バルト三国 旅行記
2017.6.16 〜 23
1日目 6月16日(金) 成田空港 → 【フィンランド】 ヘルシンキ → 【エストニア】 タリン |
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6時に家を出て、日暮里から京成スカイライナーで成田空港第2ターミナルへ。出国手続きを済ませてから、JALのさくらラウンジで軽食をとって、搭乗口へ。 10:10、JAL0413便に搭乗。席は2DとGで機内内側。ブースのように四角く仕切られていて、大画面のモニター。座った姿勢では横の席の人の顔は見えない。ドリンクと機内用のカーディガンが配られる。10:30 移動開始。眠くて、離陸前からウトウト・・・。 11:30にメニューが配られ、テーブルセット。和食を選択。先付けに続いて 松花堂弁当風の一皿、牛タンシチュー、銀ダラの味噌漬け、ご飯、熱々の 味噌汁にお漬物。デザートは水羊羹。食事が終わって片付いたのはもう13時。いつもながら時間がかかる。 ここで腕時計を現地時間に合わせて6時間戻し、午前7時に逆戻り。 今食べたのは朝ご飯と、お腹に言い聞かせる。 シートを平らにして4時間ほど眠る。 目が覚めるとエンジンの音が気になり、 音楽を聴くことに。ショパンのピアノ曲を探し当て、メドレーで聴く。 昼食は食べたいときに注文するシステム。山菜うどんとアイスクリームを頂く。 JALのCAさんたちは、笑顔も心遣いも気持ちが良い。 10時間余りの飛行を無事に終え、14:30、フィンランドのヘルシンキ・ヴァンター国際空港に着陸。EUへの入国審査を通り、15:30からバスでヘルシンキ市内 の観光。まずヘルシンキ大聖堂へ。2005年8月にも訪れたところ。懐かしい!。今回は前の広場で訳の分からないイベントをやっていた・・・。 バスに戻り、ストックマンデパート近くの駐車場に入りかけた時、車内で突然の大きな音! 何事かと思って振り向くと、粉々に割れた窓ガラスが乗客に降りかかっている!バスが回り切れず、インフォメーションセンターの 飛び出た屋根にぶつかって大きな窓ガラスが3枚も割れたとわかり、ビックリ!。 丁度フリータイムを取るところだったので、1時間余り、デパートの中や緑の美しい エスプラナーディ公園を回って駐車場に戻ると、新しいバスが来ていた。 エストニア行きの大型フェリーに乗るため、18:00に西港に向かい、10分ほどで到着。18:45、乗船したのは、”STAR”という船。 内部はまるでビルのよう。普通の船のような並んだ座席は無く、7階にスーパーマーケット、8階にビュッフェ、9階にレストランがある。 まず8階の荷物室にスーツケースを預けてビュッフェに席を取る。19:30出港のはずだったが、10分早く19:20に出航。2時間の船旅。遠くに島が見えるが、あまり景色の変化が無いので、座ったまま居眠り。 到着の30分ほど前になったので、スーパーマーケットをひと通り見てまわるが、特に食べたいものも見つからず、夕食は諦め、スーツケースを受け取って、21:30下船。10分早く出航したので早く着くかと思いきや、到着は予定通り。 いよいよバルト三国入り。エストニアのタリン。21:30というのに青空が広がり、陽が照っている!それもそのはず、あと5日で夏至。ガイドさんによると、 夏至には白夜になるとのこと。気温は23℃。一日の気温が10℃から20℃という情報だったので、思ったより暖かいと思ったら、一昨日から急に夏が来たように気温が上がったとのこと!車窓から輪タクを見かけてビックリ! 今日のホテル、スイソテル・タリンに到着。バルト三国で一番高い30階建て とのこと。5つ星ホテルとあって、内部もモダンな感じ。部屋は1615号室。 広くてきれい。ベッドは真っ白。内装は茶を基本に、カーテンはベージュ、 椅子はオレンジ系のストライプ。 外の景色は新旧が入り混じった感じの かわいい低層の街並み。右の方は森。 車線の多い広々した道路だが車は少ない。 さすがにだんだん暮れてきて夜景になると、遠くの街が明るい。シャワーを浴びるが、 バスルームの壁が半透明ガラスなのが、 どうかと・・・。24時就寝。 |
2日目 6月17日(土) タリン → 【ラトビア】 リガ |
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5時半起床。お天気は晴れ!7時から8階のレストランで朝食。 メニューは豊富。パンがおいしい。 8時にバスで出発。気温は18℃。 タリンの観光は6日目のお楽しみ。今日は国境を越え、ラトビアのリガまで一気に310kmを行く。 10:15、以前はパスポートコントロールがあった国境のところで30分の休憩。気温20℃。 こちらの特産品の木製の鍋敷きなどを買って再出発。木々の中の道を行くと、やがて、 右手にバルト海が見えてくる。 添乗員さんによるラトビアの情報・・・首都はリガ。ソ連に支配されていた時期が長かったせいで、ラトビア語の他にロシア語も使われる。バルト三国は驚いたことに、それぞれ言語が異なるので、三国の共通語もロシア語とのこと。 宗教はプロテスタントのルター派が多い。 国民はバルト系のロシア人が6割。日本の六分の一ほどの広さの国土でそのうち約40%が森林。 電子部品の製造に優れているが、木工品、ニットや亜麻の製品、琥珀などの特産品もある。琥珀には珍しい緑色のものもあるが、日本の何分の一の金額で買える。主食はジャガイモで、パンよりもよく食べる。ドイツ料理の影響が強く、豆を使ったものが多い。地ビール作りも盛ん。 三国の中で物価の高い順は、北からエストニア、ラトビア、リトアニアとのこと。 12:00、リガ市内に入る。トラムが走っている。高いタワーのある建物はリガ駅。気温23℃。 コンクリートの塊のような無粋な集合住宅が目につくが、ソ連時代に国から与えられたものとのこと。 12:40、昼食のレストランへ。”ローゼングラールス”と言って、中世料理で有名なお店。店の外にいる人たちの衣装から既にその雰囲気を漂わせているが、地下1階の店内はロウソクの明かりで薄暗く、中の店員さん達も中世の衣装。 パンが麻の布に包まれて出てくる。 メニューは、豆のスープ、ピタパンの上に鱈と付け合わせのご飯、チェリーパイ、紅茶。 雰囲気は十分だったが、もう少し明るいところで食べたかった・・・。 14:15からリガ歴史地区の観光。 レストランで一人寂しくテーブルに向かっている老人が気になり、もしや・・・と思っていたが、やはり、その人がガイドさんだった。日本の各地に行ったことがあるらしく、日本が堪能。 まず聖ペトロ教会に入る。13世紀に木造で建てられたが何度も火災に遭い、 建て直されたとのこと。内部は、垂直線が特徴。 エレベーターで教会の展望台へ。 塔の高さは123mあるが、72mの高さから リガの街を一望する。眼下を流れるのは、 川幅500mのダウガヴァ川。 中世にはリガの中心だった市庁舎広場。 再建された市庁舎に向かって立つ白い像は、リガの守護聖人ローランド。 反対側には、これも最近再建された個性的な雰囲気のブラックヘッドの会館 (右)。正面上部の青い大時計の下に4つのハンザ都市の紋章とギリシャ神話の神々の像。 リガ大聖堂(聖母マリア教会)へ。リガの歴史を描いたステンドグラスと6700本のパイプのあるパイプオルガンが素晴らしい。 ダウガヴァ川が氾濫した時には、この教会も水に1mぐらい浸かったとのこと。 15:25に大聖堂を出てバスに戻る。気温27℃。上着を脱ぐ。 中央市場に向かう途中でユーゲント・シュティール建築を見かける。ドイツ語でアール・ヌーヴォーの意味で新市街に多いとのこと。 人面や動植物の彫刻が壁面を飾っているのが特徴。独特な雰囲気がある。 16:00、バスを降りて中央市場へ。ドイツの飛行船の格納庫だった建物が5つも並んでいて、柱の無い構造から世界遺産に指定されている。 16:20から20分ほどフリータイム。野菜や魚の売り場を見る。燻製のにおい。 魚の一切れの大きさにビックリ。 魚の面白いイラストのエプロンを見つけて買う(15ユーロ)。 16:45バスに戻り、旧市街観光へ。 14世紀に要塞として建てられたリガ城は、その後、歴史の流れに従って、 騎士団、ポーランド、スウェーデン、帝政ロシア、そして、ラドヴィアと、その時代の支配者の住まいとなってきた。 「三人兄弟」という名前の三つの仲良く並んだ建物はそれぞれが立てられた時代を反映した特徴を備えている。現在は、建築博物館。 スウェーデン兵に恋をした娘が塗りこめられたという悲しい伝説のあるスウェーデン門、国会議事堂、リーガ市の外壁、火薬塔(軍事博物館)、面白い伝説のある「猫の家」、財務省などを見て回り、ワーグナーが働いていたオペラ劇場のある「ワーグナーの通り」を通って、17:40にレストラン”KONVENTS”へ。 今日の夕食のメニューは、野菜サラダ、 チキンのグリル、デザートにフルー ツゼリー、紅茶。 今日のホテルは、旧市街の便利なところにあるので、 18:50にレストランを出ると、そのまま歩いて向かう。 聖ペテロ教会の脇に何とブレーメンの音楽隊の像が! リガとブレーメンは姉妹都市と聞いて、納得。 グランドパレスホテルは、5つ星。部屋は404号室。 エレベーターで「3/4階」というボタンを押して止まったところで降り、左へ曲がって廊下を先まで行ったところで階段を数段上がった先という迷路のような作り。 まだ明るいので、広場や、ダウガヴァ川の方まで散策。部屋に帰ってシャワーを浴びて、23時就寝。 |
3日目 6月18日(日) リガ→ 【リトアニア】 シャウレイ → カウナス → ヴィリニュス |
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5:30、起床。英国教会やリガ城の方へ朝の散策。空気がすがすがしくて気持ちが良い。青空が広がっている。 7時から朝食。昨日の朝食はつい食べ過ぎたので、今朝は抑えて。 緑色のオウムの”ミーシャ”がいるレストラン。名前を呼んでも何も応えてくれなかったけど、発音が違ったのかな? 7:45、シャウレイに向けて出発。18℃。今日も森と草原の中を行く。 8:45、国境を越えて、リトアニアに入る。ドライバーさんがバスから降りて、 小さな小屋で通行税を払う。 添乗員さんの説明によると、リトアニアは平坦な国土で森と川が多い。産業は、電子機器などの工業と畜産や麦などの農業。EUに入ってから、温かい地方でできる果物や野菜が手に入りやすくなったことは喜ばれている。6月から夏休み。 9:20、十字架の丘に到着。2つの丘の上に無数の大小の十字架が立てられている。起源ははっきりしていないらしい。十字架の数は5万本と言われる。 時々、火事もあるようだが、今も増え続けているとのこと。昨年8月の日付の日本語の札もあった。 10:00、出発。カウナスに向かう。11:00から10分ほど休憩。 田園風景が本当にきれい。空は青く、風がさわやか。 12:10、カウナス市内に入る。ここは学園都市で、4万人の学生が居る。 産業は、琥珀を使ったもの、亜麻、木製品。 12:30、レストラン”SANDIJA”へ。ビルの3階の広いスペースのレストラン。ウエイトレスの女性の目の色が、吸い込まれるようなきれいなブルー! 他にも日本人のツアー客がいる。この旅行で日本人に会ったのは初めて。 メニューは、ビーツのスープ(ボルシチ)、ツェペリナイ(ジャガイモ団子)、 フルーツサラダ、紅茶。スープは酸味があるが、飲みやすい。 ジャガイモ団子の名前は、ツェペリン飛行船の形に由来するとのことだが、 もちもちのジャガイモ団子の中に挽肉団子が入っていて、おなかがいっぱい。お茶は紅茶と頼んだのに、運んでこられたのはティーバッグの緑茶だった! 13:45、バスで旧日本領事館へ向かう。今は、杉原千畝記念館となっている。 建物は工事中で、カバーがかけられていて全容が見えず、残念。 ガイドは、ベテランのようだがいささか聞き取りにくい日本語のアルビータ氏。 14:00から15分間のビデオで杉原千畝の 功績を紹介。第二次世界大戦中、ナチスによる迫害から逃れるユダヤ人のために独断で1600通の日本通過のビザを発行して、6,000人を超えるユダヤ人を救った。 唐沢寿明主演の映画「杉原千畝」のビデオを旅行の前に見ておいてよかった。 14:35、バスでカウナス市内の観光へ。 20分ほどで下車して、アレクソタス展望台へ。川の向こうに赤屋根の街が美しい。対岸の堤防上に”LIETUVA”の文字。 橋を渡ってカウナス旧市街へ。25℃。 顔に見える面白い建物は大学の校舎らしい。15世紀のゴシック様式の傑作であるペルクーナスの家、白鳥にたとえられる美しいバロック様式の旧市庁舎などを見ながら大聖堂へ。途中、黄色い菩提樹の花が咲いていて、樹液が甘いと ガイドさんから教えてもらう。 赤レンガの聖ペテロ&パウロ大聖堂に入ると、アヴェ・マリアを歌う美しい声。 見事な彫刻で飾られた祭壇が印象的。パイプオルガンも優美。 大聖堂の見学を終えると、16:15までフリータイム。 しばらくメインストリートを歩いてから教会の前のお店で亜麻のやさしい ブルーのストールを買う(12ユーロ)。 16:20、カウナス城へ。13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐための要塞として造られ、 ここからカウナスが始まったとのこと。元は、台形の城壁に4つの塔があったが、今は一部が残るのみ。 16:30、バスに戻り、ヴィリニュスに向けて出発。 途中で一度休憩をはさみ、18:00、今日のホテル、ヴィリニュス・グランドリゾートに到着。湖やゴルフ場もある素晴らしいリゾートホテル。フロントは2階、 部屋は1階の109号室。広いし、窓からは外の湖や青々した芝生が眺められて気持ちが良い。部屋の前の中庭も、いかにもリゾートホテルの雰囲気。早速、建物の周りをひとめぐり。 19:30からホテルのレストランで夕食。レストランは1階だが、一旦、2階の ロビーを通ってまた降りる面倒な構造。 メニューは、野菜サラダ&ギリシャのフェタチーズ、サーモンとマスにライスと ズッキーニなどの野菜の付け合わせ、デザートはカラメルクリーム&ベリーソース、紅茶。 21:00、部屋に帰り、シャワーを浴びる。 夏至が近づいた夜の明るさを見ようと思い、21:50頃に遮光カーテンを開けてみたら、 丁度、夕陽が沈むところで、その素晴らしい夕焼けがさらに30分以上も赤々と続いた! 22:30、就寝。 |
4日目 6月19日(月) ヴィリニュス →トラカイ → ヴィリニュス |
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6:45起床。うす曇りから段々本格的な曇りの様相となる。小鳥がたくさん低い ところを飛んでいるのも気になる。バルコニーに出てみると、結構涼しい。 7:30から朝食。欧米人のツアー客がいっぱい。食後、外へ出て、私たちの部屋から見えるのとは反対側の庭へ。こちらには水上スキーの施設などがある。 睡蓮の池には、何やら魚もいる様子。 9:00出発。17℃。大聖堂の前でガイドさんと待ち合わせ。カヴィアさんという 若い女性。日本語はあまり上手ではなく、ガイドの仕方も慣れていない感じだったが、今日が初めての仕事だったと最後に告白された。 9:30、ヴィリニュス市内の観光に出発。まず中心にあるカテドゥロス広場へ。 大聖堂の前に、STEBUKLAS(奇跡)と書かれた赤いタイルがある。この上で願い事をしながら3回周ると願いが叶うとのことだが、1989年にバルト三国の独立運動のひとつとして実施された「人間の鎖」の起点となった場所で、ここからラトビアの首都リガを経て、エストニアの首都タリンまでの約600Kmを、200万人が手をつないだそうだ。これによってバルト三国のソ連からの独立は一気に進んだとのこと。 白いギリシャ建築のような大聖堂に入場。リトアニアの総本山。隣に高さ53mの鐘楼が立つ。18世紀にクラシックスタイルに改築されたものとのこと。きらびやかさは無いが、どっしりと落ち着いた雰囲気。 最大の見どころは、リトアニアの守護聖人カジミエラス王子を安置する聖カジミエルの礼拝堂(右下)。17世紀のバロックスタイル。大理石と砂岩で造られ、壁面は8体の王の像や漆喰彫刻、フレスコ画等で装飾され、独特の雰囲気。 外に出ると、隣りの白くて四角い建物は王宮。15世紀に建てられたものは、モスクワ軍によって破壊されたが、独立後に再建され、現在は博物館として公開されている。 バスで三つの十字架の丘に向かう途中、 先日の大雨によるがけ崩れの場所の近くを通る。 バスを降りて緩やかな山道を登って行くと 現れたのは、4年に一度世界的な合唱祭が行われるというコンサートアリーナ。 やがて、宣教師が殉死したという三つの十字架の丘の頂上へ。ここもソ連占領時代に破壊され、独立運動の高まりとともに再建されたとのこと。 展望台から一望できる赤屋根のヴィリニュス市街は、とてもきれい。曇っていた空だったが、あっという間に青空が広がり、建物に陽が当たって美しく輝いている!22℃。急に暑くなった。 緑の多い美しい街の中を歩きながら行く。 10:55、茶色のレンガで作られた美しいゴシック様式の聖アンナ教会の前へ。 ナポレオンが気に入り、フランスに持ち帰りたいと言ったとか。 すぐ後ろに赤レンガのベルナルディン教会。 白いきれいな聖ミカエル教会の前を通る。 ここもモスクワ軍の襲撃によってダメージを受けたが、後に改修されたとのこと。 やがて、琥珀博物館へ。 琥珀というとハチミツ色と思っていたが、できる時の条件の違いにより、 白、黒、緑、青、赤など様々なものがあることを知る。琥珀のお酒も! 11:42、バスで夜明けの門へ。街を囲む城壁の門が9つあったうちただ一つ 残っている門とのこと。門をくぐってから見上げると、奇跡のマリア像の大きな イコンが祀られて、たくさんの人が祈りを捧げている。 12:10、聖ペトロ&パウロ教会へ。赤い丸屋根のかわいい感じの教会だが、 内部は雰囲気がまるで違う。1ユーロの寄付をして写真撮影。イタリアから呼び寄せた彫刻師による2000以上に上る漆喰彫刻、船のシャンデリアなど、素晴らしい。 12:30、バスに戻ると、25℃。 川沿いにある杉原千畝桜公園へ向かう。 12:40、到着。記念碑は早稲田大学の有志が建てたものとのこと。 あまり大きくない桜の木が百本ほど植えられていた。こちらの桜は、葉が出てから花が咲くとのこと。 桜公園内に、「ひろしま・祈りの石の会」寄贈による広島の被爆敷石の碑があったのには驚いた。爆心地に近い相生橋近くの市電の敷石188個に「平和を願う婦人像」を彫りこんだものの一枚で、戦争の無い世界の実現を祈って、世界各国に贈られているとのこと。説明文は、左側が日本語、右側がリトアニア語。 12:55、バスへ。車窓から柔道着のようなのを着た人が見える。こちらでは、 柔道、空手、合気道、剣道など、日本の武道が盛んなのだそう。また、 三か国とも、音楽によって民族意識を高めた国でもあるとのこと。 昼食のレストラン”バジリコ”へ。重厚感のあるファニチャーのお店。 メニューは、キャベツのスープ、ガーリックトマト、ジャガイモのパンケーキ、 デザートはチーズケーキ。紅茶を頼んだら、また緑茶のティーバッグが来た。 「green teaではなく、black tea を頼んだのに・・・」と言うと、なんと、「これしか 無い!」との返事。メニューに載せる意味が分からない!(2ユーロ) 14:00、バスへ。ガルヴェ湖の中に建つトラカイ城へ向かう。14:35、到着。 1時間余りのフリータイムとなり、湖畔を歩く。お天気は上々、空の青、 湖の碧にお城のレンガ色が映えて、絵のような風景。湖にかかる橋を渡る。 写真撮影料1.5ユーロを払って中へ入ると博物館になっていて、順路に従い、木の階段を上がったり下りたり。 リトアニア大公国の時代には首都だったとのこと。 14世紀に建てられた後、ドイツ騎士団によって損傷を受け、その後、拡張工事を続けたが、17世紀の モスクワ大公国との戦い以降、荒廃し、20世紀になって再建工事が終了した。 15:45バスへ。26℃。道のわきの所々に、 中世にタタール国から兵士として連れてこられたカライメ人たちの木造の家がある。 通りに面して三つの窓が並ぶ特徴でそれとわかる。今でも200人ぐらいが住んでいるとのこと。 16:00、スーパーマーケットMAXMAに寄り、 40分間のフリータイムでお土産の買い物。 これまで、あまりお土産にしたいものが見つからなかったので、”Laima”というブランドならと添乗員さんが教えてくれたチョコレートを多めに買っておくことに。これが意外に美味しかった。 16:40、バスへ。このころには、なんと28℃! 17:30、連泊のリゾートホテルに帰着。途中で買った絵葉書に自宅宛の メッセージを書いて、ホテルのフロントに投函を頼む。これが、帰国した1週間後ぐらいに届いたが、どんなきれいな切手が貼られて届くかと楽しみにしていたのに、ただのスタンプだけでガッカリ・・・。 夕食まで、私たちの部屋から見える方のお庭に出て散策。”ボラボラ”という 南国風の水上レストランが風情がある。 夕食はフリーだったけれど、街まで出ていくほどのこともないと思い、 添乗員さんと一緒に18:30からホテルのレストランへ。 メニューは、トマトのサラダ、リゾット、パスタ、デザートにティラミス、紅茶。 軽く済ませるつもりが、食べ過ぎた。チップを含めて二人分で56ユーロ。 20時に部屋に帰るが、お腹がいっぱいなのでシャワーを浴びるまでに 一休み。 今晩の夕焼けもきれいだったが、お天気が良すぎて雲が無いため、昨晩と比べると寂しく終わった。 日本からLINEで写真が送られてきていた。 20:30就寝。 |
5日目 6月20日(火) ヴィリニュス → 【ラトビア】 バウスカ → リガ |
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6:00起床。朝食後、湖の周りを散策。良いお天気で、その上、セキレイの 澄んだ鳴き声が心地よい。LINEの返信が来ていた。 8:30出発。19℃。今日も草原と森の中を行く。ところどころに放牧されている 動物も見える。紫色のルピナスの群生もあちこちで見かける。 途中で20分ほど休憩をとり、10:20、また出発。22℃。 11:00、国境を越え、ラトビアに戻る。 車内には、バグパイプのような音楽が流れている。ドゥダスという羊の皮を使った民族楽器とのこと。 11:12バウスカという町に入る。バウスカ城は旧跡のみになっているとのこと。ルンダーレ宮殿に向かう前に昼食のレストランへ。田舎道をとろとろと走り、 11:30、レストランに到着。緑の木々の中に建つすてきな建物。もとは貴族の 館だったとのこと。内部もそれらしい雰囲気。ラトビア時間としては到着が 早すぎた様子。バスの到着とスタッフの出勤が同時だった・・・。 食事の準備が整うまで、大きな池のあるお庭を散策。 12:10から昼食。メニューは、ほうれん草のクリームスープ、ローストポーク、 カッテージチーズのベリーソース掛け。紅茶。 食事中にすごい雨が降り出したが、終わるころには上がり、空も明るくなった。紅茶は、尋ねてくれたので”black tea”と頼んだところ、今度は、”with fluits!”と言って、赤いカモミールティーが出てきた! 13:00、バスへ、20℃。雨上がりでも空気が さらっとしている。 13:20ルンダーレ宮殿の駐車場に到着。 立派な長い並木の間を10分ほど歩く間に 雨足が強くなるが、宮殿に到着するころには晴れ上がる。 ルンダーレ宮殿は、「バルトのヴェルサイユ」ともいわれるバロック様式の豪華な宮殿。撮影料2ユーロ。ブルーの靴カバーをはいて宮殿内に入場。英語の ガイドはギネスさん(女性)。 一番豪華で手を加えられていない黄金の広間、舞踏会が行われた白の広間、東洋の磁器が壁面に並ぶ楕円形の磁器の間、花飾りが美しいバラの間、 寄木細工の床とタイルストーブのある寝室、赤いダマスク織壁面の謁見室、 食堂として使われた大理石の広間など、詳しい説明を受けながらゆっくり見学。 各部屋の天井や壁に施されたロココ調の装飾が豪華。 宮殿南側のフランス庭園も素晴らしい。 15:25、バスで出発。車内で添乗員さんから、ロシアの女帝 アンナと、そのアンナに重用されルンダーレ宮殿まで与えられたビロン公、その息子のピーターについての話を聞きながら行く。 ロシアに治められていた時代には、宮殿など歴史的な建物が、なんと 小学校やバスケットボール場などに転用されていたが、独立してから、 ほとんど修復されたとのこと。 16:30、リガの街に戻る。19℃。 車窓からワルシャワで見たような四角い スターリン建築(現在は科学アカデミー)、 いやに目につく高い電波塔、 川沿いの三角形のような奇抜な形の国立図書館、 先日見学した中央市場、聖ペテロ教会などが見える。 観光した街にまた戻ってくるというのも良いものだ。 旧市街の中の今日のホテル”プルマン・リガ・オールドタウン”に到着。 ピンク色の壁の目立つ建物。最近改装されたばかりで、どの地図にも載っていないとのこと。ロビーの雰囲気にもビックリ。部屋は340号室。 ベッドカバーは白、床も壁もカーテンもソファもモノトーンで戸棚の中は朱色というカラーコーディネイト。 バスルームの設備もモダンな形。だが、シャワーカーテンが無くて不便! 18時から、添乗員さんほか数人と一緒に外出して、大きなスーパーでサンドイッチとスターバックスのコーヒードリンクとメロンのカットしたのを購入。 外のレストランで食べる人たちもいたが、 昨日食べ過ぎたので、今日は軽くしておくことに。 添乗員さんお勧めのチョコレートのお店 ”Laima”も見かける。 それにしても風が強くて寒い。 ホテルに帰り、部屋のテレビでニュースを見ながら軽い夕食。 モダンな作りのホテルだと思ったが、洗面台もスタイリッシュなだけで使いにくく、新しがっているだけのような気がする。 部屋にもよるのだろうが、外に向かった窓が無く、閉塞感がある。入口に5つ星とあったが疑わしい。 シャワーを浴びて、22時就寝。 |
6日目 6月21日(水) リガ → 【エストニア】 タリン |
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5:30起床。今日は夏至。テレビのニュースによると、ベルギー、ブリュッセルの空港でテロがあり、多数の死者が出たもよう。ポルトガルでは大きな山火事。 帰りに寄る予定のヘルシンキのテンペリアウキオ教会のテロは未然に防がれたとのこと。 この時期、例年の気温は10℃から20℃なのに、今年は25℃を超えることもあるが、今はヨーロッパ全土がこのような状況で、これは今週いっぱい続くそうだ。東京は22℃とのこと。 6:30から朝食。パンが温かくておいしい。 7:30にスーツケースをドアの外に出してから外へ散策に。目の前が公園。 大聖堂も近い。 8:00、バスで出発。お天気は曇っていたが、だんだん青空が広がってきた。 とはいえ、今日はエストニアまで半日かけて310km移動の日。青空を引っ張っていこう! 9:40、国境の、往路でも立ち寄った、元パスポートコントロールだったお店の ところで休憩。亜麻でできた猫の柄のエコバッグを買う(11ユーロ)。16℃、 風が冷たい。10:10、出発。エストニアに入る。車中で、エストニアの民族独立の意識を高めていった合唱の祭典のCDを聴く。 12時過ぎ、タリンの街に入る。カラフルなビルがある一方で、ソ連時代からの無粋な建物も目に着く。 12:35、バスを降りて、砲塔のある門から旧市街に入り、スリーシスターズホテルへ。天皇陛下が泊まられたことがあるという、小さいが有名なホテル。 今日の昼食はこのホテルのレストラン”BORDOO”で。 日本語のメニューによると、プロシュートの野菜包み、仔牛肉のグリル、 スポンジケーキ。今までの中で一番美味しかった! トイレへの入口のステンドグラス風の壁がとてもきれい! 14:15、観光に出発。ガイドは、ご主人が日本人の矢野マリアさん。 流暢な日本語の説明を聞きながらタリン歴史地区を回る。 ”ふとっちょマルガレータ”という愛称の砲塔、聖カタリーナの小径、 「セーターの壁」と呼ばれる城壁、旧市街の入り口のヴィル門から延びる メインストリートのヴィル通り、市が開かれてにぎわっているラエコヤ広場、 市議会の薬局、旧市庁舎と回ったところで、15時から1時間のフリータイム。 広場のまわりでウィンドウショッピングを楽しむ。 16時から、再び、ガイドさんと一緒に観光。 「死のダンス」の絵のある聖ニコラス教会、大聖堂(トームキリク)、トームぺアの展望台からの市街の眺め、ロシア正教のアレクサンドルネフスキー教会、 その向かい側のピンク色の国会議事堂、”のっぽのヘルマン”という愛称の トームペア城などを見て回る。とてもかわいい素敵な街。 ガイドさんの話で、「日本にいる有名なエストニア人は、N響の指揮者の パーヴォ・ヤルヴィ、相撲のバルト関。エストニアは国が弱小なので、 IT産業に活路を見出した。Skypeはエストニアが発祥の地」とのこと。 観光が終わると、そのまま歩いて今日のホテル”パーク・イン・バイ・ラディソン・メリントン・タリン”に向かう。風が強くて寒い。17時に到着。30分ほどして 雨が降り出した。 部屋は315号室。床はフローリングで、小さいベッドのかわいい感じの部屋。 あまり高級感は無いが、通りに面した大きな窓があり、十分に広い。 18時過ぎに1階のフードショップへ。クロワッサンの生ハムサンド、甘いパン、 カフェラテで約10ユーロ。通りに面したところに席を取り、頂く。おいしかった。 間抜けなことだが、今回のツアーに夕食がついていない日があることはわかっていたが、後半の3日間連続でついていないことに気づいていなかった。 でも、たいてい、昼、夜と御馳走攻めなので、こうして、夕食を軽く済ませられるのも胃への負担が少なくて、助かる。 明朝にはバルト三国を出て、ヘルシンキに向かう。シャワーを浴びて、帰国の準備を整え、22時就寝。 。 |
7日目 6月22日(木) タリン → 【フィンランド】 ヘルシンキ |
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6:30起床。空は曇っているが、青空も見えている。7:30から朝食。 欧米人の観光客がいっぱい。 食後、外の公園へ。緑が美しい。 9:00出発。タリン港まで10分ほど。9:30に船に乗り込み、スーツケースを 1階上の8階の荷物室に預けて、カフェテリアの窓際に席を取る。 今日は週末ではないので、フィンランドからの買い出しの客が乗船していないせいか、行きより空いている。10:30出航予定が、やはり10分前の10:20に 動き出した。乗船時間は2時間。日本人女性のスタッフがいる! 船内のショップでサンドイッチとスターバックスのカプチーノを買って食べる (8ユーロ)。サンデッキに出てみるとそこは船の最後尾。しばらく風に当たっていたら寒くなったので、船中に入る。免税ショップでバッグ売り場を見ているうちに12時になり、スーツケースを受け取って下船口へ。 12:30を過ぎてやっと船を降りると、ここはフィンランド。雨が降っているが、 バスに乗り込むころには小止みに。 再びヘルシンキの観光。日本人男性の現地ガイド谷口さんの話を聞きながら行く。 フィンランド湾のあるバルト海は北緯60度で赤道から離れているので、潮の 満ち引きは無いとのこと。もとは淡水湖だったそうで、海水の平均の塩分濃度が3.5%、涙でも0.9%のところ、フィンランド湾の塩分濃度は0.5%とのこと。 フィンランドとエストニア民族はウラルアルタイ語族で日本と同じ。文字の読みはローマ字読みでよい。母音が重なると伸ばす。”J” は濁らないでヤ・ユ・ヨと発音。YがJの発音。 フィンランドは、今年、独立百周年。今は夏至祭でにぎわっているとのこと。 バスを降りて、テンペリアウキオ教会に向かって歩き始めると、雨は止み、 陽が照ってきた! ここも2005年8月に訪れた懐かしい岩の教会。銅の大きな丸天井の下に ショパンの幻想即興曲の調べが流れている。 大聖堂の前を通ってウスペンスキー寺院へ。イコンをはじめ、内部の装飾が 素晴らしい。 外に出ると、高台にあるので、見晴らしがよい。ヘルシンキ大聖堂や港が見える。 14:00、日本人経営のムーミングッズのお土産屋さんへ。 残ったわずかなユーロでクッキーなどを買って、足りない分はカードでと思っていたら、税金分を差し引いてくれたので、ユーロがぴったり無くなった! 14:30バスへ。15:00、ヘルシンキ空港に到着。途中、雨が激しく降っていたが、濡れずに空港内へ。JALのカウンターでチェックイン、席は8HとK。 16:00、ラウンジへ行くとほとんど満席だったが、2人用のテーブルの空いているのをやっとのことで見つけ、カレー、ポテト、スイカ、チョコレートムースなどを少しずつ頂く。 16:40、37Bゲートに集合。シャトルバスで移動し、17時過ぎに機内へ。 8Hは右の窓際より2列目。オレンジジュースを頂く。18時前に離陸。 雲がモクモクしている。旅行社のアンケートを書いてからオーディオで フィギュアスケートの曲のメドレーを聴く。 19時からの夕食はまた和食をチョイス。せっかくのきれいなお料理だが、 3時間ほど前に食べたところなので、あまり食欲が無い。 音楽も好みのものが見つからず、映画「スティーブ・ジョブズ」を見る。 |
8日目 6月23日(金) 成田空港 |
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映画を見終わると9:40。時計を6時間進めると3:40。ひと寝入りすることに。 7時過ぎに目が覚めるが、やはり食欲は無く、朝食は断って緑茶のみ注文。 ロシア上空から間もなく日本海上へ。 8:50、成田空港に無事到着。 10:02発の京成スカイライナーに乗る。 バルト三国は、以前から行きたいところのリストには入っていたが、なかなか 日程が合わず、今回、やっと実現した。 長い間、隣国からの占領を繰り返され、辛い思いに耐えながら武力で戦うことをせず、三つの国が心で繋がって独立を手にした歴史を知ることができ、美しい風景と共に、忘れられない思い出となった。 |