伊東深水の南方風俗スケッチ

Sketsa Adat istiadat Indonesia pada tahun 1943 oleh pelukis Ito Shinsui

スラウェシ研究会 Grup Sulawesi Studi

伊東深水が海軍報道班員として1943年(昭和18年)に4ヶ月にわたり派遣されたインドネシアやシンガポールで描いたスケッチ 80点が市川市の芳澤ガーデンギャラリーで公開されました( 2015年9月12日から11月8日)。当時は軍政下で現地風俗写真など皆無に近い状況だったので戦時の現地を知る上でたいへん貴重な資料であると思います。市川市では伊東深水の「南方風俗スケッチ」を270点所蔵していて、今回公開されたのは この中の80点です(下の出品目録をご参照ください)。左上のスケッチはポスターに使われた絵で上下が一部カットされていますが、出品目録によると 昭和18年(1943年)6月2日に描かれた作品番号35 「マカッサル タマタンドウ ウェー」と記されています。現在のカレボシ広場付近??の風景と思われます。蘭印時代には「タマリンラー・ウエー」という通りがあり、戦時中は「ひとみ通」と命名されたそうですが、現在の路名は不明です。

出品目録(PDF file)

目録はスケッチに書かれた文字を読取って制作されたものと思われます。マカッサルは「孟加領」と表記されたスケッチもありました。当時はこのような漢字表記があったのですね。 No.16、31, マカッサル朝日新聞支局と記されていますが、当時マカッサルに朝日新聞社は進出していないので 毎日新聞と聞き間違えたのでしょうか? 当時、現地では毎日新聞社が「セレベス新聞」を発行していました。

伊東深水の南方風俗スケッチは、市川市の270点のほか、志賀高原の山ふところ沓野にある酒蔵美術館「ギャラリー玉村本店」には、「マカッサル点描」50点以上が所蔵・展示されています。「ギャラリー玉村本店」展示の伊東深水画伯「マカッサル点描」をご参照ください。「マカッサル点描」50点は店主のご好意によりカラーコピーを作成、2004年にマカッサルの市立博物館(Museum Kota Makassar) に寄贈されました。

市川市所蔵で今回の出品目録 NO20 の「孟加領ワジョ区長の身内」のスケッチは、ギャラリー玉村本店所蔵の「マカッサル村 ワジョ区長 バッタ エンマレワ」(右の絵)と同じ昭和18年5月20日に、同じ場所で描かれたものと思われますが、長野と千葉で泣き別れ保管のようです。会場は写真撮影禁止のため映像を掲載できません。残念でした。市川市で所蔵スケッチのカタログを作成して頂けるともう少し分析ができるのではと期待しています。

マカッサルの古文書館では、戦前、戦後の記録はしっかりと残されていますが、太平洋戦争中の記録は空白地帯となっています。伊東深水画伯のスケッチは当時のインドネシアの各地の風俗のスナップショット、貴重な歴史遺産と思います。市川市所蔵の270点にギャラリー玉村本店所蔵の50点(?)を加えただけでもボリューム充分に思います。

ポスター 芳澤ガーデンギャラリー(庭側から本館を見る)

文頭のスケッチ(作品番号35)について

文頭のスケッチに似た風景の写真が見つかりました。(右の写真)昭和17年7月から12月頃にかけて、海軍地区南方資源調査団がマカッサルを基地にセレベス島各地を調査のため訪れています。近藤鑅三郞(こうざぶろう)氏(故人)は林学の専門家としてこの調査団に参加されました。近藤家には、調査団に随行したカメラマンが撮影した118枚の写真が残されています。これはそのうちの1枚で、写真の裏には「ホスピタル通り」と書かれています。空似かもしれませんが、もしそうであれば現在の JL. Jenderal Sudirman でしょうか?

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