POEM
季刊詩誌「地球132号」 2002年12月
特集 第27回地球賞発表1. 新延 拳詩集 『わが祝日に』(書肆 山田) |
受賞の言葉 新延 拳 P10 |
心に届くということ ビートルズのメンバーのうち二人がもういない。昨年の暮、所用でロンドンにいた時、ジョー ジ・ハリスンの死去の報に接した。早速、予定をやり繰りして、彼の出身地リバプールに飛んだ 。また、ロンドンではアビーロードに佇んだ。二十年ほど前は、留学先のインディアナにおいて 、ジョン・レノンの死を聞き、いたたまれずすぐニューヨークに行ってみた。どちらも、多くの ファンで一杯であった。それぞれの悼みに耐えながら。 ポピュラー・ミュージックと現代詩というジャンルの違いはあっても、いずれも受け取り手が いて初めて、その作品は生きる。両者の愛好者は比較にならないが、受け取られるということの 大いなる幸をつくづく思う。心に届くのが、たとえ一人だったとしても。子規は「3千の俳句を 閲し柿二つ」と詠み、虚子は「独り句の推敲をして遅き日を」とした。 この拙く貧しい詩集に光を当てて下さった方々に心より感謝したい。 |
向こう岸 雨がゴッシク体から明朝体へとかわる 全くの無音界である この年に得たもの失ったもの 木の山が崩れ 鏡の中に入ってしまう 夜になって梟がなくと 月が金色から銀色へと変わる 死者の眠りの中に月光がとどき 人形が身籠ってしまう 猫の目に星が宿り 濁り目の犬が吼えると 僕の身のうちに大風がふく 世紀末は次ぎへの飛躍の場とはなれず 時空の折り目になってしまった いつまで歩いても 向こう岸には橋はない |
2. 掲載詩 |
無彩の日 P40 |
下村和子 |
灰色の服を着ている ほんとうは 青いわたし でありたいのだけれど 今日は似合わないような気がして ちょっと遠慮してみる そして青を見上げている 人の一生は 苦の時が殆どなのだ たいていの人はそうなのだ、と納得する日 この世の基調色は灰色 だ、と気付く 無彩のわたしになるために 谷の水音でわたしを柔らげ 樹との対話のために 樹と同じ地点に立つ カッテ日本には 四十八茶百鼠といわれるほどのグレイがあった 橡色(つるばみいろ)、鈍色(にびいる)、利休鼠、銀色鼠、灰桜、麹塵(きくじん)… 山鳩色は緑の下染めに使われる苅安の黄と 紫草の重染めの色だ 眩し過ぎる色を避けて 謙虚に暮らした人たちは 地味色に粋を感じる心意気を持っていた 灯りも少し落ちて 陰翳礼讃し 地味の部分であろうとする 智慧と気働きがあった 灰色は黒と同じ分量だけ 白も含むが 白は無位 無官 無名性 有でありながら無であり 聖でもある 闇、死、恐怖を象徴する黒と混ざり合って 今日は、私 独りで歩いていたい 詩が生まれそうだから |
夏至 P93 |
渋谷眞砂子 |
登山口のカフェテラスは 胡桃の木に囲まれている 夏至が巡るたび 私たちは この席から 町を見下ろす 「今年は、たくさん実をつけたんですよ」 あなたは、夏至が過ぎると 命の流れが変わると言う 先の見えない逢瀬の中で 明日からは 確実に夜が広がっていく 巾着田のあたりが光り出した 古来の息吹を懐に温めている日和田山 命を育てる闇が少しずつ落ち始める 若い胡桃の実を前景に 夕陽がいつまでも山際を揺すっている 長い歴史の小さな時間 私たちは、カップを持つ片手を残して 風景に溶けっていった |
尾瀬行 P113 |
諏訪廣子 |
尾瀬の水芭蕉 何時か見たいもの 思い続けていたけれど ある日 不意に 尾瀬に行こう と息子 何も考えず車に乗り込んだ 自家用車禁止区域は乗合バス 鳩待ち峠に降り立って 尾瀬ケ原に下りること1時間 不意に開けた草原 何時か生死の境 さまよった時の風景に似ている 小さい小さい頃の 記憶の糸 手操るように 何処までも歩いた 何時か雑念が払われ清清しい このまま仏になれたら 何時か 知らずに尾瀬沼のほとり 仏になれないまま 沼を廻り 大清水に抜けたとき 最終バスが出た後だった 戸倉に戻るタクシーの中 ―さぞお疲れでしょう 健脚コースをそのお年で 言われてどっと疲れが噴だす 水芭蕉も見なかったような 帰って暫く 私は動けなかった |
八月の漂流 P172 |
秋谷 豊 |
ぼくは探検隊のむれにまじって 人が生きて帰れないという大地へ行った ここではラクダや隊商が歩くのではなく 熱砂と黄塵が人やラクダのまわりを 歩きまわるのだ 地図を取り出す必要もなかった はるかに白鷺の渡って行く 地平線がぼくらを追い越す 幻のように尾を引くふみつけみちを歩いて 初めての隊商都市に入った 葡萄畑の村では 絹の弦でできた木の楽器を抱えた 青い目の吟遊詩人が葡萄酒に酔っている ランプの影そのもののなかで ぼくもノートと万年筆をもって考えこんだが がやがやわいわい もののあわえも馬耳東風 天山の未踏峰では 氷河にとり残されて 救助(たすけ)を求めた 神を求めるように ひとり叫んで あれから十年 いや四十八年 戦後世代のぼくらは 稲妻が裂いた記憶の向こう側をまわって いま崩壊しそうな八月の岸へおりる |