ヨルダン旅行記





1日目 9月29日(土)
   成田空港 → 

 6月末に南部アフリカに行ったばかりだが、丁度日程の都合がよかったので、思い切ってペトラ遺跡を見に行くことに。以前にカレンダーでその写真を見たときは、恐らく、ここに行くようなことはないだろうと思っていたが・・・。

 出発当日は17時に家を出て、予約しておいた日暮里 17:45発の京成スカイライナーで成田空港第二ビルへ18:21着。クラブツーリズムのカウンターで添乗員の谷さんと顔合わせ。「エミレーツ航空のカウンターが受付前から既に長蛇の列なので、チェックイン後は再集合しないで、各自、出国、搭乗してください」とのこと。
丁度受付開始の18:50に列の最後尾に並ぶ。30分ほどした頃、添乗員さんが私を探しに来て、「eチケットを渡し忘れていた」と!私もよく確かめもせずに、受け取ったものと思い込んでいた・・・。旅のスタートから、やれやれ。50分並んでやっとチェックイン。

 スーツケースの重量は心配していなかったが、14kg。手荷物も計量して4kgというタグを付けられた。席は58B。19:50出国。セキュリティチェックも出国審査も、夜に出発する人は少ないせいか、ほとんど並ぶことなく通過。搭乗口の66番ゲートに向かって、動く歩道に乗りつつ行く。なかなか行きつけないと思ったら、一番端だった。

 まだ搭乗開始の1時間前なので、人はまばら。床に玄関マットのようなのを敷いている人がいると思ったら、突然、ひざまずいて、頭を床につけ、礼拝をし始めたのでビックリ。ユダヤ教徒だった。さすがはドバイ行き!
周りの人たちの話を聞いていると、ドバイ経由でヨーロッパに行く人も多いようだ。

 20:30、エミレーツ航空のCAさんたちが入っていった。女性は、帽子から白いスカーフが下がっている独特のユニフォーム。
 
 エミレーツ航空のCA 


  21:10から搭乗開始で、入口から席まであまり歩かなくて良いように、A〜Fのゾーン別に搭乗するシステム。私はEで、21:30に搭乗。ネットでチェックインをした人たちが良い席を取ってしまっていて、ツアー客は三人席の真ん中とのことで、私もB席。窓側は紳士的な白人男性、通路側はちょっと恐い顔をしたアラブのおばあさん。機内は少し涼しく、長袖シャツを羽織る。

 22時を過ぎて動き出したが、20分ぐらいしてからやっと飛び立った。この飛行機でまずは、ドバイまで。
しばらくすると、食事が配られたが、もう23時をまわっているので、ちょっとびっくり。シーフードとビーフの二択で、シーフードをチョイスしたら、ピリ辛のドリアのようなので美味しかったけれど、少しだけにして、ごちそうさま。

 飛行機は、日本を縦断する形で成田から大阪、福岡上空を通って東シナ海に抜けている。気流が悪いとアナウンスしていたが、台風17号に正面から突っ込んで行った形の割には、高度が違うせいか、それほど揺れない。しばらく眠ったら、
また食事のサービス。ジャパニーズとパスタの二択で、ジャパニーズをチョイスしたが、ちっとも食欲が無く、オレンジジュースとフルーツだけ頂くことに。ごめんなさい。時々、赤ちゃんが異常な声で泣き叫んでいる。かわいそう。


2日目 9月30日(日)
ドバイ空港 → アンマン 


 もうすぐドバイに着陸という頃に大きなビニール袋を持って毛布を回収に来た。
寒いのに・・・。現地時間は3:45。日本より5時間遅れ。飛行時間は10時間余り。夜中のドバイ空港の明かりが見えてきた。点々と並ぶオレンジ色の灯火がきれい。モニターにも映し出されている。

4:00、無事ドバイ空港に着陸。外気温は30℃とのこと。隣のアラブのおばあさんが上の収納棚に入れたキャリーバッグをおろせそうもないので、声をかけて手伝ってあげたら、思いがけず、素敵な笑顔が返ってきた。

 機内から出てから建物までの通路の長いこと!モワッとした空気も感じる。
セキュリティチェックを終えて、エスカレーターで上がり、到着したところは空港のBゾーンの真ん中。他に、地下に行くAゾーンと古いCゾーンがあるとのこと。
何と大きな空港!

  


 まだ乗り継ぎ便のゲート番号が出ていないので、出たらゲートに集合ということになり、Bゾーンを端から端まで歩いて見る。
 貴金属の店がメインの場所にドーンとあるところや、ラクダの巨大な置物が土産物屋の店頭にあるところが面白い。


 やがて、ゲートナンバーB5と出たので行ってみると、さっき端だと思った所よりまだ先で分かりにくい場所。ここで、関西空港から来るグループと合流。

 しばらくすると、ネパールとかバングラディシュあたりから出稼ぎでヨルダンに行くらしい女性たちが大勢来た。カラフルなサリーのような木綿の衣装を着ているが、一様に表情が暗い。


  


 そのうち、関空から着いたグループと合流。 6:40、搭乗開始ということでゲートから入ったが、そこからエスカレーターで階下に降り、バスに長々と乗り、やっと機内に入って座席に座れるまでに30分もかかった。席は、22HとJ。窓際の席はアラブ系の男性。7:30過ぎ、離陸。

 8:20、朝食のサービス。オムレツとスクランブルエッグの二択で、オムレツをチョイス。オムレツは少ししか食べられなかったが、温かいクロワッサンとフルーツとオレンジジュースを頂いた。ヨルダンは時差がさらに1時間あるため、時計を1時間戻して、現在9時。アラビア半島を斜めに横切っている。

 
 
 9:45、予定より遅れて、アンマンのクイーン・アリア国際空港に着陸。いよいよ、ヨルダン。周りは砂漠。ビザ発行のためか、入国審査に時間がかかり、空港の外に出てバスに乗ると、もう10:45。天気は薄曇りのよう。ドライバーはアデルさん。1時間ほどでレストランとのこと。しばらく行くとオリーブ畑が見える。

 ガイドのムハマドさんの話を聞きながら高速道路を行く。元はイギリスの統治領だったが、今はアメリカに近い。お酒も飲める自由な国。人口は、600万人。面積は北海道と同じぐらいだが、国土の81%は砂漠。あたりは砂でけぶっているが、砂嵐という訳ではなく、普通の状態。今は乾期だが、時折雨が降ることもある。
ペットボトルの水を口を付けて飲んだら翌日は飲まないように。軍人、警察の人、駐屯地、国境にはカメラを向けないように。アラビア語で日本人は”ヤパニー”、
アラビア語で”Excuse me!”は、なんと、「スマヘン」。

  
 
 12時、レストランに到着。ビュッフェだが、どれもどんな味がするのかわからず、
恐る恐るひと口分ずつお皿に取る。ホブズという薄いパンに包んで食べる。
お水は、大きなネッスルのペットボトルがテーブルに配られる。冷えている。
スープはすごく薄味。チーズらしいのはすごく塩辛い。ゴマの味のもある。
デザートは瓜。

   

 
 
 食後、レストランに隣接した土産物屋を見て回る。トルコやエジプトで見たようなものもあるが、サンドボトルの実演が珍しかった。瓶の内側に糊でPETRAなどの文字を書き、そのあと、じょうごで色砂を入れて行って、細い棒で砂をかき分けて絵にしていく。最後にしっかり固めて、上から糊のようなものを入れると最終的には石のように固まるらしい。砂の色は人工的なものとのこと。現地の会社からサンドボトルのプレゼントを頂く


   

 12:45、バスへ。再び、ガイドさんのお話。ヨルダンでのお土産は、サンドボトル、死海グッズ、モザイク、ナツメヤシの実(デーツ)など。この辺りは昔は海だったため、リン鉱石の採掘場がある。カリウムとして農業用に売れる。石油も天然ガスも輸入している。観光が7割。法外な値段は付けていないから、あまり値切れない。ヨルダンの正式名称は、ヨルダン・ハシュミテ王国。政情は安定している。難局を乗り切ってこられたフセイン国王は亡くなられた。野菜が豊富。ラム肉、鶏肉が美味しいとのこと。
 そういえば、昼食に、ナス、オクラ、キューリ、トマト、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、ハーブなど野菜が色々出ていた。


   
 
 14:30、リトルペトラに到着。入口の手前にベドウィンのテントがある。テントに住み、ヤギなどを放牧して暮らしている人たち。
 岩の隙間を抜けて中に入る。海岸の砂のような細かい白砂だが、とても歩きにくい。
 王様のお墓などが赤みを帯びた岩山に掘られている。水路や水がめ、花輪を掛けた穴などもある。

 15時過ぎ、バスへ。ホテルまで20分ほどの間に、ガイドさんから明日のペトラ遺跡へのウォーキングの説明。

   


   

 15:25、アムラ・パレス・ホテルに到着。スーツケースが部屋に運ばれるのを待って外に出てみる。スーパーやお店があるということだったが、まずはすぐ前にあるモスクのミナレットからのアザーン(礼拝への呼びかけ)の声にビックリ。丁度礼拝が始まるところだったようで、少しすると、モスクから男性ばかりがどっと出てきた。

 町はいかにも田舎町という風情で、きれいとは言えず、店の前にいるのはほとんど男性。日本語で「コンニチワ」と声をかけられたりもしたが、みんな濃い顔をしているので、恐い印象。ぐるっと回ってホテルに戻るが、信号なども無く、道を渡るのが恐い。トヨタ、日産、三菱などの日本車のほかは韓国車が目につく。

 部屋に戻っても19時の夕食まであと2時間。することもなく、ベッドに横になっていたら、いつの間にか眠ってしまった。

   

  

  

 
 19時にロビーに降りていくと、珍しいことに、雨が降ったとのこと。屋外のテーブルでのビュッフェの予定だったが、室内に変更。
 
ラムの肉団子にトライしてみたが、ひとくちでごちそう様。デザートはババロアを頂いたが、甘すぎる。飲み物はビターレモン(3ドル)を頂く。

 部屋に戻ってシャワーを浴びるが、水圧が低い。21:30就寝。


3日目 10月1日(月)
ペトラ遺跡

 6:00起床。お天気は良さそう。7時から朝食。まだ飲むつもりでいたミルクティーをウェイターさんが持って行ってしまい、「まだ残っていたのに・・・。」と言っていたら、笑顔で新しいミルクティーを持ってきてくれて、ビックリ!そういえば、ネット情報に、このホテルは心遣いがあると書いてあったっけ。

 少し外へ出て気持ちの良い風を受けて、エレベーターに乗り、2階のボタンを押して開いたので降りたら、スタッフが「まだ1階」と教えてくれた。部屋に入ると、窓が開けてあってベッドメイキングが終わっていることに気づき、3度目のビックリ。8時前にロビーに降りて行ったら、私たちが一番で、またビックリ!

 8時にバスで出発すると、ペトラ遺跡の入り口まですぐに到着。バスを降り、しばらくだらだら道を下る。馬や馬車で行く人もいる。
 20分ぐらい歩いたころ、岩の隙間(シーク)の入口。アメリカのアンテロープキャニオンを思わせるような美しいピンクの模様の岩の間をさらに40分ぐらい歩くと、いよいよシークの間からエル・カズネが姿を現す!美しいバラ色の岩に彫られた宝物殿に感動!

   

   
 

  
 写真を撮って、また奥へ。弦楽器(リハブ)を奏でる遊牧民の親子を見かける。
お墓として掘られた穴、7000人収容のローマ円形劇場、柱列などを見学しながら一番奥にある小さな博物館まで行って、11:30に昼食のレストランへ。
ひよこ豆のコロッケはヨルダンの味。レモンジュースが酸っぱかった(8ドル)。


 



 
 12:30からさらに上のエドディルに向けて歩き始める。素晴らしい宮殿のような彫刻を右に見てしばらく行くと、階段が始まる。素晴らしい景色を眺めつつ、途中の茶屋で休みつつ、やっとのことでエドディルまでたどり着く。
 こちらは山頂のような開けた場所。薄茶色の石の建造物を眺めながら、涼しい風に吹かれてコーラを飲み、少し体力を回復したところで下りへ。だんだん脚も腰も痛くなりつつも、またエル・カズネの前を通り、何とか往復10kmを歩き通して、定刻の16:30にバスに帰着。
 16:40までには全員が帰ってきて、添乗員さんは、「今回のメンバーは健脚で優秀!」と。でも、もう足がビンビン痛くて大変!
 17時過ぎにホテルに帰着すると、足だけ洗ってベッドでひと寝入り。











  19時から夕食。またビュッフェ。食べたいものが無い。野菜とフルーツのみ頂く。紅茶3ドル。

 一旦、部屋に戻り、20時集合で ”ペトラ・バイ・ナイト”へ。バスで駐車場まで行き、先ほど、ほうほうの体で帰ってきた道を両側のロウソクの明かりが照らしてくれる中、再びエル・カズネに向かう。先ほど痛くて歩けるかしらと心配した右脚も痛まず、同じツアーの人たちと足元を懐中電灯で照らしつつ、おしゃべりしながら行く。
 
 やがて、エル・カズネの前に着くと、広場一面にキャンドルが並べられている。
正面のゴザの上に足を投げ出して座って、イベントの始まるのを待つ。やがて、一線琴の調べに続き、アラブの歌。そして、アラブの笛の演奏が続く。そして、次に出てきた男性が英語でペトラ遺跡の歴史について語り、最後に、「ここには電気もチョコレートもアイスクリームも無い。エル・カズネのライトアップはできないが、皆さんのフラッシュでその姿を浮かび上がらせることができる」と言い、1、2、3で皆が一斉にフラッシュをたいて、一瞬のライトアップを成功させた。その瞬間の写真は取り損ね、残念!これでイベントは終了。


 
 
 またもと来た道を歩いて帰る。往復で4km。日中の10kmと合わせて14km、3万歩。よく歩いたものだ。
 ホテルに帰るともう22:45。シャワーを浴びて、24時過ぎに就寝。

 添乗員さんによると、今回ほど遺跡に入る人が少なくて、天気もカンカン照りではなく、歩きやすかったことは無いとのこと。それにしても、帰りの道で買ったペットボトルの冷たい水のおいしかったこと!
 


4日目 10月2日(火)
マダバ →
ネボ山 → 死海
 
 6:00起床。6時半過ぎ朝食。食後、少し戸外を散策。風が涼しい。天気は薄曇り。
 8時にスーツケースを部屋の外に出し、8:30集合で出発。砂漠の中を行く。アンマンに到着してから来た道を戻っているらしく、往路で見た風車をまた見かけた。
往路で昼食を食べたレストランのところで休憩。お土産に塩の石鹸を買う。死海の泥のミネラルを含んでいるとのこと。ディスカウントしてもらって、6個で18ドル。
車中でガイドさんのお話。アラビア語は右から左方向へ書くとのこと。車は日本車の占める割合が60%と。

 12時前、モザイクの街、マダバに入る。聖ジョージ教会へ。古いモザイクの地図を見る。



 
 レストランへ。焼きたてのパン(ホブス)が美味しかった。水たばこを試した人がいた。アップルジュースのような甘い香りがしていた。



 13:40バスで出発。10分ほどでモザイクの工房に到着。30分ほど大小のモザイク商品の並ぶ店内を見て回る。






   14:20、バスで出発。ネボ山へ向かう。古いモザイクと出土品が展示されている博物館を見学した後、山頂の展望台まで上がる。死海の端が見える。
 15時、バスで死海のほとりに建つホテルへ向かう。15:20、国境が近いため、兵隊さんが居るチェックポイントが2か所ある。写真撮影は禁止。

 




 
 15:35、デッドシー・スパ・ホテルに到着。

 死海は塩分濃度が普通の海水の10倍もあるので、海のつもりで浮こうとすると、体が丸太のように回転して止まらなくなるので、浅いところでお尻だけ浮かして感覚をつかむようにとのこと。また、海水が目や傷に着くと激痛が走るので、ペットボトル500ml以上のお水を持って行くようにとの注意。海抜マイナス400mなのに、紫外線も強いとのこと。

 チェックインを待ってロビーにいる間に、ウェルカムドリンクのパインジュースのサービス。部屋は339号室。さすがはリゾートホテル。広くてゆったり。





  早速、水着に着替えて、プールサイドで大きなバスタオルを借りて砂浜へ。茶色っぽい砂。景色は何となくどんよりしていて、周りには建築中のホテルらしいコンクリートの建物が不気味な感じで建っていたりして、リゾート地らしい華やかな雰囲気は無い。

 波打ち際には小石もあって、結構足の裏が痛い。海水はちっとも冷たくなくてすぐに入れたが、波がある。遠浅なので、浅いところで腰を下ろし、手足を伸ばすと簡単に浮くことができるが海水が目や口に入ると大変ということなので、頭を水に付けないようにしているにはかなり腹筋を使う。

 写真を撮り合ってから、今度は泥パック。波打ち際の黒い泥を手ですくって顔や体に塗る。ミネラルが豊富とのこと。真っ黒になったところで写真を撮り、また少し浮いてからまるでお湯のようなシャワーで顔の泥を落としてプールへ。泥パックのお陰で肌がツルツル!




 
 部屋に戻ってシャワーを浴びるが、バスタブにシャワーカーテンが無い作りなので、すごく気をつかう。

 外へ出てホテルのエントランス周りの写真を撮り、レストランの外のテラスに出てみると、暗い死海の向こうに対岸のイスラエルの明かりがチラチラと見える。夜になっても蒸し暑い。

 19時から夕食。スタッフが一斉に「こんばんは」と笑顔で挨拶。さすがは4つ星ホテルのビュッフェで、野菜やデザートの数も多く、ビーフのピカタを焼いてくれたりして楽しめた。

 ホテル内のショップに行ってみると、ここでもイケメンのスタッフが優しい笑顔で挨拶。部屋に帰ってから、飲み物代(ペプシ6ドル)を払い忘れてレストランを出てしまったことに気づき、添乗員さんにお詫びの電話。21:30、少し早めに就寝。
 




 
5日目 10月3日(水)
死海→ジェラッシュ遺跡→アンマン→ドバイ
 
 6:00起床。スーツケースを部屋の外に出してから朝食へ。
 ここは、朝も夕方も蒸し暑い。気温がアンマンより7℃ぐらい高いとのこと。風もなく、空気が重い感じで、死海やプールに入っている時だけ爽やか。

 ビュッフェではパンや、パンケーキ、ワッフルが美味しかった。
 外へ出てみると対岸のイスラエルがよく見える。死海の幅は17kmとか。




 
 8:00、バスで出発。緑の畑の多い地域、遊牧民ベドウィンの汚いテントや放牧しているヤギなどを見ながら行く。
 8:20、「SEA LEVEL(海抜0m)」の青い表示のあるポイントを通過。



 
 車中でガイドのムハマドさんの話を聞きながら行く:
ヨルダンの王様は中東の平和のために尽力していて人気がある。現在50歳ぐらいで、二人の娘がいる。
 義務教育は16歳まで。6歳から小学校6年間、中学4年間。そのあと高校が2年間ある。砂漠にも学校はある。資源の少ない国なので家族がサポートして子供に教育を受けさせる。ペトラは観光で生きていけるので、文盲率が高い(7.5%)。大学入試は厳しい。公立大学は12、私立大学は13ある。海外からの留学生も来ている。大学生の男女の比率は男性51%、女性49%。女性も大臣、軍人、先生などになっている。
 失業率は12%で高く、インフレ率も高い。子供の数は10年前は10人ぐらいだったが、今は5人ぐらい。1ヶ月の平均収入は約500米ドルで、十分ではない。平均寿命は女性74歳、男性70歳。タクシーは以前は無料だったが今は有料。マイクロバスを使った乗り合いバスやルートの決まった乗り合いタクシーがよく使われている。国民の約 1/3 がアンマンに住んでいる。アンマンでは2〜3月には雪も降る。今年は17年ぶりの寒さと暑さを経験した。アンマンの名前は以前はフィラデルフィアだった。王様の奥さんの名前で、兄弟愛という意味。アメリカのフィラデルフィアよりも古い。

 車が渋滞している。添乗員さんのテルマエ・ロマエの話を聞きながら行くうちにアンマンの街を通過。眼下にベージュ色の建物が建ち並ぶ街が広がる。パレスチナ人のキャンプもある。平和ならパレスチナに戻りたいと思っているとのこと。

 朝は見えていた青空が途中で薄曇りになっていたが、また青空になってきた。

 



 
 9:40、ジェラッシュ遺跡に到着。ハドリアヌス帝凱旋門、アルテミス神殿の列柱、3000人収容の円形劇場、ビザンチン時代の教会の床のモザイクなどを見学して回る。
 アルテミス神殿の列柱は、短い円柱形のブロックを積み重ね、中心に鉛の棒を通して地震対策をしてある。ブロックの隙間にスプーンを挟むと風で動くのがわかる。交差点にはお店もあった。

 







 
 11:45、バスへ。5分ほどでレストランへ。ここは、大皿でテーブルに運ばれてきたのを取り分ける方式。焼きたての大きなパン、たくさんの前菜に続いてお肉。デザートはぶどう。

 アラブ料理は、ホブスという丸く焼いたパンと前菜で始まる。前菜は、羊やヤギの乳から作ったヨーグルトにオリーブオイルを混ぜたもの(ラパン)や、ヒヨコ豆をすりつぶし、白ゴマのペーストやオリーブオイルを混ぜたもの(ホンモス)など。焼きたてのホブスはとても美味しいが、食べ過ぎると主菜が食べられなくなる。

 主菜は、ラムや鶏肉の角切りを串にさして焼いたカバーブやつくねのようなコフタなど。玉ねぎやトマトなどの串焼きの一皿もある。味はラム肉以外はあまり癖が無く、食べやすいが、暑い気候のせいか、塩辛いものが多い。
トマト、キューリ、ナス、ジャガイモ、唐辛子などの野菜も豊富で、スイカ、瓜、ブドウ、リンゴなどの果物もよく目にした。

 最初はどれもどんな味か想像がつかず、お皿に一口分ずつ取って、恐る恐る口に運んだりしていたが、段々に慣れた。
 お国柄で、基本的にアルコールは出ないが、ノンアルコールのビールが出る店もある。



 
 12:45、バスで空港へ向かう。山や町を抜け、難民キャンプの脇を通り抜けたりもしつつ、14時前にアンマンの空港に到着。ここで、ガイドのモハマドさんとドライバーのアデルさんにお別れ。お世話になりました。





   第一次の男女別のセキュリティチェックを終え、ヨルダンを出国。免税店でゴマクッキーを試食したら美味しかったので、2箱購入(7.5ドル×2)。第二次のセキュリティチェックの前のベンチにすわってしばらく休憩。ところが、16:15搭乗予定なのにいつまでたってもゲートがオープンしない。
 予定時刻を30分ぐらい過ぎたころにゲートが4番に変更になったとの連絡。急いで4番ゲートの前に行き、セキュリティチェックを受けるが、待合室に入っても、人が溢れていて座るところも無く、搭乗もなかなか始まらない。しばらく待って、やっと搭乗が始まったものの、どういう訳か時々ドアを閉めてしまい、スムーズには入れてくれない。

 やっと機内に入り、席に着いたのは17:25。25FGで通路側。隣は中国人らしい若い夫婦。結局、35分遅れで17:50にやっと移動開始。18時離陸。19時ごろ食事のサービス。ラムとチキンの二択だったので、チキンをチョイスしたが、ほとんど食べられず、期待したデザートも美味しくなくてガッカリ。20時には、もうすぐ着陸だからと、毛布を回収されてしまう。

 20:40、ドバイ空港に着陸。 ⇒ここから先の旅行記は、「ドバイ旅行記」へ