ロシア旅行  2011年7月



<サンクトペテルブルグ編>

■7/18(月)

サンクトペテルブルグ市街19時40分、モスクワのシェレメーチェヴォ空港からFVロシアン航空FV164便に搭乗。3−3列の中型機。席は14AとB。20時20分、離陸。サンクトペテルブルグまで1時間半。途中でキャンディーとジュースとお菓子と紅茶のサービスがあり、午後9時35分、サンクトペテルブルグのプルコヴォ空港に着陸。サンクトペテルブルグの上空からの眺めは、近代的なビル群あり、森林もありという感じ。シャトルバスで空港ビルまで来ると、現地のアシスタントガイドのオルガさんが迎えに来ている。若くてスラッとした女性。午後10時5分、バスで空港を出発。ドライバーはセルギエさん。ホテルまでは30分。午後10時を過ぎているとは思えない明るさ。でも夕日が眩しく光っていて、もうすぐ日没。少し肌寒い。ロシア共産党本部の前にレーニン像。レーニン像は、まだあちこちで見られる。



ホテルの部屋10時40分、ホテルに到着。街の中心のネフスキー通りからはバスで20分ぐらいの距離。改装されたばかりできれい。歩いて3分ぐらいの所に24時間営業のスーパーがあるとのこと。ホテルの名前は、正式にはコートヤード・バイ・マリオット・サンクトペテルブルグ・センター・ウェスト・プーシキン・ホテル。4つ星だが、遅い到着のせいか、チェックインに時間がかかって、長々と待たされる。部屋は608号室。エレベーターを使うのにカードキーが必要なシステム。部屋のテレビでNHKが見られるというので試してみると画像は出るが音声が聞こえない。シャワーを浴びて寝たのは、もう午前1時近く。

 

■7/19(火

マックの広告6時45分起床。空は青空。テレビはインターネットテレビであることがわかり、「NHK World」を英語で聞く。日本での放送そのままではなく、日本を紹介するような番組をいくつか繰り返して放送している。
朝食では焼きたてのクロワッサンが格別においしい。前の通りに出て、公園など散策。トロリーバスが走っている。
富士山の絵に「美味しい」と日本語で書かれたマックの広告を発見!
スーパーに入ってみると、並んでいるのはほとんどお酒類。ホテルの近くのスーパーに入ろうとすると、入口に店主らしい、こわい顔の大きなおじさんが二人座っていて、入る勇気が出ず、外からウィンドウに並んでいる野菜の写真だけ撮る。




運河バスで9時に出発。ガイドは、昨日のアシスタントとは別のオリガさん。こちらも若い女性。東洋人っぽいと思ったら、やはり日系で、鹿児島に1年留学したことがあるとのこと。とても聞きやすい日本語で、ホッとする。今日の予定は、午前中にサンクトペテルブルグの市内観光。市内には大きなネヴァ川の他に、モイカ運河やフォンタンカ運河などもあり、300もの橋がある。夜間には大きな船を通すために跳ね橋になるものもある。この街はヨーロッパ好きのピョートル大帝によって作られたため、ロシアの他の街とは雰囲気が異なる。最初の名前はサンクトペテルブルグだったが、第一次大戦以降にペトログラード、その後レニングラードと代わり、またサンクトペテルブルグに戻ったとのこと。



ピョートル大帝の騎士像先ずは、イサーク広場へ。騎馬像は皇帝ニコライ一世。エカテリーナ2世の孫にあたる。赤い日除けがあるのはアストリアホテル。金色の丸屋根のイサーク大聖堂の写真を撮ってから裏に回って、かつては元老院広場と呼ばれていたデカブリスト(革命児)広場へ。途中の馬の像のある白い建物は馬の練習場だったが現在は展示場として使われている。隣の黄色の建物が元老院。広場にはネヴァ川に向かって立つピョートル大帝の青銅の騎士像がある。ネヴァ川の対岸にあるのはワシーリエフスキー島。白と青の建物は人類学博物館、屋根に煙突があるのは大学。






イサーク大聖堂イサーク大聖堂の中に入る。丸屋根の聖堂としては世界で三番目に大きいとのこと。地盤が軟弱なため、木材で足場を作った上に建てられたそうで、その足場の模型もある。壁面にはモザイク画とフレスコ画。柱と床は様々な色の大理石。ロシア聖教の聖堂には珍しいステンドグラスもある。モザイク画は近づいてみないとモザイクだとわからない。外も中も重厚な印象。







ペドロパヴロフスク要塞を望むイサーク大聖堂を出て、10時45分から10分ほどネヴァ川沿いで写真タイム。左岸にペトロパヴロフスク要塞、右岸にエルミタージュの冬の宮殿。
ネヴァ川の宮殿橋を渡ってワシーリエフスキー島に渡り、赤いロストラの燈台柱の所でバスを降りて対岸の要塞を望む。ペトロパヴロフスク大聖堂の尖塔が印象的。








血の上の教会ネヴァ川を渡って戻り、マルス広場の横を通って11時15分、スパース・ナ・クラヴィー教会へ。「血の上の教会」とも呼ばれ、19世紀末頃、ロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺された地に建てられたとのこと。ビザンチンスタイルのカラフルな教会で、赤の広場の聖ワシーリー寺院と共に、カラフルさで印象に残る建物。








ロシア風水ギョウザ次に行ったお土産物屋で、ホフロマ塗りの蓋付きの器を買う。
12時15分、昼食のレストランに到着。メニューはキノコのスープ、ペルメニ(ロシア風の水ギョウザ)、ブリヌイ(ロシア風クレープ)、お茶、ミネラルウォーター。
今回のツアーでは昼食と夕食にペットボトル入りのミネラルウォーターが付くので助かる。












アニチコフ橋午後1時15分にレストランを出て、バスでサンクトペテルブルグの中心にあるネフスキー大通りを行く。フォンタンカ運河にさしかかり、橋のたもとに大きな馬の像のあるアニチコフ橋を渡る。街に電柱は無くて、建物の壁から壁へ電線が張られている。通りに信号が少ないが、土地の人は勇敢に渡っている。風格のある建物が並ぶ。










宮殿広場午後1時半、広い宮殿広場に到着。左側の白と緑の建物は、5つの建物からなるエルミタージュ美術館のメインである冬の宮殿。真ん中に立つのはナポレオンとの戦いの勝利を記念したアレクサンドルの円柱。右側の半円形の建物は参謀本部。凱旋門の上に立つのは、馬車に乗った勝利の女神像。青空の下、白を基調とした建物が美しく映える。









パヴィリオンの間冬の宮殿に入り、メイン階段である「大使の階段」を上がる。美術館と言っても宮殿なので、階段からして素晴らしい。
2階では、ピョートル大帝の間、紋章の間、1812年祖国戦争の画廊、玉座の間、ヨーロッパ中世芸術の廊下、パヴィリオン(孔雀座)の間、イタリア芸術、レオナルド・ダ・ヴィンチの部屋、ラファエロの回廊、小イタリア天窓の間、古代絵画史のギャラリー、スペイン・オランダ美術と回る。








ゴヤ 「女優アントニア・サラテの肖像」3階に上がり、近代西欧の印象派の絵画を見る。見覚えのある有名な絵画がたくさん並んでいる。
左の絵はゴヤの「女優アントニア・サラテの肖像」。

黄金の客間、婦人の私室、孔雀石の客間と回った後、1時間近くのフリータイム。ショップを見てから、通路のベンチに座ってゆっくりすることに。
世界各国の人達の姿が見える。










オーロラ号
5時集合でバスへ。その後、ネヴァ川の巡洋艦オーロラ号の近くで写真タイム。オーロラ号はロシア革命の合図の大砲を放ったそうで、バルチック艦隊の一員として日露戦争にも参加したとのこと。道路の反対側にある青い建物は海軍学校。川岸には土産物の露店がたくさん並んでいる。










5時45分、チャイコフスキー・レストランへ。看板の無い店で、レストランとは分からない。メニューは、サラダ、シャシリク(肉の串焼き)、チャイコフスキー・デザートと称するパイナップルのケーキ。お皿にチョコレートパウダーで“ト音記号”が描かれている。
食事の途中でフォークロアショーが始まる。民族衣装の男女5人が代わる代わる出てきて、バラライカ、アコーディオン、オカリナ、タンバリンと、トレーショートカという「ささら」のような楽器を演奏し、歌とダンスを披露してくれる。
ロシア人らしい体型の女性の歌声はすごいボリュームで耳にビンビン響く。踊りにお客さんを誘い、最後にちゃっかりとCDとオカリナやトレーショートカを売りつける。




運河クルーズの船7時、バスでホテルへ向かう。運河にはクルーズの船がたくさん行き来している。
一度部屋に戻ってから近くのスーパーに行ってみる。今度はお客さんがたくさんいたので中に入れたが、品物にはホコリが付いていたり、袋が皺になっていたりして、とてもお土産にできるような物は無い。空模様があやしくなってきたのでホテルに戻り、シャワーを浴びる。
10時就寝。

 






■7/20(水)

サンクトペテルブルグ市街午前6時起床。この日は、日本にいるときからずっと雨の予報だったが、雨は夜の間に降ったらしく、今朝は薄曇り程度で青空も見えている。NHKワールドニュースによると、日本では台風が吹き荒れている様子だが、帰国までには太平洋上に抜けそう。

7時から朝食。8時にバスで出発。雨がパラついて来た、肌寒い。最高気温27℃の予報。ワルシャワ鉄道駅の前を過ぎる。現在は鉄道博物館。「モスクワ駅」、「フィンランド駅」などもあり、駅の名前が行き先を表しているそうで、面白い。




楽隊8時45分、エカテリーナ宮殿の手前でバスを降りる。青空が少し見えている! 陽も照って来た。途中に二人の楽隊がいて、ガイドさんに近寄って何か話しかけたと思ったら、「君が代」を演奏し始めた。どこの国の旅行者かと聞いたらしい。黄金の門の前まで来ると、7人の楽隊が日本人と見て、「さくら」 と「荒城の月」を演奏してくれる。「白鳥の湖」の「四羽の白鳥の踊り」を演奏しながらステップを踏むサービスも。開門前のみのセレモニーらしい。





エカテリーナ宮殿
9時になり、門内にはいると、楽隊が先回りをしていて宮殿の前で演奏しながら迎えてくれる。寄せ木細工の床を傷つけないため、靴カバーを履いて入る。すごく大きな靴でも入るサイズにできている。中央階段には有田焼の大きなお皿とキューピッドの像。ほとんど一番乗りなので人が少ない。ガイドさんが「こんな人のいない中央階段を見たのは初めて」と。








エカテリーナ宮殿の庭
鏡の間、叙勲者の食堂、白の食堂、絵画の部屋などを回る。各部屋にオランダから取り寄せたというデルフト焼きの暖炉がある。琥珀の間は残念ながら写真撮影禁止。白、オレンジ、赤と、色とりどりの琥珀がびっしり貼られていて、全体的には赤っぽい感じ。第二次世界大戦中にドイツ軍に持ち去られてしまったのを修復したとのこと。エカテリーナ宮殿の創設者のエカテリーナ2世の写真も。宮殿は戦争で爆撃を受けて甚大な被害を受けたため、今も大規模な修復工事を行っている。1時間ほど見学してから20分ほどのフリータイム。宮殿のお庭を散策。緑の中に白いキャメロン・ギャラリーや金色の屋根の聖堂が美しい。フルートで「アヴェマリア」を演奏している男性がいる。




ピロシキ
10時50分からバスで南西のバルト海沿いの方角へ向かう。
11時40分レストランに到着。ホテルの中のレストランで、結構式場のよう。
メニューは、キャベツのスープ、ピロシキ、魚料理、焼きリンゴ、中国緑茶(ティーバッグ)。








東屋
13時にバスへ。10分ほどでピョートル大帝の夏の宮殿に到着。
空にはきれいな青空が広がっている! 門を入ると目の前にあるのは、屋根の上の尖塔に双頭の鷲の付いている東屋。









ピョートル大帝 夏の宮殿
その先は、右側に宮殿、左下に噴水が200以上あるというお庭が広がり、その向こうにはフィンランド湾。大滝とサムソンの噴水を見ながら階段で下の庭園に降り、ローマの噴水、龍の噴水、ピラミッドの噴水などを見て回る。どれもポンプは使わず高低差を利用した水の力で上がっているとのこと。










いたずらの噴水
ピョートル大帝はいたずら好きだったそうで、「いたずらの噴水」と呼ばれるものがいくつかある。ひとつは、並木道を行くと、突然、道の両脇から噴水が出てきて、びしょ濡れになるというもの。現在は午後1時、2時、3時に1分ほどずつ水が出る。濡れることを楽しもうとする人達が集まったところへかなりの勢いで水が出て、歓声が挙がる。少し離れたところに、子供達が敷石の上で遊んでいるところへ突然下から噴水が出てくるのもある。これは、後ろのベンチに座っているスタッフが操作している様子。




モンプレジールマリンバを演奏している人達がいる。そして、回る太陽の噴水。モンプレジール(私の楽しみ)という名のピョートル大帝の一番好きな宮殿へ。フィンランド湾に面している。湾内は遠浅のようで、船着き場からは水中翼船が出ている。
アダムの噴水というのがある。
先ほどは、黒とグレーのツートーンカラーのカラスを見たが、今度は木の上にリスがいる。ここまでは西の庭園。たいてい、ここまでしか来ないそうだが、大滝から続く運河の橋を渡って、西の庭園に行くことに。






マルリー小宮殿
イブの噴水、池に囲まれたマルリー小宮殿、金のカスケード(階段の噴水)などを回って、午後3時15分に東屋のところまで戻る。お天気は良く、日影は爽やかな風が吹き、絶好のお散歩日和!











ビーフストロガノフ午後3時半、バスで出発。1時間ほどでホテルに戻り、一休みしてから5時出発で夕食のレストランへ。20分ほどで到着。メニューは、キノコのサラダ、ビーフストロガノフ、アイスクリーム、お茶。
午後6時半にお店を出てバスへ。エルミタージュ劇場を回ってホテルへ戻るのに、運河沿いの道が渋滞していて午後7時20分にやっと到着。










フォンタンカ運河部屋に戻ってから、昨日行かなかった通りの方へ散策。フォンタンカ運河沿いにしばらく歩くうちに“HETTO”というきれいなスーパーを見つけて入ってみる。お土産になりそうなお菓子を少し買ったが、まだ残っているルーブルで買えるだけのリプトンのリーフティーを買う。午後8時45分、ホテルに帰り、シャワーを浴びた後、明日の帰国のための荷造り。大した物は買っていないが、スーツケースが20KGを超えないか心配。11時就寝。







フォンタンカ運河バレーを見に行った人達が帰ってきたらしい声がする。あとで聞いた話だが、アシスタントガイドのオリガさんは、バレリーナとしてエルミタージュ劇場で踊っていたそうだ。毎日、観光客向けの「白鳥の湖」ばかり踊っているのが嫌になり、一念発起してガイドと日本語の勉強をしたそうだ。1年間、滋賀県に留学もしたとか。白鳥の湖のあらすじの漢字交じりの文章も何とか読んでいた。





 

■7/21(木)

カラフルな清掃車午前6時40分起床。空は快晴! 朝食後、最後の朝の散策へ。空気は爽やか。風が心地よい。フォンタンカ運河沿いを昨日のスーパーの先まで行く。街路樹のポプラの綿毛が舞っている。カラフルな清掃車。













芸術広場部屋に帰り、午前9時半にバスで出発。午前中はネフスキー大通り周辺の観光。
このあたりの良い季節は5〜10月で、あとは雪が降る暗い季節とのこと。馬の彫刻のあるアニチコフ橋を渡り、9時45分、プーシキンの像がある芸術広場へ。1時間半余りのフリータイム。










ネフスキー通り10時の開店を待ってショッピングアーケード“パッサージュ”を通り、その地下にあるスーパーへ。昨日のスーパーより高いみたい。
ネフスキー通りに出て、地下道を通り、向かい側のショッピングセンター“ガスチーニィ・ドゥヴォール”にも行ってみる。
芸術広場に面したお土産屋で最後に残った35ルーブルでマトリョーシカのキーホルダーを買う。店員さんの日本語が上手。








元はビール工場だったレストラン11時半、バスで昼食のレストランへ。元はビール工場だったそうで、地元では有名なレストランとのこと。
右手の部屋には訳の分からない日本語の垂れ幕がたくさん下がっている。
メニューは、シーザーサラダ、チキンカツ、アイスクリーム、お茶、ミネラルウォーター。











プルコヴォ空港午後1時にバスへ、いよいよ、空港へ向かう。40分ほどでプルコヴォ空港に到着。意外に規模の小さい空港。建物の外は風が爽やかだったが、中に入ると冷房は無いし、寒い国らしくガラス張りの天井から陽が射して陰になる所もなく、暑い。個人チェックインのあと、出国審査を済ませて、免税店を見てからセキュリティチェックを終えると、午後3時20分。ここからフィンランド航空でヘルシンキまで行って乗り換える。









ヘルシンキ行きの飛行機
午後3時40分に搭乗の予定が、4時になってやっとシャトルバスに乗る。バスを降りたところでこれから乗る飛行機の写真を撮っていたら、制止された。ロシアでは空港での撮影には気をつけるようにと聞いていたので、往路は注意していたのに、うっかりしていた。2−2列の小型機。席は14AとB。










サンクトペテルブルグ上空午後4時半を回った頃にやっと飛び立った。席が残念ながら翼の上なので、景色がよく見えないうちに雲の上へ。フィンランド時刻に合わせて、時計を1時間遅らせる。少ししてアップルジュースのサービスがあったと思うと、もう高度を下げ始めている。











ヘルシンキ空港午後4時20分、ヘルシンキ空港に着陸。シャトルバスで空港ビルに入るとすぐにセキュリティチェック。乗り換え時間の余裕はほとんどなくて、すぐに35番ゲートから搭乗。ゲートのところで、5年前の北欧旅行の時にお世話になった添乗員の武田さんがいるのに気付いたが、話しかけることはできなかった。











フィンランド航空午後5時48分離陸。JALとの共同運行便。関西空港まで約10時間。前の席の外国人のおじいさんは椅子をかなり倒して来るし、後ろの外国人のおじさんはしきりにごそごそして椅子を動かすし、居心地が悪い。夕食はチキンパスタ。食後は、首枕も足置きもしっかりセットして眠る。

 






■7/22(金)

午前1時過ぎに起こされる。あと2時間ほどで到着とのこと。時計の針を6時間進めると、午前7時。7時半から朝食のサービス。シンプルなチーズバーガーとヨーグルト。予定より10分ほど遅れて9時過ぎに雨の関西空港に到着。スムーズに機内から降りられて、入国審査に並ぶ人も少なく、スーツケースを宅配に預けても、予約していた特急までに余裕がある。はるか号、新幹線と乗り継いで、午後2時過ぎ品川着。途中の川が濁った水で水かさが増していたが、台風6号で記録的な大雨だったそうだ。

 

■エピローグ

18日にセルギエフ・ポサードのトロイツェ・セルギエフ大修道院で写真券を買ったときに付いてきたCDは、写真データが入っているものとばかり思っていたが、帰宅してからパソコンで再生してみたら、ロシア正教の聖歌が20曲ぐらい入っている音楽CDだった。深みのある男声のア・カペラの曲で、グレゴリオ聖歌よりもメロディックな感じ。大修道院の中で聴きたかった。


ロシア語のキリル文字は、英語と同じアルファベットもあるものの、読み方が違うのでローマ字読みもできず、表示があっても意味を推し量ることができないので困った。
まず覚えたのは、街でよく見かけた“PECTOPAH(ペクトパー)”。本当は”リスタラーン”と発音するらしい。ロシア語のPは英語のRCSHNなので、つまり、“RESTORAN(レストラン)”のこと。
発音はわからないが、見て分かるようになったのは、ВХОД (入口)と、ВЫХОД (出口)の表示。
挨拶で覚えたのは、“
Доброе утро.”(ドーブラェ・ウートラ)(おはようございます)ぐらいだった。