チュニジア旅行記

2024.11.19〜28

1日目 11月19日(火) 出発 ⇒ 関西空港 ⇒

2020年にツアーに2回も申し込んだものの、コロナ禍でお預けになっていたチュニジア行き。今年の春頃に予約して、まだまだ先だと思っていたが、暑くて長い夏が過ぎると、もう目前に迫っていてビックリ! 関西空港からの出発なので、3日前にスーツケースを送り出した。チュニジアは地中海式気候で平均気温20℃前後。この時期の日本より暖かいとのことだが日本も急に冷え込んできたので、温かい衣類も持って行くことに。夜の便だと呑気にしていたが、昼食を済ませると急に慌ただしい気分になり、16時前に家を出る。品川駅からのぞみで新大阪駅まで。そこで特急はるかに乗り換えるが、吹きさらしのホームの寒いこと。ビルの壁に「10℃」と出ている。はるかの中で品川駅で買ったサンドイッチを食べ、20:30に関空に到着。同行のいとこに会い、宅配のスーツケースを受け取りに行ってから阪急交通社のクリスタルハートのカウンターでチェックイン。事前に電話をもらっていた添乗員の松田さんは、元気のよい女性。エミレーツ航空のビジネスのカウンターでの優先受付でスムーズにセキュリティチェックへ。関空の中も以前よりずいぶん広くなっていて、シャトルに乗ったり、長々と歩いたりして、やっと11番ゲートにたどり着く。すぐ前にあるJALの飛鳥ラウンジに入るが、お腹が空いていないので、コーンスープだけいただく。
22:45搭乗。2階建てジャンボの2階。席は10B。いとこと前後だが、しっかり囲まれているので、座ると顔も見えず、話もできない。

 

CAさんは、赤い帽子から白いスカーフが下がったピンクベージュのユニフォーム。ジュースのサービスに続いて、ブルガリのアメニティセットとラウンジウェアの上下セットが配られる。23:30、飛行機が動き始めたので、時計をドバイ時間に合わせて5時間遅らせ、18:30に。ドバイまでの飛行時間は約11時間半。水平飛行になると間もなく、夕食の注文を取りに来た。ビーフとチキンとお寿司の三択で、お肉は食べる気がしなかったので、お寿司をチョイス。19時、注文したお寿司とノンアルコールのオレンジフィズが運ばれて来る。期待はしていなかったものの、機内の照明を半分ほど落とした中での食事でもあり、半分も食べられず。20時過ぎ、CAさんがベッドパッドを敷きに来てくれる。何といっても横になれるのは嬉しい。


2日目 11月20日(水) ドバイ空港 ⇒ チュニス ⇒ スース

夜中に一度目が覚めたが、また眠り、朝食の注文を取る声で目が覚めると3時。パンケーキをチョイス。後方のトイレがCAさんの居るギャレーを通るので面倒だと思い、前方のに行ってみたらこちらも同じ。ラウンジにもあるので行ってみてくださいと言われる。朝食はおいしかった。特にカップケーキが温かくてフワフワ。
5時、機内の片付けが始まる。ドバイの夜景がきれい。5:45、乗り継ぎのドバイ空港に着陸。気温25℃。蒸し暑い。次のゲートはB31aとのこと。ゲートは、A,B,Cとあり、それぞれ長さが2キロ。Aに着いたので、シャトルでBに移動。その途中に見覚えのある巨大なエレベーター群。Bの真ん中あたりで一旦解散して、エスカレーターで上がるとすぐにビジネスのラウンジ。さすがに広いがそれでも空席をなかなか見つけられない。やっと見つけて座るが、飲食をする気分でもなく、しばらく下階の免税店街を眺めたりして過ごす。

 

7時にラウンジを出てB31ゲートへ。ところがまたそこからバスに長々と乗り、タラップを上って機内へ。席は、11B。こちらはいとこと隣り同士。9:05、移動開始。朝食の注文を取りに来たので、クリームチーズペストリーとトマトジュースをチョイス。添乗員さんから、砂漠の観光の際にスターウォーズの撮影セットがあるので、機内で エピソード4〜A New Hope〜を見ておくと良いとのアドバイスがあったので、10時過ぎから見始めるが、ストーリーを知らないので訳がわからない。他のアニメを見ようと思ったが疲れるのでやめることに。12:30、昼食の注文。スープとチキンをチョイス。先にスープとサラダとパンが運ばれてきて、チキンが来た頃にはもうお腹がいっぱいでほとんど食べられなかったが、味は美味しかった。ドバイからの飛行時間は約7時間だったが、その間に2度もお食事があったせいか、何となく落ち着かなくて、やっとウトウトしかけたところへ着陸のアナウンス。

15時半、いよいよチュニジアの首都チュニスに到着。24℃。東京は午後8時。昨日の午後4時に家を出てやっと到着。やはり遠かった。時計をさらに3時間遅らせて、現地はお昼の12時半。
スーツケースがなかなか出て来なくて、13時半にやっと入国。空港内で、日本ではできなかった両替。円よりドルの方がスムーズとのことで、とりあえず、30ドルを90ディナールに。
14時、バスで出発。ドライバーはズベールさん、英語ガイドはメディさん。日本からのイヤホンガイドはドバイの空港をパスできないとのことで、ここで、小さなイヤホンガイドを配られる。ツアーのメンバーは13名で、そのうち男性は3名。

 

まず訪れたのは、バルドー博物館。しばらく閉館していたのが再オープンしたとのこと。スース近辺の教会や家の床から取り出したモザイク画が壁画として展示されている。オリジナルの物で色褪せはしない。王政の頃、宮殿として使われていた部屋も。鳥の画は平和の象徴。日常生活を表した画もある。レースのような壁は石灰岩を手彫りしてあるとのこと。ベネチアから来たシャンデリアも。

 

15:30、バスへ。イスラム教の礼拝の時間を知らせるアザーンが聞こえる。今日の宿泊地スースまで約2時間。チュニジアは日本の三分の二ぐらいの広さ。チュニジアには古い「マグレブスタイル」と呼ばれる四角いミナレットを持つモスクが多い。通貨はディナール。1ディナール=50円。1ドル=3ディナール。銀色の硬貨は使われているが、金色の硬貨はミリームといって1000ミリーム=1ディナールなので、ほとんど使われていない。紙幣は10、20、50、100ディナールがある。枕チップは2ディナールか1ドル。レストランの飲み物には10%のチップを加えて。17時、休憩。ナッツや雑貨、果物などの露店を見る。

 

 

18時、スース・パレスホテルに到着。ロビーにある背もたれの高い椅子が面白い。部屋は3318号室。中庭のプールサードを通って別棟の3階へ。充分な広さの落ち着いた色調の部屋。もう外は真っ暗だが、オーシャンビューらしい。明日の朝が楽しみ。
7時からホテル内のレストランで夕食。ビュッフェで、種類はたくさんあるが、疲れているせいか、あまり食欲が無い。食後、浜辺に出てみる。夕焼けが終わりかけたところ。細かくて白い砂がきれい。シャワーを浴びて22時就寝。

 


3日目 11月21日(木) スース ⇒ ケリビア ⇒ ケルクアン ⇒ スース

5時半起床。うっすらと明るくなってきている。7時から朝食。食後、浜辺へ。朝焼けがきれい。

 

8時、バスで出発。地中海を見ながら、ケリビアへ向かうが、曇り空なのが残念。チュニジアでは無料で大学まで行けて、無料の病院もあるとのこと。意外に緑が多い。道路脇にはオリーブの木の畑が延々と続く。丁度これから収穫の時期とのこと。ウチワサボテンの群生地や湿地帯も見える。
9:30、ナブールという町のガソリンスタンドで休憩。陶器の町。しばらく行くと、川の対岸にフラミンゴの大群。毎年、冬になると来るとのこと。

 

チュニジアでは地震は無いが、洪水が怖い。3000人もの人が亡くなったことがある。松ぼっくりは、海の災害の後も再び芽を吹くので、災害をはねのける象徴。平均月収は約20万円。野菜は安く、自給自足も可。子供は平均3〜4人。一番下の子が親と一緒に住んで面倒を見る。家は、一階部分が倉庫など、二階部分が住居で、三階は家族な増えるなど必要に応じてDIYで増築する。赤土のレンガを使っているが、暑さ対策で白く塗っている。人口の99%がイスラム教。猫は大事にされているそうで、あちこちでたくさん見かけるが、犬はあまり見かけない。

11時、ケリビアに到着。紀元前5世紀に作られ、その後破壊されたがローマ時代に復興された。現在は農業と漁業の町。サバ、イワシ、マグロが獲れる。シンボルは丘の上にあるビザンチンの城砦。入口を入ると、左側は10世紀に造られた城壁、右側はオスマントルコが来た17世紀に造られたもの。丘の上に上ると、眼下の海岸線の眺めが美しい。夾竹桃やおしろい花が咲いている。だんだん青空が出てきた。11:45、城砦を後にする。

 
 

12:15、ケルクアンに到着。カルタゴの遺跡は塩を撒いたりして徹底的に滅ぼされたが、その中で唯一、滅ぼされなかったのがケルクアン遺跡(世界遺産)。後年、釣り人が見つけ、発掘された。お金持ちの広い家、お風呂の床のモザイクタイル、共同浴場、水路などの石積み。身分の高い人の衣装に使われた紫色の染料が貝を腐らせて作るため大変臭く、それを洗うために各家庭にお風呂が作られていたらしい。海岸の景色も美しい。13:15、出発。

  

 

13:30、海沿いのレストランでランチ。メニューは、スープ、鯛のグリル、デザートはチョコレート。ここはボン岬の突端。周囲の景色も素晴らしい。天気の良い時には、シチリア島も見えるとのこと。
農業と観光業が主で、娯楽は少ないが、ナツメヤシ祭りとかバラ祭りなどのお祭りがあり、海賊パレードなども。チュニス以外で男女がカップルで歩いている姿は見られない。公用語はアラビア語とフランス語(第二次大戦の10年ほど後にフランスから独立。)

  
 

16時、途中のコーヒーショップでトイレを借りる。店内には男性ばかり。こういう店には、現地の女性はなかなか入れないとのこと。1ディナール払ったが、便座が無い上にドアが閉まらない。
バスの車窓から見ていると、軽トラックはほとんどと言ってよいぐらい、日本のISUZU製。17時、日没。

 

連泊のスースのホテルの部屋に戻る。なんと、カードキーが使えず、フロントまで長い道のりを戻って作り直してもらい、念のため、スタッフについてきてもらったりして、疲れた。

 

19時からの夕食は、ホテルの12階のレストラン。展望は効くが、明かりが少なく、街全体が暗い感じ。
メニューは、タコのサラダ、スープ、ビーフ、アイスとチョコのデザート。飲み物は、チュニジアの炭酸飲料Bogaを注文。炭酸がまろやかで飲みやすい。9ディナール。ヴァイオリンの生演奏。
 
 

21時、部屋に戻る。昨晩、寒かったので、頼んでおいたエキストラ毛布が届いている。シャワーを浴びて、23時半就寝。


4日目 11月22日(金) スース ⇒ エルジェム ⇒ スファックス

5時半起床。朝食後、浜辺へ朝日を見に行く。雲が無く快晴。海がきれい。

 

8時にスーツケースを部屋の外に出し、9時に徒歩で出発。スースのメディナ(旧市街)は世界遺産。グランドモスクの前を通って市場へ。細い通りの両側に小さな店が軒を連ねているが、水タバコを吸う男性がずらっと座っていて怖いようなところも。市場を出たところで、陶器の店を見つけ、チュニジアンブルーの小さな器を買うことに。40ディナールと言われたが、35ディナールにディスカウント。

 

 

10時にバスへ。朝は肌寒く、セーターにジャケットを着て出たが、暑くなってきた。車窓には延々とオリーブ畑が続く。その根元に黄色い花が絨毯のように咲いていてきれいだと思っていたら、カタバミの花で、いつも咲いている訳ではなく、3週間前の洪水で種が流れてきて咲き出したものとのこと。

11時、エルジェムに到着。世界遺産の円形闘技場が青空の下にそびえている。壁面には元は大理石が貼られていたが、今は砂岩の土台のみ。でも、ローマのコロッセオより保存状態が良く、闘技場の床も残っており、地下の部屋は闘者や動物たちの待合室。毎年、夏には大きな音楽フェスティバルが開催されるとのこと。


 

 



12時半、ホテル内にあるレストランでランチ。メニューは、キッシュ(チュニジアではタジン)、海老のパスタ、デザートはザクロの種とオレンジとリンゴのフルーツサラダ。

 




13時半、バスでスファックスに向かう。チュニジアの若い人たちの行きたい国は、アメリカ、タイ、エジプト。
甘いものといえば、「ハルワ・シャミヤ」。バニラ風味のゴマペースト。

15時、スファックスのホテルに到着。観光の前にチェックイン。309号室。広くてベッドが3つある。

 
 

15:40に再集合。スファックスはチュニジア第二の都市で、商工業の中心地。徒歩でメディナ(旧市街)に向かう。城壁が美しい。スーク(市場)へ入ると、狭い通りに雑多な店が並んでいる。「こんにちは」と声がかかる。
スーパーを覗いて、お土産のお菓子の試食用を買う。

 
 

17時、ホテルに戻るが、部屋のWifiの電波が弱く、エレベーターホールまで出て行ってスマホを使う。
19時、ホテルのレストランで夕食。チュニジアンサラダは、キュウリやトマトを細かく刻んだものにドレッシングをかけていただく。何度もお目にかかるうちに慣れたが、最初は、その細かさに驚いた。

 
 
 

部屋のトイレが別室になっているのは良いが、水の出が悪く、10〜20回もプッシュし続けてやっと流れる。
シャワーを浴びて、22時過ぎ就寝。


5日目 11月23日(土) スファックス⇒ マトマタ ⇒ トズール

5時起床。8:10出発。おはよう!は、サバーハルヒール! 快晴、風があり、涼しい。ドライバーさんも日本語が少々できて、数も数えられるとのこと。南の方のマトマタに向かう。こちらも窓の外は延々とオリーブ畑。
10時半、コーヒーショップで休憩。トイレは1ディナール。男性が水タバコを吸っている。町では。羊やラクダの肉も売っている。
電気は、現在は8割が火力発電だが、2030年までには、太陽光発電や風力発電に変えて行こうとしている。

 

民族構成は、98%がアラブ人だが、ベルベル人と呼ばれる人たちが1〜2%いる。岩に掘った2階建ての穴に暮らしていて、外ではアラビア語を話すが、家族ではベルベル語を話す。1ヶ月も雨が降り続いて岩の家が崩れ始め、新マトマタという町が造られてそちらに移住した人達もいる。この辺りには3000人ぐらいが住んでいて、穴倉生活をしているのは300人ぐらい。オリーブを売ったり、山羊を育てたり、観光業などで暮らしている。
あたりは、小高い山が連なる風景で、象の背中のよう。独特の絵になる雰囲気。岩の家は外からでは分かりにくいが、衛星写真で見ると月のクレーターに似ていることから、1967年に映画「スターウォーズ」の撮影で使われた。
11時にベルベル人の穴倉式住居に到着。昔使っていた汲み上げ式の井戸や、住居の中も見せて頂き、焼いたパンもご馳走になった。裏山に上って上からの眺めも楽しんだ後、スターウォーズの博物館になっているスペースも見学。

 
 
 
 

続いて、ホテル・シディ・ドリス内の穴倉レストランでランチ。メニューは、ブリック(前菜)、鶏肉のクスクス、デザートはオレンジ。12:40に出発。

 
 

14時半、休憩。風がすごい。トズールに向かう途中で塩湖(ショットエルジョリド)に立ち寄る。広さは90キロ×70キロ。塩分は20〜40%。水は少なくて、ぬかるんだ土に塩が浮いている。硫酸カルシウムの大きな結晶は、砂漠のバラと呼ばれる。1980年代に塩湖の真ん中に造られた道を行く。バスの右手にはアトラス山脈。反対側は地平線まで見渡す限りの塩湖。

 
 

16時半、トズールのパームビーチパレスホテルに到着。220号室。ベッドが3台。エレベーターから遠い。
ここも部屋ではWifiが使えないので、夕食までロビーにおりる。19時からホテルのレストランでビュッフェの夕食。種類がとても多い。シャワーを浴びて22時過ぎ、就寝。

 
 


6日目 11月24日(日) トズール⇒ ケロアン

5時起床。希望者だけ6:15集合で、3台の4WD(トヨタのランドクルーザー)に分乗してジャメル砂丘へ。サハラ砂漠の日の出を見に行く。気温10℃とのことなので、しっかり防寒して出かける。真っ暗な中を行くうちに段々と明るくなっていく。砂丘に着くと小高い丘に上り、日の出を待つ。足もとの砂はサラサラできれい。足が埋もれるほど柔らかくはない。風紋が美しい。風があって寒いので、一時、車の中に避難。7:10、日の出。雲が無くて最高!
近くにスターウォーズの撮影時のセットがあるのを見に行く。飛行機の中で映画を見た時には訳が分からなかったが、見ておいてよかった。ひとこぶラクダを見かける。ラクダのこぶには脂肪と水があって、10日間ぐらい水なしで生活できるらしい。7:40出発、ホテルに戻る。車窓から朝市を見る。売っているのは衣類のみのよう。

 
 

8:15、ホテルに帰着。すぐに朝食。焼きたてのクレープにチョコレートを塗ったのが美味しかった。食後、ホテルの外を散策。トズールの街はナツメヤシで有名。アルジェリアとの国境に近い。白い日干し煉瓦の家の独特な凹凸模様が美しい。
9時半、スーツケースをドアの外に出して、10時出発。10:15から馬車に4人ずつ乗ってオアシスに向かい、ナツメヤシの林を歩く。背の高い木にナツメヤシの実(デーツ)が鈴なりになっていて、地面にもたくさん落ちている中を歩く。年配の男性が裸足でてっぺんまで木登りをして見せてくれた。

 
 

11時、バスに戻り、メディナ(旧市街)へ。凸凹模様の美しい日干し煉瓦の建物を見る。
カラフルなラグを売っている所も。

 

 

市場では野菜、果物、肉、魚などが売られている。「こんにちは」、「こんばんは」とあちこちから声が掛かる。

 
 
 

12時、バスに戻り、12:20から ”CAFE MUSEE RESTAURANT”でランチ。メニューは、サラダ、チュニジア風ピザ、メインは定番料理の「オジャ(卵とトマトの料理)」、デーツ、飲み物はBoga(6ディナール。

 

 

 


13時半、バスで出発。北のケロアンへ向かう。つい最近、政府の規制が解除されて近道できるようになり、400kmだった道のりが290kmに短縮された。ケロアンは、アフリカで一番最初にモスクが建てられたところ。
14時半過ぎ、チュニジアの中央部にあるガフサという町で休憩。青空と風が気持ち良い。ゴルフ場もある。街の中には信号は無くてロータリーになっている。17時、休憩。ウチワサボテンに赤い実が鈴なりになっているのが可愛い。
18時半、ラ・カスバ・ホテルに到着。カスバ(城壁)に囲まれた立派で大きなホテル。408号室。ここも長い廊下でエレベーターから遠い。夕食はホテルでビュッフェ。欧米人の観光客がたくさん。シャワーを浴びて20時就寝。


 


7日目 11月25日(月) ケロアン ⇒ シティ・ブ・サイド ⇒ チュニス

5時起床。朝食後、プールのある中庭に出てみると、小鳥が驚くほどたくさん鳴いて飛びまわっている。今日の最高気温は22℃とのこと。少し肌寒い。

ここケロアン(カイルアン)は聖地。7回来ると、メッカに1回お参りしたのと同じ価値があるとのこと。今日はドライバーさんも正装。黒いネクタイには何と、白字で日本語の文字が書かれている。
8時、出発。アグラブ朝の貯水池へ。隊商で来た人たちが造ったもの。大小二段になって濾過される仕組み。観光案内書の建物の50段ほどの階段を上がって屋上から2つの円形の貯水槽を見る。階段の途中にサボテンオイルを売る店があり、通りすがりに手の甲にオイルを塗ってくれたり、頼みもしないのに写真のモデルになってくれたりする名物おじさんがいる。

 
 


8時半、シディ・サハブ霊廟へ。後にモスクや神学校が併設された。タイルとレースのような壁がきれい。聖者の眠る霊廟の前は撮影禁止。

 

 

9時、グランドモスクへ。アフリカ最古のもの。女性はスカーフで髪を覆って入る。要塞のような外壁の内側には回廊に囲まれた中庭。雨水の濾過装置があり、中央に日時計。どっしりしたミナレットがそびえる。

 

 

  


メディナ(旧市街)を歩く。白と青が美しい。
パンを焼いている店がある。丸く平たく大きなパン。男の人たちが焼き上がりを待っている。
布を織っている人も。

 

 

 


9:55、ビル・バルータへ。ビルは井戸のこと。建物の2階に約20mの深さの井戸があり、そこに繋がれているラクダが井戸の周りを歩くとロープで水がくみ上げられる仕組み。このラクダは、毎日、階段を上がって出勤してくるとのこと。

 

 

10:10、バスへ。シディ・ブ・サイドに向かう。11時半、休憩。日本のアニメソングをフランス語で歌って人気の歌手クレモンティーヌの曲を聴く。サザエさん、天才バカボン、一休さんなど。原曲とはまるで雰囲気が違う。
12時半、チュニス湾とチュニス湖が見える。

 


12:45、シディ・ブ・サイドに到着。石畳の坂の両側に白壁に青い窓の家やカラフルなお店が並ぶ中を上る。

 

 

 

13時、海の見えるレストランでランチ。階段の壁には訪れた有名人の写真。入口にはマンデラさんの写真も。
メニューは、チュニジアン・サラダ、魚介のグリル、デザートはフルーツ。

 

 

 

海沿いの景色の良い所で写真撮影の後、14時半に海を見下ろす人気のカフェへ。ミントティーをいただく。混んでいると思ったが、普段はもっと混んでいて、今日はクルーズ船が入港していないので空いているとのこと。ラッキー!

 

 

しばらく、雰囲気を楽しみつつ散策し、スーク(市場)の中を歩き、デーツの高級店(DEYMA)にも寄って、16時にバスへ。途中、スーパー(カルフール)にも立ち寄る。

 

 


18時にシェラトン・チュニス・ホテルへ。103号室。今度はエレベーターに近くて良かった。
19時からホテル内のレストランで夕食。20時、部屋に帰りシャワーを浴びるが、お湯がぬるい。21:40就寝。

 


8日目 11月26日(火) ドゥッガ ⇒ チュニス

6時起床。7時から朝食。食後、ホテルの敷地内を歩いてみる。高台にあり、自然を生かした素晴らしい造り。

 

 


9時出発、世界遺産ドゥッガ遺跡へ。添乗員さんから神話にまつわるお話を聞きながら行く。
10時半、到着。世界遺産のためか、入口で時間のかかる手続き。ここは、ヌミディア王国の都市として栄えた後、他の町が築かれなかったため、きわめて保存状態が良い。11時、19段の観覧席のある半円形のシアター。石段を上ってその向こうの風の広場へ。マーキュリー神殿の立派な姿。青空の下、美しい。陽射しはきついが風が涼しい。続いて浴場跡を見る。床のタイルの色彩が残っているところも。12:40バスへ。

 

 

  

 


13時、ランチはホテル・ドゥッガ内のレストランで。メインは、ビーフ、チキン、イノシシの三択。イノシシ料理が名物とのことなので、イノシシをチョイスしたが、肉質が固くイマイチ。あとは、ポテトサラダとフルーツカクテル。

 



14時、バスへ。チュニスに向かう。今日は薄いすじ雲が所々に出ているが快晴。先週は雨続きだったとのこと。車窓から車を見ていると、軽トラックは、驚くほどほとんど ISUZU のマーク。たまにMITSUBISHI。乗用車は、フランス製と思われる。黄色い車はタクシー。
チュニジアでは、結婚する時は、お祝いとして欲しい物のリストを渡してその中から物でもらう。誕生日には本人がパーティーを開いて招待し、祝ってもらうとのこと。

15時半、チュニス市内に到着。久しぶりの都会という感じ。メディナのスークをゆっくり見た後、広場のベンチに座ってのんびり。17時、日が暮れて来て、通りの街灯が灯る中をバスへ。

 

 

 

 

18時半、チュニジアでの最後のディナーは、チュニス近郊のリゾート地、ガマルタ地区の高台にある有名なシーフードレストラン”Grand-Bleu"。新鮮な魚介類のディスプレー。オープンエアのスペースに案内され、寒いと思っていたら、暖房してくれた。最初に前菜が2皿。次に盛りだくさんの魚介類のお皿が来て、お腹がいっぱいになり、デザートを待っていたら、大きなお魚のグリルが運ばれてきてビックリ!半身も食べられなかった。デザートはアイスクリームとチョコレート。

 




21時、バスへ。21時半、連泊のシェラトンホテルに帰着。シャワーを浴びるが、今日は、時間が遅いせいか、宿泊客が少ないのか、しっかり熱いお湯が出て満足。23時半就寝。


9日目 11月27日(水) チュニス ⇒ カルタゴ ⇒ チュニス空港 ⇒ ドバイ空港
6時起床。7時朝食。今朝もホテルの敷地内をぐるっと回る。部屋に帰り、スーツケースをドアの外に出して、9時集合でバスへ。

 

9時半、いよいよカルタゴ遺跡に到着。カルタゴは、かつてオリーブの木がたくさん植えられ、グリーンの街と呼ばれて、農業や海上貿易で大いに栄えていたが、ローマとの三度のポエニ戦争の末に陥落する。カルタゴの不屈の力を怖れたローマ軍は、廃墟に塩を撒いて徹底的に破壊したが、後にカエサルが復建し、ローマ帝国第三の都市となった。しかし、アラブの侵入後、中心はケロアンに移り、再び廃墟と化して忘れ去られていた。
まずは、アントニヌスの共同浴場へ。当時のローマ皇帝によって建設されたもので、2階建てで、大理石、モザイクなどが贅沢に使われた100以上の部屋があった。
土産物屋で青い色がきれいな小さい陶器の飾り物を見つけ、25ディナールと言われたが、これしか無いと、お財布の中身を全部出して、15ディナールにディスカウントしてもらって購入。

 

 

 

 

10時半、一旦バスに戻り、古代カルタゴの中心だったピュルサの丘へ。街を見下ろす丘の上にはフランスによって建てられたサン・ルイ教会。今はコンサートホールなどに使われている。続いて、聖域(トフェ)へ。たくさんの幼児の墓が並ぶ。神にいけにえとして捧げられたという。

 

 

11:10、バスへ。11:30、チュニス空港に到着。システムダウンのため、チェックインが進まず、長々と列に並んで待ち、12:15に再開。12:30にやっとチケットを手にする。ここのセキュリティチェックでは、靴も脱ぐ。
13時、ラウンジで軽食を取り、税関申告書に記入。ゲート54まで行き、14:15、搭乗。席は7K(窓側)。15時離陸。時計をドバイに合わせて3時間進めると18時。18:15、ベッドパッドを敷きに来てくれる。18:35、ランチの注文。前菜はパスして、サーモンとフルーツとトマトジュースをチョイス。20時からお食事。フルーツは色のきれいなセットだが、冷えすぎているせいか、味が無い。ジュースには小皿一杯の温かいナッツが添えられている。

 

 

 

20時半からシートをフラットにしてしばらく眠る。22時を過ぎると、もうベッドパッドを片付けに来る。23時、真っ暗な中にドバイの町の一面の光が見えてくる。23時半、ドバイ空港に到着。バスに長々と乗って降ろされたのは、Bレーンの中ほど。乗り継ぎのゲートはC13。重い手荷物を持って、B1までたどり着くと、その先はC23。そこからC13まで行く途中にラウンジがあったのに、動く歩道に乗っていて行きすぎて戻ることに。

10日目 11月28日(木) ドバイ空港 ⇒関西空港 ⇒帰宅
0:10、ラウンジに席を見つけ、フルーツとケーキとコーヒーをいただく。
2時半、搭乗。席は10B。ジュースをいただく。3時半、離陸。時計を5時間進めると8時半。日本はもう朝。
機内のモニターに、メッカの方向と1日5回のお祈りまでの時間が表示される。イスラム教の人々の信仰の深さには敬服。9:15軽食。フルーツと添乗員さんに勧められたマンゴージュースのソーダ割をオーダー。届いてみると、フルーツは昨日のと同じ味の無いセットで、失敗! ジュースは普通のマンゴージュースだった。しばらく眠ったが14時に目が覚めて、ベートーベンとモーツァルトとドビュッシーのピアノソナタを聴く。15時、お食事。懐石弁当をチョイス。美しい品揃え。銀だらの西京漬けとお素麺が美味しかった。16時、ベッドパッドと毛布の回収。窓の日除けが開くと巨大なエンジンが見える。今はチェジュ島の南の海上。16時半、瀬戸内海の島々が見える。17時、関西空港に到着。気温11℃とのこと。昨日までと10℃以上の差。

 

 

 

宅配にスーツケースを預け、お世話になったツアーの皆さんといとこに感謝で別れを告げて、18:15発の特急はるかに乗る。満席。指定席を取っておいて良かった。新大阪で19:24発ののぞみに乗り換え、品川着21:43。22:30無事帰宅。


エピローグ
「チュニジアに行く」と言うと、よく、「どこにあるの?」とか、「何があるの?」とか聞かれた。私自身も、長い間行きたいと思っていたものの、あまり予備知識が無いまま訪れたが、行ってみれば、古代の遺跡あり、砂漠あり、白と青の美しい町あり、延々と続くオリーブ畑やナツメヤシの林もあり、たくさんの猫や、時折見かける羊、ラクダなどに癒される素敵な国だった。お天気にも恵まれ、抜けるような濃い青空がとても美しかった。
5つ星のホテルでも、あらあらと思うようなこともあり、観光地のトイレの整備もイマイチだったが、思ったよりトイレットペーパーのあるところも多く、水もたいてい流れた。お食事は、肉(豚肉以外)も魚介類もあり、野菜と果物も豊富。ホテルのビュッフェの種類もかなり多かったが、味は好みが分かれるところ。トマトやキュウリをみじん切りにしてドレッシングであえたチュニジアン サラダをよく見かけ、細かさに驚いた。色々な料理に入れたり付けたりして食べるハリッサという赤い香辛料は辛すぎて食べられなかった。

添乗員の松田さんには、関西空港で会った時からどういう訳か親しみを感じ、誰かに似ているのだと思っていたが、旅行が始まって少ししてから、ハッと、これまで行ったどこかのツアーの添乗員さんだったと気づいた。奇想天外なエピソードを聞かせてもらったことを話すと、「その話をしたなら、クロアチアかも」と言われたが、帰ってから旅行記を見てみたら、コロナ禍前に行ったバルカン半島だった。「またどこかでお目にかかりたい」と書いていたのが実現した訳だ。また今回も、バスの中で面白いエピソードを色々と聞かせてもらって楽しかった。現地調達のイヤホンガイドが入ったアタッシュケースを彼女が最後まで持ち歩くことになり、何度も置き忘れそうになったりして、大変そうだった。
ドライバーさんもガイドさんも身体の大きな男性で、見かけは怖い印象だったけれど、実はとても優しい人たちだった。
今回のツアーは、ご夫妻が3組、一人参加の女性が5名、そして私といとこの総勢13名。チュニジアまで来られるだけあって、皆さん旅慣れた方々で、お話の中でも、秘境と言われるような所へそれぞれ行かれたことが伺えた。皆さん、お世話になりました。これからもお元気で! またどこかでお目にかかりましょう!




チュニジア共和国 国旗
白い円は太陽を、三日月と星はイスラム教をあらわす。