歴史の中の南スラウェシ

Sulawesi Selatan dalam Sejarah

南スラウェシ日本人会ニュース 2005年度 第1号 復刻版

縁あって現在私たちが生活している南スラウェシ地方は、スマトラ島西部のミナンカバウ地方と並んで、昔から住民が他郷へ進出する伝統のあることで有名で、インドネシア国内各地にカンポン・ブギス(ブギス村)と呼ばれる飛び地を形成してきました。ブギス人以外のマカッサル人、マンダル人、さらにはトラジャ人も南スラウェシの外では自分をブギス人と称する傾向かありますので、カンポン・ブギスといっても必ずしもブギス人だけの部落というわけではありません。
 少々乱暴な言い方をすると、ブギス人は故郷から西方へ進出する傾向があり、マカッサル海峡を挟んだカリマンタン島の東部沿岸などはブギス文化圏といってもいいほどです。ブギス人の場合、一旦他郷に進出すると、失敗しても故郷に戻るのを嫌う傾向が強く見られます。故郷に戻るのは、他郷で一応の成功を収めた後に労働力や部下をリクルートするために、里帰りを兼ねて故郷に戻るという場合が多く、進出先の土地で功成り名を遂げた後でも、故郷に戻って老後を過ごすよりは、逆に故郷から親類を呼び寄せる定着タイプが少なくありません。マカッサル人の場合は故郷からあまり遠くへは行かず、一定の成果を収めると故郷に戻るという、正に出稼ぎタイプが一般的です。またブギス人とは逆に、故郷から東方へ進む傾向が見られ、マルクやパプア州沿岸部では多くのマカッサル人が市場などの小売商となっています。以下に、この伝統を反映した幾つかのエピソードを紹介しましょう。

近いところでは、現在のマレーシアについて、華人やインド系国民はともかく、マレー系国民のルーツをたどると、大半はスマトラ島(特にミナンカバウ地方)と南スラウェシ地方、特にワジョ、ソッペン、ボネなどのブギス人の母地にたどり着くといっても過言ではありません。有名な例としては、故ラザク首相、元有力閣僚のダトゥッ・ヌサ・ヒタム、マハティール首相の後継者と言われながら同首相の不興をかって失脚したアンワル・イブラヒムなどが該当します。

17世紀後半。半島中部ワジョ地方出身のブギス族の貴族とその一族郎党が、ゴワ王国艦隊とオランダ東インド会社艦隊との間で海戦が頻発するようになった南スラウェシを離れ、現在のタイ国のアユタヤ朝宮廷の傭兵となりました。後にアユタヤ朝では王位継承を巡って内乱が起こり、このブギス貴族とその一族郎党は王を守って勇猛果敢に闘った挙げ句、ほとんど全員が死んでしまいます。幸いにも生き残ったのはブギス貴族の息子である二人の少年で、フランスの軍艦に救助されてそのままフランスへ渡りました。当時のフランスは絶対王制最盛期の国王で、ベルサイユ宮殿を造営し、太陽王として有名なルイ14世の統治下で、少年の一人はルイ14世の養子となってフランス海軍の士官となり、一生を終えました。もう一人については残念ながら記録が残されていないようです。
 以上はフランス人の歴史学者、ペルラスが、ブギス、タイとフランス、それぞれの記録を調べて発見した史実を論文にしたものです。この雑文を書くに当たって、書棚で同氏の論文を探しましたが、生憎見つからなかったため、詳しい正確な年代を紹介することができませんでした。

最近、インドネシア漁船が領海侵犯と密漁の容疑でオーストラリア当局に拿捕された後、不当な扱いを受けているとの報道がインドネシアのマスコミを賑わせていますが、昔からオーストラリアの北側海域には、ナマコ、白蝶貝、フカヒレなどを求めて沢山のマカッサル漁船が訪れています。彼らは採ったナマコを処理する必要上、オーストラリア北岸に上陸し、その過程で原住民のいわゆるアボリジンと接触するようになりました。このため、北部アボリジンの言葉の中にはマカッサル語が混じっているほか、中にはマカッサル人を祖先に持つ人間もいます。

時代は下ってオランダ植民地時代の末期、1930年代、マカッサル市から約150キロ北のパレパレに、商売とイスラムの布教を生業とするサウジアラビア出身の一家が住んでいました。この一家は当時パレパレに住んでいた或るマカッサル人の一家と付き合うようになり、両家の男の子同士は特に親しくなりました。後にこの一家はサウジアラビアへ帰国しましたが、帰国後も長い間、成長した男の子同士、アラビア文字やロンタラ文字を使って文通をしていました。ロンタラ文字とは、ブギスとマカッサル社会で昔から使われてきた文字で、サンスクリットを起源としています。日本で、お墓の後ろに立てる卒塔婆に描かれている文字と起源を同じくすると言えばわかりやすいでしょうか。

サウジアラビア出身の男の子は名前をヤマニといい、1970年代の初め、第1次石油ショックで日本中がパニックに陥った時にサウジアラビアの石油大臣を務めていた人物です。中年以上の日本人にとっては記憶に残る名前かと思います。 マカッサル人の男の子は、宗教者の道を進み、後年、ムハマディアと並んでインドネシア国内で最も有力なイスラム団体、ナフダトゥール・ウラマの南スラウェシにおける創始者の一人となるほどの高名なイスラム導師となりました。
 この話はかなり以前に上記のイスラム導師御自身から私が聞いた話です。昔から、インドネシアと中東諸国との間にはイスラムという宗教を軸として、人と人の繋がりが綿々と息づいて今日に至っていますが、これはその一つというわけです。(S)