になるのにふさわしかった。北方の秩父山地には山岳信仰を基調とし
た山の文化が育まれ、西方の台地の森林地帯には武蔵野の文化が、利根川や荒川の流域一帯には
平野の文化が成熟した。南東へ下ると、川のいくつもの支流が蛇行し、まさに泥の文化ともいう
べき独特な土俗を、いまも残している。
 いま、私たちは文明の大きな転換期にあって、世界史的な危機に遭遇している。アメリカ覇権
のグローバイゼーションの大きな波に画一化されかねない文化状況に、文学者がどのように立ち
向かうのか。世界に主体的に生きるには、それぞれの地域の土壌にしっかりと根を下ろすことが
、まず求められるであろう。「いま 埼玉の文学は」と、問う所以である。
 このシンポジウムは、この埼玉の風土に点された文学の多様な成果を展望し、新しい時代に向
けて、その可能性を語り合おうというものである。
飯島正治:
 (平野の文学)埼玉は秩父山地と豊かな平野がある。秩父はシルクロードで横浜と繋がり、平
野は利根川、荒川で海に繋がり、明治、新しい時代と西欧の新思潮がよく見えた。美術の世界で
は、川の辺からヨーロッパへ渡り、わが国近代絵画の曙を担った多くの洋画人がいた。高村光太
郎と新芸術論を紹介した斎藤豊作、パリで名をはせた田中保らをすぐ思い起させる。
 平野生まれには、海や山、またはるかな他所への憧憬がある。その発想には空間性、思惟の客
観性があるように思われる。現代抒情詩のパイオニア・秋谷豊氏は「ぼくが高い山に憧れるのは
、この平野に生まれたせいだ」(「武蔵野」)と書いた。西方の秩父連山、ヒマラヤ、カラコル
ムの高みへ、また韓国、シルクロードへの歴史への遡行は、武蔵野と一筋の道でつながっている

   以下略
松本鶴雄:
 埼玉県は明治の廃藩置県の際、武蔵国の一部分として発足した。古代からあった行政単位、文
化圏であった国をこのように分割した例は全国でも珍しい。これがその後の埼玉の文化、文学の
発展にも大きな障害になっている。徳川時代では武蔵の中心は江戸(東京)であった。中心を失
ったまま現代に至っている。最近、さいたま市が出来てようやく中心らしいものが立ち上ってき
た。さいたま市がこれからどうなるかが鍵だろう。
 詩人の中村稔さんは『文学館感傷旅行』(新潮社)で書いている。群馬も埼玉も幕藩体制から
明治頃までは条件はよく似ていた。天領が多く、大きな藩もなく、養蚕を中心にした農村県であ
った。それなのに埼玉は群馬のように国定忠治、大前田英五郎のような侠客の大物は出ない。萩
原朔太郎、山村暮鳥、大手拓次のような大詩人もいない。総理大臣もでていない。侠客、詩人、
政治家のこの違いは何かと書いていた。その違いは何か日常性の中で満足している。それを突き
破らないと、文学、芸術へと中々向かわない。しかし、現在の埼玉は人口も増えて、新県民が多
くなって、そのような保守的な県民性は急速に変化している。特に県西部、県東部に新しい波の
可能性が顕著である。
 江戸時代の末、久喜地方の人々が漢学者を招聘し、立派な塾を作ろうと、江戸で有名だった漢
学者・中村撫山を招いた。撫山は久喜に幸魂学舎(さいたまがくしゃ)を開き、門弟三千人と言
われ、遠く群馬、栃木までも出講していた。森鴎外の小説『羽島千尋』にも描かれている。その
孫が『山月記』の中島敦である。そのような文学・文化に対する伝統は埼玉にもある。
秋谷豊:
私の生まれた鴻巣は、中山道の宿場町で、家の向かいに江戸時代、旅籠だったという八百屋があ
った。
   五月雨や胸につかえる秩父山
町の西を流れる荒川が沈濫し、宿に降り込められた小林一茶は、こんな句を残している。
私が子供のころは、天明の俳人横田柳几が生まれたという古い酒蔵のある家もあって、鴻巣のあ
たりは昔から俳句が盛んだったようだ。『武蔵志』という地誌を著した福島東雄の生家はいまも
のこる。
 鴻巣は箕田源氏の発祥地。十三歳のとき故郷を出立した渡辺綱は、摂州渡辺の庄から生国の武
蔵に下り、「わけこし草のゆかりあらば―」と詠んだ。彼は源頼光の四天王の一人。大江山で酒
天童子を退治した話は有名だが、詩的感性をもった武将でもあったらしい。
 母の実家の叔父は俳句好きで、母も短歌みたいなものを作っていた。小学校の国語の先生は小
川暁村と号する俳人。私が詩に目ざめてゆくのはこうした影響があったからかもしれない。
 町から北へ八キロほど行った所に、埼玉(さきたま)の古墳群がある。古代、六世紀に国造(
くにみやっこ)文化がひらけた地方で、古墳から馬やくらの埴輪が発掘されているのは、武蔵一
帯に騎馬文化が伝えられていることを物語る。
 現在の行田市の周辺には、藤原部が多くいて、東国の防人たちの故郷となった。九州筑紫に派
遣された無名の兵士たちの防人歌四首は『万葉集』巻二十に選録されている。韓衣を歌った東歌
が『万葉集』に見られるが、これは武蔵を開拓した朝鮮半島からの渡来者が詠んだものであろう

 埼玉は古代朝鮮にちなんだ地名が多い。日高市の高麗は高麗一族の開拓地。大里郡の幡羅は秦
氏の一族がいた所。和光市の白子は新羅に関係ある地名だ。日本大学芸術科に学んだ作家の金達
寿は、「武蔵野は渡来文化の原点だ」と言った。
 高麗村(当時)の奥に住んだ韓国生まれの作家の張(野口)赫宙は、小説『武蔵陣屋』で高句
麗一族の運命を描く。渡来文学を代表する作品といっていいだろう。
 埼玉の文学を語る上で重要なのは、埼玉の作家や詩人たちの根底に流れている開拓者精神(フ
ロンティアスピリット)だ。これは飯島正治さんと同じ意見である。明治三十年、田山花袋、国
木田独歩らと新体詩『抒情詩』で近代詩のトップを切った大田玉茗は、行田市の生まれだが、羽
生町(当時)の建福寺に預けられ、ここで多感な少年時代を送った。『抒情詩』は一時代を画し
た島崎藤村の『若菜集』と並ぶ新体詩運動の一つのピークといえる。
   以下略
   
2. 掲載詩
 
   翔ぶ とき            P.74
                        里見 静江
こんなにも かろやかに羽を広げて
空と水のふたつの蒼の腕の中へ
コハクチョウは かえってきた

はるかかなたシベリヤから
大陸の東の島国
関東平野の北 川本の町の水辺へ
群れをなして違わずに羽をおろす鳥たち
風にゆれる川面に白をきわだたせて
とぶために
かるくならなければならない
宇宙の 銀河の 地球という小さな星の
命おえるまで年ごと空を往き来するトリップ
身にまといすぎた いふく もちもの そうしょくひん

きのうのことあしたのこと 思いわずらうこと
愛しすぎること憎しみすぎること 囚われすぎること
ときを知って ふりはらってふりおとして

鳥は 群れとの距離を測りながら
凍える蒼の波の上へ
白いからだをや辷らせる
羽いちまいほどのおもさの きぼうを背にのせて
ふたたび とぶ ために




   甦る森              P.124
                        北川 山人
苔蒸した森の古木戸をそっと開けると
もうそこからは神の聖域
森の奥深く
ひっそりと落ち葉を踏む神の恐音は林間を漂い
深緑の命は澄んだ匂いとなって
樹の幹を流れる

木の洞穴や落葉の下
小枝の先や木の葉の上で
森に住む生き物たちの影が
つつましい小さな生活を営んでる
薄暗い木の間に
遠い縄文の吐息は流れ
険しい絶壁の遥か遠く
イヌワシが悠々と風を切る

果てしない宇宙
はるかな自然
命の刻はひそかに流れ
ふいに湧き上った入道雲を切り裂いて
青い稲妻が雪崩落ちていった後
ふたたび森に命の日は甦り
透明なブナの林の生き物たちは神々の館で
優雅な舞いを繰り広げている


   ジョバンニの町幻想             P.202
                    山崎佐喜治
僕の町は見渡す限りが一つになり
町長さんは一人 議員さんはいない
町の村々には沢山のジョバンニがいて
いつもみんなに声を掛けるので
ゴミはなく ゴミ収集車も来ない
 
カンパネルラの溺れた川も
余った田んぼで川巾を三倍にし
広くゆったりした流れにしたので
洪水の時にもダムはいらず
水が澄んでさかなも水鳥も増えた
 
町通りを狭くして二重並木にし
三階以上の家は地下にして
学校のグランドにも草木を植え
町全体を森にしたので道も覆われ
空気も澄んで 町中静かな公園だ
 
石油と石炭は貴重だから
燃やすのは止めて残すことにし
その分 野山に樹木を植えて
電気会社は木のチップ発電所にし
煙は若い松やブナに吸わせる
 
そうしたら海の魚も昆布も増えて
サケも故郷の川に戻ってきた
釣り鐘草や野菊の原も鳥や蝶が飛び
いちも銀河鉄道が停まる そんな
イーハトーヴの町に僕は住んでいる


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