追想 小島和晴さんのこと

ー マカッサル湾に沈む第11号掃海艇遺骨収集に尽力 ー

 旧日本海軍の第11号掃海艇が219名の英霊とともにマカッサル港からわずか3海里の海底に沈んでいることは「セレベスの海底から」「マカッサル沖に沈む第11号掃海艇」で報告いたしました。 その後3年が経過しましたが、厚生労働省、外務省、ジャカルタの日本大使館、マカッサルの駐在官事務所、インドネシア政府各機関ほか、ほんとうに多くの方々のご尽力により、ついにご遺族ほか関係者の願いがかない、2009年6月25日から29日にかけて南スラウェシ州マカッサルの沖合にて第11号掃海艇の遺骨調査・収集が行われました。

朝日新聞2009年7月16日記事 「遺骨10柱収集、帰国」(pdf)

 
海底における遺骨収集作業
(インドネシア海軍撮影、厚労省提供)
艦の解体作業のあとの海底の状況
ー遺骨収集作業は困難を極めたー
(インドネシア海軍撮影、厚労省提供)

 多くの方々のお力が頂けなかったら今回の遺骨収集は実現しなかったと思います。その中で、現地マカッサルに定住し、現地の漁民から直接情報を得て、マカッサル総領事館との折衝、沈んでいる艦の正確な位置の測定、海底の写真撮影、日本の艦艇であることの証拠となる事柄などきめ細かい厚生労働省への報告、厚生労働省へ直接出掛けて遺族の陳情に協力するなど、現地在住の日本人として献身的な活動を行い、その後マカッサルにて急逝(2007年7月27日永眠)された、元南スラウェシ日本人会理事の小島和晴氏の功績を忘れることは出来ません。かつて漁船員として活躍され、海事知識経験も今回のケースでは大きな助けになりました。

 

 厚労省による遺骨収集が終わった2009年7月23日、ボネ県の南、シンジャイとの県境に近くのマサゴ村(Desa Masago, Kecamatan Patimpeng, Kabupaten Bone, Sulawesi Selatan)にあるお墓を訪れた。ここは奥様インディラさんのふるさとです。インディラさんのお母さんはハジ・アンディ・マシタ(Hj. Andi Masita)さん。マサゴ村もマシタさんも何故か日本的な名前に聞こえます。小島さんのお墓は、はるか遠く周囲に山を望むのどかな田園地帯、ヤシの木がそよぐ村の墓地の一角にありました。墓の横には小島さんの好物だったカシューナットの木(jambu mete)が茂っていました。ここは生前から小島さんが好きだった眺めだったそうです。大理石造りの立派なお墓でした。墓碑には次のように記されていました。(左写真:黙祷を捧げているのはインディラさん)

ACHMAD KOJIMA KAZUHARU
LAHIR HOKAIDO 8-6-1944
WAFAT MKS 27-7-2007

 小島さんは昭和19年生まれ、生前、地元南スラウェシ日本人会の理事として、シニア年代の取り纏め役として活躍されました。また小島さんはインドネシアの歌を通じて日本とスラウェシの交流を続けるマカッサル・ラグラグ会の中心的なメンバーでした。ラグラグ会ではいつもインディラさんと一緒に行動していたのが印象に残ります。(右の写真:2005年5月5月29日海岸のホテルのテラスにて)

 小島さんが第11号掃海艇の遺骨収集の要請を行ってから、直ちに海底での艦の解体作業を中止していれば、戦没乗員219名のうち、もっと多くの遺骨が収集できたと思います。しかしインドネシアでは沈船も50年を経過すると国家の海中文化財扱いになるなど困難な問題もありました。あれから3年が経ちましたが、両国の、ほんとうに多くの方々のお力を頂き、ようやく遺骨収集が実現しました。小島さんは「千の風になって」その一部始終を見ていたのではないかと思います。小島さんは人生の最後に素晴らしい仕事をされました。小島さん、ほんとうに有難うございました。心よりご冥福をお祈りします。

掲載日:2009年8月15日