ポルトガル旅行記

2014.12.14 〜 23






1日目  12月14日(日) 
関西空港 → フランクフルト → リスボン 

今回の旅行は、寒い時期なので、できるだけ温かいところへということでポルトガルに決定。昨年末のエア・インディアのビジネスクラスがとても良かったこともあり、今回もルフトハンザのビジネスのツアーに。神戸に前泊。

午前5時半起床。三宮駅前からリジンバスで70分で関西空港に到着。サービスで送ってもらえたスーツケースを受け取り、トラピックスのカウンターへ。添乗員は前田さん。きりっとした感じの良い人で、丁寧に説明してくれる。メンバーは21名とのこと。ルフトハンザのカウンターでスーツケースを預け、セキュリティーチェックに向かうと、すごい長蛇の列。少しはましに見えるもう一方の入口に並ぶ。出国手続きを終え、シャトルで13番ゲートへ。搭乗まで1時間近くあるので、ラウンジ「飛鳥」でパンとコーヒーの朝食。ここ数日、目まぐるしい日々だったので、やっとゆっくり出来た気分。




10:15搭乗。11のAとCで窓側。エア・インディアのほどでは無いがゆったりしたシートが嬉しい。早速、オレンジジュースとシャンパンのサービス。クリスマスの季節とあって、機内の壁にリース。キャビンアテンダントの胸にもリースのブローチ。やがて、乗り継ぎのフランクフルトに向けて離陸。眼下の街がきれい。モニターでコックピットからのような景色が見られるのが面白い。





12時過ぎ、昼食のサービス。和食をチョイス。きれいに盛りつけられた前菜、メインは熱々の豚肉の味噌煮込み、その後、デザートのケーキとコーヒーが出てきて、食事が終わったのはもう2時近く。食事に時間がかかるのが難点。サービスの合間に目の前の大画面でゲームをしたりしながらの食事だったが、ご飯以外は完食。




シートの背を倒し、足元を少し高くしてディズニーのアニメ「リトル・マーメイド」を見終わると16:15。時計を8時間遅れのフランクフルト時間に直して、8:15。朝だか夜だかわからなくなってしまったが、機内が暗くなっているので、シートを平らにして眠ることにする。2時間ほどして喉が乾いて目がさめたところへ、烏龍茶とおにぎりのサービス。目の前に出されると、つい手が出てしまったが、おいしかった。フランクフルト到着まであと4時間半。もうひと寝入り。




13:30、起こされると、再び食事のサービス。また和食をチョイス。お魚が柔くて美味しい。これもご飯以外は完食。やはり横になって寝られるので体調が良く、お食事も美味しく頂ける。CAさんたちも皆、親切で気持ちが良い。シートの周囲がゆったりしていてトイレに行きやすいのも快適。




15時過ぎ、フランクフルト空港に到着。トランジットの時間が5時間あるため、16時からバスでクリスマスマーケットへ。20分ほどでレーマー広場に到着。これまでに2度訪れたことのある広場だが、今回は屋台で埋めつくされていて全く様子が違う。まず、大聖堂で旅の安全を祈願し、それからマーケットを見て回る。市庁舎前には大きなクリスマスツリー。屋台には色とりどりのお菓子、大量のポテトフライ、様々なクリスマスオーナメント・・・。回転木馬もあり、ステージではコーラスも。ホットワインのスタンドで見かけた赤いカップがかわいかったので、飲んでいる人達に写真を撮らせてほしいと頼むと、喜んでポーズを取ってくれた。寒い中、みなクリスマスを心から楽しんでいる様子。




18時集合でまたバスに乗り、空港へ。セキュリティーチェックで万歩計を取り上げられてしまい、慌てた。しばらくしてポイッと返してくれたが、失礼なやり方!
次の飛行機の搭乗ゲートがまだ決まっていないので、Aゲートの入口でしばらく時間をつぶす。座っているうちにいつの間にか居眠りしていたらしく、起こされて、20:30、リスボン行きに搭乗。今度はエコノミークラス。座席は3列+3列で23AとB。座った途端にまた眠ってしまい、起こされると22時過ぎで、夕食のサービス。トマトソースのパスタはおいしくなくて、硬いパンは噛み締めればおいしかったが、チョコレートクッキーは香料がダメだった。食べ終わるとまた睡魔に襲われる・・・。




着陸のドンという衝撃で目が覚めた。リスボン空港到着24時。だが、時差が更にマイナス1時間なので、ポルトガル時間では23時。リスボンのライセンスガイドのイザベラさんが迎えに来てくれて、50分後にバスでホテルに向けて出発。10分ほどでマリオットホテルに到着。309号室。シャワーを浴びて午前2時就寝。24時間+9時間の長い一日でした。 







2日目  12月15日(月)
リスボン→ オビドス→ アルコバサ→ バターリャ→ ナザレ

6:30起床。よく眠った。朝食はビュッフェで、野菜の煮物と名物のエッグタルトとコーヒーがおいしかった。お天気は晴れ。日本ほどは寒くない。






9:00出発。中世の城壁都市、約100kmの道をオビドスへ向かう。トライバーはマヌエルさん。これからまたリスボンに帰ってくるまでずっとお世話になります。ボン・ディア(おはよう)!リスボン市内を抜ける。白い建物の街という印象。




10:00オビドスに到着。青い空に紅や黄色の木の葉がきれい。代々の王妃に愛された可愛い街。城壁のメインゲートは美しいアズレージョ(タイル)で装飾されている。
城壁内に入るとすぐ左に国営ホテル、ポサーダ・カステロ・デ・オビドス。部屋数が少なく、なかなか予約が取れないとのこと。お庭をちょっと覗く。




オビドスの町のおとぎの国のようなかわいいメインロードを通って、世界遺産のサンタ・マリア教会へ。冬なのに紅いアロエの花や、ブーゲンビリアが咲いている。焼き栗を買った方が分けてくださった。香ばしくておいしい。教会の前の広場にはイエス誕生の様子を表した人形の飾り付け。






教会を出てから、一周1.5kmという城壁に上がる。幅が狭いのに手すりが無く、風も強いので、ちょっと怖いが、半分ぐらい回ったところで下に降り、来る時に通ったメインロードのかわいいお店を見ながら駐車場に戻る。小学生が遠足に来ている。ポルトガルでは、奇跡のニワトリの話とイベリコ豚が有名らしく、ニワトリと豚のデザインの品物が目につく。





11:15、次の目的地、アルコバサへ向けて出発(32km)。添乗員さんの説明を聞きながら行く。イベリア半島は、もとはひとつの国だったが、10世紀頃のレコンキスタ(国土回復運動)の過程で、ポルトガル王国として生まれた。レコンキスタ完成後、交易が盛んになり、14世紀にポルトガルの大航海時代の下地作りをしたのがエンリケ航海王子。
11:50アルコバサに到着。現地ガイドはアルミーナさん。アルコバサはアルコア川とバサ川が交わるところで、シトー会の修道院ができ、果樹園が作られた。

世界遺産サンタマリア修道院に到着。建物の長さは106mあり、ポルトガルで一番長い。バラ窓はシンプルな作り。





修道院にまつわるお話・・・14世紀、アフォンソ4世の息子のペドロ王子とコンスタンサ王女は政略結婚したが、王子は王女の侍女のイネスと恋に落ちる。王女の死後、イネスと結婚するが、父王の命令によってイネスは暗殺されてしまう。王の死後、王位についたペドロ1世は、イネスの暗殺に関わった者達を処罰し、イネスを王妃と認めさせた。ペドロ1世の死後、二人は美しい彫刻を施した白い石灰岩の棺に納められてサンタマリア修道院の祭壇の左右に安置されている。




歴代の王の部屋には、アルコバサが作られた時の様子を表したアズレージョがある。中庭に出る。屋根から「ガーゴイル」と呼ばれる怖い顔の彫刻のある雨樋が突き出ている。僧たちの会議の間や台所を見学。台所には大きな煙突があり、17〜18世紀には、肉も焼いて食べていた。大きな大理石の一枚岩のまな板があり、999人の修道士のまかないをしていた。アルコア川から引かれた水路があり、その流れに乗って魚が台所の生簀にまで入ってきていた。食堂には、太りすぎた僧は通れない幅の細い入口。一日の食事は、昼食の1回のみで、メニューはスープ、パン、魚。12世紀は規律が厳しく、黙って食べなければならなかったので、お代わりが欲しい時は合図で示したとのこと。





13時、レストランに到着。メニューは、サラダ、ポーク料理、デザートはタルト。サラダは人参とレタスとトマト。ドレッシングはかかっていなくて、テーブル上のオリーブオイルとワインビネガーで各自で味付け。






14時過ぎにバスで出発。バターリアに向かう(約20km)。14:40、世界遺産のサンタマリア・デ・ヴィットリア修道院に到着。ヴィットリアとは勝利を意味する。1385年、ポルトガルの独立を守るカスティーリアとの戦いに勝利したジョアン1世が聖母マリアに感謝して建てた。高さが32M。ポルトガルで一番高い教会。ステンドグラスは、正面が13世紀のもので脇が16世紀のもの。色が違う。ジョアン1世とその妻、エンリケ航海王子などのお墓がある。





15時から無名戦士の墓を守る兵士の交代式。制服は迷彩服。柱などの装飾に、船のロープ、波、こしょう、パイナップル、トウモロコシなどが施されていて美しい。マヌエル様式という。屋根の無い未完の礼拝堂がある。ジョアン1世の息子が建築を始めたが、ペストで亡くなってしまい、その後を引き継いだエドワードは、ジェロニモス修道院の建設の方に興味が移ったため、未完に終わった。





16時、ナザレに向かう(約32km)。バスの横を、近くの教会からの長い長い葬列が続いている。埋葬に向かうところだろう。

13:30、ナザレに到着。ホテル・ミラマールの前の道が狭いので、近くでバスを降り、展望台を通って、細い道をホテルへ。途中、ところどころの家の窓の柵をよじ登るようにサンタクロースのお人形が飾ってあるのがかわいい。部屋は114号室。部屋の番号の表示がびっくりするほど大きい。ワインカラーが基調の可愛い部屋。しかも、オーシャンフロント。夕食まで、時間がたっぷりあるので、シャワーを浴びてからおしゃべり。




19:30からホテルのレストランで夕食。地下道を通って行く海べりのレストラン。食前酒とお水と赤白ワイン付き。野菜のスープ、イワシのグリル、ケーキ。途中でお代わりを勧めるのがポルトガル流らしい。部屋に帰り、22時前に就寝。珍しく夜中に2度も目が覚める。食前酒と白ワインを飲んだせいか?








3日目  12月16日(火)
ナザレ → ファティマ → トマール → ポルト


午前6時半起床。外はまだ暗いが、海辺なのですごい風の音。昨晩とは別のレストランで朝食。外は雨。波が打ち付ける岬を見ながらお食事している間にいくらか明るくなってきた。
今朝はロビーではなく少し離れた駐車場のバスに集合と言われていたのをうっかりしていてちょっと慌てたが、無事に9時に集合。雨は止んでいる!!


ナザレはキリストの故郷の名。ここでは女性は結婚すると伝統的な衣装である4〜7枚重ねの膝丈のスカートをはく。漁師である夫の安全を祈る意味があるらしい。

まずはシティオ地区展望台へ。外壁も屋根もアズレージョの小さなメモリア礼拝堂がある。中には、奇跡が起きたという聖母マリア像。近くに大きなナザレ教会もある。中に入ってみると、金色の装飾の素晴らしい教会。しかも厳かなミサの最中。讃美歌も聴くことができた。




9:30、ファティマへ向けて出発(約65km)。奇跡の起きた町とのこと。
ポルトガルの国土は日本の4分の1の広さ。人口は1000万人で、うちリスボンに300万人。国土の3分の1が森林で山岳地帯にはスキー場もある。ポルトガル人はコーヒー、特にエスプレッソが好き。

ファティマで起きた奇跡とは・・・1917年に幼い子供達が羊の番をしていると突然貴婦人が現れ、毎月13日にその場所に来るようにと告げた。三人はそれを守り、最後の日には何万人もの人が集まった。不思議なことに、雨がやみ、太陽が回転し、貴婦人は礼拝堂を建てるようにと言い、三つの予言をした。ひとつは、世界大戦の終結、2つ目は死者の国への訪問、3つ目は1981年のローマ法王の銃撃。この3つは全て実現し、ローマ教皇庁が奇跡として認めている。

この奇跡の後、聖母マリアに捧げるために建てられたバジリカは、30万人が集まれるという広い広場に建つ回廊と高い塔を持った建物で、世界遺産。10:30から観光。残念ながらバジリカの内部は修復工事中で、布で覆われていて殆ど見られなかったが、三人の子供たちのお墓は見られた。敷地内にベルリンの壁の一部も置かれていた。バスを降りた時は小雨が降っていたが、だんだん青空が出て陽が差してきた。






11:20出発、トマールへ向かう(約31km)。40分ほどで到着。レコンキスタに貢献したテンプル騎士団が作った町。4年に一度、タブレイロス祭が催され、お花を高く飾り付けた盛皿を頭に載せて町を練り歩くそうだ。流れの強い川に沿ってしばらく歩いていると、岩の上にニワトリのように見える見慣れない水鳥が何羽もいる。



やがて、”レストラン ナバォン”へ。川の見える窓際の席。メニューはサラダ、バカリャウ、プリン。サラダはやはり、人参、レタス、トマト。バカリャウ料理は、塩漬けした干しダラを戻して細かく砕いて使う。何百ものレシピがあるが、今日はブラーシュスタイルで、タラとじゃがいもを炒めてある。パクチー(ポルトガルではクエントロスという)も入っていた。おいしかった。





13:10にレストランを出て、公園の中を歩いてバスへ。13:30から世界遺産のキリスト修道院の観光。現地ガイドは男性のジョアンさん。城壁の外でバスを降りる。12世紀以降の建物。16世紀の装飾は色が明るくてきれい。たくさんの回廊をめぐり、修道士達の生活の場や礼拝所を見学。19世紀になると修道院は全て廃止され、しばらくは神学生のための施設として使われていたが今は博物館になっている。最後は、豪華な装飾のマヌエルの窓。青空が広がった。








15時、バスで出発。ポルトまで約245km。途中、夕焼け雲がきれい。
17:45、ポルトに到着。ドウロ川の川岸で対岸の旧市街の夜景を撮影。橋が二段になっていて、下の段を車、上の段を列車が走っている。





坂の多い道を歩いて、18:20、対岸の旧市街側のレストランへ。店の天井から、鍋やバッグや靴下など、色々なものがぶら下がっている。メニューはシーフードスープ、ジカルディネイラ(牛肉とキャベツ、人参の煮込み)、パォン・デ・ロー(スポンジケーキ)。スープは独特の匂い。お肉は筋っぽい。パォン・デ・ローはカステラの原型とのことだが、あまりしっとり感は無く、家庭の手作りのカステラのよう。





20時、バスへ。ボルサ城のライトアップがきれい。夜の街は風も無くて、寒くは感じない。路面電車のレールがある。




ホテルまで20分で到着。HFイパネマパーク、なかなか立派なホテル。507号室。床のカーペットはブルー、あとはベッドもカーテンも真っ白というシンプルな色の部屋。シャワーを浴びて22時半、就寝。思ったより気温が高いので、厚着をすると暖かすぎて気持ちが悪い。






4日目  12月17日(水)
ポルト → サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)

6:30起床。天気は晴れ!朝食のレストランは、なかなか広く、ビュッフェの種類も豊富。特にパンがおいしかった。食後、ホテルの回りを散策。




9時集合で出発。現地ガイドはサングラスを掛けてがっしりした体格の「マフィア?」という感じのパウロさん。
ポルトはポルトガル第2の街。商工業の街、学生の街でもある。ポルトの歴史地区が世界遺産に指定されている。植物園には、16世紀に日本から持ち込まれた椿の木が300種もあり、ジャポネーラと呼ばれていて、アズレージョにも描かれている。ここも坂道の多い街。黒い花崗岩でできた石畳の地域が旧市街。レトロな感じの電車が走っている。




9:25サンフランシスコ教会に到着。14世紀に建てられたが、今は博物館。400kgの金箔を塗った樫の木で造られている。パイプオルガンは、スペインとポルトガル独特の形で、パイプが縦だけでなく横にも扇形に張り出している。内部は写真撮影禁止。



9:50、バスへ。5分でカテドラルに到着。12世紀に建てられたもの。重厚な祭壇。ここにもイエス誕生の様子を人形で表した飾り付け。




外に出て、ドウロ川にかかるドン・ルイス1世橋を歩いて渡っていると、すぐ横を電車が走る。橋の上からの旧市街の眺めが良い。




10:40、道路からエスカレーターで降りて地下道を抜け、サンベント駅へ。天井の高い風格のある駅。歴史が描かれているアズレージョが素晴らしい。







リベルターデ広場でしばらく迎えのバスを待って、11:20、バスへ。5分ほどのボルサ宮殿前のエンリケ航海王子広場で降車してレストランへ。




テーブルの上にカタカナで「メリークリスマス!」と書いたサンタの人形が飾ってある!メニューは、トマトとレタスのサラダ、タラのフライ、トマトのリゾット、焼きリンゴ。完熟の甘いトマトと熱々のフライがおいしかった。






12:30、店を出て、ドウロ川に向かい、川岸のかわいい店を覗いた後、13:15からドウロ川クルーズ。まずは川上へ、エッフェルの弟子が造った鉄骨2重構造のドン・ルイス1世橋、白い鉄筋コンクリートのダ・インファンテ橋、エッフェルが造った最も古い鉄骨のドナ・マリア・ピア橋、白い鉄筋コンクリート製で鉄道専用のサン・ジョアン橋をくぐった所でフレイショ橋を見ながらUターンして海に向かう。川下のアラビダ橋の向こうはもう大西洋。抜けるような青空に川岸の赤屋根・白壁の建物が映えて美しい。








14:00、船を降りて、川岸にあるワインセラーの”サンデマン”へ。トレードマークの黒いハットとマント姿の可愛い女性の案内で工場を見学。ポートワインはワインの発酵途中でブランデーを加えてあるとのこと。赤と白を試飲。赤のヴィンテージものがおいしかった。ポートワインが入ったチョコレートを買う。





15:00、ワインセラーを出て、再びリベルターデ広場へ。30分ほどのフリータイム。おみやげ屋を覗く。マクドナルドも環境に配慮した色使い。







15:40、バスで出発、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう(約230km)。早速、時計を1時間進めて16:40に。18:00、国境のミーニョ川を渡ってスペインに入る。






19:30、サンティアゴ・デ・コンポステーラのホテル・コングレッソに到着。221号室。ドアの部屋番号の表示が嫌に大きい。20:15からホテルのレストランで夕食。メニューはサラダ、牛肉とじゃがいもの煮込み、ケーキ。牛肉が柔らかくてジューシーでおいしかった。



部屋に帰ってシャワーを浴びる。シャワーはスタイリッシュで最新式のようだったが、余り意味無し。23時就寝。





5日目  12月18日(木)
サンティアゴ・デ・コンポステーラ → ギマランイス

7:00起床。まだ外は真っ暗。ぐっすり眠れた。時差ボケが解消してきたようだ。ゆっくり朝食を取って、9:20集合でバスへ、世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街へ向かう。ホテルが丘の上にあり、下界は霧がかかっていて、雲海のよう。



9:45、駐車場でバスを降りる。現地ガイドはホセさん。サンフランシスコ会修道院の前を通ってオブラドイロ広場へ。この広場を囲むように、大聖堂、パラドール(宿泊施設)、市庁舎などが建っている。大聖堂にヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)が祀られていることから聖地として各地から巡礼が訪れる。100km以上歩いて巡礼宿でスタンプを押してもらうと巡礼証明書をもらえる。自転車で来る人や犬を連れて歩く人もいる。若い日本人男性の巡礼にも会った。

サンフランシスコ会修道院オブラドイロ広場に建つパラドール

大聖堂は12世紀から18世紀にかけて造られた荘厳な建物だが、修復工事中で、塔に青いネットが掛けられている・・・。何とも残念!


なので、修復作業が行われていない時の大聖堂の絵葉書を購入。




大聖堂の周りをぐるりと回ってから、少し離れたアラメダ公園まで歩いて行く。
途中の公園にアジサイ、ラッパ水仙、白いシクラメン、小ぶりの白い椿などが咲いている。スペインでも椿はカメリア・ハポニカと呼ばれているとのこと。





アラメダ公園の高台から工事中の大聖堂を眺める・・・。

アラメダ公園


いよいよ大聖堂の中へ。内部にある「栄光の門」をくぐり、祭壇の後ろの細い階段を上って、巡礼のように聖ヤコブ像の背中に触ってお祈りし、さらに狭い階段を下りてヤコブのお墓を見る。礼拝堂はさすがに広く荘厳で素晴らしい。巡礼がたくさん集まった時に振るという大きな金色の香炉が天井から下がっている。やはり、パイプが水平に扇形に張り出したパイプオルガンがある。礼拝堂の中に、キリストの誕生や当時の町の様子を小さな人形で作った精巧な飾り付けがしてあり、ぐるりと回りながら見入っていると、11:50にミサが始まった。女性の聖職者の歌によるミサが20分、その後、紫色の式服の男性の聖職者による説教。平日でも毎日このようなミサが行われているのだろうか。

香炉

パイプオルガン




大聖堂の中の雰囲気を充分味わってから外へ出て、通りを散策し、13:00から、オブラドイロ広場の有名なパラドールの中の格調高いレストランで昼食。メニューは、アペリティフ、アスパラガスとあさりのスープ、チキンとエビのシチュー、ケーキとコーヒー。







14:00、レストランを出て、15:00、駐車場からバスで出発。10分ほどでモンテ・ド・ゴゾ(歓喜の丘)へ。巡礼の道を歩いて来た人達が初めて大聖堂を見て歓喜する場所。丘の上には、つばの広い帽子に長いマントを来た2人の巡礼が大聖堂を指さしている像がある。等身大よりかなり大きい。アルベルゲ(巡礼宿)には3〜9ユーロで泊まれる。巡礼の持ち物は、水筒代わりのひょうたんを下げた杖とヤコブの象徴である帆立貝。





15:30、再びポルトガルへ向けて出発。ギマランイスまで約204km。
1時間ほどで国境を越える。また時計を1時間戻す。途中、バルセロスという町で休憩。ここで、コルク製のニワトリの絵のマグネットを買ったところ、丁度、このバスセロスがニワトリの奇跡が起きた町とのことでビックリ。その奇跡とは、14世紀にこの町を通りかかった巡礼が処刑されそうになり、裁判官に無実を訴え、きっと奇跡が起きると言ったところ、台所の丸焼きのニワトリが声高らかに鳴いたとのこと。巡礼は処刑を免れ、無事にコンポステラにお参りできたそうだ。




ポルトガルから日本には鉄砲(種子島)と一緒に色々な食べ物が伝わった。パォン・デ・ロー(カステラ)、コンフェイトウ(金平糖)、ボーロ、フィオス・デ・オヴォス(鶏卵素麺)、パスティス・デ・ナタ(エッグタルト)、エスカベッシュ(南蛮漬け)、フリート(天ぷら)、揚げ菓子(飛竜頭)など。

17:00、ギマランイス市内に入る。今日のホテルは人気の高い国営ホテルのポサーダ・デ・サンタマリーニャ。ポサーダは国内に41箇所あり、今日のは、かつて修道院だった建物。バスが道路工事のため迂回したら道が分からなくなり、あちこちで尋ねるが、Uターンの連続。どうやら、別の山に登ってしまっていたらしい。
18:20、やっと目的のポサーダに到着。青色のクリスマスイルミネーションできれいに縁取られて夜空に浮かび上がっている。国営なので規則が厳しくて、部屋の鍵は一人ずつサインして受け取るシステム。208号室。ロビーが3階で、その1階下の階。かなり広くて、窓際の3分の1のスペースは2段高くなっていて3つ目のベッドが置かれている。ベッドカバーなど、重厚な雰囲気。窓から下の街を見下ろすと、イルミネーションで縁取られた教会が暗い中に浮かび上がっている。





19:30からポサーダ内のレストランで夕食とのことで、部屋を出ようとしたら、何とドアが開かない。フロントに電話をして来てもらったところ、内鍵を2度同じ方向に回すと開く仕組みになっているとのこと。教えてくれなくちゃ!無事にレストランへ。メニューは、ほうれん草とカニのスープ、ポークソテーと野菜(キャベツ、ポテト)、デザートはビュッフェでお菓子と果物が7種類。お料理は塩味がきつかったが、デザートに柿が出ていたのが珍しかった。シャワーを浴びて22:30就寝。









6日目  12月19日(金)
ギマランイス → コインブラ → リスボン

6:30起床。ポサーダの5階に開放されている部屋があるというので朝食前に見に行くと、食堂のようだったが広くて宮殿のようにきれい。
朝食時、「飛竜頭の原型」と紹介された揚げ菓子を食べてみると、まるでフレンチトースト!パォン・デ・ローは、先日のお店で食べたのよりしっとりして美味しく、全く「カステラ」だった。





食後、噴水のある中庭やその外の庭にも出てみる。椿の植え込み、滝、プールもある立派な庭。さすがは国営ホテル。




8:50、出発。青空が広がりつつあるが外界は霧が出ているらしく、煙っている。今日訪れる2つの街はどちらも坂道の多い街とのこと。
9:00、バスを下りて世界遺産ギマランイス歴史地区の観光へ。ガイドは先日のマフィアのようなパウロさん。最高気温6℃の予報。南に帰って来たのに嫌に寒い。パウロさんもしきりに寒がっている。エンリケ航海王子と異母兄弟のブラガンサ公爵の館は39本の煙突を持つ建物。




続いて、初代ポルトガル王のアフォンソ1世が1111年に生まれたギマランイス城へ。今は、外壁と塔だけが残っている。すぐそばにアフォンソが洗礼を受けた小さな石造りのサン・ミゲル教会。




旧市街へ。サンタ・マリア通り、ポルトガルで一番古い図書館、今は市庁舎として使われている修道院、サンタ・マリア通りをまたいで建てられたアーチハウスなどを見ながら行く。





9:35、サンティアゴ広場へ。広場の周囲の家の柱やベランダがゆがんでいるが、世界遺産なので、外側は修復できない。オリヴェイラ広場には、ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会や元の市庁舎などギマランイスを代表する歴史的な建物。教会の前には奇跡のオリーブの木。レコンキスタのサラードの戦いの勝利を記念するアーチの完成と同時に突然オリーブの木が芽吹いたとのこと。




9:52、賑やかなトラウル広場へ。城壁には、「ここにポルトガル生誕す」の文字。ここに旧市街からの出口がある。きれいな紅葉が落ちているのを拾う。
ブラジル広場でフリータイム。近くのショッピングセンターへ。





10:30、バスに集合、コインブラに向けて出発(約196km)。1541年にポルトガル人がはじめて日本にやってきた。ポルトガル語から日本語になった言葉:パン(パォン)、キリスト(クリシュト)、ボタン(ボタォン)、カルタ(カルタ)、タバコ、コップ(コポ=ワイングラス)、カッパ(カパ=ケープ)、じゅばん(ジバオン=男性の衣服)、ジョーロ(ジョッロ)、シャボン(サバォン)、バッテラ(バテイラ=小舟)、おんぶ(オンブロ=肩)など。


12:30、コインブラに到着。モンデゴ川とコインブラ大学の街。若い人が多く活気がある。1255年に首都がリスボンに移るまでは首都だった。ここにはポルトガルを代表する”3つのF”がある:民族歌謡ファドと奇跡のファティマとフットボール。ファドとは運命を意味し、サウダーデ(哀愁)を歌う。コインブラ・ファドは学生のファドで、学生の失恋などを歌う。歌い手はファディスタと言い、黒い衣装を着た男性。12本の弦を持つ玉ねぎのような形をしたギターラを奏でて歌う。



まずはレストラン ”ドン・ペドロ”へ。メニューはポテトやキャベツ等の野菜スープ、名物の魚のカタプラーナ(鍋料理)、ケーキ。





14:00、レストランを出て観光へ。陽射しが暖かい。現地ガイドはクリスティーナさん。ソフィア通りを通って、世界遺産のコインブラ大学へ。




コインブラ大学では、8つの学部で22,000人の学生が学んでいる。入口の鉄の門は修復中。別名「無情の門」。構内に入ったら勉強以外のことを考えてはいけないから。ひときわ目を引くのはグランドホール。学位授与に使われた「帽子の間」がある。時計塔は山羊の塔と呼ばれる。これが鳴ると、学生が一斉に動き出すから。その隣が「ラテンの回廊」。ラテン語以外は話してはいけないから。儀式の間で行われているのは、経済学部の教授になるための試験とのことで、一人の男性がパソコンを前に発表を行っている。



ジョアニア図書館は18世紀の木造の建物だが、内部は金箔の装飾で宮殿のよう。16〜18世紀の本が55,000冊、全てラテン語で書かれている。東洋の影響を受けた絵画、大理石のように見える木製の柱、だまし絵の手法で描かれた天井画なども素晴らしい。虫退治のためにコウモリを飼っているが、糞の被害もあるとのこと。内部は写真撮影禁止なので絵葉書を買う。





大学のチャペルへ。16世紀に造られたマヌエル式の建物。ジョアン3世が宮殿を大学の建物として寄付するまでは、王様の礼拝堂だった。一面の美しいアズレージョ。3000本のパイプを持つ大きなパイプオルガン、天国への階段のある祭壇、どれも素晴らしい。ここも内部は撮影禁止なので絵葉書を買う。



15:15、新と旧の二つのカテドラルへ。新カテドラルは完成に100年かかっており、建物正面の上部はバロック様式、株はポルトガル様式になっている。旧カテドラルは12世紀に建てられたもので、要塞としても使われた堅牢な外観。



15:30、歩行者天国へ。30分ほどのフリータイム。しばしコインブラ・ファドを聴かせてもらい、金平糖の元祖の「コンフェイトウ」を買う。日持ちの良いお土産はこれぐらいしか無いと言われ、皆、10個とかたくさん買い込んでいるので、私もついその気にさせられる。





16:10、白いアストリアホテルの前で再びバスに乗り、コインブラ駅の前を通ってリスボンに向かう(約206km)。



1時間ほど走って小休止。180度の広大な地平線に夕焼けが美しい。




18:30、リスボン市内に入ったらしく、早速、渋滞。19:00、夕食のレストランへ。壁に小さいカップや時計など色々なものが掛かっている面白い店。チョイスメニューで、前菜、メイン、デザート、全て三種類の中から各自選ぶ。前菜は、サラダ、グリーンスープ、シーフードスープの中から、メインはタコのリゾット、イカフライ、ローストポークの中から、デザートは、モロトフ(メレンゲ)、プリン、フルーツサラダの中から。私はシーフードスープとイカフライとフルーツサラダを選び、タコのリゾットも味見させてもらった。最後にポートワインのサービスも。





20:00、バスへ。20分ほどでホテル、ドン・ペドロ・パレスに到着。これから三連泊のホテル。なかなか立派なので、よかった。510号室。白と紅が基調の部屋。シャワーを浴びて22:30就寝。






7日目  12月20日(土)
リスボン → エヴォラ → リスボン

6:00、起床。朝食はなかなか豪華。連泊なので嬉しい。



ところが外は霧。8:15集合で外に出てみると風があって、寒い。
午前中はリスボン市内の観光。現地ガイドはイザベラさん、日本人ガイドは入江さん。彼女によると、ここ2年ほど、この時期には地崩れを心配するほどの雨が降ったが、今年は天気が良い代わりに寒いとのこと。特に昨日晴れたため、今日は放射冷却とのこと。リスボンは一番天気が良くて一番暖かいと思っていたのに、今朝はこれまでで一番寒い。街中で5℃の表示を見る。でも、天気が良いのは何より。ボックスのようなメトロの入口が面白い。




8:20、リベルターデ大通りを通り、サン・ペドロ・デ・アルカンデラ展望台へ。霧で幻想的な眺め。グロリア線のケーブルカーの始発が下から上がってくるのを待って乗り、下の広場へ。女性のドライバーさん。片道でも往復でも料金は同じ。





9:00、下へ迎えに来ていたバスに乗り、ロシオ広場の前を通って、ベレン地区まで15分ほど。街中にあるサンタ・ジュスタのエレベーターは、坂の街ならではのユニークな交通手段。工事中で美しい外観が見られず残念。




人気老舗店「パスティス・ド・ベレン」でティータイム。迷路のような広い店内の奥に入って、名物のパスティス・デ・ナカ(エッグタルト)を頂く。まだ温かく、外側はほんのり塩味でパリパリ、中のクリームもとても美味しい。日持ちしないのでお土産に持って帰れないのが残念!





店を出て世界遺産ジェロニモス修道院へ。大きいだけでなく、ポルトガルで最も華麗な修道院。ヴァスコ・ダ・ガマやエンリケ航海王子の偉業を称えるため、マヌエル1世が建築を開始したが、完成までには300年かかった。土曜日とあってたくさんの人が来ている。しばらく並んで10時に入場。



彫刻の美しい南門から入る。修道院の中にあるサンタマリア教会は高い柱とマヌエル様式の彫刻が素晴らしい。キリストの生涯を描いた5枚の絵、ヴァスコ・ダ・ガマの墓、インド象が支えている王の墓、婚礼のシーンを描いたステンドグラス。中庭を囲む回廊の柱やアーチにはロープや貝など大航海時代を象徴するモチーフが彫り込まれている。

ヴァスコ・ダ・ガマの墓

王の墓




10:40、出発。ベレンの塔に向かう。5分ほどで到着。ケージョ川の河口近くなので川幅が広い。堤防の上を歩いて行く。ベレンの塔は、テージョ川の河口を外敵から守る要塞で、マヌエル1世の命によりヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見を記念して造られたもの。政治犯の水牢としても使われていた。青空が一面に広がり、陽射しが暖かい。


11:15出発、次はすぐ近くの「発見のモニュメント」へ。前の広場には世界地図が描かれ、ポルトガルがその国を発見した年が刻まれている。日本は1541年。
川に向かって建つ船首の形のモニュメントの両側に大航海時代に活躍した30人ぐらいの人物が彫られている。先頭に立つのはエンリケ航海王子、それに続くのは、ヴァスコ・ダ・ガマ(3人目)、マゼラン(6番目)、フランシスコ・ザビエル(後ろから2番目)、あとは、エンリケ航海王子の母や兄弟、海洋探検家たち。
建物の中に入り、エレベーターで6階まで上がり、さらに階段で展望台へ。上から見ると、広場に描かれている羅針図がよく見える。その向こうにはジェロニモス修道院の美しい全景。1974年に軍事クーデターが起きた日の名前が付けられた「4月25日橋」も見える。







11:45、バスへ。15分ほどで港に面したレストランへ。名物のバカリャウ(タラのコロッケ)、シーフードリゾット、フルーツサラダ。リゾットにはムール貝、エビ、カニ、アサリなど色々入っていておいしかった。






13:20、出発。世界遺産エヴォラ歴史地区へ向かう(約125km)。エヴォラに近づくと、大きなコルク樫の木がたくさん見られる。ポルトガルは、スペインと並んで、ワインのコルク栓用のコルク樫の産地。毎日3万個のコルク栓が造られていて、日本へも輸出している。コルクは、6〜7月頃、約8年ごとに皮を剥ぐ。最近剥がしたところは幹の色が黒いので分かる。


15:00バスを降りる。現地ガイドは丸顔でかわいいマリアさん。エヴォラは城塞都市。ディアナ神殿、カテドラル、大学、水道橋など素晴らしい建築物が数々あり、街全体が世界遺産。サンフランシスコ教会は修復中でネットで覆われていて残念。コルク製品の店がたくさんある。ジラルド広場には、リサイクル品で作ったものの展示。この広場からカテドラルに続くメインストリートは「10月5日通り」。この日は、1910年にポルトガルが王政から共和制へと変わった日。




15:25、カテドラルへ。4人の天正遣欧少年使節団が訪れ、うち2人が演奏したというパイプオルガンがある。ポルトガルでは驚きと賞賛をもって迎えられた彼らだったが8年後に帰国すると。日本ではキリスト教に対する風当たりが強くなっており、皆、不幸な一生を送ったそうだ。





15:50、続いてディアナ神殿へ。ローマ時代に建てられたコリント式の神殿の跡。当時は32本の柱があった。
16:00、かつては修道院だったというポサーダ(POUSADA DOS LOIOS)を見学。その後30分間のフリータイムの間に、カラフルな小さい器を見つけて買う。





16:45バスでリスボンに戻る(約125km)。夕焼けが始まっている。1時間ほど経った頃、行く手の180℃の地平線が夕焼けで端から端まで紅く染まっている。昨日より雲があるため、壮大な夕焼け。
18:00、ヴァスコ・ダ・ガマ橋を渡り、オレンジ色の明かりのつくリスボンの街へ入る。
18:30、一旦、ホテルへ。ここでずっと一緒だったドライバーのマヌエルさんとはお別れ。お世話になりました。夕食のための集合が20時なので、近くのショッピングセンターに出かけて、クッキーなどを買う。19:30、ホテルの部屋に戻ると、昨晩寒かったので頼んでおいた毛布が届いていたが、代わりに、明朝のために準備しておいたチップ用の1ユーロが持ち去られていた・・・。

20時集合で、民族歌謡ファドのディナーショーへ。バスのドライバーはフグさん。因みにポルトガルではフグは食べないとのこと。夕食のメニューは、白ワイン、野菜のスープ、ローストチキン、ポテト、塩味のきいたチョコレートムース。最後のコーヒーは、ポルトガルで普通にコーヒーと頼むと出てくるビッカ(エスプレッソ)を飲んでみたが、砂糖を入れずには飲めなかった。付いてくるスプーンもカップに合わせて、ミニサイズ。






メイン料理が終わりかけた頃、男女4人の賑やかなフォルクローレとダンス。続いて、ギターとギターラを持った2人の男性と若い女性の歌い手のファド。次に男性の歌い手によるコインブラ・ファド。また4人の男女の歌と踊り、全員総出の演奏、年配の女性のファド、ギターとギターラのみの演奏、3人の歌い手のファド・・・と、10時を過ぎるまで演奏が続いた。ファドは人生の苦悩や哀愁を歌ったもの。ギターラの12本の弦はスティールだそうで、ギターよりも高めの音で、哀愁を帯びた響き。切ない思いが伝わってくる。





ホテルに戻ると22:30を過ぎている。シャワーを浴びて24時過ぎに就寝。





8日目  12月21日(日)
リスボン → シントラ → リスボン



午前7時起床。天気は晴れ!豪華な朝食で満足。エッグタルトもおいしかった。








9時集合でバスへ。風はあるが、昨日ほどは寒くない。ドライバーはジョアンさん、ガイドは入江さん。ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬に向かう。ポルトガル在住の日本人は少数だが、最近は日本食ブーム。ポルトガル産のお米もある。食材は豊かで、魚の種類も多い。日本料理用の野菜も手に入るとのこと。


ロカ岬は海抜140メートル、くねくね道を上って行くと左手に大西洋が見えてくる。自転車やオートバイで山道を登って来る人も多い。9:40、バスを降りて岬の突端へ。真っ青な空と海。断崖絶壁に打ち付ける白波。赤い屋根の灯台がきれい。最西端を示す十字架のモニュメントには、詩人カモンイスの「ここに地終わり、海始まる」という一節が刻まれている。ガイドさんによると、風が強くて突端までいけないこともあるのに、今日は風がなく穏やかで、ロカ岬とは思えないほどとのこと。インフォメーションセンターで名前入りの最西端到着証明書を発行してもらう。






10:10、出発、シントラへ向かう(約30km)。歴史保存地区として世界遺産に登録されている。10:45、バスを降り、王宮へ。増改築が繰り返されて複雑な形になったとのことで、2本の白い円錐形の煙突が印象的。白鳥の間、カササギの間、セバスチャン王の寝室、シーザーの間、沐浴場、ガレオン船の間、金庫、木製の螺旋階段を上り、インド・ポルトガル様式の家具の間、紋章の間、アフォンソ6世幽閉の間、中国の間、王家の礼拝堂、アラブの間、客間、厨房(煙突の下)と見て回る。アフォンソ6世は弟によって9年間もここに幽閉されていた。










お城を出て、近くの”PIRIQUITA”という店でガイドさんお勧めの”ケイシャーダ”というシナモン入りのベイクドチーズタルトを買う。12時にバスへ。
ポルトガルでは、クリスマスは、親戚で集まったりして家族で過ごす。24日の夜は、お店も早く閉まり、街は静まり返る。プレゼントの置かれたツリーのそばで、ナッツとポートワインを飲み、食事はその後、遅くから始めるとのこと。





12:30、傾斜地にあるエドゥアルド7世公園へ。広くて雰囲気の良い公園。
その近くの昼食のレストランへ。
メニューは、魚のスープ、名物のポ−ク・アレンテージョ(豚肉とアサリの炒めもの)、メロン。






13:40、バスへ。20分ほどで、プチ・ベルサイユと呼ばれるケルース宮に到着。王座の間、音楽の間(マリア1世の肖像画とピアノフォルテ)、礼拝堂(木造)、明かり取りの間、居間、寝室(ベッドの長さが短いのは、就寝中に襲われるかもしれないので熟睡しないため)、喫茶室(ジョアン6世の肖像画)、コーヒールーム(恋人達の椅子)、ディナールーム、食器(ピンク色のはポルトガル国家のもの)、ジョアン6世の妻の肖像画、タイルの間、王子の間(アイロン)、近衛兵の控えの間、王の執務室、大使の間、王の執務室(公式)、侍女の控えの間、おやつの間、ドン・キホーテの間、お召し替えの間と見て回って、庭へ。建物の一部は修復工事中。建物の絵を描いた幕が掛けられていて、遠くから一見しただけでは気づかない。
15:00から30分間のフリータイム。お庭をひと回り。青空がきれい。








15:15、ケルース宮殿の入口の前のポサーダでティータイム。今度はカフェ・コン・レイテ(カフェオレ)を注文。



16:00、バスへ、リスボンに向かう。(約30km)16:30、ロシオ広場でバスを降りて、17:10までのフリータイム。14℃。リスボンの銀座通りとも言うべきアウグスタ通りに入る。日曜日とあって人通りが多く、焼き栗売りや大道芸人などもいて、賑やか。通りの端の凱旋門まで行って引き返す。





17:20、ホテル帰着。夕食までまだ2時間あるので、ホテルの前のショッピングセンターへ出かける。入口の階段の中央に手の込んだ素晴らしいクリスマスの飾り付け!大勢の人でごった返している中をひと回り。カラフルなトイレットペーパー、豚の頭、ビッグサイズのタラの干物など、日本では見られないものも。赤ちゃんとの撮影コーナーのサンタさんは、本物っぽい!レジは、人が対応してくれるものの他に、バーコードを使って自分で精算するシステムもある。






19:30からホテルのレストランで夕食。今晩はビュッフェ。またエッグタルトもあって嬉しい。でもお紅茶は3ユーロ!これまでで一番高い。


食後、明日の出発が早いので、お弁当の袋を受け取って部屋へ。いやに重いので、開いてみると、ハムを挟んだコッペパン、水のボトル、紙パックの牛乳、オレンジジュース、リンゴとエッグタルト。重いはず!しかも明朝、すぐに飛行機に乗るのに持って乗れない水物をこんなにたくさん!気の利かないこと・・・。
シャワーを浴び、荷物をまとめて22時就寝。




9日目  12月22日(月)
リスボン → フランクフルト

午前3時起床。とうとう帰国の日。4時にドアの外にスーツケースを出したら、集合まであと30分ほど何もすることが無い。帰国となるといつも名残惜しい思いばかりだが、今回はビジネスで帰れるのが楽しみ。


4:40バスでホテルを出発。真っ暗な中、リスボン空港に向かう。気温9℃。チエックインして、航空券を2枚受け取り、食欲は無かったが、ホテルで作ってくれた朝食を半分だけ食べる。セキュリティチェックでは、化粧品を入れたビニール袋まで手に取って調べられる。
6:40、15番ゲートで搭乗開始。フランクフルトまではエコノミー。席は30E。3列+3列の真ん中の席。窓際は若い外国人男性。手に持っているパスポートには、”Belarus”とある。ベラルーシュか。


7:10、移動開始。フランクフルトまでの飛行時間は3時間10分。早速、うとうとしていると、8時にお食事のサービス。本日2度目の朝食。フランクフルトでの乗り継ぎに備えて時計を1時間進める。またうとうとしていると、10:45、間もなく着陸態勢に入るというアナウンス。

11:20、フランクフルト空港に到着。セキュリティチェックは無く、パスポートチェックのみで次のゲートへ行ける。
早速、ビジネスのラウンジへ。さすがはルフトハンザの地元、広くてゆったり。ここで、12時から本日3度目のお食事。



13:30、Z22ゲートから搭乗。今度はビジネス。席は3Gで2列+2列+2列の真ん中の列。オーバーブッキングや荷物の積み込みのため、予定より45分遅れて、14:30移動開始。関西空港までの飛行時間は11時間30分。「○○様、お飲み物は何になさいますか?」と日本人のCAから尋ねられてビックリ。15時過ぎから食事の準備が始まり、今回も和食をチョイスしたが、例によってなかなか進まず、やっと前菜が運ばれて来たのが15:50。メインのすき焼き、デザートと全て終わったのは17:30。お陰でオペラ・アリアがたくさん聴けた。








10日目  12月23日(火)
関西空港 → 東京

食後、時計を8時間進めて日本時間に。突然、翌23日の1:30となる。ピアノ・ソナタを聴いていたが、そろそろ眠ることにしたのが3:30。気流が悪いらしく、よく揺れる。体格の良い乗客の親子が頻繁に往復するせいもある。


5時に目が覚めて、もうひと寝入りと思っていたら機内の明かりが点灯し、おしぼりが配られて、食事の支度が始まってしまった。仕方なく起きることに。あと2時間ほどで関空に到着。食欲が無かったが、お漬物がいやに美味しく感じられる。



アレクセイ・ゴルラッチのベートーベン ピアノ・ソナタをもっと聴いていたかったが、9:15、関空に無事着陸。気温7℃。
入国後、スーツケースが出てくるまでに洗面を済ませ、スーツケースの宅配を頼んで、ぎりぎりで特急「はるか」に乗車。新大阪で待ち合わせていた いとこに会って何十年ぶりかの懐かしいおしゃべり。


東京までの車中、ふと窓の外に目をやると、雲の上にきれいな富士山!

お天気にも恵まれ、良い旅だった・・・。