ベンテン・ソンバ・オプ

- 失われた大商業都市 Benteng Somba Opu -

 マカッサル市の南部、バロンボン地区にあるかってのゴワ王国首府跡。厚さ20 Mの古い要塞が潅木の中に残っている。ここが300年前、Gowaと Ujung Pandang の間の1500 Ha に及ぶ世界有数の大商業都市であった面影はいまは全く無い。

 Hasanuddin大学の文化人類学者であるAbu Hamid によるとSomba Opuは9世紀の頃から「商業都市Bandar Makassar」として世界的に有名であった。

 1550年から1650年の間に東南アジアに8つの都市があった。その一つが Bandar Makassar であった。Somba Opuの要塞は1510年にGowaが農業国から商業国家へ移行する時期に建設された。この時期Gowaは他に9カ所の要塞をポルトガルの建設技術によって築造した。当時ポルトガル、オランダ、スペインからSomba Opuは100の要塞を持つ都市とも呼ばれていた。要塞の役目はMakassar海峡を監視することであった。Somba Opuはスパイスの取引の中心として知られ、市内にはポルトガル、デンマーク、英国、パキスタン、アラブ諸国、スペイン、中国などの外国人居留地や商業代表事務所が置かれていた。

 17世紀Somba OpuはCornelis J, Speelmanの率いるオランダ軍の侵攻を受け破壊されて以降その輝きを失う。当時のSomba Opuの地図は1670年のオランダ東インド会社の地図にも記載されている。その地図は現在オーストラリアの国立図書館に保管されている。

 1983年から1988年にかけて当時の南スラウェシ州知事Achmad Amiruddin が歴史的な遺産の価値を認め、遺産を残すための掘削調査事業が行われた。しかし完成を待たず知事は失脚した。

 後継の知事は遺跡を無視し、そこにジャカルタにあるものと類似のミニチュア・パークを建設する方針を打ち出した。しかしこれも挫折。現在建てられているBugis族の4軒の家屋も老朽化が進んでいる。現在の経済環境下では地方自治体にSomba Opuの復元保存の力はない。インドネシア政府がこのままSomba Opuを放置すれば僅かな遺跡も完全に失われれてしまうだろう。

(1998-11-22 The Jakarta Post記事から)