POEM
季刊詩誌「地球134号」 2003年 12月
特集 第28回 地球賞発表1. 鈴木有美子 詩集『水の地図』(思潮社) |
受賞の言葉 鈴木有美子 P10 |
このたび思いがけなく「地球賞」を受賞させていただき、よろこびもさることなが ら、賞のもつ持つ重みで身の引き締まる思いがいたします。 常々思っていることではありますが、人が生きるということはただそれだけでかなし いことだと思います。それは、人が必ず死ななければならない有限性を孕んだ存在であ るためか、それともどれほど理解や愛をもってしてもぎりぎりのところでは自己と他者 を峻別しなければならない絶対的な孤独の故か、或いは(誤解を恐れずに言うならば) 生きるということの本来的な無意味さからくるものであるのか、私にはわかりません。 けれども、私が詩を書くのは、この「かなしみ」がどこから来るものなのかを詩を書く 過程の中で確かめてみたいからかもしれません。そういう意味で、詩は私にとっていき ることそのものであるような気がいたします。今回の受賞は私のそんな想いをほんの少 しでも皆さんに伝えることができたためかと想うと、喜びもひとしおです。 |
水の地図 川の足跡を消すことはできない 山を登る 一足ごとに 想いが入れ替わっていく 確かに わたしたちが辿っているのは川ではなかった 「道筋には一面にクマザサが繁り ブナやミズナラが無限に続く雑木の森でした 杉林はむしろ人臭くって そのときだけ山にいることを忘れることができました ひっきりなしにぬかるみに足をとらえて滑りました でも とうに尾根を滑り落ちる心を見殺しにしてきたのですから わたしたちは 一向に平気で進むことができたのです」 山頂からひと思いに一本の線を描いて それがただ一筋の川であったら けれども日ごとにその姿を変える 蠱惑的な灯りの下では 今夜もきみが存るはずもない水を眺める 地図に埋もれた水脈を探り当てては 夜ごと晴れ晴れと笑うおとこよ きみを 地獄下りの旅に連れて行っても良いのだろうか 「中の沢、鹿又沢、小中沢 そして極楽沢とわかれて走る水は 思いがけないほどの冷たさでわたしたちのあしうらを浸し ました 遡れば遡るほど 地獄下りの旅は深くなるのに わたしたちは笑って 無関心に両足を水に濡らし そして再び笑いあったのです いつも鳥が鳴いていました けれど源流に着いたとき鳥は死んで もう わたしたちに 時を知らせてくれるものはいなくなってしまったのです」 ゆうべの雨で水嵩が増したから もうどれが極楽沢なのか分からなくなってしまったね 林床に戸惑い その出自を幾度も変えながら 川は決して一筋の川ではない ひとつの夜を跨いだだけで こんなにも 川が姿を変えるとは想像もできなかったわたしたちは きのうまでは まだ戻れないのだと思い込んでいたのだ この川をきみと下っても良いのだろうか きみの魂を汚しているのはわたしの中の水ではない この川も自らを問うためだけに流れているわけではない そう言いきれるはずもない「わたし」であるのに この川はだれと下れば良いのだろう 振り向いた途端 幽霊のような身軽さで 一散に山から逃げ下りゆくきみよ |
2. 掲載詩 |
白銀のたてがみ P30 |
新川和江 |
白銀のたてがみをもつ獅子 金光琳よ あなたと会っている時 わたしはいつもあなたの中に イムジン河の水を聴く わたしも一度 そのふちに立ち 対岸にけぶるあなたの郷関をながめやったことがある 蝶が軽やかに渡って行った つばさを自由にはばたかせて 鵲も越えた行った 何故河は 獅子が北へ泳いで行くのを阻むのか 阻まねば ならぬのか 望郷の思い切なる日 あなたの中で河も烈しく身悶える そのような時だ あなたがわたしたちの国に飛来し わたしたちの前に立ったのは シャッツの下に 血の色をした河水を滴らす傷口があることを あなたはわたしたちに示そうとしない いつも満面に笑みを浮かべている ときにイロニーに満ちたジョークをとばす 今日もわたしは東京・大手町Y新聞社横の路上で 向こうからたてがみを陽にきらめかせながら 歩いてくるあなたに偶然出会って 立話をした 日本の詩人にさえ このように出会ったことは 稀であるのに金光林よ 青ざめたイムジン河をまるごと呑みこみ 河床の水蘚のように民族の苦悩を心の底にこびりつかせて 東の国をさまよう獅子よ |
森に陽が差す時 P67 |
下村和子 |
一日のしごとの後の 静かな抱擁 肌に伝わってくる生命の温度 慣れ親しんだ おとこの匂い 過ぎてしまった感覚が 突然襲ってくる 消えたものが何でもあるのが 屋久島 白谷の深い森 先年も前に倒れた大木が そのまま横になっていて 土の中から半身出した 苔化粧で装った土埋木が 私を見ている なつかしさに 何かに触れたくて 程よい大きさを見付けて 私は樹を抱く 天を仰いで真っ直ぐに立つ木を抱く 違うけれど 違わないものが 確かにあって 満たされてゆく わたし 樹も生きている― そのことがうれしい しばらくの間 一切の人間技を削ぎ落とし 与えられた そのままの姿で ひっそり生きている 素直な仲間と同化して 森を楽しむ 私のベットから去った人も 多分、そんな暮らしをしているのだろう 一滴の水にも 一匹の虫にも 過去をたどれば 辛い別れと 愛の物語があるのだ だから 森に陽が射し込むと 生者も 死者も あんなに輝いて 語り出すのだ |
自然共生の詠 P137 |
小関 守 |
訪れた 知床の一の湖 春の滴りの花盃の水芭蕉 秘そやかな風の みなもの波紋 鈴をならし 熊笹をわけて 文字を持たない 蒼天に たつきを寄せた コタンのやすらぎの語り 自然共生のアイヌ “ピリカメノコの 恋唄が聞こえてくる“ イエマンテの夜 ニシバのきらめく刃 語り部の神の国への旅道 冴えた鎌月に 月ノ輪の 山のおやじが 吠えている ※ 石狩川のながれの川かみ *バイカモに纏わる *ホチャレの遺した稚魚 さあーお行き 大洋一周の旅へ しっかりセビレに古都の 薫りを 抱いて 流れにゆらぐ バイカモの祈り 俺も行くか コタンのやすらぎに 自然共生の ひとりの旅―。 * ホチャレ:産卵を終えた命耐える鮭 * バイカモ:川藻から咲きでる梅のような花 |
利尻岳 P177 |
山崎佐喜治 |
サロベツ原野のシュルエットも 富士の成層火山に似て美しいのだが 最果ての地礼文島の丘からの雄姿は 哀しいまでに孤高で精悍な輝きを見せる 次の日私は 夏の日照りを避けて真夜中に発ち 途中いるはずもない熊を恐れていると 青年が現れ 長官山までともに人生を語らったのだが その先は 切り離されたロケットのように独り頂をめざした マオニ沢から上がる板状の岩は数万年の 激しい浸食に耐え 恐竜の背のように天を突く 削り取られた岩屑たちは流れ下って 火の山の麓に たおやかな大地を創った ローソク岩 そして対峙する尾根の 目に浸み入るような残雪 緑の同心円をなす円錐の頂点に立った瞬間 昇天したかのように目眩が走る 稚内に帰る船で再び孤高の山を走る ああ利尻 我が心のマッターホルン |
冬の音楽 P228 |
秋谷 豊 |
別れ別れ生きてきたこの二十年は さびしいオルガンのようだ きみよ 思い出そう あの雪のふる町はクリスマスの歌がきこえてきたね 何もかも知っていてだまって別れた ぼくらの心にどんなあかしがあるのだろう 歌い終わったとき ぼくは氷の湖にゆく きみはひとりでいるのか ぼくは一人ふりかえる スケート靴をひもしめなおし とぎすまされたエッジの刃をたてて 白樺の樹林のはてへすべっていく 遠くから 近づきあい すばやく 誰かと すれ違う 氷をきって 音楽のように |