感想2(2002年2月21日)
脳の中で反芻しているうちにちょっと冷静になってきました。以下私の中でほどよく発酵した感想です。
しばらくマグネットの脳内で反芻した後の感想です.いい感じで発酵してきたので早くもう一度見たくて仕方がありません.
駄文乱文な長文です.前より好印象な感想(本当か?)です。
この映画においてフロドらのルートの主役はゴクリであると言っても過言ではないだろう.いい人スメアゴルと指輪に毒されたゴクリの二面性をうまく表現している.個人的にはスメアゴルはもっと年寄り臭く,ゴクリはもっと若々しいイメージがあった.すなわち,本来の年齢相応のスメアゴルと,指輪によって時を引き延ばされたゴクリとの対比である.とはいえこれは画面で表現するに難しいかもしれない.
フロドのゴクリに与える同情とサムに対する憤りの対比も気になるところであった.「単なる哀れみ」と「指輪の魔力が増大したため」だけですませるのはもったいない(と思う)。何故病的とも思えるほどの哀れみをゴクリに与えたのか私なりにフロドの気持ちを考えてみた.ゴクリもフロドも指輪保持者である.フロドがゴクリをスメアゴルと呼び,おまえもかつては人間だったんだとの台詞は自分を投影してであろう.だんだん強力になっていく指輪の魔力,それに抗いきれなくなっている自分.フロドはゴクリに自分を見たのかもしれない.かつてはよい人間であったゴクリ(僕もそうだった).指輪のために悪党になってしまったゴクリ(僕もそうなるかもしれない).ゴクリの心を開くことができれば自分が指輪の魔力に屈したとしてもいつか必ず救われる,その証拠がほしかったのかもしれない.サムのゴクリに対する不信感は同じ指輪保持者として耐えられなかったのかも。だから、おまえに何がわかる。指輪を滅ぼすのは僕の役目だ(おまえは関係ない)という態度をとったのでしょうね。そう考えると今回のあの奇妙な三人の取り合わせはかなり萌える.
ファラミアに関してはもうあきらめるしかないの一言であるが,これも演出上仕方がなかったのかもしれない.「敵に見つかったらその時点で負け」の指輪物語では劇的なシーンは少ない.特に今回の二つの塔ではミナス・モルグルの舞台を王の帰還へまわしてしまったことにより,フロドが危機的状況に落ちる場面がないのだ(この時点で「二つの塔」というタイトルの意味がなくなっています。どうりでバラド=デュアになるわけだ).ファラミアを悪党にすることによりフロドは最後まで拘束され緊張感を続けることができる.つまり,フロドの危機的状況をつくるためにファラミアはあのような人柄を示すこととなったのだ!おお,ファラミアよ!なんと過酷な試練であったことか!最後に父の裁きを受けることになろうともフロド達を解放すると決断するが,あそこまでフロドを拘束したファラミアがあのフロド,サムの場面で心を動かされるほどであっただろうか.とにかく,原作以上に魅力的なエオウィンのハートをあのファラミアががっちりつかむことができるか不安である.まあ,あの弱気アラゴルンに一目惚れするぐらいだから大丈夫かな(笑).それにしてもイシルデュアといい映画のヌメノーリアンは高潔な血とは言い難し。
ウサギのシチューのエピソードは完全に原作ファン向けであった.私としてはうれしいこと限り無しだが,原作ではシチューを煮たためファラミアに発見されたのに対し,映画ではオリファント(じゅう)の場面でフロド達は拘束されるため,話としては浮いてしまっている.正直カットしてもいいシーンである。しかし,オリファント(じゅう)はよかった.あの迫力は最高です!フロド達につっこんでくるじゅうを見て思わず体がのけぞっちゃいましたからねぇ。
エオメルに関してはやっぱり,「気がつかずに殺しちゃったかも.ごめん,馬やるから許して」の感がどうしてもぬけなくてがっかり.そうじゃなくても、「オーク狩りでとても敵味方の判断なんかできなかったの。死体もろくすっぽ確認しないで全部焼いちゃった。馬やるから確認して。」どっちにしても最悪。映画では一環として人間の弱さだけが強調されているんですよね.アラゴルンにしても自分の血をおそれていまいち威厳がないし,くじけるたびにアルウェンがしゃしゃり出て無駄なキスシーンが多いともうイヤになってしまいます.時間の無駄です。チューしないと愛情を表現できないんですか?アルウェンを出すためにアラゴルンもエルロンドも情けない男にならないと駄目なんですか?それほどアルウェンは魅力的ですか?(原作のアルウェンは魅力的ですが)。
セオデン王がご乱心になったのも,サルマンがとりついていてガンダルフがお祓いしたという形も映画という限られた時間の中ではテンポよくするためと思えばこれもありかなと思う。しかし,その後グリマはたたき出すわ,弱気に籠城するはでいまいち王としての威厳が感じられなかったのは残念.まあ,下手に空元気を出すと絶望的状況が観客に伝わらないからかもしれないが,それにしてもレゴラスといいみんなチキンハートである.個人的にはハイル・セオデン・キングはイェスツ・セオデン・ハル!と言ってほしかった.すみません,病気です.こだわりです.でも,響きがすてきだと思いませんか?イェスツ・セオデン・ハル!これも時間の関係でしょうが,アラゴルンあっさりアンデュリルを渡しちゃうのも不満なんです.どうも,アイテムにはあまりこだわりがないようですが,じゃあ,なんでエルフのブローチとかはやたらと強調されるのでしょう?グッズ販売の効果をねらってでしょうか?
何はともあれ女子供を引き連れて角笛城に向かうわけだが,原作で頭に地図ができてしまっている私にとってはちょっと違和感.エドラスよりもさらにアイゼンガルドに近い,前線基地ともいえる角笛城に一般ピープルを連れて行くのはいかがなものであろうか.途中できっちりワーグに襲撃されるが,当然の結果といえる.それくらい気がつけよ。。。。しかし,ワーグよかったですよね.それとアラゴルンが死んだと話すオーク.いい感じです.それから、イシルデュアの時も気になったのですが,アラゴルン,何で川に浮いているのでしょう?冷静に考えると沈みそうな気がするんですよね...アラゴルンは鎧を来てなかったようですが(というか,敵がいつ現れるかもわからぬ角笛城への道中、しかも一般人を引き連れているのに軽装ってのもおかしいんですけど),イシルデュアって鎧来ていませんでしたか?
女子供をつれていくのはやっぱりエオウィンの出番を増やすためでしょうね.の割には出番が少なかったけど...でもエオウィンはイメージが壊れていなくてよかったです。
ギムリ,すっかりギャグキャラクターと化してしまいました.戦隊物で言えば「イエロー」です.あの無口で自尊心の高く,それでいて尊敬に値する人物にはすぐに感銘を受け礼を尽くすあの剛直で素直なギムリはどこに行ってしまったのでしょう.レゴラスと倒した敵を数えるシーンは原作ファンサービスでしょうが,要は数えることじゃなくて,あの,レゴラスが「倒した敵の数なんかより,おまえが生きていることがウレシイよ」とギムリに語るシーンが最高なんですけど.そのうち、「おまえ、ガラドリエルの奥方の髪はどうしたの?」と聞かれて「家宝のカツラにしたのよ。似合う」と言い出すのではないかとすごく心配(すみません。ドワーフははげているイメージです。)。あ、3本じゃムリですね。
それからみんなやたらとダイブしまくってますよね.いつあの剣山のようなオークどもの槍で人間生け花にされるのか心配で心配でなりませんでした.アラゴルン、それはちょっとムリでは。。。でもやっぱり飛び込まないと盛り上がりませんよね.オラオラいったらんかい!って感じです.ガンダルフが最後に登場したときはむちゃくちゃ萌えました!しかし,やっぱりダイブ(笑).まあ,あのガンダルフにだったら槍すら畏怖の念を感じて逃げるでしょう.いや,こういうことを冷静に考えているからダメなんですよね.モリアでトロールに壁までぶっ飛ばされても生きている彼らですから,あんなオークどもの槍なんか藁束同然ですがな.
セオデン王がようやく意を決して突撃するシーンでしたが迫力ありましたね.馬に蹴散らされるオークどもは壮観です.でも,城って守るためのものだから,馬が自由に動けるような作りにはなってないような気がします.あんなに馬でかっ飛ばせるほど道はまっすぐになっていないような...いかんいかん,ローハンは騎馬王国だから城も馬が自由に活動できるようにできているんだ.そう思うことにしよう.しかし、馬に蹴散らされるオークはよかった。騎馬民族万歳!
エントはもうちょっとスケールがでかい方が好みである.さんざん会議したあげく参戦しないというのはまあいいとしても,樹が根こそぎ倒されているのを見て木の髭大激怒.あっさり総攻撃を決めてしまいました.そんなせっかちな決断でも妙に連携がとれているエント達.いつのまにあんな緻密な作戦を立てたのでしょうか.そのまえに,森がぼこぼこにされているの今まで気がつかなかったエント達っていったい...