ポーランド旅行記

2015/8/17~26


 1日目 8月17日(月)
関西空港 ⇒ ドバイ

 今回は、ゆっくりできる夏休みを待ち、涼しいところということでポーランドに決めた。
 関西空港からの出発のため、2日前の夕方にスーツケースを送り出し、今日は午後3時に家を出る。台風が近づいているせいか昨晩から時折、激しい雨。ひとしきり振って小やみになったころに出発。山陽新幹線の遅れの影響で上りは遅れているのもあるが下りは大丈夫。1607発の のぞみに乗る。乗ったとたんに爆睡。昨晩もあれやこれやで、3時間ほどしか寝ていない。目が覚めると、そろそろ新大阪。雲の向こうから明るい陽が射し、白とグレーの雄大で美しい景色にしばし見とれる。1830、新大阪で関空特急“はるか”に乗り換える。気温25℃。かなり寒く感じる。ポーランドは先週まで例年になく30℃を超える日が続いていたらしいが、明日あたりからは12℃から26℃ぐらいになるとのこと。調節が効くようにと半袖、七分袖、長袖を持ってきた。使い始めて間がないミラーレス一眼レフの操作の勉強をしているうちに、1945、関西空港到着。4階の出発ロビーでいとこと会い、スーツケースを受け取り、トラピックスの窓口で添乗員の吉村さんに会う。ベテランらしく頼りになりそうな人。エミレーツのカウンターで手続きをしたら戻ってきてくださいと言われたのに、両替に行ってから、うっかりしてそのまま出国してしまった。JALのさくらラウンジでカレーライスなどを美味しく食べているうちに思い出して慌ててショートメールを送り、搭乗口で会うことにする。

さっき出発ロビーで目が合った男性が同じラウンジに居る! どこかで会ったことのある方だ。奥様にも見覚えがある。すると、いとこも見覚えがあると言う。「それなら、きっとどこかのツアーでご一緒したご夫妻だ!どこだったかしら?今回も同じツアーかな?」などと話していると、あちらもこちらをチラチラと見ている様子。




搭乗時刻が近づいたので28番ゲートへ。添乗員の吉村さんに会って、保険などの書類一式を受け取る。例のご夫妻に声をかけると、昨年12月のポルトガル旅行でご一緒だったことが判明して、すっきり。

23時搭乗。席は10B2+3+2列の窓側の席。まず、ソフトドリンクのサービス。2330移動開始。乗り継ぎのドバイに向けて出発。






離陸後1時間ぐらいでディナーのサービスがあるとのことだったが、ドリンクのサービスのあと、先に朝食の選択を聞かれ、午前1時になって「ディナーは要るか?」と聞いてくる!何たること!時間もかかるし、食べてすぐに寝たら胃もたれするし、”No!”と答える。でも、せっかくのビジネスの機内食、写真だけでも撮ればよかったかな?と思いつつ、ベートーベンのピアノソナタを聴く。ベッドパッドを敷いてもらって座り心地がよくなった。
いつの間にか眠っていたが、午前2時半に、乗り継ぎ地のドバイ時間に合わせて5時間戻し、21:30に。シートを平らにしたら寝心地はすこぶる良いのだが、細かい揺れが気になって、なかなか熟睡できない。


 


2日目 8月18日(火)
ドバイ ⇒ ワルシャワ 
 

機内が明るくなったので起きると230 5時間ぐらいは寝たようだ。朝食は和食をチョイス。
見た目は綺麗だが、あまり食欲がなく、漬物とお味噌汁だけがおいしかった。
そろそろ乗り継ぎのドバイに到着。滑走路に一直線に並ぶ明かりが見えてきた。

4
10、未明のドバイ空港に着陸。ビジネス専用のバスでターミナルへ。あのご夫妻と新婚さんと私たちの3組でラウンジを探して入る。エミレーツ航空のお膝元とあって、さすがに広くて2階まである。果物とお紅茶を頂いてしばらくゆっくり。




搭乗時刻が近づいたので、C22ゲートへ。晴れているがバージュカリファが遠くに霞んで見える。
640搭乗。席は、9Kで窓際。先ほどの機材と同じ2+3+2列だが、国内線なので、ビジネスでも
座席の幅が少し狭い。ドリンクのサービス後、725移動開始。離陸すると、眼下にはベージュ一色の砂漠の街。その中に立つ高層ビル群を懐かしく感じる。ワルシャワまで5時間の飛行。8時になったので、時計をポーランド時間に合わせてもう2時間遅らせ、6時に。





朝食は、パン、紅茶、果物、ヨーグルトのコンチネンタル・ブレックファースト。チョイスできる温かいペストリーがおいしかった。しばらく眠ったが、頭の位置がどうも具合が悪い。枕を背中に当てることで解決。9時、また食事。何ご飯?日本語のメニューが無いのでわかりにくい。メインはビーフをチョイス。でもアペリティフのお魚のたたきが結構な量。サラダのドレッシングもおいしかったが、ビーフが出てくるころにはお腹いっぱい。でも、デザートは?と聞かれるとケーキとお紅茶も注文。やはり食べきれない。





畑が見え、やがて都会らしくなり、1130、ワルシャワ空港に着陸。やっとここで30人の同行の方々と合流。人数が多いので、それを数える添乗員さんが大変。男性は8名のみ。入国審査を終え、スーツケースを受け取って、現地ガイドさんについてバスに乗り込み、12:35出発。早速、ワルシャワの観光に入るのでイヤフォンガイドの準備。




ガイドはカシャさん。もとはポーランドはリトアニアも含む広大な領土だった。ポーランドで世界的に有名な人と言えば、ショパン、コペルニクス、キューリー夫人・・・と話を聞きながら行く。

1300、ワジエンキ公園に到着。柳の木の下のショパンの像。かつてショパンの音楽は国民の士気を高めるという理由でナチスドイツに禁止され、このショパンの像も爆破された。今は、この公園で大きな野外コンサートが開かれる。ボタンを押すとショパンの曲が流れるという仕掛けの黒いベンチがあちこちにある。

ワジエンキ公園 入口
柳の木の下にいるショパンの像


1315バスへ。黄色い首相官邸の前を通り、1330バスを降りる。ナチスドイツにより歴史地区の建物はすべて破壊されたが、第二次大戦後、70%が復元された。聖十字架教会の白い柱の中にはショパンの心臓が安置されている。

聖十字架教会ショパンの心臓がおさめられている柱



1355国立ワルシャワ大学。風格のある建物。前にカラフルなレンタサイクルが並んでいる。
14
00バスへ。空には雲ひとつなく、気温は22℃ぐらい。風はあるが、日差しがきつい。半袖で良いぐらいだが、長袖を羽織っている。




1400バスを降りる。ワルシャワ蜂起の像。ワルシャワでは、毎年、ワルシャワ蜂起の起きた81日の午後5時にサイレンが鳴り、1分間の黙祷を捧げる。2ヶ月間戦ったが、ロシアの支援は得られず、多くのポーランド人が殺された。市街の建物の壁には弾丸の跡も。

14
25キュリー夫人の生家。1430要塞砦。1435ワルシャワ大聖堂。1445

ワルシャワ蜂起の像キュリー夫人の生家

要塞砦ワルシャワ大聖堂


大きな旧市街広場を抜けたところで一時解散。1640まで自由行動。バスに乗ったり降りたり歩いたりでいささか疲れたので、まずはショパンのベンチに座り、ピアノの調べを聴きながらひと休み。
大きなシャボン玉を作る大道芸などを見ていたら清掃車が来てホコリをかぶってしまい、腰を上げて、前の教会へ。ミサが行われていて、なかなかの荘厳な雰囲気だった。旧市街広場へ戻る。ワルシャワ市の紋章にもなっている人魚の像の前のベンチで涼しい風に吹かれながら、ひと休み。この人魚像は、ヴィスワ川の漁師夫婦が網にかかった人魚を助けて豊かになったという伝説がモチーフになっている。ジプシーの子供たちが物乞いをしている。4時になったのでそこを離れ、もと居た教会の前のショパンのベンチに戻る。

旧市街広場

人魚の像ショパンのベンチ




1640に集合。5分ほど歩いてバスに戻る。夕食のレストランへ。30人がワンテーブル。メニューは、サラダ、チキンロール野菜添え、アイスクリーム、パン、水。女性が多いので、食事中もおしゃべりが賑やか。






18
00バスへ。今日のノボテルホテルに到着。高層ビル群の立ち並ぶ都会の真ん中。チェックインを待って部屋へ。519号室。白とベージュが基調のシンプルな部屋。まだ明るいので、外に出て地下道で反対側に渡り、ノボテルホテルの写真を撮る。部屋に帰ったころ、日が暮れて、外のロータリーの夜景がきれい。シャワーを浴びて2200就寝。

ノボテルホテル



 3日目 8月19日(水)
ワルシャワ ⇒ トルン ⇒ ポズナン

530起床。部屋の窓から見えるワルシャワ市街のビルが朝陽に美しく輝いている。文化科学宮殿だけは異様。スターリンからポーランドへのプレゼントとして建てられた7つのビルの一つとのこと。
630からのはずの朝食に時間通りに行って見ると、もう長蛇の列。ノボテルなのであまり期待していなかったが、お料理の数が多くて満足。8時集合だが早めにロビーへ。朝晩は冷えるとのことで、外は少し肌寒く、半袖に長袖を羽織って丁度良い。バスへ。人数が多く、全員が一人2席は使えないので、添乗員さんのアイディアで、最前列を除く24列目は詰めて日替わりの指定席、あとは自由席で一人2席使えることに。バスの外気温計は16℃。ドライバーはパウエルさん。



国旗ポーランドの国名は、野原の意味のポーレから来ているとのこと。
日本の5分の4の広さで人口は約3,800万人。首都はワルシャワ。敬虔なカソリック教徒の国。言語はポーランド語。通貨はズロチ(1ズロチは約38円。ミネラルウォーターは3ズロチ)。
国旗は上半分が白で下半分が赤。白は白鷲を、赤は赤い夕日と自由を求める戦いで流れた血を表している。緯度は樺太と同じだが、海流のせいで比較的温暖。夏は涼しい。冬はパウダースノーの景色が美しい。


9時から20分の休憩。お天気が良く、さわやかな風が気持ちよい。気温22℃。南部のスロバキアとの国境周辺以外には高い山はない国なので、遠くにも山並みは見えず、ところどころに森のある広い平原を行く。最近、高速道路が整備されたので、渋滞が減り、海外からのツアーも増えたとのこと。これから行くトルンの旧市街は世界遺産。シャープの工場がある。
ピエルニク(ジンジャーブレッド)が有名。11時、二度目の休憩。23℃。11:20、高速道路を降りる。




11:30、トルンの街へ。ヴィスコワ川沿いの駐車場でバスを降り、門をくぐって観光へ、25℃。英語ガイドの男性はボイラックさん。トルンは第二次大戦の影響をあまり受けていない。トルンの斜塔は、見張り用として造られたが地盤沈下によって傾いたもの。1階はカフェとして営業している。





地動説を唱えたことで有名なコペルニクスの生家へ。当時の家具や厨房用品などが展示されている。コペルニクスは、天文学者であっただけでなく、カトリックの司祭、政治家、経済学者、医者でもあった多才な人。
コペルニクスの生家




聖ヨハネ大聖堂の時計は、二本の神の指で時刻のみを示している。17世紀の貴族の館は装飾がきれい。ドイツ騎士団城跡を回り、13時にコペルニクス像、旧市庁舎、郵便局等がある旧市街へ。







13:15、レストラン
Jan Olbracht 店内にビールの醸造タンクがあり、出来立ての地ビールが飲める。メニューは、冷製スープ、ローストポーク、ビブス(ザワークラウト)、ジンジャーケーキ。
ピンク色の冷製スープは、”Chlodnik”という ビーツとサワークリームで作られた冷たいバルシチで、酸味の効いたさっぱり味。豚肉も柔らかくて美味しかった。
  Jan Olbracht Old-Town Brewery



14時過ぎにレストランを出て、ジンジャーブレッドのお店を見に行ったあと、郵便局で絵葉書を買って自宅に送り、コペルニクスの像の後ろのベンチに座ってひと休み。

ジンジャーブレッドの店 Torunski Pieruniki郵便局
聖霊教会(バロック様式)


15時集合でバスへ。26℃、陽ざしがきつい。15:15出発でポズナンに向かう。17時、休憩。風が気持ち良い。18:30、ポズナンに到着。旧市街広場へ。旧市庁舎の周りをぐるっと回る。昔、市庁舎の完成祝いの料理に使おうとした二匹の山羊が逃げて市庁舎の上で戦い、人々の目を楽しませたというエピソードがあり、毎日12時にからくり時計に山羊2匹が出て来るとのこと。今日は、山羊のかわいい着ぐるみが2匹いた。
ポズナン市庁舎 ルネッサンス建築の傑作




夕食のレストランへ。メニューは、ポテトサラダ、ロールキャベツ、パン(豚のラード、ピクルス、塩で)、アイスクリーム。食べてばかりなので食欲が無い。女性たちのおしゃべりにも圧倒され・・・。




20:30、バスでホテルへ。昨日と同じ系列のノボテルホテル、138号室。1回の長い廊下を突き当りまで行って、左折してまた端まで行ったところ。カードキーが効かず、添乗員さんに走ってもらう。
ブルーのカーテンに白いダブルベッドとソファーベッド。ベッドは譲るつもりでいたら、いとこが、硬いのが好きなのでソファーベッドが良いと。シャワーを浴びて、23時就寝。

 


 4日目 8月20日(木)
ボズナン ⇒ボレスワヴィエツ ⇒オシェチュニツァ

5:30起床。エアコンが無いので、寝苦しいほどではないが、ちょっと暑かった。6:30から朝食。スイカとリンゴとパンが美味しいが、食べ過ぎないように注意。外へ出ると肌寒いが部屋の中は暑い備え付けの扇風機のスイッチを入れる。空気が循環するだけで涼しく感じる。




長い廊下をスーツケースをゴロゴロと押して、8時集合でバスへ。17℃。パウェルさんという男性のガイドでポズナンの観光へ。まずは川の中州にあるポズナン大聖堂。ゴシック様式で、大司教のいる立派な教会。黄金の礼拝堂を見る。
ボズナン大聖堂 ゴシック様式ボズナン大聖堂  黄金の礼拝堂

8:40、バスへ。10分ほどで聖スタニスワフ教会(教区教会)へ。礼拝堂の天井はドーム状に見えるが、実はフレスコ画とのこと。



旧市庁舎前では再度ガイドさんから2匹の山羊のエピソードを聞き、9:50、バスへ。ボレスワヴィエツへ向けて出発。




13:15、ボレスワヴィエツに到着。まずはレストランへ。かやぶき屋根のかわいい建物。メニューは、ジュレックスープ(発酵ライ麦、ゆで卵、ハム、ジャガイモ入り)、ピエロギ(ポーランド風餃子、中身は野菜×3、チーズ×1、量が多すぎて食べきれない)、フルーツケーキ。





14:25、バスで出発。26℃。ボレスワヴィエツは陶器の街。マヌファクトゥーラという陶器の工房へ。10分ほどで到着。一時、ドイツ領になった時にドイツ人が産業を興した。今ではアメリカ人に人気のハンドメイドの陶器。海綿(今はスポンジ)で絵付けをし、オーブンでも電子レンジでも使える。
工程の説明を受けた後、ショップへ。可愛いポットと、ペンダントトップと、ストラップを買う(約80ズロチ)。


陶器祭りが昨日(8/19)から始まり、8/23まで開催されている。10分ほどで市が開かれている市庁舎前の広場へ。16時から1時間余りのフリータイム。たくさんの露店が並んでいるのを見て回る。先ほどの工房と同じような柄の陶器、カラフルなもの、アクセサリーなど様々。老夫婦の天使の人形には思わず笑ってしまった。民族衣装の女の子のマグネットを買う。




17:20、バスへ。ホテルに向かう。今日のホテルは、700年の歴史のあるクリチコフ城という古城ホテル。17:30、到着。ロビーには楽団が待ち構えていて、賑やかな演奏が始まる。おじいちゃんのギター、クラリネット、太鼓、おばあちゃんのバイオリン!18:00、105号室へ。白い壁に深紅のカーペット、紅いベッドカバーとカーテン、重厚な家具の部屋。お城の周りをひと巡り。



クリチコフ城

19:00からホテルのレストランで夕食。メニューは、メルルーサ、豚肉のパテ、フルーツサラダ。
シャワーを浴びて20:30、就寝。




 


 5日目 8月21日(金)
ヴロツワフ ⇒ ヤヴォル ⇒ シフィドニツカ ⇒ヴロツワフ

6:15、起床。7時から朝食ビュッフェの内容は良くて、パンとポテトサラダが美味しかったが、昨晩と同じでワンテーブルに30名というのはいささか狭い。

8時にスーツケースをドアの外に出し、出発までの1時間、外へ散策に。
9時集合でバスへ。13℃。七分袖に長袖グラウスを羽織ってもまだ寒いので、スカーフをすることに。
昨日工房で買った陶器の玉を5個、皮のストラップに通して作ったネックレスを付けてみる。なかなか素敵!
ヴロツワフへ向けて出発。ポーランドは華やかな宮廷文化が無かったので、お食事は家庭料理。味は濃い。ウォッカなど強いお酒を飲む。食料自給率は93%。消費税率は一律ではなく、嗜好品23%、日用品8%、生活必需品は5%。広い草原や林の中を結構なスピードで走っていたが急に減速し、サービスエリアに入るための順番待ち。10:20から20分の休憩。トイレは有料(1ズロチ)。22℃。
11:00、ヴロツワフの市街に入る。渋滞でなかなか進まない。




11:25、ガイドさんの待つ百周年記念館の前でバスを降りる。ナポレオン軍を破ったライプチヒの戦いから百周年を記念する建物で、世界遺産。塔は96mある。もとはドイツ領だったがポーランド領になったことを記念して建てられた。






11:40、バスへ。ヴロツワフは大学の街でもあるが、第二次世界大戦で75%が破壊された。旧市街広場旧市庁舎、隣の塩の広場などを見た後、12:50までフリータイム。モダンなガラスの噴水、高い塔のある聖エルジュピェタ教会、隣接するゲートでつながれたヘンゼルとグレーテルの家と呼ばれる建物、木造の中世風の工房などが建ち並ぶヤトキ通り。大
通りに出ると、突如、地下から湧き出てきた群衆!アートと分かって、またビックリ!

ブワツロフ 旧市街
 塩の広場
 ガラスの噴水
 聖エルジュピェタ教会 ヘンゼルとグレーテルの家
 名もなき通行人達の記念碑


300以上もあるという可愛い小人の像を探しながら行く。見つけたのは、煙突掃除夫、岩運び、妖精の世界への入り口で居眠りしている番人、観光客、ハートを持つ妖精、消防士、旅行者、と畜者、妖精のお父さん等々。元は、反共産主義のシンボルだったようだが、今では企業がスポンサーになってどんどん増え、観光客を楽しませるものとなっている。
煙突掃除
 小人の国への入り口で昼寝をしている番人





13:35、レストラン”

Tajemniczy Ogród

”へ。サラダ、グヤーシュ、アップルパイ、美味しかった。
カップ入りの紅茶が8ズロチ。



14:25、バスへ。27℃。チェコ国境に近いヤヴォルに向かう。平原の向こうに国境の山並みが見える。




15:30、ヤヴォルに到着。平和教会はプロテスタントの教会で、当時のハプスブルグ家によって、コンクリートやレンガなどを使わぬことなど、厳しい条件を付けられたため、木材、藁、粘土を使って建てられた。日本語のテープでの案内がある。外側の素朴さに比べて内部の立派さに、プロテスタントの教会に対する熱意を感じる。





16:10、バスへ。シフィドニツカに向かう車中でポーランド語の勉強。おはよう は ジェイニドブリ(good dayの意)、こんにちは、こんばんは は、ドゥブリビェチュル、有難うは、ジェンクィェン。


16:50、シフィドニツカに入る。地ビールの工場がある。この町は戦災に遭っていない。17:00、平和教会に到着。ヤヴォルの平和教会と同じ時期に同じ条件の下で建てられた 7,500人収容の木造の教会。上から見ると正十字の形をしている。内部はさらに重厚で壮麗な装飾。
木造のパイプオルガンがある。このツアーだけのためのパイプオルガンコンサートが予定されていたが、なんと、オルガニストが来ていないとのこと。急遽、別のオルガニストを呼んでいるそうだが、どうやら、日にちが誤って伝わっていたらしい。日本語で書かれた詳しい説明書が配られる。17:40、ピンチヒッターのオルガニストが到着。17:45から15分間のミニコンサート。大きい方のオルガンは壊れているとのことで、小さい方のオルガンでの演奏。音は綺麗だったが、やはり、教会が大きいだけに迫力に欠けていてちょっと残念。






18:15バスへ。ヴロツワフに戻る。1時間ほどで到着。ショパンなども訪れたことのある老舗レストラン「ビヴニツァ・シフィドニツカ」へ。夕食のメニューは、前菜(ハムロール・西洋わさびのムース添え)、スズキのクリームソース、黒スグリのジュース。







20:30、外へ出ると、金曜の夜ということで、広場には大道芸人なども出て、たくさんの人で大賑わい。22時ごろまで続くとか。





20:50、バスへ。20分ほどでホテルに到着。ノボテルなので、ダブルベッドとソファベッドと聞いていたが、小さめながらツインで良かった。018号室。カーテンはブルー、カーペットはベージュ、あとは白というシンプルさ。ノボテルは、バスルームとトイレが別室になっているタイプが多いのか?
明日の朝は出発が早い。シャワーを浴びて、23時過ぎ就寝。



 


 6日目 8月22日(土)
ヴロツワフ ⇒ ヴィエリチカ ⇒ クラクフ

5:15起床。ホテルの周りを軽く散歩をしてから朝食を20分で済ませる。ヴイエリチカ岩塩坑の予約時間に間に合うようにということで7時に出発。今日のバス席は、前方の指定席。18℃。昼食のレストランまで約4時間。起伏のある景色で、昨日とは一変。8:40から20分の休憩。





11時、レストランの駐車場に到着。今日のレストランは、マナーハウス。森の中の道を抜けたところにある元貴族の館。11:15からランチ。メニューは、ローストポークの前菜、チキンのグリル、フルーツサラダ。美味しかった。





12:30、バスへ。岩塩坑まで近いのだが、道路工事のため迂回しなければならないので、予約時刻の13:45に間に合うかどうか心配とのことだったが、無事に30分前に到着。
チケットを求める人の長蛇の列。写真撮影は有料(10ズロチ)。日本語ガイドはユアリナさん。気温は14℃。



ヴィエリチカ岩塩坑は、地下にアリの巣のように張り巡らされた坑道の総延長が300km以上あり、1978年に世界遺産の第1回目に登録された12件のうちの一つ。まずエレベーターで地下64m(レベル1)まで降りて、地下135mまでに2300ある部屋のうち公開されている約25室を順に見ていく。坑道は木で作られていて狭く、薄暗い。天井などには白い塩の結晶がついている。坑内で働く人たちの姿、この岩塩坑を発見したキンガ王女の伝説を再現した像、塩でできたコペルニクス像などがそれぞれのスペースに展示されている。運搬には馬の力も借りていたようだ。木製の細い階段が底の方まで続いている。無事故を祈って作られた礼拝堂もある。


コペルニクス像聖キンガ王女の伝説
塩の結晶
階段
聖十字架礼拝堂


圧巻は、聖キンガ礼拝堂。広いスペースのフロア、シャンデリア、「最後の晩餐」等の絵画もすべて塩で作られている。地底湖でショパンの曲を聴き、コンサートルームで映像と共に現代音楽を聴いて出口へ。坑道を延々と歩くこと2時間。最初は寒かったが、そのうち暑くなって上着を脱いだ。これで外へ出ると思いきや、再び坑道を30分ぐらい歩いて、今度は最新式のエレベーターに。ここでやっと外へ出てから元の入り口までぐるりとひと回り。結局、3時間近く歩いた。お土産用に小袋入りの粉の岩塩を買う。
聖キンガ礼拝堂
最後の晩餐
ローマ法王像
地底湖
ゲーテ像
世界遺産第1号として登録された12のうちの1聖ヨハネ教会


17:00、バスへ。17:20クラクフに入る。ここは戦火を免れたとのこと。17:25、ラディソンホテルの前でバスを降りて、17:35、夕食のレストランへ。メニューは、バルシチ(ビーツのスープ)卵豆入り、ホキ(タラ)のフライ、フルーツサラダとゼリー。

クラクフクラクフ


レストランを出てからクラクフの街をちょっと散策。19:10、バスへ。土曜の夜とあって、街の通りはにぎわっている。馬車がたくさん通る。
19:30、スウィングホテルに到着。241号室。なかなか広くてワインカラーと白の素敵な部屋。バスはシャワーのみ。
20:00から一時間ほど近くのスーパーへ。お土産のお菓子を買う。シャワーを浴びて23時就寝。今日はよく歩いた。


スゥイング ホテル(クラクフ)


 


 7日目 8月23日(日)
クラクフ ⇒ オシフィエンチム ⇒ クラクフ

5:30起床。外へ出てホテルの写真を撮っていると、添乗員さんがレストランが開いたと知らせてくれる。6:50から朝食。中国人など、グループで来ているらしい観光客で広いレストランがどんどん混んで相席になって行っている。




8:00集合でバスへ。クラクフの歴史地区の観光。ガイドのマルタさんの説明を聞きながら行く。クラクフはワルシャワの前に首都だった街。旧市街は、最初に世界遺産に登録されたものの一つ。戦火を浴びていないので、当時のままのものが見られる。
8:15、バスを降りる。煉瓦造りの円形の建造物はバルバカン。15世紀に作られた砦で現存する最古のものとのこと。オブヴァージャネックというユダヤ由来のクラクフ独特のパンの屋台。広い中央広場に出る。聖マリア教会はヨーロッパ最大級の教会。学生総数4万人というポーランド最古のヤギェウォ大学を見て、広場に戻る。大きな頭の像は、エロスの神。9時、聖マリア教会の塔の上の窓から1241年にモンゴル軍の襲撃に遭った際、危険を知らせるラッパを吹いていたラッパ吹きが矢で射殺されたという言い伝えのラッパを聞く。
9:05~40、フリータイム。中央広場の織物会館などを見る。広場には、お花、絵画などのお店のテントがたくさん並んで、開店準備をしている。
バルバカン(砦)城塞のフロリアンスカ門
オブヴァージャネックの屋台聖マリア教会織物会館
中央広場旧市庁舎の塔
ヤギェウォ大学聖ペテロパウロ教会


10:00、ヴァヴェル城へ。城壁には修復に寄付した人の名前のプレート。お城の敷地内にあるヴァヴェル大聖堂は、ミサのため入場できず、残念。
10:20、ヴァヴェル城旧王宮へ。旧王宮の1階は従業員用、2階は王様用、3階はお客様用。白鷲はポーランドのマーク。

ヴァヴェル城の城壁ヴァヴェル大聖堂
ヴァヴェル城 旧王宮ヴァヴェル城 旧王宮 中庭

レオナルド・ダ・ビンチの「白テンを抱く貴婦人」の絵を見る。モデルはミラノ公の愛妾のチェチーリア。不思議な雰囲気。チャルトリスキ美術館が工事中のため、一時的にヴァヴェル城に展示されている。

白テンを抱く貴婦人


川を見下ろす城壁の上へ。川岸に建つ建物は磯崎 新の設計で、屋根が波のようにうねっている。ポーランド人による日本美術のコレクションが展示されている。
お城の公園の中に伝説に基づくドラゴンの像があり、5分ごとに火を吹く。その昔、ドラゴンが羊などの家畜や若い女性を狙っていたため、王様が退治したものには王女を与えるとお触れを出したところ、靴職人が羊の皮の中に硫黄を入れたものを食べさせ、ドラゴンは川の水を飲みすぎて死んだという伝説。

磯崎新 設計の美術館
火を吹くドラゴン



11:00、ラディソンブルホテルの前まで戻る途中に大きなアート!バスで、11:20、レストランに到着。メニューは、マッシュルームとパスタのスープ、ポークカツレツ、アイスクリーム、パン。熱々のカツレツが美味しかった。





12:30、バスで出発。13:30、アウシュヴィッツ強制収容所に到着。第二次世界大戦中にナチスドイツが作った強制収容所跡を博物館として保存。多くの人命を奪った負の遺産。全部で43もの収容所が造られた。
見学の際に持ち込めるのは、A4サイズまでのバッグのみ。専用のオーディオガイドが配られる。
14:00から見学。ガイドは、イヴォナさん。アウシュヴィッツは、ポーランド語では「オフィエンチム」。収容所の門の上には「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」という文字。鉄条網には高圧電流が流れている。

アウシュビッツ強制収容所入口



各国が展示ブロックごとに出資しているとのこと。まずブロック4の建物へ。1940年から45年までの間にヨーロッパ全土の28か国から少なくとも130万人の人々をアウシュビッツに連行した。その殆どがユダヤ人で、その内110万人が亡くなった。新しい生活を始められるという言葉に誘われて来た人々は、貨車に何日もすし詰めにされてやっと到着すると、全ての持物を奪われ、女性、老人、15歳以下の子供など働けない人は、即、ガス室に送られた。

ブロック4




ガス室では、6~7gで1000人もの人を殺せるチクロンBという薬を20トンも使用した。その上、遺体から、身に着けていたもの、皮膚、毛髪まですべて剥奪して利用した。毛髪は糸にして軍服も作っていたとのこと。2トンもの様々な色の毛髪が残されていて、その一部が大きなガラスケースの中に入れられていた。これは写真撮影禁止。
ブロック5の建物の中の展示は、チクロンBの大量の空き缶、新天地で新しい生活を始めるために持って来たが没収された物。メガネ、櫛、ブラシ、靴、衣服、義手、義足、コルセット、食器、鍋、カバン、靴(4万足)など。カバンには、後で返すからと言われ名前が書かれている。子供の靴の山には胸がつぶれる思い・・・。

チクロンB
カバン

ブロック6の建物の展示は、収容された人々の生活の様子。
貨車で到着すると、すぐに荷物を全て没収され、働ける男性は体を消毒されてから、囚人服に着替えさせられる。食べ物は、コーヒー色の飲み物、ほとんど具の無いスープ、ジャガイモ、パンがごく少量しか与えられず、生き残った7000人の中にも、到着時75kgだった人が痩せ細って25kgになっていた人もいた。たくさんの顔写真も展示されている。想像を絶するような人体実験も行われており、そのために命を落としたり障害が残った人も多かったとのこと。

ブロック11は、人々が収容されていた部屋の様子。
隣にはその前で銃殺が行われた「死の壁」。黙祷をささげる。ガス室の中にも入る。天井の小さな窓から入れられたガスで一度に700人を殺戮したとのこと。

死の壁ガス室

16:00に見学を終え、続いてバスでビルケナウ強制収容所に向かう。こちらの方が広い。すなわち、大勢の人を一度に殺せる。入口は「死の門」と呼ばれる。
16:15、到着。偶然、有名な日本人ガイドの中谷剛さんに会う。他のグループをガイド中で、残念!
展望台に上がると目の前に広がるのは、広大な敷地に10万人を収容できる300棟のバラック。そして、希望を抱いた人々がすし詰めの貨車で到着した線路。長い桶の上にコンクリートの板を渡し、穴を空けただけのトイレ。

ビルケナウ強制収容所 死の門囚人服を着ての穴掘り労働トイレ


17:00、バスで出発、シンドラーの工場に向かう。




オスカー・シンドラーは、ほうろう鉄器工場を経営し、戦争に乗じて一儲けを企んでいたが、ある時、強制収容所の冷酷な所長がユダヤ人を次々と殺戮するのを見るうちに心境に変化が起こり、兵器を作ると偽って1200人のユダヤ人を雇い、ドイツ軍にそのリストを渡して、アウシュビッツから救った。スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」は、この実話を元にしてつくられた。18:20、工場の前に到着。2010年6月に博物館としてオープンしたもの。門の前で写真撮影。壁面に救われた人々の写真が貼られている。

シンドラーの工場




18:40から夕食のため、カジュミエシュ地区へ向かう。かつてのユダヤ人街。シナゴーグなどもあり、独特の雰囲気。「アリエル」というユダヤ料理の店へ。メニューは、大麦と肉団子のスープ、ローストビーフ(ハニーマスタードソース)、クリームチーズケーキ、パン。メインが出たころから、可愛い女性(バイオリン)と男性二人(アコーディオン、ベース)によるユダヤ音楽の演奏と歌。4曲目は私たちも加わって歌って盛り上がり、5曲目は、”ハッピー・バースデー”で、メンバーの一人の誕生日をお祝い。
アリエル
アリエル店内スープ
ローストビーフクリームチーズケーキ
ユダヤ音楽アリエル

20:00、店を出る。外のテントに明かりがついてきれい。
ホテルまで20分。20:30、ホテル帰着。シャワーを浴びて、22時過ぎ、就寝。



 


 8日目 8月24日(月)
クラクフ ⇒ ザリピエ ⇒ ワルシャワ

5:30起床。大きめの尾の長い白黒の鳥がたくさん飛んでいる。声は良くない。ホテルの部屋の電話が、Panasonic製!6:30から朝食。BGMはホイットニー・ヒューストンの歌。スイカが美味しい。ひと玉、80円ぐらいで売っていたとのこと。



8:00、バスで出発。18℃。ペイントの村と呼ばれるザリビエに向かう。9:50、到着。ガイドは可愛い女性のシルビアさん。村の700人の人口のうち70人がアーチスト。冬に家の中がストーブのすすですすけていたのをきれいにしようとペイントが始まった。ペイントハウスは100軒ぐらい。エテりーナさんのお家とその近所の3軒のペイントハウスとお庭を見せて頂く。お庭の花もきれいに植えられている。





10:15、教会へ。30人の女性が描いたという内部のペイントを見せて頂く。11:00、バスへ。26℃。
DOM MALAREKにてペイント作業の様子を見せて頂き、続いて私たちもペイント体験。下絵が線で描かれている上に色を塗っていくが、思ったようにはきれいにできない。







同じ建物内でランチ。きれいな飾り付け。メニューは、豆のスープ、パスタのイチゴソースかけ(パスタにチーズをかけた上に塩か名産のイチゴのソースをかける)、ハニーケーキとプラムケーキ、ハーブティー。パスタはひどく柔らかく、イチゴソースは、パスタよりもパンに付けて食べた方が美味しい。


イチゴのソース



13:30、バスで出発。ワルシャワまで約5時間半とのこと。15:35~16:05、休憩。周りにお花やトーテムポールなどがあり、目を楽しませてくれる。再びCDでショパンの曲を聴きながら行く。かなり起伏のある地形に色とりどりの家が並ぶ風景を楽しんでいたが、ワルシャワに近づくにつれて平坦な地形に変わっていく。17:55~18:10、再度、休憩。




18:50、ワルシャワの中心部に到着。





夕食のレストラン 「ホノラトカ」へ。1826年創業で、ショパンも通ったという有名な店。メニューは、モツのスープ、イノシシのリブステーキ、ラム酒とチョコレートのクリームムース。ちょっと意外なメニュー・・・。モツのスープは、具が多いもののそれほど癖が無かったのでスープだけ飲んでいたが、具が見えてきたら、お手上げ。ムースが美味しかった。
店に着いたとき、奥の落ち着けそうな席を選んで座ったが、その席がやはりショパンが好きだった席とのこと。(下の写真の左奥の額の下の席)

ホノラトカ
ショパンの席は左奥の額の下モツのスープ
イノシシのリブステーキラム酒とチョコレートのクリームムース


レストランを出て、20分ほどでホテルへ。2日目とは違って、今日はマリオットで、ロビーも室内もさすがの雰囲気。2528号室。白とベージュと茶色の落ち着いた色合い。窓から夜景を眺めると、大通りの大きな広告が10か所ほど明るく光ってはいるが、全体的に光の数は少なく、暗い。シャワーを浴びて23時就寝。




 


9日目 8月25日(火)
ワルシャワ ⇒ ドバイ 

6:00起床。いよいよ帰国の日。11:30にホテルを出るまで部屋を使えるのはありがたい。
7:00から2階のレストランで朝食。品数の多さはさすが。窓からトラムと通勤の人たちを見ながら、いつもよりゆっくり。





8:20に部屋を出てホテルの周りをひと回りし、8:50から添乗員さんの案内で地下道を通り抜け、中央駅の向こうのショッピングセンターへ。地下1階のスーパーでお菓子を買い、広い店内を3階、2階とぐるぐる回っていたが、最後に出口の近くのアクセサリー店で気に入った黒いネックレスを見つけて買おうとしたところ、3つで2つ分の値段とのこと。手持ちのズロチを使い切ろうと思い、赤と青のネックレスを追加して20ズロチ札3枚を出したら、74ズロチよ!と言われ、足りない・・・。 いとこに20ズロチを800円と両替してもらって購入。残りは硬貨 12ズロチのみ。

マリオット  ロビーマリオット

マリオット地下道
プラットフォーム






一旦ホテルに戻り、11:30にバスへ。何と、2階建てで4席ずつ向かい合わせのサロンカーのようなバス。空港への送迎に使うようなバスでは無いので、スーツケースがトランクに入りきらず、座席の通路に押し込んで出発。旅行シーズンのピークでバスの手配も大変なのだろう。





12:05、ワルシャワ空港に到着。チェックイン、セキュリティチェック、出国手続きを済ませると、お腹がすき、お菓子を食べる。14:00、エミレーツ航空EK180便に搭乗。席は19F。2・4・2列の中央列の内側。ドバイまで5時間40分。14:40発で20:20着だが、時差が2時間あるので22:20着となる。15:00に時計をドバイ時間に合わせて17:00とする。





17:20、食事のサービス。遅い昼食?チキンをチョイスしたがあまり食べられず、チョコレートのお菓子も甘すぎて、チーズとクラッカーとジュースでごちそうさま。その後、アイスクリームのサービス。
そのうち、着陸態勢に入るとのアナウンス。予定より15分ほど早く到着する様子。
20:20、熱風の吹くドバイ空港に降り立ち、バスで空港ビルへに入り、シャトルでAゲートへ。
チケットについているミールバウチャーで遅い夕食を取ろうとビュッフェに行くと、0時までクリーニングのためクローズと断られ、他を探すが、食べたい店も無かったので、しばらく待つことに。

ドバイ空港


 


10日目 8月26日(水)
ドバイ ⇒ 関西空港

午前0時過ぎから遅い夕食。1時過ぎに店を出る。
2:15、A7ゲートからシャトルバスで延々と移動し、2:35、やっとEK-0316便の機内へ。席は36B。
3・4・3列の窓側。しかも、仕切りのすぐ前なので、背もたれを気兼ねなく倒せてラッキー!
3:10、移動開始。これから関西空港まで約10時間。
夕食はチキンカレーをチョイスしたが、あまり食べられず、麺つゆの味が懐かしく美味しい。目が覚めると10:00。結構よく眠れた。関空まであと2時間あまり。北京上空あたりらしい。10:30、朝食のサービス。洋食は飽きたので、和食をチョイス。味噌漬けの魚と野菜の煮物が美味しい。
11:00に時計を5時間早めて、日本時間の16:00とする。

関空への到着が30分ほど遅れ、しかも、乗るときは後ろから乗れたのに、降りるのは前からのみなので時間がかかり、その後も、入国審査はスムーズに済んだものの、スーツケースがなかなか出て来なくて、乗車を予定していた関空特急”はるか”には間に合わなくなってしまった。スーツケースの宅配を頼み、30分後の”はるか”に乗ったが、新大阪での新幹線への乗り継ぎ時間が5分しかなく、階段を駆け上がり、とりあえず11号車に飛び乗って、動き始めた車内を自由席まで移動して何とか座席を確保。20:30ごろになって空腹に気づき、機内でもらったクラッカーなどで夕食ということに。22:33、品川到着。無事帰宅。感謝!

 


エピローグ

ツアーのメンバーが30人!しかも、そのうち男性が8人、女性が22人という構成。いつもトイレに並ぶのに時間がかかり、お料理が運ばれるのにも時間差があったのが難点だったが、添乗員さんは通訳はたどたどしかったが、よく気を配ってお世話してくださったし、お天気には素晴らしく恵まれ、ホテルも良く、良い旅だった。
今回は旅慣れた人が多かったようで、特に一人参加の人が男性2人、女性6人もいた。関空発のツアーだったこともあったのか、大きな声でのおしゃべりと大笑いに、私たちは終始、圧倒されていた感がある。そんな方々から、私たちは、「安田祥子と由紀さおりの姉妹のようだ(?)」と言われたりした。

ポーランドの街々は、辛い歴史もありつつ、それぞれに個性的で素敵な街だったが、何と言っても心に深く刺さったのは、アウシュビッツ!! 聞きしに勝る残酷さに言葉も無い。

たまたま、この旅行に出発する一週間前にサントリーホールで催された秋山和慶指揮の広島交響楽団とマルタ・アルゲリッチが共演する「平和の夕べ」コンサートを聴くことのできる幸運に恵まれ、その際、アルゲリッチが広島交響楽団の「平和音楽大使」であることを知った。また、広島交響楽団とこの時期の「平和」は原爆とは結び付いていたが、プログラムにあったアルゲリッチのメッセージにより、彼女が、第二次大戦での最も恐ろしい犯罪として原爆と並んでホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)を挙げていることも知った。ベートベンのピアノ協奏曲第1番の演奏の前や曲間に、アルゲリッチの次女のアニー・デュトワと小説家の平野啓一郎による原民喜の「鎮魂歌」とチャールズ・レズニーコフの「ホロコースト」の朗読があり、「ホロコースト」による余りにも非人道的な行為の具体的な描写は、胸に深く突き刺さった。
 

広島での「平和の夕べ」コンサート(2015年8月5日)の録画より

https://www.youtube.com/watch?v=WkiSZKSO750

マルタ・アルゲリッチ秋山和慶


  アルゲリッチのメッセージ



そして、その12日後、私は、実際にアウシュビッツ強制収容所を訪れ、朗読で聴いた行為が実際に行われた場所を目にすることになる。

そして、またその6日後 (帰国から3日後)にNHK Eテレでサントリーホールでの「平和の夕べ」コンサートの録画の放送を視聴することができ、更に深い感慨を味わった。思いもかけない不思議なめぐり合わせであった。