クロアチアより

午前5時45分起床。とうとう帰国の日。ホテルの前の海岸に出て、色のきれいな石を拾う。朝食後、7時45分、バスで出発。空には雲が多い。8時45分、また国境を越えてクロアチアから一旦、ボスニア・ヘルツェゴビナへ。一昨日寄ったネウムの町のスーパーマーケットに再度寄る。クロアチアのクーナを使える最後の場所。丁度使い切るように、マルカで表示されている金額×4でクーナに換算して、クラッシュ社のクッキーを買う。残った0.5クーナ硬貨は記念に持ち帰ることに。またバスで出発。9時半、再び国境を越えクロアチアへ戻る。マイカーの人は、パスポートを調べられているが私達はスムーズに通過。

「1つの国家、2つの文字、3つの宗教、4つの言葉、5つの民族、6つの共和国」と言われていた旧ユーゴスラヴィア連邦は崩壊したが、その影響は今も残っているとのこと。小さな民族が各々自分の国を持とうとして頑張っているが、持ったら持ったで、またEUという大きな組織に加わろうとするところが面白い。経済的な面を考えれば仕方のないことなのかもしれない。クロアチアもEUに名乗りを上げているので、あちこちでEUの旗が見られたが、仲の悪いスロベニアが反対しているので入れないでいるそうだ。
10時頃、簡素な国境に到着。手続きは、男性の係官がバスに乗り込んできて、パスポートを順にちらっと見ただけ。またスタンプを押してもらえなくて残念だが、これで三度目となるボスニア・ヘルツェゴビナへの入国。本当の国名はボスニア・イ・ヘルツェゴビナで、「イ」は、“and”の意味なのだとのこと。
小さな村や山道を過ぎて、午前11時、モスタル旧市街に到着。ここではイスラム教とキリスト教が共生しているため、モスクも教会も見える。イスラム教のお墓は、上が尖った白い角柱でお花は供えられていない。ネレトヴァ川にかかる世界遺産の古い橋(スタリモスト)へ。紛争の際に砲撃で破壊された建物がそのまま放置されていたり、壁に砲弾の跡が残ったりしているものが目立ったが、橋もやはり破壊され、2004年に復元されたものとのこと。川沿いの道に土産物屋が並んでいるが、トルコの影響を感じる。若者が度胸試しに橋の上から川に飛び込むと聞いていたが、お金を集めて飛び込む人達がいた。水が冷たくて危険なので、熟練者が行っているそうだ。

12時から石橋の近くのレストランで昼食。メニューは、ほうれん草のパイ、チェバブチッチというクロアチア風ソーセージとパン、ハチミツ漬けの甘いデザート。ソーセージは粗挽きで食感は良かったが、ひどく塩辛かった。デザートは甘かったけれどナッツ入りの複雑な味でおいしかった。ジュースは2ユーロ。モスクから音楽が聞こえる。午後1時、レストランを出て、土産物屋の並ぶ通りを歩いてバスへ。山道を行く途中、工事をしているのか、ずいぶん長々と止められる。ボスニア・ヘルツェゴビナではほとんどが一般道なので何があるかわからないと聞いてはいたが・・・。午後3時頃やっと動き出した。

やがて、サラエボの町が見え始め、4時頃サラエボ空港に到着。小さな空港。荷物検査、チェックイン、出国審査を済ませると、午後5時。しばらく待合室で待機することに。ここには小さな免税店と喫茶コーナーがあるだけ。この時間に発着する飛行機は私達の乗る機だけとのことで、免税店はやっと照明がついたところだし、空港の係員も時間ギリギリに来る。

午後5時50分、また荷物検査の後、ゲートへ。滑走路の見えるベンチに座る。アーリーという2歳ぐらいのやんちゃな男の子が走り回って、トルコ人のきれいなお母さんを困らせている。やがて、トルコ航空の飛行機が到着して積み荷を運び出し、続いて私達のスーツケースが運び込まれているのが見える。かなり予定より遅れて、午後6時45分搭乗開始。イスタンブール行きの座席は3席×2列。席は19Fで窓側。

1時間遅れの午後7時15分に移動を始める。眼下にはサラエボの赤屋根の街。時計をトルコに合わせて1時間進める。午後8時45分、食事が配られる。
飛行時間は1時間50分のはずが、30分も短縮して、午後9時40分頃イスタンブール空港に到着。乗り継ぎの方向に進むと、一週間ほど前に6時間を過ごした場所。アールグレーのリーフティーの500グラム入りの缶を12ユーロで見つけて、2缶買う。
またまた荷物検査の後、午後11時30分、214ゲートから搭乗。席は20JKで窓側。
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