北インド旅行記


2013年12月17日~24日



12/17 関西空港 ➡ デリー 
 
今年は春から忙しく、海外旅行どころではなかったが、12月になれば一段落することが分かり、年内に行けるところは無いかと探して、クリスタルハートの関西空港発インド行きの8日間のツアーを見つけた。エアー・インディアのビジネスクラスだが、思ったほど高くない。乾季で、シーズンも良い。実は、私の祖父が商社マンだった関係で、私の母はインド生まれ。一度は行かなくてはと思っていた。

師走はやはり忙しく、3日前にやっと荷造りし、2日前の朝にスーツケースを送り出したが、次々と用事が舞い込んでくる。そして、出発前夜は渋谷でクリスマスコンサート。午前2時就寝。5時に起きて早めに家を出たつもりが、時計と携帯を忘れて取りに戻り、駅まで走って、セーフ!新大阪までの新幹線の車中は爆睡。乗り換えの時に小さなサンドイッチと温かい紅茶を買って、関空特急「はるか」の車中で朝食を取り、10時過ぎに関空に到着。

4階の出発ロビーで同行のいとこと会い、送っておいたスーツケースを受け取って、クリスタルハートのカウンターで添乗員の平賀さんから eチケットの控えを受け取り、Cカウンターでチェックイン。出国手続きを済ませ、シャトルで3番ゲートへ。ビジネスクラスのラウンジでカプチーノと小さなサンドウィッチとパウンドケーキを頂きながら、しばらくぶりのおしゃべり。12:50、3番ゲートの前に集合し、添乗員さんの説明を受ける。ツアーのメンバーは11人。ご夫婦が4組と男性1人と私達。


13:15、エア・インディアAI-315便に搭乗。座席は3DとF。2+2+2列の中央の2席。とてもゆったりしていて、元はファーストクラスだったのでは?と思われる雰囲気。クルーは、男性2人とサリー姿の女性の3人。すぐにおしぼりとジュースのサービス。やがて、、長い間滑走路を移動し、14時前になってやっと離陸。先ずは経由地の香港まで約4時間。時計をインド時間に合わせて、3時間半遅らせる。ナッツとジュースのサービスの後、現地時間の11:15から昼食。ウナギと鶏肉とベジタリアン用の3つのメニューの中からの選択なので、ウナギをチョイス。金属製のナイフとフォークが冷え切っている。



シートが斜めから平らになるのが快適。平らにして少し眠ったが、14時半過ぎに香港に着陸。外は雨。約4時間、機内で待機。荷物にはシールが貼られ、掃除機を担いだ人、ゴミを集める人などが次々と入ってきて作業を始める。搭乗券の確認もあり、インドの入国書類も記入。クルーも交替して、男性1人と女性2人となる。16時、移動開始。もう外は暗い。香港からデリーまでの飛行時間は約6時間。


17時、夕食。チキンとヌードルの二択でチキンをチョイス。メインのチキンは美味しかったが、甘いオートミールのような変わったデザート。ミルクティーを頂いたあと、再びシートを平らにして気持ちよく眠る。もうすぐ着陸なのでシートを元に戻すようにとのアナウンスで目が覚めると22時。ヨーロッパ行きに比べるとやはり到着が早い。せっかくのシートでもう少し眠っていたかった。


22:15、デリーのインデラ・ガンジー国際空港に着陸。長い動く歩道で入国審査場へ。手続きを終え、スーツケースを受け取って23時、バスへ。外気に触れたとたんに、空気が濁っていると感じる。

ホテルまで約1時間。添乗員さんからの注意を聞きながら行く。インドでは時間通りには行かないことを覚悟するように。デリー、アグラ、ジャイプールでは、バスのカーテンは外して、車内のライトは点灯するように警察から言われている。1年前に乗客が暴行に会う事件があったため。もやっとした天気はこの乾季の特徴。

ガイドは、サクセナさん。「作戦」と覚えて下さいと。水は、ホテルでも、常にミネラルウォーターを。毎日500mlのボトルを1本ずつ配布。生野菜、カットフルーツ、ヨーグルト、アイスクリームも気を付けて。チップは、トイレ10ルピー、枕チップ20ルピー。両替用に5000円のパック(2750ルピー)を用意している。気温は10~24℃。現在は15℃。ベナレスでは、早朝にガンジス川に行くので、気を付けて。ガンジス川の水は腐らず、天国へ行ける道と信じられている。他の街と全く違っていて、インド人でもカルチャーショックを受ける。挨拶は何でも「ナマステ」。おやすみなさいは、「シュブ・ラトゥリ」。

反対車線がトラックで渋滞している。高速道路や地下鉄の建設工事中とのこと。車はスズキや韓国製のものが多い。街中に信号は無く、交差点は中心に噴水のあるロータリー。ホテルの近くまで来ると濃い霧がでていて周囲がほとんど見えない。

0:10、ホテル クラウン・プラザ・ロヒニに到着。入口でセキュリティチェックあり。大きなクリスマスツリーのある立派なロビー。部屋に入れたのはもう 0:30。802号室。立派な広い部屋。お風呂はバスタブとシャワールームの両方があり、きれいだが、疲れ過ぎている上に明朝が5時半起きなので、シャワーは浴びずに寝ることに。それでも、明日の準備をしていたら就寝は1:30になってしまったので睡眠時間は4時間。




12/18 デリー➡ベナレス➡サールナート➡ベナレス 
 
午前5:30起床。言われた通り、歯磨きの時もミネラルウォーターを使い、スーツケースをドアの外に出し、6:30、朝食へ。ビュッフェスタイルで、パンやインド風の料理の他に、おかゆや飲茶風のものも。生野菜は避けて、食べられそうなものを少しずつ。カレースープが初めてのインドの味。
食後、外へ出てみると、濃霧でほとんど何も見えない。7:30、ロビーに集合。挨拶は、朝も昼も夜も”ナマステ”。


7:30、バスで出発。道路も濃霧で、遅れが心配。今日は、サールナート観光のため、デリー空港からベナレス行きの飛行機に乗るが、飛行機も心配。黄色と緑で上下に塗り分けられた三輪タクシー(オートリクシャー)を見かける。料金は交渉制とのこと。
日本に一週間行ったことがあるというガイドのサクセナさんの話を聞きながら行く:USI(United States of India)には29の州があり、人口は12億。宗教については大変厳しい。ベナレス、アグラ、ジャイプールでは牛がたくさん見られる。北インドは海から遠いので、食べるのはチキンとマトン、。特に窯焼きのタンドリーチキン。南インドではご飯と魚。インドは会社も銀行も始業は10時からだが霧などのため、11時頃の出社もOK。お客さんの方が先に来ることもある。仕事量は、日本人の1人分がインド人の5人分。物価は日本の1/10。ガソリンの値段は日本と変わらない。交通ルールはあるが、守る人は少ない。ヘルメットは義務付けられてはいるが、女性はおしゃれのため、かぶらなくても良い。インドで一番信頼されている国は日本。日本の会社の為のエリアもできた。インド人はストレスが無いので、自殺が少ない。


8:30過ぎ、デリー空港に到着。広々とした空港。クリスマスの飾り付けがカラフル。大きな象の親子の像がインドらしい。チェックインに少し時間がかかり、その後、入念なセキュリティチェック。機内持ち込み荷物の一つずつにタグが付けられ、スタンプも押される。ゲートに向かい、31Aの前で座っていたら、30Aに変更になったとのことで移動。ベナレス行きのAI-406便。9:50搭乗開始のはずが遅れ、席に着いたのは10:30。3+3列の中型機。席は最後尾の通路側で27Cと28C。11時過ぎに美味しいクッキーとティーのサービス。
12時前にベナレスに到着。最後尾だったので、後ろのドアが開いてラッキー!タラップを降り、徒歩で建物内へ入り、スーツケースを受け取る。



12:20バスで出発。道路脇にレンガの大きな植木鉢のようなのが並んでいるのは「牛除け」で、木が小さいうちに牛に食べられてしまわないようにしているものとのこと。高速道路は一見したところ普通の道路と変わらないようだが、道路脇の並木の幹に赤い夜光塗料が塗られている。若い女性は、サリーで身体を見せず、夫以外の人とは話もしない。


12:50、ベナレスの街に入る。ベナレスは、ヒンズー教の神であるシバ神とサリーなど使われるシルクの街。泥棒でも有名。建設中の建物、鉄筋が入っているようだが、使われている木材がなんとも頼りない。何やら、リヤカーにぎっしり詰めた物を運んでいる。牛の排泄物を丸く固めて乾かしたもので、燃料として売りに行くとのこと。


ガンジス川の支流の川を渡ると、今日の宿泊ホテル ラディソンにチェックインし、まず昼食。ここもビュッフェだったが、味はそれほど辛くは感じない。ナンが出た!14:30まで部屋でひと休み。310号室。木の床で落ち着いた雰囲気の部屋。2時過ぎに下へ降りて、ホテルの前でドアボーイのおじさんと、門のところでガードマンさんと写真撮影。


14:30、サールナートへ向けてバスで出発。車窓から人々の日常生活が見える。生きた鶏を何羽も籠の中に詰め込んで店先で売っているのにはビックリ。


サールナートは、お釈迦様が初めて説法をされたところ。世界中から仏教徒が訪れる。セキュリティが厳しく、写真撮影もできないので、荷物は全てバスの中に置いておくように言われる。バスを降りて考古学博物館へ。砂岩に掘られた仏像は、とても上品で美しい。インドの国章にもなっている4頭のライオンの像、シバ神の像などを見て、バスに戻ろうとすると、土産物売りが一生懸命にあとを追ってくる。15:30、バスへ。(展示品の写真はネットより)



続いて、ムールガンダ・クティー寺院へ。参道に満開のジャカランダの花!


日本人の野生司 香雪(のうす こうせつ)がインド政府の依頼により5年間かけて描いた壁画「釈尊一代記」を見る。降誕、悟りを開いた時、涅槃の図など。


こちらの仏像も美しい。境内には回すと徳を積むという魔尼車(マニシャ)が並ぶ。


ダメーク・ストゥーバは、高さが43mもある巨大な仏塔。修理をする人が命綱も付けずに上っている。


日本女性の幸子さんの夫が経営するお店に案内される。菩提樹の木で彫った象の木彫りを買う(2000円)。16:15、バスに戻り、30分ほどでベナレスのホテルに帰着。



19:00の夕食までフリーだが、希望者は、そのままバスでインド更紗の工場へ。
一日に2cmぐらいしか織れないとのこと。シルクのスカーフが魅力的だったが、タージ・マハルの織り込まれた小さな敷物を買う。日本円で良いと言われたので、500円硬貨を出したら、しばらく眺めていたが、OKしてもらえた。本当は、硬貨は受け取らないのだろう。生姜入りのチャイをごちそうになる。




17:30、ラディソン・ホテルへ。早めに到着したので、部屋でいとこと旅行の話や好きな食べ物の話などをして過ごし、19時前にホテルのレストランへ。今日はビュッフェ。
ぬる目のシャワーを浴びて、21時過ぎに就寝。



12/19 ベナレス(ガンジス河) ➡ カジュラホ
 


午前4:30起床、5:30ロビーに集合。ホットミルクティーのサービス。防寒に身をかため、ヒンズー教最大の聖地、ガンジス河に向けて未明の町を行く。バスで15分程行ってから10分ほど歩いて河岸まで行くとのこと。時間が早いのに人が結構いる。牛もいる。暗いが所々に街頭や店の明かりもついている。店の前などに何かにくるまって寝ている人もいる。


急な階段を降りて船着き場へ。2人の男性の漕ぐ手漕ぎボートでガンジス河に漕ぎ出す。お花で飾ったロウソクを女の子が売りに来たので、10ルピーで買って、川に流す。鐘の音と読経の声が鳴り渡る異様な雰囲気の中、ガンジス河の水で沐浴すれば全ての罪を浄められるというヒンズー教の教えを信じて来た人達が、次々と川への階段を降りて男女に分かれて水を浴びたり、飲んだりしている。遠方から団体で来た人達の中には赤ん坊もいて、水に浸けられて泣きわめいている様子。すぐ隣に火葬場もあり、身分の高い人達の方が上流とのこと。薪で焼く煙が上がっている。灰は何と、そのまま川に流す。やがて、ぼんやりとした日の出。空気が濁っているせいか。7:00、下船。
昨晩、デジカメの充電を怠った上、連続のフラッシュ撮影で、途中で充電切れになってしまい、やむなく携帯のカメラにバトンタッチしたが、かえって、揺れる船上での撮影でもブレず、ピントがきれいに合っている。



明るくなり、汚さが目に見えるようになった道をバスへ戻る。野菜を売る店、炊き出し、物売り、物乞い、ゴミ、犬、牛、車、人、みんな道路上でごちゃ混ぜになっている。こんな世界もあるのかと・・・。初日にガイドさんが、「インド人でもカルチャーショックを受ける」と言ったのもうなづける。

7:15、バスでベナレスの観光に出発。先ず、カシヴィシュワナート寺院へ。大学の中にある。シヴァ神を祀るヒンズー教の寺院。お金持ちが新しく寄付したものとのこと。内部の写真撮影は禁止。靴を脱いで入る。白い塔とピンクの壁が美しい。



8時、バスでバーラト・マーター寺院へ。30分程で到着。野菜市場の近く。地図が神様という寺院。こちらも靴を脱いで入る。本堂には、大理石を彫って作った精密で立体的なインド全図。(地図の写真はネットより)


バスでホテルへ帰る途中、車窓から見える現地の人々の履物はほとんどがビーチサンダルのようなもの。野良犬ならぬ野良牛をたくさん見かけるが、可愛い顔をしている。大切にされているせいか汚い感じはしない。しかし、このゴミだらけの雑然とした町は!車のクラクションも響き、町の中にいるだけで疲れを感じる。





ホテルに帰って遅い朝食を食べ、
10:15、ロビーに集合。
カジュラホに行くため、空港に向かう。




11:00、ベナレス空港に到着。厳しいセキュリティチェックを経て、ジェットコネクト3423便に搭乗したのは、予定より25分遅れの12:15。席は3+3列の窓側で、35AとB。飲食物のサービスは有料。12:30離陸。眼下には霞んだ街。30分ほど飛ぶと、緑の木々や畑のたくさん見えるきれいな景色となる。
13:00カジュラホ空港に着陸。これまでより南に来たので、霧が無く、気温も少し高い。新婚旅行で来る人が多いとのこと。


13:30、レストランに到着。名物料理のタンドリーチキンとのことで、楽しみにしていたが、お皿に載せてくれる量は少ないし、それほどのものでも・・・。他には、スープと、カレー色の味の薄いものとナン。食べ終わるか終わらないかのタイミングで、"finished ?"とお皿を下げに来て、落ち着かない。デザートのアイスクリームとマサラ・チャイ(生姜入りの紅茶)は美味しかった。コーラは100ルピ。


14:30、バスへ。道路脇のドアも無い床屋さん。


5分ほどでカジュラホの寺院群に到着。世界遺産。
先ずは西のヒンズー教の寺院群へ。85あったがイスラム時代に取り壊わされ、現在残っているのは25の寺院とのこと。エロティックで詳細な彫刻が素晴らしい。







16:30、バスへ。5分ほどで東のお寺へ。こちらはジャイナ教のお寺。元は西群と同じヒンズー教のお寺だったとのこと。


17:10、バスへ。手作り品のお店に寄る。インドでは手作りの物の方が安い。労働力が余っているところへ機械を入れると、余計に人手が余ってしまうとのこと。

17:40、ホテル ラディソン・ジャスに到着。19:00から夕食。早起きして疲れたので、シャワーを浴びて、21時過ぎには就寝。




12/20 カジュラホ➡ジャンシー➡オルチャ➡アグラ 
 
6時起床。朝食後、ホテルの庭に出てみると、緑がきれい。大きなプールもある。戸外でオムレツを焼いているコックさんが、写真を撮ってあげようとか、この花を撮ると良いとか、色々言ってくるので、ホテルの正面の方へ回ると、今度はショッピングセンターのお兄さんからお店に誘われ、面倒になって、部屋に帰ることに。


テレビを見ていると、ムンバイでの綿花の取り入れの様子を放送している。実は、その昔、祖父は商社マンとして、綿花の買い付けをしていたのだ。興味を持って見ていたが、現地の女性リポーターの語尾に、”・・・ハヘ”と何度も入るのがおかしくて、笑ってしまう。

8:45、ロビーに集合。少額の紙幣が少なくなったのでフロントで500ルピ札を100ルピ札5枚に両替してもらう。


9:00、ジャンシーへ向けて出発したバスの車内でカースト制度の解説。
カースト制度には4つの階級がある。「シュードラ」と呼ばれる最下層は、床屋、トイレ掃除などの労働者。三番目の「ヴァイシャ」商人。二番目の「クシャトリヤ」は武士や貴族。一番上の「バラモン」は司祭階級。1947年にガンジーが廃止し、それ以降は、どんな仕事にも就けるようになったが、結婚だけは同じ階級同士で、95%がお見合い。もし、異なった階級で結婚したとしても、それまでの食べ物が異なるのでうまく行かない。女が一番高いのも安いのもインドとか。女は持参金が60万円ぐらい必要とのこと。

高速道路ということで、一応、舗装はしてあるが、車線が引いてあるある訳でも無く、ガタガタ。メモを取るのも一苦労。道が狭くて、追い越しも大変。バスの屋根の上にも人が乗っている。運賃は中でも外でも同じとのこと。草原風景の中を行くが、所々に町がある。


12:45、オルチャ駅の踏切を渡る。一日に一本しかない汽車を待つ人達でごった返している。その人たちを当てに作物を売る人たちも。線路の上を牛が歩いている。汽車の場合は、屋根の上は無料とのこと。


13:00、ジャンシー市内のレストランへ。ビュッフェ式だが、すごい人で、食べ物が残っていない容器もあると思ったら、そのうち追加が来た。コーラは100ルピ。マサラチャイを頂く。


食後、近くの川の方へ行くと、沐浴をしている人も居る。お墓だそうだが、大きなお寺のような建物があり、その前で「さくら」を歌ってくれた門番さんと笛吹さん。


14:30、バスでオルチャ観光へ。オルチャは16~18世紀に繁栄したブンデラ王国があったところ。今も街には活気があり、たくさんの店が並び、銀行やATMもある。牛は至る所に居る。牛が入って来ないように道路には、すのこ状のものが設置されているが、牛も慣れたもので、上手に通っているのがおかしい。


橋を渡った所にあるお城(ジャハンギール・マハル)の写真を撮っていると、横で女の子がおばあさんに何度も水を運んでいる。民族楽器のようなものを持った老人もいる。後日、調べてみたところ、古い弦楽器でタンブーラというらしい。


菩提樹の木のある白壁のお寺 ラムジー・マンデルへ。毎日がお祭りとのことで、広い境内はすごい人で賑わっている。お供えのお花やお菓子を売る店がたくさん並んでいる。耳掃除屋さん、食べ物を無料でふるまう所などもあり珍しい。
隣接しているのは、チャトルブジャ寺院。


15:20、バスへ。ランチを食べたジャンシーのレストランまで戻って休憩を取った後、15:35に再出発。ジャンシー駅に向かう。15:50、先ほど通ったオルチャ駅の踏切をまた渡るが、まだ列車は来ていない様子。汽車を諦めたのか、カラフルな衣装で頭の上に荷物を載せて歩く女性の列。州の境目に遮断機があり、税金を支払うとのこと。
16:20、ホテルで休憩。と言っても、女性用のトイレはひとつ。照明は無く、ペーパーも無い。一応、水洗で、水はゆっくりながら何とか流れた。


16:30、ジャンシー駅に到着。17:59の電車に乗る予定だが、駅の中は混雑しているとのことので、バスの中で待機していると、物乞いが寄って来る。


17:10頃にバスを降りて駅舎内へ。プラットフォームはかなり広いが、線路にネズミがチョロチョロしている。ここにも物乞いがいる。
18:00、列車が入ってきて、やっとC-3号車の車内へ。座席は、3列+2列。1番からではなく、0番席からある。チケットを見ながら、23、24番の席に行くと、何と、これまで何度か出会ったHISの一人ツアーの赤いジャケットのお兄さんとガイドさんが座っている。チケットを確認してもらうと、隣のC-2号車の座席とわかり、移動願う。8分遅れで発車。せっかくの列車の旅なのに、外は真っ暗で何も見えない。
やがて、1リットルのお水のボトルが配られ、16:20におやつのサモサ(カレー味の揚げ餃子)のサービス。19:30にはトマトスープとスティックパンのサービス。


乗車2時間半で、20:30過ぎにアグラ駅に到着。サクセナさんの後に従って近道を通って駐車場へ。別の車両で運ばれたスーツケースも届いて、バスで21時に出発。アグラは停電の多い州だが、1分で復旧するとのこと。ホテルまで30分。街は人と車でごった返し、クラクションが鳴り響いている。食べ物を売る屋台の明かりが明るいが、もう店じまいを始めている店もある。この街ではロータリーの所に信号がある。


21:15,ホテル ジェイピー・パレスに到着。遅い夕食の後、3211号室へ。パレスというだけあって迷子になりそうなほど広いホテルの中を探検してからシャワーを浴びて、12時過ぎに就寝。



12/21 アグラ➡ファーティプル・シークリー➡ジャイプール 

5:30起床。朝食の後、ホテルの前に出てみると、何と濃霧! それほど寒くは無く、朝の空気が清々しい。


7:30集合でバスへ。20分ほどでアグラ城(世界遺産)に到着。霧はまだ晴れない。巨大で力強さを感じる城。かつてペルシャから技術者を呼び、象嵌細工で造らせた立派なものが、旅行者などに剝がされてしまったとのこと。


8:40、バスで大理石の工場へ。見せて頂いたものはどれも綺麗だったが、あまりに高いので、ツアーの誰も買った様子が無い。


9:30、いよいよ、タージマハル(世界遺産)に向かう。皇帝シャー・ジャハーンが妻の為に22年もかけて建てた白大理石の霊廟。持ち物の厳しいチェックを受けた後、紅い門から入り、永く憧れてきた姿を目にすることを期待する。しかし、やはり、濃霧のため、何も見えない・・・。近づいて行くにつれて段々見えてくるが、ドームの上の方は霧の中・・・。建物の中に入り皇帝とお妃のお墓を見る。内部や外壁の大理石の細工は本当に美しい。皇帝は、川の対岸に黒大理石で自分の廟を造る計画だったが、国の財政を心配する息子に幽閉され、余生を対岸からタージ・マハルを眺めて過ごし、死後は、妻の横に葬られたそうだ。外周をひと回りし、少し離れたベンチでリスと一緒に霧の晴れるのを待っていると、少し晴れてきたが、再び見えなくなってしまう。



結局、憧れていたこんな姿を目にすることは出来ず、諦めて、11:30にバスに戻る。今回の旅のメインだったのに、残念!!


昼食は中華料理。インド風の中華料理は、最初に甘すぎるコーンスープ。次に焼きソバと炒飯が出て、それを大皿に入れた上に酢豚風や肉団子風の野菜入りのスープを掛けて混ぜて食べる。ジャスミンティーと言って出されたものは、それとは違う変な味。アイスクリームだけは美味しかった。

12:50、バスへ。黄色と緑色のドアの無い三輪タクシー”リクシャ―”をよく見かける。安くて、7人まで乗れるとのこと。牛も一緒に走る。こちらの高速道路は中央分離帯もあり、舗装もなめらかで揺れが少ないが、そのため、すごいスピードでしかも他の車とすれすれのところを走るので怖い。


14:00、ファーティプル・シークリー(世界遺産)に到着。アクバル帝がこの地の占い師に祈ってもらって子供ができたので、ここに都を移したが、水不足で14年しか続かなかったお城。紅い砂岩で造られている。壁の彫刻が素晴らしい。50℃にもなる夏を涼しく過ごすための工夫がなされている。14:45、ピストンバスで入口に戻ると、丁度到着した現地の若者の団体とすれ違った。上流階級の学校の生徒さんとのこと。


14:50、ジャイプールに向けて出発。15:40、煉瓦工場の横を通る。
16:00過ぎ、休憩時に入った店で、カラフルで小さな象の連なった飾りを150ルピ、タージマハルのマグネットを200ルピで購入。16:40、再び出発。
日も暮れた18:50、ジャイプールのレストランに到着。


今晩はインド料理。ナンとご飯、チキンとマトンのカレー、野菜カレー、グラブ・ジャムーンという甘いデザート、マサラチャイ。疲れていて、ほとんど食欲無し。ラジスタン州伝統の賑やかなインド舞踊を見ながらの食事で、あやつり人形も、頭の上に水汲みの壺を4つも載せたり、剣山のようなものの上に乗って踊ったりして見せてくれるが、もうひとつ盛り上がらず、他の人たちも疲れているようで、拍手が少なくて気の毒。


20:00、レストランを出てホテルに向かう途中、”風の宮殿”のライトアップが見られた。ピンク色が綺麗!


20:30、ホテル マンシング・タワーに到着。1114号室。立派なホテルに見えたが、シャワーが旧式でひどかった。今日は、バスでの長距離移動で疲れた。明日は、移動距離がもっと長いとのこと。今日は一日中濃霧だったが、明日はどうか?
どちらにしても朝は霧で速度制限のため、渋滞するだろうとのこと。
22:30、就寝。



12/22 ジャイプール ➡ デリー 
 
5:15起床。朝食後、ホテル マンシング・タワーの前庭に出て写真を撮る。まだ薄暗いが、霧は出ていない。昨日と逆だと良かった・・・。


7:30、バスでジャイプール観光に出発。ジャイプールは、城壁に囲まれた街で、その中央部の建物が全てピンク色に塗られていることから、「ピンクシティー」と呼ばれる。当時の英国の王子がジャイプールを訪れることになり、歓迎の意味で、王子の好きなピンク色で建物を塗って喜ばれたとのこと。
日曜日の朝なので、車が少ない。お店は10時開店。物売りが一番しつこい街とのこと。猫は飼われていない。ネズミが神の乗り物とされているため。鳩や牛には、皆が餌を買って与えている。


20分ほどで、昨晩ライトアップを見た風の宮殿(ハワー・マハル)へ。ピンク色の砂岩で造られていて印象的。953もの小窓があり、風通しが良く、宮殿の女性たちがそっと街の様子を眺めることが出来る。バスを降り、車道を渡って写真を撮る。


続いて、アンベール城(世界遺産)へ向かう。小高い丘の中腹に建てられているため、バスで山道を上る。猿がいる。ジャイプールに遷都するまでは個々が藩王国の首都だったそうで、万里の長城を真似て造ったとのこと。8:05、バスを降りて6人乗りの汚いジープに乗り換え、すごいガタガタ道を更に上って宮殿へ。


アンベール城は、建物の外見は頑強そうだが、内部は、壁の象嵌細工が何とも美しく、見飽きない。鏡を使ったものも美しい。






像のタクシーは名物だが、見学後は、またジープに揺られて山を降りる。

9:10、バスで、夏の宮殿に向かう。5分ほどで到着。湖の中にある水の宮殿。湖には黒い魚がいっぱいいる。写真撮影のみだったが、霧がかかっていて残念。


インドの自動車メーカーのトップ「タタ・モータース」の4ドア車「ナノ」。
2008年の発売当初の価格が10万ルピー(28万円)で、世界を驚かせたとか。
因みに、日本車の一番人気はスズキ。


天文台に向かう途中、道路脇で牛乳やスパイスなどを売っているのを見かける。牛乳は、なんと、少なくなってくると、水を入れて量を増やしていると・・・!


10分ほどで天文台に到着。世界遺産。広い敷地内に十数個の日時計や星座の台がある。


10:05、現在もマハラジャの住むシティ・パレスへ。中は博物館になっているが、写真撮影不可。謁見の間には世界一大きい銀の水壺。マハラジャがイギリスへガンジス川の水を運ぶために作らせたもの。旗の立っている黄色い建物がマハラジャの住居。インドはたくさんの国に分かれていたが、イギリスのお陰でひとつの国に統一された。




10:45、バスで出発。
蛇使い発見! こぼれ落ちそうな野菜を台車で運んでいる人・・・。


宝石店では、作業過程を見学した後、可愛いチェーンを見つけたが、アメジストの3連で、9万円と言われ、チャイだけ頂いて、失礼する。


続いて、木綿更紗の店へ。模様の型が色々あり、手作業でスタンプのように押して行っていることに驚く。ベッドカバーにもなるような大判の赤系のペイズリー柄の布が実家にあったものと似ていて気に入り、二人とも買うからと交渉して、1,500ルピー。すると今度は、スカーフを勧められ、象の柄のを1枚、こちらは日本円で1000円。



12:05、バスで、昼食のレストランへ。


5分でターリ―料理の”ピンク・シティー”に到着。もとは宮殿だった建物とのこと。
ターリ―料理は、大皿にチキンカレー、豆カレー、野菜カレー、ご飯、ナン、デザートなどが盛られている。他に、マンゴーラッシー(200ルピー)、チャイ、バナナ。
外人向けに作られているので、辛くない。


13:15、バスで、デリーに向けて出発。1時間ほど眠って目を目が覚めると、たくさんの車の中を、かなりのスピードで走っている。日本の工場の為の敷地が用意されている所を通る。TOYOTA、NISSAN などの文字が見える。5万人ぐらいが入居するアパートも建設中。「京都」という日本料理店の看板あり。日本人は、買い物の時にお金の持ち合わせが無くても、帰国してからの送金でOKというぐらい、信用されている。16:30過ぎ、州が変わるので税金の支払い。



トラックは21時までデリー市内入れないため、手前で時間待ちをしており、そのため、デリーに近づくと車が少なくなる。18:00、立派なガソリンスタンドでトイレ休憩。でも、照明がつかない。
18:30、高速を降りる。車でごった返すデリー市街に入ると、サリーなど、街の人々の服装の綺麗さ、ゴミの少なさに気付く。ネオンも輝く。さすがは首都!


19:30、ホテル クラウンプラザ・ロヒニに到着。1日目と同じホテルで、階は同じ8階の806号室。すぐに夕食。デザートが充実。クリスマスの飾りつけも色々。
お土産の紅茶とカレーパウダーを注文。
今日は、ドライバーさんの技術のお陰もあり、予想外に早くデリーに到着できたとのことだが、もうバスはうんざり。




12/23 デリー ➡ 
 
6:30起床。7:30から朝食で、8:00集合は忙しい。ロビーに駆け付けたら、2番目だった。8:05、バスで出発。


先ずは、レッド・フォート(ラール・キラー)へ。世界遺産。ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが建てた巨大な城。タージ・マハルを建てたのと同じ皇帝。赤砂岩で造られているため、「赤い砦」と呼ばれる。アグラ城に似た感じ。写真撮影のみ。



バスで出発。


9:35、ラージパト通りのインド門へ。門柱には、9万人に及ぶ第一次世界大戦の戦没者名が刻まれている。ぐるっと回って、正面と裏面から撮影。


9:50、フマユーン廟へ。世界遺産。こちらは、ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの廟。タージ・マハルの建築に影響を与えたとのことで、形は似ているが、細工の細かさなど比ぶべくもない。こちらは、王様の為にお妃様が建てたお墓。庭の芝生の緑と、赤い砂岩の土が綺麗。




10:30、バスへ。車内で、注文しておいた紅茶とカレー粉の受け渡し。赤いお茶の袋がインドらしくてきれい。

10:45、公立病院の前を通る。人や車でごった返している。収入の少ない人は、医療費は無料とのこと。


11:10、クトゥブミナールに到着。世界遺産。彫刻のある綺麗なミナレット。高さは72.5m。ヒンズーとイスラム両方の様式が混ざっているとのこと。


11:40、バスで、昼食のレストランに向かう。12:00、「たむら」に到着。30分ぐらい待ってやっと松花堂弁当が出てくる。焼きそばとウィンナーは微妙だったが、熱々のエビフライ、ほうれん草の胡麻和え、煮物、卵焼き、ふっくらしたご飯、味噌汁など、どれも美味しかった。駐在員の方々もよく利用されるお店とのこと。ガイドのサクセナさんも、お箸を上手に使って食べている。


13:00、店を出て、一旦、ホテルへ。40分ほどで着くとのことだったが、渋滞で、実際の到着は14:30過ぎ。1時間ほどの自由時間となり、スーツケースの荷造りを済ませてから、ホテルの隣のショッピングモールへ行ってみたが、特に面白いものもなく、ホテルに戻って、出国書類を書く。


16:15、ロビー集合でホテルを出発して、一般家庭を訪問。17:30にマンションの5階の部屋に到着すると、中年の女性が迎えてくれて、チャイの作り方を教えてくれたり、寝室を見せてくれたりする。日本に行ったことがあり、ご主人と二組の息子夫婦の6人家族で、通いのメイドさんも来てくれるとのこと。チャイとサモサとクッキーをご馳走になりながら、インドの日常生活について質問をする。



18:20、バスへ。20分ほどで中華料理店に到着。鶏の水だきに始まって、先日よりは中華料理らしい料理の数々。でも、先ほどサモサを頂いたところなので、少しずつ。


19:30、バスへ。いよいよ空港に向けて出発。30分程で到着すると、降りる時にドライバーさんに残っていたルピをチップとして渡す。

エア・インディアのカウンターでチェックイン。出国審査とセキュリティチェックにずいぶん時間がかかったが、それでも搭乗時刻までにはかなり時間があるので、免税店を覗いて見たが、特に買いたいものも無く、エア・インディアのビジネスラウンジでお茶を飲んでゆっくり。



21番ゲートへ移動して、疲れでうつらうつらしていると23時に搭乗が始まり、3A,B席に落ち着くと、とにかく眠くて、離陸したことにも気付かなかった。


12/24 ➡ 関西空港 
 
0:50、機内食のサービス。チキンは食べたくなかったので、ベジタリアンをチョイスしたら、なんと、カレーライス!食欲なく、ヨーグルトだけ頂く。食後、横になると、薄い掛け布団を掛けてくれる。時計を3時間早めて日本時間に(1:15➡4:15)。おやすみなさい。


耳が痛くて目が覚めると、日本時間の8時。香港に到着。機内のお掃除の後、
9:30頃、離陸。少し遅れているような気がする。関空で予約の特急はるかに間に合うだろうか?


もう一度寝ようと横になった途端に、
”breakfast!”と言われて起きることに。昨晩の夕食でベジタリアンをチョイスしたせいで、朝食もベジタリアンのジャガイモカレーと野菜カレーとナン。でも、今度は、熱々のナンと柔らかいクロワッサンとスイカが美味しかった。久しぶりの果物!


食後、10:30から再び就寝したが、12時の「間もなく着陸」のアナウンスで目覚める。やはり、予定より少し遅れての到着だったが、エア・インディアとしてはかなり正確。

関西空港に降り立ってからはさすがに日本!入国審査もさっさと済み、スーツケースも、もう出て来ている。皆さんに挨拶をし、スーツケースの宅配を依頼してからもまだ時間があるので、空港の隣のホテルのスペースで時間を潰し、いとこに見送られて、はるかに乗車。日本は思ったほど寒くない。新大阪で乗り換えて、17:30過ぎ、無事帰宅。タバコの吸い殻ひとつ落ちていない東京の街を改めて素晴らしいと思う。


エピローグ 
 
インドは、ゴミが街に溢れていて、想像していた以上に汚かった。聞いてはいたものの、下水や火葬の水も流れ込むガンジス川の水を聖水と信じて飲んだり沐浴したりしている人達の姿にも驚いた。水で薄めた牛乳を売り、時間に遅れるのも平気という、何でもありの社会。交通ルールもあっても守られず、車同士がかなりのスピードですれすれにすれ違い、ヒヤヒヤの連続だったが、交通事故の現場に行き当たらなかったのは不思議。物売りはしつこく、交通事故で片足を失ったと思われる松葉杖の人も、絵葉書を持って追いかけて来る逞しさ。貧富の差も激しい。

食事はほとんどビュッフェだったので、助かったが、それでもカレーばかりのインド料理にも辟易。ジャガイモカレー、豆カレー、野菜カレー、マトンのカレー、鶏肉のカレーと色々あるというが、甘みが感じられないせいか、あまり辛くないものも、美味しいとは思えなかった。

どうしてインドの街はあんなに汚いのかと考えてみた。
・戦争で焼け野原になることもなく、何百年も前のものがそのまま残っている。
・乾季で雨が降らないと、木々に埃や泥が付きっぱなし。
・ゴミは、道路に捨て放題。牛や犬もいる。
・街には古くて汚くなった看板や広告が放置され、溢れている。
・建物が古くなっても建て直せない。
・車もリキシャも、壊れても何とか走ればよいという考えで使っている。

それにしても、一番期待していたタージ・マハルが霧の中だったのは返す返すも残念!雨でも良かったのだけれど・・・。
是非、リベンジしたい! 南インドはまた全然違うらしい。でも、また行けるかなぁ・・・?