戦前マカッサルの日本人会

Klub Jepang di Makassar sebelum Perang Pasifik

(c) Doi, used with permission

 上の写真は昭和6年~8年(1931-1933)ごろに撮影されたマカッサルの日本人会の集合写真である。(土井氏提供) 前列左から3番目が戦前マカッサルで日本の宮田自転車の輸入販売業を営んでいた土井秋太郎氏。昭和7年(1932年)にはジャワ島のトコ・カネコの金子商店がマカッサル支店を開店するなど、マカッサルにもトコ・ジャパンが増えてきたようだ。左端に NIPPON JIN KAI (The Japanese Association) の看板が見える。皆白服でネクタイを締めている。当時日本は欧米列強の仲間入りし、一等国民との強い意識から身だしなみにも気を配っていたことが伺える。

写真追加(2014-4-9)

 下の写真は昭和16年2月11日 (Feb. 11, 1941 )に撮影された日本人会の「紀元節遥拝式」の記念写真 提供:土井正治様)。 前列中央は当時マカッサルにあった和田商店の和田治太郎氏。和田治太郎氏は、その年の12月8日、蘭印官憲によってマカッサル在住の邦人約50名とともに拘束さ、マカッサルの刑務所、センカン、東部ジャワのナアヴィ収容所を経由し、昭和17年(1942年)1月末、豪州のラブディ戦時捕虜収容所に送られたが、昭和19年(1944年)2月、収容所内で亡くなられている。その間の事情については「開戦時のマカッサル残留邦人」にまとめてあります。

 前列左から3人目のモーニング姿の方は、当時管轄のスラバヤ領事館か、または2月20日開設に向けて準備中のマカッサル領事館の方ではないかと思われます。

参考情報 「カウラ戦没者慰霊祭に参加して」