バルカン半島6ヶ国旅行記

2019.9.22〜30



1日目 9月22日(日)
関西空港から出発  
 
 次の旅行先は?と聞かれて「バルカン半島」と答えると、たいてい「どこ?」と聞かれ、「ギリシャの北側で、ユーゴスラビアから独立した国」と答えていた。国の名前を挙げると、「コソボ」だけが特に反応が強く、「危なくないの?」と聞かれることも多かった。今回訪れる6ヶ国の内、2009年に訪れたことのあるボスニアヘルツェゴビナは、どのように変わっているだろうか?

品川から新幹線で京都へ。関空特急「はるか」に乗り換えて関西空港に20時半に到着。トラピックスのカウンターで添乗員の松田さんの早口の関西弁で説明を受け、JALのカウンターでチェックイン。出国して、シャトルに乗り、まずはJALのラウンジへ。カレーライスなどで軽く夕食をとって、22:45、エミレーツ航空のEK-0317便に搭乗。2階建てのエアバスで、JALとのコードシェア便だが、機材も乗務員もエミレーツ航空。



座席は2階の16Aで窓際。23:30移動開始。アニメでも見ようかと思ったがすごく種類が多く、迷っているうちに眠くなる。その頃になって夕食はどうするかと聞かれたが、食べられそうもないと思い、断る。もったいないとは思うが、初日の夜中の食事は、これからの体調に影響するので用心するに越したことはない。シートを斜めにして眠ることに。

午前3時に目が覚めたので、時計を5時間戻してドバイ時間の午後10時にあわせる。シートの角度調節を右の棚の上のパネルですることが分かるまでに少々時間がかかったが、シートを平らにしてベッドパッドを敷いて再び眠る。



2日目 9月23日(月)
関西空港 ⇒ ドバイ ⇒ 北マケドニア  


 CAさんから肩を叩かれて目が覚めると、朝食はどうするかと聞かれる。和食を注文。時計を見ると2時過ぎ。途中で首のあたりが痛くなって目が覚めたものの、あれからまた4時間ほど眠ったようだ。シートと窓の間に長くて奥の深いボックスがあり、右横には四角いテーブルに飲み物などを置く棚。そこに配られた化粧ポーチの中の化粧品はブルガリ!手荷物も足元の奥にしっかり収まるので、ゆとりがあり、助かる。2:45、朝食のサービス。彩りがすごくきれい!テーブルを片付けてくれるのを待っている間、ディズニーアニメの「救急隊」を見ていたが、最後まで見られないうちに着陸態勢に入るとのアナウンス。



4:30、未明のドバイ空港に着陸。31℃とのこと。本来ならそのまま2階のタラップから降りるのだが、ツアーの他のメンバーと合流するため、CAさんにその旨を告げて1階から降りる。Aゲートからバスに乗り、ぐるぐる回ったり長い間停まったりしながらFゲートへ。5:45、セキュリティチェックを通り、乗り継ぎのゲートを確認したあと、6時過ぎからラウンジへ。軽く2度目の朝食。



8時を過ぎたのでラウンジを出てF9ゲートへ。F1から12ゲートまでがひとつのフロアで、すごい人。8:35からチケットのチェックが始まり、屋外に出たものの、バスの中で長々と待たされたりした後、やっと搭乗。今度はエミレーツとフライ・ドバイとの共同運航便で、機材も乗務員もフライ・ドバイ。席は最前列のA1。9:40、移動開始。ビジネスの席が12席ある中で座っているのは私達だけ。きれいなCAさんが挨拶してくれて、ジュースとナッツのサービス。10:10、やっと離陸。眼下に茶色のドバイらしい風景が広がる。



ここでまた時計を2時間戻して8:10に。毛布も飲み物も映画も有料とのことだったが、青い毛布を渡された。CAさんは、私達二人だけのお世話。8:40、朝食のサービス。本日、何回目?しばらく海の上を飛んでいたが、9:20ごろから眼下はベージュ色の真っ平らな大地。その後、早めの昼食と思われるチキンの何やらのサービスがあったが、食べられそうも無いので、せっかく用意して下さったのに申し訳なかったが断って、ポテトチップスと水だけ頂く。





13:05、北マケドニアのスコピエ空港に着陸。入国審査を済ませ、13:50からバスでスコピエの観光に出発。24℃。現地の英語ガイドは、爽やかな印象のスザンナさん、ドライバーはイケメンのダルビスさん。本当の発音はちょっと違うらしいが、添乗員さんにも、どう違うのかが分からない。最後までこのバスとのこと。よろしくお願いします。

2019年2月に国名が変わった。「マケドニア」という国名について、本来のマケドニアであるとするギリシャとの間で論争が起きていたが、EU加盟を目指すため、強硬姿勢を崩して、「北マケドニア共和国」あるいは「マケドニア・旧ユーゴスラビア共和国」と改めた。
田園風景の中の高速道路を走りながら、北マケドニアの話を聞く。7つの山に囲まれた盆地。国旗は赤地に8本の光を放つ黄色の太陽が描かれている。これの青地のものはアレキサンダー大王の時代のヴェルギナの太陽と呼ばれるシンボルだが、これを国旗とすることには周囲から反対があり、赤地のものが制定された。人口の三分の一が首都スコピエに住む。失業率は22〜30%。スリが多いので注意。地震が年間300日もあり、1963年の地震では80%の建物が壊れた。スコピエはそれ以降に新しく造られた街。通貨1デナール=約2円。



14:20、バスを降りて、ムスタファ・パシャ・モスクへ。オスマントルコ時代のモスク。続いて、キャラバンサライと呼ばれるキャラバン隊の隊商宿へ。



ここから旧市街に入る。オールドバザール通りには貴金属店が多い。
キャラバンサライの中庭へ。



スコピエ城の城壁。アレキサンダー大王の父、フィリップ2世の像。


15:00、ヴァルダル川にかかる石の橋を渡るとマケドニア広場。2011年に独立20年を記念して造られた。あちこちに銅像が立つが、資金不足で未完成のものも多い。






15:15、マザーテレサ博物館へ。実際に使われていたベッド、家の模型などの展示等を見て、上階の礼拝堂へ。







バスに戻る間に雨が降り出す。天気は変わりやすいとのこと。凱旋門が目を惹くが、どうやらパリをまねたらしい。コカ・コーラのテントの下で雨宿り。16:00、バスへ。



オフリドまで峠越えで4時間とのこと。18:00、峠道で休憩。13℃、寒い。霧がかかっている。19:55、オフリドのホテル”イネックス・ゴリツァ”に到着。17℃。部屋は211号室。ホテルのレストランでビュッフェの夕食後、シャワーを浴びる。雷が鳴ってびっくり!23時就寝。







3日目 9月24日(火)
北マケドニア ⇒ アルバニア  
 
  時差のせいか、午前3時に一度目が覚めたが、6時に目覚ましが鳴るまでまた熟睡。カーテンを開けると、目の前が湖だった!天気は雨!、寒い!長袖を重ね着し、上着も持って、7時から朝食。
8時集合だが、バスには手荷物だけ置いて、オフリド湖の湖畔への石段を降りて行くと、船着き場。やがて、思ったより大きな船がゆっくりと寄ってくる。今日は、この船を貸し切り、30分かけて対岸へ向かう。



私達のホテルを湖上から眺める。その隣の建物は、ユーゴスラビアの元大統領チトー氏の別荘とのこと。湖の水は透明度が高く、水深23mまで見えるそう。だんだん空が明るくなり、陽が射してきて、景色がきれい!崖の上に古い教会が2つ。8:50、対岸のオフリドに着岸。楽しかった。





オフリドは人口6万人の街。オフリドパールが特産だが、今は、作れる人が2人しかいないとのこと。9:05、聖ソフィア教会の前を通り、聖ヨハネ・カネヨ教会へ向かう。



湖畔の木道を歩き、かなり上り、下り、上りして、高台から見下ろす形で聖ヨハネ・カネヨ教会の写真を撮影。この地方への旅行ガイドによく掲載されているアングルの写真。実は私も、旅行先を探している時、この教会の写真の癒されるたたずまいに魅せられた。



来た道をまた戻り、旧市街の中心で気に入ったマグネットを見つけると、デナールで支払ってほしいと言われる。国によって通貨が異なるので、デナールへの両替はしていなかったが、ユーロを受け取ってくれた場合は、お釣りをデナールでくれるので、それも困る。せっかく気に入ったが諦めようかと思っていたら、添乗員さんが通りかかって、気軽にデナールを貸してくれた。有難うございます!



雨の中をバスに戻り、10:25、出発。アルバニアのベラッドに向かう。車中で、マザーテレサの話を聞きながら行く。11:00、国境に入る。写真撮影禁止。驚いたことに、隣国なのに北マケドニアとアルバニアでは言葉が通じないとのこと。ドライバ―とかガイドも、イタリア語、トルコ語、英語などお互いに分かる言葉で話すそうだ。
北マケドニアからはスムーズに出国できたが、次はアルバニアへの入国。色々と国家間の事情があるため、アルバニアなど、パスポートに入国のスタンプを押さない国もあるとか。バスから降ろされて荷物のセキュリティチェックを受けることもあるそうだが、無事に11:25には通過。早く通過するために、3人ぐらいにチップを払ったとか・・・。濃い霧に包まれた中を行く。丸いトーチカ(防空壕)があちこちに見える。国民3人に1つの割合で造られたそうだが、実際に使用されたことは無いとのこと。



アルバニアの首都はティラナ。四国の1.5倍ぐらいの国土で、人口は280万人。通貨は1レク=約1円。アルバニア語、イタリア語、ギリシャ語が使われる。宗教は、イスラム教とキリスト教。平地に降りてくると、青空が出て、陽が射し、田園風景がきれい!
アルバニアはユーゴスラヴィアには入っていなかったので、今回訪れる他の国々とはまた異なった歴史がある。エンヴェル・ホッジャという政治家によって共産化され、スターリン主義に固執して、一時は鎖国状態だったが、その後ねずみ講が流行した結果、経済が破綻したとのこと。現在は発展しつつあるが、失業率は12%とのこと。

12:00、休憩、21℃。
13:00、エルバサンという街のホテル”REAL SCAMPIS”のレストランへ。立派な城壁の中の緑に囲まれた素敵な雰囲気のレストラン。メニューは、野菜スープ(薄味で美味しい!)、大〜きなマスのグリル(頭の位置などは気にしないようだ)、ケーキ。食事を始めた頃にすごい音を立てて雨が降ってきた。屋外のテントの下で食事をしていた外人さんのグループは、お皿を持って慌てて避難。私達が食べ終える頃には雨も上がり、14:00バスへ、19℃。







16:00、ベラッドに到着。晴れている!ガイドはエリックさん。石灰岩でできた白い街。二つの大きな山に囲まれているとのこと。オスム川に沿った山の斜面に教会、そして「千の窓」と呼ばれるトルコ様式の家々が並ぶ。世界遺産に指定されている。




16:40、バスに戻ると、スケジュールには入っていないベラッド城へ案内してもらえるとのこと。ベラッドとは「美しい」の意味。お城の中に町がつくられて人が住んでいる。16:50、石畳の坂道を上りはじめる。赤い国旗の経つ展望台から、先ほど下から見た教会を見下ろす。千の窓の街も綺麗に見える。
また坂道を下って17:30に駐車場へ戻る。ここは、坂道の道幅が狭く、大型バスがやっと通れる程度なので危険というのが通常の観光コースに入っていない理由の一つ。私達のドライバーのダルビスさんは、大丈夫!もう一つの理由は、雨が降ると、石の坂道を水が流れて危険だということ。今日はお天気が良くて良かった!23℃。





18:00、暮れかけてきた中をバスでティラナのホテルへ向かう。18:30、美し4つ星でガイドブックにも載っているとのこと。514号室。20:15から夕食。メニューは、サラダ、仔牛の薄切り肉、アーモンドパフェ。食後、ホテルの近くのスーパー、コナードへ。イタリア系の店とのこと。23:30就寝。







4日目 9月25日(水)
アルバニア ⇒ コソボ  
  
  6時起床。雲一つないお天気!7時から朝食。ホテルの前は大通りで大工事をしているので、窓からの景色は良くない。8時にスーツケースをドアの外に出してから外を散策。午前中の観光予定に入っているスカンデルベク広場が目の前。広い広場の周囲にぐるっと大きな建物が建っていて、その広場の中央がなだらかに高くなっている。時折、通勤らしい人が横切って行く。騎馬像もある。広場の向こうの芝生では、犬とボールで遊んでいる人が。





8:30に一旦部屋に帰り、9時集合で手荷物をバスに置いて、徒歩でティラナ市内の観光へ。23℃。ガイドはメッシさん。アルバニアの人口は280万人。ティラナは60万人。アルバニア語はヨーロッパで最古の言語。スカンデルベク広場では、昔は市が開かれていた。周囲に建つ建物は、博物館、大統領官邸(黄色)、騎士像はスカンデルベク。中世アルバニアの君主で、オスマン帝国に抵抗した英雄。広場から少し行くと時計塔、モスク、トーチカなど。ティラナに入ってからは、あまりトーチカを見かけないと思っていたら、3つの大きなトーチカが地下で繋がっているとのこと。BANK'ARTと言って、美術館としても使われている。



やがて、新しい劇場と古い劇場が並んで建っているところへ。政府が新しいの建てるため、古いのを壊そうとしたが、国民が古い方を守っているとのこと。まだ新しいものを模索している国だそうだ。大通りに沿って歩いて行くと、信号が柱の部分まで赤と青に変わることにビックリ!快晴で風が爽やか。



アルバニアのピラミッドと呼ばれる不思議な建物。共産主義時代の指導者、エンヴェル・ホッジャの生誕80年を記念して1988年に建てられたものとのことだが、時代の波により、現在は廃墟になっていて、子供たちが斜面を上って遊んでいる。公園で、小さなトーチカやベルリンの壁の一部を見てから、大きな街路樹のある通りを歩いて戻る。




10:20から30分のフリータイム。土産物屋やスーパーなどを見てまわるが、現地の通貨は持っていないので、ウィンドウショッピング。




11:00、ランチのレストランへ。壁面にユニークな装飾が施されている可愛いお店。
メニューはクリームスープ、チキン料理、アイスクリーム。




12:10バスへ。峠を越えて13:40に休憩。1時間ほど行くと、車窓に大きなダム湖。



14:55、国境へ。28℃。事前に集めて提出してあったパスポートの束を持ったスタッフが乗り込んできて、一人一人の顔を見てから降りて行った。バスのトランクも開けて確認した様子だったが、無事にアルバニア出国、コソボ入国完了。

コソボの通貨はユーロ!入国のスタンプは、パスポートの最後のページにこっそりと押されている。首都プリズレンに向かう。コソボの人口の殆どはアルバニア人。アルバニア語を話し、宗教はイスラム教。EUの正式な加盟国では無いので、独自のコインは無い。
プリズレンの街に入ると、「コソボ」でイメージしていたのとは全く違うことに驚いた。ビストリツァ川に沿った素敵な明るいイメージの街。若者でにぎわっている。



ガイドさんの到着を待って15:45にバスを降りる。ガイドは女性でナイラさん。有名なパン屋さんの前を通り、キッシュを一口ずつごちそうになる。16:05、メフメット・パシャ・モスクへ。続いて、オスマントルコ時代のトルコ式公衆浴場。ハマムと呼ばれる。


ビストリツァ川 と 石の橋。



スイナン・パシャ・モスクは、内部も見学。天井まで装飾が美しい。


16:40から30分のフリータイム。やっとユーロが使える国に来た。商品の箱のバーコードの番号で、生産国が分かるということを教えてもらい、コソボ製であることを確認して、クッキーとラクムを買い込む。



17:20、生神女(しょうじんにょ)教会へ。生神女は聖マリアのこと、つまり、いわゆるノートルダム寺院。ビザンチン様式で、世界遺産。16の形のレンガを組み合わせて造られている。



例によって南京錠が鈴なりの「愛の橋」!



バスを待っていると、目の前に各国語で感謝を表す語が書かれている大きなパネル!左の列の真ん中あたりに”ARIGATOU GOZAIMASU JAPAN”と。
17:40、バスへ。プリシュティナに向かう。



途中で20分ほどの休憩をとり、プリシュティナに着いたものの、ホテルに入る道が狭くて大変。19:45にやっとホテル”アファ”に到着。部屋のタイプが色々あるので、不公平にならないようにと、各自でカードキーを選ぶことに。311号室をゲットして部屋まで行ってみたが、カードキーが反応せず、ドアが開かない。何度かトライするとやっと開いたが、次はドアの内側のポケットにカードを差し込んでも部屋の電気がつかない。部屋から出ようとすると、今度は閉じられない。何度かやっているうちに少しコツをつかみ、20:00から夕食。メニューは、サラダ、魚のコロッケ、ケーキ。




食後、添乗員さんから、バスが最新式でシャワーの使い方が難しいとのことで説明を受ける。部屋に戻ろうとすると、また鍵が開かない。隣室の方に手伝って頂いてもダメなので、長い廊下をフロントまで行って、設定をやり直してもらい、何とか入れた。ダブルベッドで温かい雰囲気の部屋。でも、お風呂は、まるで宇宙船のような形状で、シャワーも思うようにいかず、前の壁面から冷水が水鉄砲のように出てきたり、天井から降って来たりで、ハンドシャワーから適温のお湯が出てくるようになるまで四苦八苦。こんなに凝ったお風呂でなくて良いのに・・・。明日の支度をして、22:50就寝。






5日目 9月26日(木)
コソボ ⇒ モンテネグロ  
  
  夜中に2〜3度目が覚めたが、6時起床。空には薄雲に朝焼け。7時にスーツケースをドアの外に出し、朝食。レストランの外の中庭がステキ。15℃、少し寒い。青空の下、8時にバスで出発。コソボの首都、プリシュティナの観光。コソボはセルビアの中では自治区としてしか認められていないが、国連は独立国として認めている。一番先に認めたのはアメリカで、クリントン大統領の時代。日本との関係は良好で、キノコの栽培などの技術も伝えているとのこと。首都には国民の約半数が住んでいて、若い人が多く、平均年齢は30歳ぐらいとのこと。冬の気温は-20℃にもなるが、壁暖房を利用するので、部屋の中は温かい。屋上に自由の女神が立っているのは、ホテル・ヴィクトリー。




8:25、グラチャニツァ修道院に到着。ビザンチン様式の傑作とのこと。ここへの入場観光は予定に入っていないが、髭のおじさまが笑顔でガイドして下さるとのことなので、せっかくだからと入場料3ユーロを各自で払って入る。世界遺産で、5年に一度の内部の壁のクリーニングを済ませたばかりだそうで、壁や天井のフレスコ画が色鮮やかで素晴らしい。内部の撮影は禁止。絵葉書を買う。




9:10、バスに乗る。失業率は30%。若者はドイツ、イタリア、アメリカなどへ出稼ぎに行くが、8月には戻ってくるため、結婚式も8月が多い。

9:25、旧市街でバスを降りる。マザーテレサ大聖堂へ。まだ新しく、白くてきれいな聖堂。内部も見学。ステンドグラスも美しい、清々しい気持ちになる。





休みの日なのか、通りに子供がたくさん出ていて、それぞれピザのようなものをほおばっている。女性の顔のモニュメント(ヘロイナット)は、20000本のピンで作られ、その1本1本の頭にはコソボ戦争中に悲惨な目に遭った女性の肖像が描かれている。
砲弾の痕が見られないと思ったら、建物は2,000年頃以降に新築か改築されているとのこと。新市街には、大きな”NEW BORN”というモニュメント。2008年のコソボ独立を記念して建てられたもので、Nature、Energy、Water、Biodiversity(生物多様性)、Oxygen、Recycling、Natureの頭文字をとっている。



大統領官邸の近くを通っていると、人払いしている様子に何事かと思ったら、歩きながらカメラに向かってしゃべっている人がいる。コソボの大統領だそうで、選挙のためのビデオ撮りとのこと。街路樹の紅葉が美しい。




バザールモスク、平和のモニュメント、オールドバザールなどを見ながら歩く。





11:20、ランチのレストランへ。野菜サラダ、パプリカの肉詰め、バニラアイスクリーム。添乗員さんから、プラムを一つずつご馳走になる。




12:30、バスに戻り、モンテネグロに向けて出発。西へ行くのだが、まっすぐの道は細くて大型バスが通れないので、再度、アルバニアを回って行くとのこと。ガイドのナイラさんが作られた絵葉書を頂く。13:45、コソボとアルバニアの国境に差し掛かる。どこの国境でもチップは必要で、相場は50ユーロぐらいだそう。スピード違反とか、重量オーバーとか、いちゃもんを付けられるので、出さざるを得ないが、会社には請求できないとか。
そのお陰か、5分で通過。次は税関。バスのトランクを開けて確認。またチップが必要!13:55、無事に通過。22℃。山道を行く。眼下にきれいな湖。ガイドさんが「ヨセミテ公園のような風景」と言うところで14:40から15分休憩。気持ちの良いお天気の中、田園風景の中を行く。16:30にまた15分程休憩。23℃。17:30、国境へ。アルバニアからの出国は無事に通過。モンテネグロへの入国はちょっと時間がかかる。係員が乗り込んできて、全員のパスポートを受け取り、ひと通り顔を見て行く。税関へ。ここのチップは少々高い上に時間がかかるとのこと。それでも、国境到着から30分かからずに無事通過!



ドライバーさんが、とてもきれいなところがあるので、みんなに見せて上げたいと言って、予定に無いところへ連れて行ってくれることに。細い道をどんどん走って行き、心配になった頃に到着。バスを降りてドライバーさんについて下って行くと、きれいに澄んだ水をたたえた池!魚も泳いでいる。池のほとりにはレストランもあり、その前を通って更に奥へ行くと、何と滝!池では無くて川だったのだ・・・。バスを降りたところにあったレストランの看板に「NIAGARA」とあった意味が分かった。現地では「ニヤガラ」と読むらしいが。丁度夕陽が沈んだところで、紅く染まった雲が静かな水面に映り、刻々と色が変わって行く・・・。ドライバーさん、ありがとう!




ずっと見ていたい景色だったが、バスに戻り、19:10、ポドゴリツァのホテル”アウレル”に到着。4階のJ2号室。直前に変更されたホテルだったので心配していたが、ドアを開けてビックリ!広〜い!!大きなベッドが二つ、ソファにキッチンまである。電気の付け方が分からず、広い部屋の中をあちらこちら、スイッチをパチパチ。すぐに夕食へ。今夜はビュッフェ。食後、20:30からスーパーへ。ここもユーロが使えるので、またお菓子を買ってしまった。シャワーを浴びて、20:50、就寝。






6日目 9月27日(金)
モンテネグロ ⇒ ボスニア・ヘルツェゴビナ  
  
 どういう訳か、夜中にあり得ないほど何度も目が覚めたが、6時に目覚ましで起床。お天気は晴れ。7時から朝食。外へ出て見ると、風が爽やか。




8時に出発、20℃。モンテネグロは黒い山の意味。黒いのは玄武岩。通貨はユーロ。
国旗は双頭の鷲でアルバニアと似ている。比較的お金持ちの国。首都はポドゴリッツア。「小さな丘の峰にある」という意味。間もなく、モラチャ川にかかるミレニアム橋へ。その名の通り、2000年にできた綺麗な橋。





写真を撮ってからまたバスに乗り、モラチャ渓谷沿いに国境に向かう。9:30休憩。お水をドライバーさんから2本買う。なんと、1ユーロ!。鉄砲の薬莢(やっきょう)をボールペンに仕立てたものをお土産として売っているが、セキュリティチェックに引っ掛かる可能性は無いとは言えないとのこと。



9:55、湖が見える。これ以降、タラ渓谷に入る。10:45、ダム湖に差し掛かる。道端の小屋でおじさんがベリーワインと蜂蜜を売っている。11:35、国境に到着。バスのトランクを開け、パスポートも集めて見せる。山の中で不便なところなので、珈琲とかワインなどをねだられることもある。うちのドライバーさんはペットボトルの水を2本上げていた。



11:50、モンテネグロを出国。橋を渡ると、すぐにボスニアヘルツェゴビナ(BIH)の税関。粗末な工事現場のプレハブのような施設。国の貧富の差を感じる。トランクもちょっと確認して、12:10、無事入国。



ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都はサラエボ。通貨はマルカ(KM)。1マルカ=65〜70円。2マルカ=約1ユーロ。
14:30、サラエボに入る。2009年にもクロアチアの帰りにボスニアヘルツェゴビナを訪れたが、独立戦争終戦からまだ10年ということで、建物の壁には砲弾の痕が痛々しかった。今回はその後また10年経っているので、どうだろうか・・・。これまでの国々では、そのようなものは見られず、地震の被害の話ばかりだったが、やはり、ここまで来ると、アパートなど建物の壁に砲弾の痕が残っている。お金が無いということもあるのだろうが、見栄えが悪いことを気にしなければ、修理しなくても差し支えないのかもしれない。
サラエボ旧市街に到着。1993年から1996年にかけてはサラエボも戦場となり、街の中心のスナイパー通りでは、目立つとビルの上から狙撃されるので、体の小さな子供が10km先まで水汲みに行ったそうで、今も通りには砲弾の跡が残されている。黄色のビルはホリデイインホテル。マスコミが戦争中もここで報道を続けた。





国境通過に時間がかかったのと、車の渋滞で到着が遅れ、やっと15時に旧市庁舎(現在は図書館)前に到着。バスを降りて、待っていてくれたガイドのハビットさんについて旧市街を歩いてランチのレストランへ。メニューはチーズパイ、ケバブ、パンナコッタ。ケバブは、肉料理の総称だそうだ。




ランチの後は、ミラツカ川にかかるラテン橋へ。この橋のたもとで1914年にオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビア人の青年に狙撃され、第一次世界大戦が始まるきっかけとなった。いわゆるサラエボ事件。



ガイドさんの案内で、1990年代に造られた壁、人気のパヒュームの店、パシチャルシャ広場、水飲み場、サラエボで一番古いセルビア旧正教会、博物館、オーストリア=ハンガリー帝国時代の街。新市街と旧市街の境界線、などを見て回る。






16:50から18:30までフリータイム。カトリック大聖堂に入り、きれいなステンドグラスを見ながらゆっくり。



やがて、もう閉館だからと追い出され、新旧の市街をブラブラ。18:30に広場の水飲み場のところで集合してバスへ。





再びスナイパー通りを通って、19:00、サラエボのホテル”ラドン・プラザ”に到着。円筒形のユニークなホテル!廊下も弧を描いている。部屋は903号室、広い!20:00から15階の展望回転ラウンジで夕食。メニューは、野菜スープ、白身魚のムニエル、ケーキ。シャワーを浴びて、20:30就寝。







7日目 9月28日(土)
ボスニア・ヘルツェゴビナ ⇒ セルビア  
 
  5時起床。6時から昨晩と同じ15階の展望ラウンジで朝食。メニューが豊富。遠くに雲海が見える。7時にスーツケースをドアの外に出し、ホテルの外に出て写真を撮る。明るいところで見ると、更に奇抜な建物。11℃、晴れているが、寒い!一旦、部屋に戻り、窓から外を眺めていると、カラフルだが屋根の無い廃屋の中から木が生えているのが見える。住んでいた人たちはどうなったのだろう?






8時集合で出発。市街地を抜けると山道。眼下の起伏のある牧歌的な風景が美しい。添乗員さんによると、ホテルのベッドにたくさんの枕がある理由は、キリスト教の人が真上を向いて寝るのはお棺に入った時だけで、普段は、複数の枕を抱き枕やクッションのように使って寝るからとのこと。なるほど。9:30から休憩。19℃、陽射しが温かい。





細い道を通って11:15にランチのレストランPECTOPAHに到着。3つ星。壁にはかわいい民族衣装。メニューはキャベツのサラダ、チキンのソテー、ラズベリーとアップルのパイ。




12:20、バスで出発。国境に近い町なので建物に砲弾の痕が見られる。12:25、国境になっている川。係員が乗り込んできて、”Japanese?コンニチワ”と愛想を振りまく。
12:50無事に通過し、6ヶ国目となるセルビアに入国。国旗は赤・青・白で、十字架を抱えた鷲の絵。通貨はディナール。1ディナール=約1円。28℃。山並みの見えない真っ平らな土地に収穫の終わったトウモロコシ、オリーブの木、道路沿いにずらっと並ぶかわいい家々。ベオグラードに近づくと道路が立体交差になっていて、交差点が無い。





15:55、聖サヴォ教会に到着。ガイドはイギさん。この教会は戦争の為、建設が二度も中断され、今もまだ工事中。でも、結婚式が行われているとのことで、しばらく待っていたら、新郎新婦が出て来て、皆に祝福されて車で出て行った。





16:35、バスへ。ベオグラード市街を行く。



17:45、突然、道路の両側に破壊されたビル。NATOの空爆によるものとのこと。これは負の遺産として残してあるものと思うが、住む人も居なくなり、破壊されたまま放置されている建物には胸が痛む。



古いベオグラード駅が壊されている。一方、新プロジェクトで新しいビルが次々と建設されているとのこと。17:05、学生広場前でバスを降り、少し歩く。街は週末とあって賑わっている。セルビアの国旗は、汎スラブ色の赤(血)、青(空)、白(光明)の三色に国章。






17:15、セルビア正教会の大聖堂。



セルビアで一番古いカフェバー。名前は、なんと、”?”。開店当初にとりあえず付けたものをそのまま使い続けているとのこと。立派な黄色い建物は小学校。義務教育の初等教育は8年、その上は、中等教育4年、大学など高等教育3年以上とのこと。日本との大きな違いは中等学校への進学時に生徒の多くが専門を決めること。
左下は、世界一美しいと言われるフランス大使館。




17:25、カレメグダン公園へ。元は要塞だったところ。現在は市民の憩いの場となっている様子。18:20までフリータイムとなる。平和の像、入口の脇に恐竜園、野外軍事博物館、真っ赤なテニスコート(ジョコビッチが有名になってから作られたそう)。





イスタンブール門から入る。緑の豊かな広い園内を通り抜けて展望台へ。左手のクロアチアの方から流れてくるサヴァ川と手前に流れてくるドナウ川の合流地点。沈む夕陽が川面に映えて美しい。







18:30バスへ。19:00レストランに到着。キャベツのサラダ、肉料理、ケーキ。






20:00バスでホテルに向かう。20:30、ベオグラードのホテル”M”に到着。2階の101号室。ルームキーの使い方が初めてのスタイル。




食後、21:10集合で近くのスーパーへ。二階から下のフロアを見渡せる珍しい構造。
キッコーマンのしょうゆやソースが並んでいる。かわいい模様のクッションを見つけて、欲しくなってしまったが、嵩張るのであきらめて、サヨナラ。明日は、いよいよ帰国。荷物をまとめ、シャワーを浴びて、24時就寝。





8日目 9月29日(日)
セルビア ⇒ ドバイ 
  
 7時起床。8時から朝食。窓の外の中庭の樹に群れる鳩、そしてリス!




9時から散策。ホテルの前の直線道路を右へ行ってみる。原生林を右に見ながらまっすぐ行くと、やがて右にきれいな教会。セルビア正教会の日曜日の礼拝中。開いているドアからイコンが見え、聖歌が聞こえる。遅れてきてすぐに帰る人あり、子供連れで外で遊んでいる人ありという自由な雰囲気。来た道の反対側に渡って引き返す。面白い樹に出会う。





部屋に戻り、10時に部屋の外にスーツケースを出したあと、ちょっとゆっくりして、10:30にロビーに降りて行く。11時、バスで空港に向かう。23℃。昨日渡って来た川を渡る。ドライバーさんは、仕事が終わると、明日は休みで、明後日はマケドニアまで9時間かけて戻るとのこと。運転技術は素晴らしく、人柄も良く、イケメンでステキなドライバーさんだった。しかも、マケドニアのドライバーで英語のできる人は二人しかいないという中の一人とのことで、添乗員さんも、ラッキーだったと喜んでいた。




30分ほどで到着。空港内の壁面に掲示されている飛行機の進化を描いた図が面白い。チェックインしてから搭乗ゲートに行く途中でラウンジで軽くランチ。隣の席の外人の赤ちゃんに気に入られる。添乗員さんから、搭乗ゲートがC1からC4に代わったと聞く。ゲートの手前でセキュリティチェック。結構厳しい。





14:00、フライ・ドバイ機に搭乗。席は今度も最前列の1Cで通路側。コックピットのドアが開くと中まで見える。ジュースのサービス。14:20、移動を開始し、ドバイに向けて14:30に離陸。すぐに2本の川に近代的な橋の掛かる素敵な風景が見えるが、通路側の席なので写真が撮れず残念。15:00、おつまみのサービス。15:30、お食事のサービス。チキンとレモンフィッシュの二択でレモンフィッシュをチョイス。食後に紅茶を注文したら、紙コップにたっぷり持ってきてくれたが、熱すぎてなかなか飲めない。17:00、消灯。17:30、右側の窓に一直線の濃い夕焼け。18:00、CAさんが2つのパッケージを出してきて、「チキンと野菜のサンドイッチ」だと言う。あまりお腹はすいていなかったが、野菜の方をチョイス。手に取ると熱々。紙製のパッケージを開けると、中身はサンドイッチと言うよりカレーのクレープ。しかもかなり辛くて、半分食べてご馳走様。往路でもお盆に載せて差し出されたのはこれだったのだ。温めて出してくれたのに申し訳なかった。再度注文した紅茶はやはり熱々でなかなか飲めない。次におつまみを何種類か出されたが、それはノーサンキュー。18:30になったところで時計をドバイ時間に合わせて2時間進め、20:30とする。





21:00、たくさんの光で輝くドバイ上空へ。21:10、着陸。バスでターミナルへ。セキュリティチェックの後、トラムでAゲートへ。ラウンジを見つけられず、添乗員さんに2階上のフロアまで案内してもらう。フロア全体がラウンジで、すごーく広い。さすがはエミレーツ航空のお膝元。A23ゲートは、ラウンジから直接行けるとのこと。現在22:30。搭乗開始は午前2:15なので、4時間近くある。静かなスペースを見つけてしばらくゆっくり。






9日目 9月30日(月)
ドバイ ⇒ 関西空港  
  
  午前1時ごろ、お腹がすいてきたのでお菓子でも食べようと、場所を探して、小さなお菓子とコーヒーを頂く。2:15の搭乗開始時刻となり、ラウンジからそのまま行けるとのことだったが、エレベーターがどういう訳か直接エアバスの2階に搭乗できる upper bording 階に止まらず、仕方なく lower bording 階から搭乗。機内の階段を2階へ上る。



席は、11A、今度は窓際。オレンジジュースを頂く。3:45、離陸。食事のオーダーを取りに来たが、眠いからと断る。行きも帰りもメインの食事を断ることになり、残念だが、とにかく時間が悪い。到着前の食事の方は注文し、ベッドをフラットにする。時計を日本時間に合わせ、5時間進めて9:00にしてから横になる。



14時過ぎに目が覚め、シートを斜めにしてディズニ―アニメ "Chicken theLlittle"を見始める。15時になると、寝る前に注文しておいたお食事のサービス。洋食で美味しそうだったが、意外に食べられない。アニメを見終えると16:15。あと関空まで約1時間。ベートーヴェンのピアノソナタを聴く。これが一番落ち着く。17時、着陸態勢に入るとのアナウンス。早々とマットと毛布を片付けられてしまう。予定より15分程遅れて、17:30、関西空港に着陸。




27℃、蒸し暑い。遅れることを予想して余裕をもって予約しておいた特急「はるか」に乗り、新大阪で新幹線に乗り継いで品川まで。何とか、日付が変わるまでに無事帰宅。



エピローグ  
  
  一人参加の旅だったので、いつもとはちょっと違った雰囲気もあったものの、お天気に恵まれ、素敵な添乗員さんとドライバーさんのお陰で、良い旅になった。体調が悪くなることも無く、快適な旅だった。でも6ヶ国を回る旅で、毎日国境越えというのは、ドライバーさんが大変。危険な山道を越えたところでパスポートの山を持って手続きに走り回り、チップを要求する係員にも付き合い、仕事が終われば、9時間もかけて一人で運転して帰る。それなのに優しい心遣いで景色のきれいなところへ連れて行ってくれたり、バスに積んでいるペットボトルのお水は2本で1ユーロで良いと。1本だけ買う時、細かいのが無いというと、あとで良いからと、笑顔で言ってくれたり・・・。
添乗員さんからは、7日目の車中で奇想天外な身の上話。愉快な人だとは思っていたが、どうやら、ラテン系と思われる血がいくらか入っているらしく、とにかくユニーク。またどこかでお目にかかって話の続きを聞きたい。
同行のメンバーは、全部で20名。うち、男性8名、女性12名。お世話になりました。皆さんに感謝!

後日談だが、この旅での写真を二枚、区の写真展に応募したところ、賞は頂けなかったが、会場の入口近くの目につくところに展示されていて嬉しかった。