マカッサル市立博物館

Museum Kota Makassar

Jl. Balaikota No.11A Makassar 90111Tel/Fax 0411-335230

追記 近況報告 (2014-3-19)


 マカッサル市立博物館 (Museum Kota Makassar) は市の中心部、Balai kota 通りにある。これまでマカッサル市のTourism Office として使われていたオランダ統治時代の1916 年に建設された旧市庁舎(写真左)を継承し、2000年6月に開館した。 広い玄関ホールにはグランドピアノ (Steinway & Sons製) が置かれていて華やかな過去を偲ばせる。(写真下) 館内に空調設備はないが天井が高く涼しい風が吹きぬける。

 この博物館の見どころはマカッサル歴代の市長が使った執務室、DPRD(地方議会 1952-1956)の会議室、マカッサルおよびその近郊の古地図、1710年にゴワの王様とオランダ東印度会社(VOC)との間で交わされた調印書など数々の古文書、マカッサルの歴史的な建築物の写真の数々、歴代市長のコーナーなどである。歴代市長のコーナーには日本軍政時代の日本人市長(1942 - 1945)、 山崎軍太氏の写真も飾られている。

   

 
  このコーナーには歴代マカッサル市長のリストが掲示されているが戦前、戦中、戦後の混乱した地域の事情を垣間見ることができて興味深い。
 1918年から1942年の間7代のオランダ人市長が名を連ねている。
  1942 - 1945年 山崎軍太氏が市長に就任。(日本側の資料では特別市長となっている。)
 1945年8月に第二次世界大戦が終わったあと、NICA (Netherlands - India Civil Administration オランダの対インドネシア支配の出先機関) の時代に入り、HP. Brunr (1945)、D.M. Van Switten (1945-1946) と二人のオランダ名の市長が続く。
 1946年12月、オランダはNIT (Negara Indonesia Timur 東インドネシア国、首都マカッサル) を発足させ、マカッサル人のNadjamoeddin が首相に就任し、その時代のマカッサル市長は Abd. Hamid Dg. Magassing (1947-1950) であった。 「東インドネシア国」と言ってもオランダが承認しただけで国際的には認知されなかったようである。
 1949年12月、オランダのハーグ協定によりインドネシア連邦共和国 (Republik Indonesia Serikat, RIS) が誕生し、この間マカッサルは2代の市長が続く。しかし反オランダの機運が高まっていく。
 1951年に現在の単一のインドネシア共和国 (RI) となる。

 



写真上 20世紀初頭のマカッサル土着民街  


写真上 1950年頃のロサリ海岸
(館員の説明では1950年頃との話であったが古いパンフレットでは18世紀と書いてある。堤防の築造が1927年との記録があるので1950年頃の方が正しいと思われる。)



写真上 建造当時の市庁舎

 そのほか1885年ごろに撮影されたロッテルダム要塞の写真、図面、なども展示されている。

博物館の所在地:Jl. Balaikota No.11A Makassar 90111
Tel/Fax: 0411-335230
開館:火曜〜木曜 08:00 - 14:00
    金曜 09:00 - 11:00
    土曜 09:00 - 14:00
閉館:月曜 、祭日
入場無料


追記 近況報告 (2014-3-17)

 2014年2月18日(火曜日)の午後、久しぶりにこの博物館を訪れて、その荒廃ぶりに驚いた。完全な廃墟である。博物館開館当時の面影はない。館内に入って、もう閉鎖したのかと尋ねたところ、表通りにある看板を指さして、ここが看板に書かれている博物館であるという。しかし人が出入りしている様子はない。かつてマカッサル市の歴史を分かり易く展示していた一階の右半分の展示室は事務室に変わっていた。展示品は左側の部屋に倉庫のように雑然と置かれている。おそらく貴重なものは持ち出されているのではないか。館長に面会を求めたが不在であるとのことだった。

 マカッサルの中心部、ロッテルダム要塞の近くに立地し、市内では数少ない歴史的建築物がこのような状態であること非常に残念である。入場無料の筈であるが、金を置いていていけという。他の施設と同程度の金を出したら、数人の手が伸びてきて自分にも出せという。館長が交代したことは承知していたが、いったいどうしたことなのか。

 展示品のなかで、一台の自転車が気になった。ロッテルダム要塞のなかの博物館にも自転車が展示されていた。戦前マカッサルは“自転車の街”として知られていた。土井秋太郎商店、北島商店、ほか多数の日系の自転車販売の店がマカッサルに進出していた(詳細:戦前のセレベス島邦人進出事情)。その事と何か繋がりがあるのではないだろうか。戦前における日本企業進出状況について、マカッサルには記録が無いのかもしれない。

土井様からのコメント (2014−3−21)

 マカッサルを訪れたとき、toko A.Doi がどこにあったかを調べるため、市立博物 館に行って資料を探してもらいました。資料では、各tokoの広告一覧のようなものが ありましたが、すべて戦後のもので、戦前の日本の資料はありませんでした。
 この自転車は、エンジン付きの自転車オートバイですね。よく見ると、前後のブ レーキにワイヤーが使われています。また、リングギヤで駆動しています。私が子供 の時に見た自転車オートバイは、駆動軸をリヤタイヤに押しつけて回していたと思う ので、この自転車は、かなり進化しているものと思います。 また、昔の自転車のブ レーキは、ハンドルからロッド式で制御していたので、この自転車は、新しいもので はないでしょうか?
 それにしても、マカッサルの市立博物館の廃退は、困りましたね。上段写真の黒い ピアノで娘がノナマニスを演奏して職員と全員で合唱したので大変驚いています。


掲載 2005-11-28
加筆  2006-2-26
追記  2014-3-17
追記  2014-3-19
土井様からのコメント訂正  2014-3-21