POEM
季刊詩誌「地球133号」 2003年 7月
特集 第8回 アジア詩人会議 シルクロード20021. 開会メッセージ 未踏の詩世界と未知の辺土 秋谷 豊 P10 |
今回の西安における第8回アジア詩人会議とは何か。それは自然と人間のみなもとを 求める大きな出会いの旅であるといっていいでしょう。 ― 略 ― このアジア詩人会議は、現代詩を代表する中国、韓国、モンゴル、日本の詩人ひとりひとりが 出会い、再会し、手をとり合って、現代を考察するところに成立するでしょう。 歴史的都市西安でのアジア詩人会議開催に中心的役割を果たされた呉思敬先生、 沈奇先生をはじめ、多くの中国の詩友たちに心からなる尊敬と感謝をささげます。 |
2.基調講演 アジアの詩の英知よ 文明の未来に点れ P12 |
石原 武 |
― 略 ― さて、1996年、アメリカの政治学者・サミュエル・ハンチントンは、『文明の衝突』とい う衝撃的な書物を出版しました。それによって、ハンチントンは、冷戦時代のイデオロギーの対 立と力の衝突が崩れて、二十一世紀はこれまで人類が経験してこなかった幾つかの文明間の衝突 が悲劇を引き起こすであろう警告しました。西欧文明、イスラム文明、ヒンズー文明、中国文 明、アフリカ文明、東方正教会文明など、主要な文明の断層線上に起こる紛争を如何に防ぐかと いう深刻な問をかれは提示しました。その答えとして、かれは、超大国アメリカ(西欧文明)の 軍事的・経済的リーダーシップのもとに、世界文明の多元的な文化と、政治・経済的にどのよう に折り合いをつけているかにかかっているといいます。それが、アメリカを本拠とする所謂グロ ーバルリズムの方向性といえましょう。 かれらの主張には反論があってしかるべきです。わたしも反論したい一人です。アメリカと西 欧文明、その物質的、合理的な価値観の傲慢さがリーダーシップを取り続けることへの拒否(イ エロー カード)の手を、世界の人々へ挙げています。 超大国の一元的正義は、文明の未来への切り札とはならない。アメリカは建国以来、アングロ サクソン・プロテスタントのMnifest Density(明白なる天命)を果たすのは自分たちの天命だ と信じてきたのです。それは誰も冒し難い正義であって、かれらに刃向かうものは悪だとする価 値観が、アメリカの世界戦略の基底にあるようです。ネイティブ・アメリカンの撲滅を正当化し た西部開発をはじめとしてヴェトナムも朝鮮も、かれらの正義の迷妄を挙げれば限りがありませ ん。 自由な国アメリカは多くの面で魅力を持っていることも事実です。世界から多くの人が夢を求 めてアメリカに渡りました。自分の運と力で夢を叶えようと憧れたのです。 ― 略 ― アジア詩人会議のもつ意味は、傲慢な西欧文明の支配に対し、東洋の深い人間観、自然観の英 知によって確かなアンチテーゼを提示することだと思います。 世界は多様です。民族も市民も家族も、多様な言葉と、神と、神神と、仏と、体制と、その光 と影の中で暮らしています。そのひとつの慎ましい声を、私たちは聞き逃さずに、しっかりと歌 い上げていきましょう。 ありがとうございました。 |
3. 第8回アジア詩人会議に参加して 黄砂の旅 P28 |
中原道夫 |
アジア詩人会議もさることながら、西安と敦煌を中心とした今回のシルクロードへの旅は心得 るものが多かった。秦始皇帝陵兵馬俑のスケールの大きさにも、莫高窟の壁画の美しさにも心を 奪われたが、ぼくの心に一番強く焼き付けられたのは、なんの変哲もない漠然とした砂漠の中を 走る一本の道であった。未来永劫に通じているのか、過去へ通じているのか、あの砂漠の未知に は時間というものが存在していなかった。もし、ぼくの周りに文明の衣を着た仲間がいなかった ら、ぼくは文明の中に生きている自分自身さえ忘れてしまったことであろう。無言の中に道の語 ったものこそ、滅びゆく文明への感傷であり、歴史そのものであった。 王門関は土で固められたブロックだけが残っていた。ぼくらはここで朗読会をしたのだが、そ こにいる者すべてが時間の中に埋没していた。いや、砂漠に黄砂と同じ次元に立っていたと言っ てよい。 陽関もそうだった。昔の敦煌の街は砂丘の彼方にあったそうだが、いまはあとかたもない。け れど、眼を閉じるとそれが浮かんでくる。左側にはオアシスが見える。ぼくは馬に跨りオアシス を一望する。ぼくらの文明も、けっきょくは幻なのだろうか。 敦煌に着いた日の夕方、ばくらは急遽鳴沙山に登った。砂嵐が一週間ぶりに収まったからだ。 山麓までは駱駝。二十時を過ぎてもまだ明るい。それだけここは日本から西に位置する。この鳴 沙山が不思議なのは、山全体が砂山なのに昔から少しも形が変わっていないことだ。吹き上げる 風が山頂の黄砂を巻き上げるが、一方、吹き寄せる風がそれを元に戻すからだという。オアシス 月牙泉の涸れないのもそのためだという。 |
4. 掲載詩 陽関にて P53 |
中原道夫 |
ここは王維が 勧君尽一杯酒 西出陽無故人 と、うたった陽関 不思議なのだ 砂漠な中に埋もれた時間が こんなにも鮮明に甦るということが 振り返り振り返り 西方に向かったであろう元二 別れを惜しんで酒を勧めた王維 ぼくは馬に跨り砂丘を歩く 眼下に緑のオアシスが見えてくる この先は新彊ウイグル自治区 ばくは元二に手を振る 「西のかた陽関を出れば故人なからん」 そして、甦る時間の中で 未来を振り返る 果てしなく広がる砂漠の中に 地平線に延びる一本の線 ぼくはこの道を 未来から過去に向かって歩いてきたのだ 王維よ、唐の詩人よ やがて、ぼくは未来に向かって 再び逆もどりするであろう すべての文明が やがて黄砂に埋没する「陽関」なのだ と、分かっていても |
鳴沙山の口笛 P65 |
名古きよえ |
ゴビ砂漠に吹く風の 出会いと別れの接点は 天女の舞姿のように 二千年近く 姿 変わらないという鳴沙山 歩くと キュッ キュッ キュッと鳴る ストッキングに通るほど細かい砂 稜線に近づくにつれ 砂のクッションに悩む 見下ろす麓の三日月形の泉は 龍の爪かと見えて 鳴沙山は敦煌の町から二十五キロ 東麓に莫高窟を抱いていると 私は 迂闊にも 後で知った よほど素直で、意志の強い人だったのであろう まさに今 彼らの見た夕日を私たちも見ている 北はゴミ砂漠、西はタクラマン砂漠 恐ろしい乾燥地帯にあって 雫したたる鳴沙山の稜線 口笛よ なぜか 私の血が騒ぐ 父母から祖父母へ アジアに繋がれる命の泉に還ろうとして 命華やぐ 莫高窟に仏に集う生き物たちの 楽しげな息づかいに 誘われて |
蜃気楼 P73 |
秋谷 豊 |
荒れ果てた廃墟の城に行きつくには 一日かかって次ぎのオアシスまで歩く 日に一度は 砂あらしがまきおこり 黄砂のなかに白い塩の湖が見えた ―秋の天行人絶えし廣野を 誰ぞや東に馬首を都に向けて旅行く 王昌齢の詩だ 今日ぼくはきみの辺塞詩を あの雲と置き換えながら 西へ西へと進む 夏の廣野の空は真っ青で ふんわりとしたかげろうのように見える 砂漠の逃げ水に 群れを失ったラクダは そこをさして走って行く 隊商も僧侶も兵士も走る ぼくまでもまるで夢をみているといったように 遠くに走って行こうとする だがここで迷ったら百年目 ぼくの死体は草もない砂のくぼみで 天山行路の旅人の目印にされてしまうであろう ―朝日新聞「楼蘭探検」より |
たまたま そこに P219 |
島田陽子 |
いつもと変わりなく 駅のホームで人は待ち いつもと変わりなく 電車は来た 突然 ひとりの男がホームから落ち すぐさま異国の若者が線路にとび降り つづいてもうひとりが・・・・ たまたま そこに居合わせただけで ひとは不幸な主役となり 息を呑む観客となる 演目も台本も知らされずに あの日も いつもの朝と変わりなく 川は静かに流れ 超高層ビルの窓は陽にきらめいていた 惨事がひそかに用意され 見えない幕がすでにあがっているのも知らずに わたしたちは許されていない あの朝から目を外らすのを 多くのものを失って なにかをすること なにかをしないこと ゆれ動きながら足場を求めた いずれの罪をも荷わずにはすまなかった 乾いた貧しい土地に住むひとびとの いのちをしぼる呻きが聞こえる 祈りは届かない 言葉は届かない 闇は深くなるばかりだ (大阪の文芸雑誌「MARI」2号) |