スペイン旅行記 

地図 


1日目 : 33日(金)  成田 ⇒ アムステルダム(乗り継ぎ) ⇒ バルセロナ ⇒ シッチェス

北欧上空

JAL411便、1300搭乗開始。イベリア航空とのシェア便。1345離陸。乗り継ぎのアムステルダムに向けてこれより11時間15分の飛行。機はすぐに雲の中へ。20分ほどして雲が切れると下は連山。雪をかぶっていて何だか奇妙な絵のよう。やがて新潟あたりから日本海へ。しばらくするとまた雪をかぶった険しい山が連なっているのが見える。



オランダ上空








その後、何も見えなくなっていたが、今度下界が見えると、一面真っ白で平らな大地に川が蛇行している。1600、雲の切れ間からデンマークの一部と思われる岬のようなものが見えたが、雪に覆われ、真っ白で寒そう。そのうち、オランダに入ったらしく、雲の間から畑や町が見える。

アムステルダム  スキポール空港



17
00アムステルダムのスキポール空港に着陸。バルセロナ行きに乗り継ぐまでの1時間ほどの間、オランダの雰囲気を感じながら空港内を歩き回る。お土産の主役はチューリップと木靴のサボ。1830B10ゲートへ。今度のJAL5323便の機材はイベリア航空で白い機体に赤い文字の中型機。2時間のフライトで、食べ物も飲み物も有料とのこと。いつの間にか眠ってしまい、しばらくして耳が痛くて目が覚める。


2120、バルセロナのプラット空港到着。2200、大型バスに乗り込み、三日月の下をシッチェスまで40分走る。ホテル“アンテマーレ”に到着。周りは住宅街。中階段にタイルが貼ってあったりしてアンティーク風だと思ったが、2階のお部屋に入ると、なかなかモダンですっきりしたデザイン。シャワーを浴びて、1200就寝。24時間プラス8時間の長〜い一日でした。

 
 


2日目 : 34日(土)  シッチェス ⇒ バルセロナ ⇒ バレンシア

地中海の日の出


615、起床。夜中は少し寒いぐらいだった。外はまだ星が出ているが、そのうちうっすら朝焼け色に。そして歌自慢と聞こえる鳥の声。
7時過ぎに、まだ暗い中をホテルの先の角を曲がって少し行くと、視界が開けて、そこはもう地中海! しかもちょうど日の出が始まるタイミング!! 
あまりにも幸運な一日の始まりに、とってもいい旅になりそうな予感。
しばしすばらしいショーに見とれ、地中海の水に手を触れてみてから、明るくなってきた青空のもと、エキゾチックな町並みをホテルまで戻る。
730、朝食。ビュッフェ形式で種類は多く、パンがおいしい。





グエル公園

820、バスで出発。ドライバーは、太い眉毛で笑顔に親しみのもてるホセさん。気温は12℃。バルセロナは日中19℃まで、バレンシアは20℃まであがるとのことだが、明日からは急に寒くなるらしい。トンネルを次々と抜けて、高速道路を通り、900バルセロナ市内に入る。まずは1992年のオリンピックで中心的な役割を果たしたというモンジュイックの丘(ユダヤ人の山)でバルセロナの街と海を一望。サグラダファミリアと青いロケットみたいな水道会社のビルがひときわ高く飛び出して見える。
グラシア大通りを車窓からガウディの作品、バトーリョ邸とミラ邸を見ながら行く。住んでいる人もいるそうだが、曲線でできたなんとも奇妙な建物。
続いて14世紀の貴族の館を修復した建物だというピカソ美術館へ。ガイドさんの説明を聞きながら一通り見て回ってから、革製品と雑貨の店に立ち寄り、続いてガウディがパトロンのグエル氏の依頼で作ったグエル公園へ。広い園内に奇抜な建物がいくつもあり、陶器のかけらをはめ込んだ長いベンチで人々がくつろいでいた。


受難の門



そしていよいよ、サグラダファミリア(聖家族教会)へ。聖家族とは、イエスキリストとマリア、4人の福音書の預言者、12人の弟子の合計18人のこと。1882年から建築が始まり、ガウディも引き継いで今年で124年目になるが、完成は寄付金次第とのこと。現在の塔は8本だが、完成時には聖家族の数の18本の塔が建つという。受難の西門から入る。外観は形になっているが、建物の中は高く足場が組まれていて、間違いなく建設現場の様相。ステンドグラスが美しい。生誕の東門から出る。道路を渡って池の向こう側まで行き、建物全体の写真を撮る。桜にそっくりのピンクの花の咲いている木がある。アーモンドの花とのこと。この季節でなければ見られないものだ。
誕生の門







その後、バスで昼食のレストランへ。バルセロナは坂が多い。1400、レストラン“マリーナ・モンチョス”に到着。店内にはシーフードがいっぱい。メニューは、サラダ、パン、ビーフンのパスタ・パエリア。パエリアは直径60pぐらいの大きな平たいお鍋で作ったのをそのまま全員に見せて回ってからお皿に分けて配ってくれる。見かけは短く刻んだ焼きそばという感じ。貝やイカが入っているが、何かひと味足りない。スペインの料理は本当は塩辛いらしいが、ツアーのアンケートで「塩辛い」という意見が多いことをレストランに伝えたところ、今度は極端に薄味になってしまったものらしい。パンはすごく硬かったが、おいしかった。デザートはクレーム・ブリュレ。 コン・ガス(ガス入り)のミネラルウォーターを飲んでみた。
 シーフード





1500、バレンシアに向けて出発。ピンクの花が満開のアーモンドの木、白っぽい緑のオリーブの木、黄色い実をつけたオレンジの木、ぶどうの木などの散在する広々とした景色。途中のサービスエリアで3ユーロの買物をして10ユーロ出したのにおつりを3ユーロしかくれなかった。スペイン人はおつりの計算が下手だと聞いてはいたが、本当だった・・・。もちろん文句は言った。1900、日が暮れて、一列に並ぶ遠くの明かりがきれい。気温は17℃。2000、スペイン第三の街と言われるバレンシアに入る。
夜のロータリー







“エキスプレス・バイ・ホリデイ・イン”に落ち着いてから、徒歩で夕食のレストラン“Mari”へ。メニューは、ソバデアホ(ニンニクのスープ)、魚(タラ)のフライ。ここも薄味。ミネラルウォーターは、今度はシン・ガス(ガス無し)にする。デザートは丸のままの大きなバレンシアオレンジ。おいしかった。2200、暗くなると恐くて一人ではとっても歩けないような路地を通ってホテルへ戻る。ホテルの目の前は大きなロータリーになっていて、車の列がぐるぐる回っているのが面白い。信号がいらない仕組みになっているようだ。交通量はかなりあり、道幅が広くて8車線もある。シャワーを浴びて、11時就寝。

 

3日目 : 35日(日)   バレンシア ⇒ ラ・マンチャ地方 ⇒ グラナダ

牛の看板


6
30、起床。まだ暗い。720頃から朝食。外へ出てみると、薄着では寒くて長くは居られない。ホテルの前には、部屋からも見える大きなロータリーがあり、真ん中には大小数本の大きな釣り針のモニュメント。あとは遠くにビル群とアパート群が見えるだけ。虹が出ている!いいことがありそう・・・。

830、バスで出発。雨がパラパラと降り始めたが、やがて陽が射してきた。バレンシア市街から抜けて、広々した野原へ。風力発電の白い風車がいくつか一列に並んでいる。内陸へ向かうほど土が赤くなり、アンツーカーのような色。葡萄畑がたくさん見える。ところどころに牛の看板


雪





出発から1時間ぐらいたつと、赤い土の上に白いものが見えてきた。まさかと思ったが、やはりだった! バスの中に外気温が表示されるようになっていて、出発時には10℃だったのがどんどん下がって、今は2℃。

さらに1時間ぐらいたつと、周りは広々とした牧草地に。空には青空が広がってきた。気温も少し上がってきたようだ。やがて風力発電の風車が無数に並んでいるところへさしかかった。壮観! 1040、トイレ休憩。2℃。雪が舞っている。バスの中が暑いので最初は気持ちがいいが、風が強いのですぐ寒くなる。サービスエリアで温かいココアを飲む。

 風車の窓から




12
00過ぎ、カンポ・デ・クリプターナという町に着き、ここで風車を見ることに。バスを降りて行くと、67基の風車が建っているのが見える。しかし、添乗員さんもはじめてというほどの強風。しかも気温は4℃。耳が痛くなる。坂道になっている道路の脇には白壁の家が軒を連ねているが、風車は木も生えていない高台に点在している。展望台で写真を撮って降りてくると、おみやげ屋の女主人がトイレをどうぞと声を掛けてくれたので気軽に借りたが、そのまま店を出るのも気が引けて、お土産を買うことに。その後、60セントのチケットを買って隣の風車の中を見学。建物の中は風を防げるだけでもありがたい。螺旋階段を上ると、中心に大きな木の歯車があった。風向きが変わると、風車の屋根に付いているつっかえ棒のような長い棒を持って風車の向きを変えるのだそうだ。冷たい強風の中をやっとのことでバスまで戻った。あまりの寒さにゆっくり楽しむ余裕が無かったが、絵になる風景だ。



揚げ菓子




昼食はプエルトラピセという町のセルバンテスが泊まった旅籠、レストラン“ヴェンタ・デル・キホーテ”で「ドン・キホーテ・メニュー」。内容は、野菜の煮込み、鶏肉&つくねの煮込み。何とも変わった味。デザートは花の形の揚げ菓子にアイスクリームを乗せたものでこちらの名物とのこと。

オリーブ







再びバスでグラナダへ向けて行く。1530過ぎ、突然景色が岩山に。外気温9℃。1600、トイレ休憩。オリーブ畑を見つけて、近くまで行ってみる。スペインはオリーブの生産量が世界一とのこと。気温は11℃まで上がってきたが、風があるので寒い。18時前にグラナダの街にさしかかる。街の向こうには雪を頂いた美しいシエラ・ネバダ山脈。

アルハンブラ宮殿の裏手






今日のホテルはアルハンブラ宮殿の近くとのこと。1800、“アリサレス・デル・ヘネラリーフェ” 着。なかなかおしゃれなホテル。室内の色彩がブルーで統一されている。スーツケースが届くのを待って、防寒して散策に出かける。坂道を下って行くと、雰囲気のある場所にさしかかった。宮殿の近くらしい。黄色いポストが立っている。アルハンブラ宮殿のシャトルバスらしい赤いマイクロバスも見かけた。1930からホテルのレストランで夕食。メルルーサのフライがメインのビュッフェスタイル。メルルーサは食べなかったが、スイカとプディングがおいしかった。



11歳の踊り手


夜は添乗員さんお勧めのオプション「洞窟のフラメンコ」を見に行くことに。
2115に集合してマイクロバスでサクロモンテの丘の「ロシオの洞窟」へ。77歳の踊り手
細長い洞窟に入ると、天井から料理用のおたまや鍋がたくさんぶら下がっている。奥と両側の壁に沿って椅子が並べられており、50人以上入れそう。入り口に近いところに男性のギタリストと歌い手が座り、女性2人、男性1人と11歳の女の子が交代で踊る。石の床の上に張られた板の上で踏みならすタップの音と踊りの激しさに圧倒される。ドレスの裾が私の膝に触れ、激しい息づかいも聞こえる。
11歳の女の子の苦悩に満ちた表情と大人顔負けの踊りには驚かされた。
何曲か踊ると別の洞窟の方と交代して別の踊り手とギタリストと歌い手が入ってきた。そしてその中には添乗員さんから話しに聞いていた77歳の有名なおばあちゃんも! 最初に若い男女が踊ると、次になんとそのおばあちゃんが立ち上がり、歌いながら踊りも見せてくれた。あまり激しい動きは無いものの、貫禄十分で、タップもすばらしかった。感激!
終了後は、アルハンブラ宮殿の夜景を見るため、バスで移動。徒歩で狭い路地を曲がって展望台に出ると、ライトアップされた宮殿が暗い夜空に浮かび上がっていた。その向こうにはグラナダの街の明かり。バスでホテルに戻るともう12時過ぎ。シャワーを浴びようとしたが、お湯がシャワーの方から出てこないので、あきらめて寝ることにする。




4日目 : 36日(月)  グラナダ ⇒ ミハス ⇒ セビリア

アルカサバの塔
6
00起床。まだ外は真っ暗。700から朝食。815、徒歩でアルハンブラ宮殿へ向かう。近いとは聞いていたが、10分で到着。一番乗り。ガイドは米原さんとマルティンさんとアントニオさん。米原さんはスペイン人とのハーフの男性で、あまり日本語は上手ではない様子。一行が30人を超えているので私たちを含む6人だけがアントニオさんにガイドしてもらうことになる。彼は日本語が上手で、しかもステキな雰囲気!

メスアール











アルハンブラ宮殿の扉が開くと同時に中に入り、壁面に施された美しい装飾に感嘆しながら、アルカサバの塔、カルロス5世宮殿、メスアール、アラヤネスのパティオとコマレスの塔、ライオンのパティオ、アベンセラヘスの間、二姉妹の間などを約1時間に渡って見て回る。

アベンセラヘスの間


時間が早かったので混雑もしていない。続いて王様の夏の離宮であるヘネラリーフェ庭園へ向かい、王女たちの塔などを見ながら30分ほど歩く。離宮のアセキアのパティオには、遠くに見える3,480メートルの雪山、シエラ・ネバダ山脈からの水が取り込まれて涼しげな噴水になっている。バルコニーから宮殿を望むと、青空のもと、建物に当たる陽射しの方向が一番よい時間帯ということで、いい写真が撮れることを期待。

王女たちの塔と城壁









1000、予想以上にすばらしかったアルハンブラ宮殿とステキなアントニオさんとの別れを惜しみつつ、バスに乗り込む。気温7℃。寄せ木細工と陶器のお店に寄ったあと、1100からミハスへ向けて2時間の行程。空は雲一つ無い青空。
1時間半ほど経った頃、マラガというピカソの生まれた町を通過。気温は14℃になっている。やがて左手に地中海が見えてくる。コスタ・デル・ソルだ! 一年のうち320日が晴天とか。長い水平線。対岸はアフリカ。

ミハスの展望台より地中海を望む

1
時前ミハスに降り立つ。15℃。両側にお店が建ち並ぶ階段を上る時、ギリシャの島を思い出す。カサブランカ(白い家)。添乗員さんお勧めのお菓子「ガラピニャーダ」(アーモンドに黒砂糖をからめたもの)を売る屋台が所々に出ている。味見をしてみると、なかなかおいしい。ミハスみやげはこれに決定! 長い階段を上り、お庭を抜けてレストラン “エル・パドラストロ”に入り、2階のオーシャンフロントのお席に。メニューは、イカスミ料理&ライス、ポークソテーと野菜の付け合わせ、デザートはバニラアイスクリーム。1430から1時間の散策タイム。まずはガラピニャーダの屋台に直行。たくさん買ったら、まけてくれた上に、小さなパックを一つくれた。3個でいくらと書いてあったので、律儀に金額を合わせてくれたらしい。
ミハス






その後、広場から闘牛場の脇を通って展望台へ。期待していた以上にすばらしく、筆舌に尽くしがたい海の色! なんと、ジブラルタル海峡、モロッコまでが望めた。こんなにはっきり見えることは滅多にないとのこと。日本のデジカメのコマーシャルにも使われたというサンセバスチャン通りを通って、1530にバスへ戻る。


シルケン・アル・アンダルス・パレス






18
30セビリア入り。現地では、「セビージャ」と発音するとのこと。
ホテル“シルケン・アル・アンダルス・パレス”に到着。どこが入り口やら迷うような、変わった造りの大きなホテル。ロビーの天井から真っ赤なお花のような大きな飾りが下がっているのが印象的。赤を基調にした部屋。窓の外はホテルの庭になっていてプールがある。部屋を出てエントランスのある0階を探検。1930から夕食。ビュッフェスタイルでメインはビーフシチュー。インターネットが使えるかどうか添乗員さんに聞いてもらったら「15分で3ユーロ」とのことで、担当者が来るまで待ってやっと使えたものの、今度はつながるまでの時間がずいぶんかかるのにイライラ。 やっとのことでYahoo Japanを呼び出して、メールを送った。シャワーを浴びて2230就寝。




5日目 : 37日(火)  セビリア ⇒ コルドバ ⇒ マドリッド

スペイン館
6
30起床。朝食はビュッフェスタイルだが、驚くほど種類が多い。チェックアウト時にインターネット使用料を払おうとしたら、3ユーロの料金に16%の税金がしっかり付いていた。840出発。9℃。快晴で風も無い。バスは、グアダルキビル川の船の検問所だったという黄金の塔の前を通ってマリア・ルイサ公園のスペイン広場へ。道路は広々していて木々が多い。走っている車も多いが、路上駐車の車が多いのも目を引く。スペイン広場のスペイン館はタイルが贅沢に使われた半円形の建物。建物に沿って造られた58のベンチにもタイルで歴史上の場面が描かれている。1992年のスペインでの万博の時に建てられたパビリオンで、現在も使われているそうだ。サンタクルス街









バスで、カルメンの舞台となった旧王立タバコ工場(現在はセビリア大学)の前を通り、940ムリーリョ公園へ。コロンブスの記念碑を見てから、サンタクルス街(旧ユダヤ人街)の散策。道幅の狭い通りに白っぽい建物が建ち並び、出窓のお花がかわいい。30分ほどの自由行動があり、土産物屋を覗く。日テレが撮影に来ているのに出会った。




アルカサル

続いて、セビリアの大聖堂(カテドラル)、王宮(アルカサル)、インディアス古文書館の建ち並ぶ広場へ。4人の王が担ぐコロンブスの棺1100大聖堂に入場。カテドラルとしては世界第三の規模だが、聖堂の大きさからいうとバチカン、セビリア、ミラノの順なのだとか。イスラム様式とゴシック様式が合体した珍しい建築で、世界遺産にも指定されているとのこと。まずはヒラルダの塔に登る。階段を覚悟していたら、スロープだったので登りやすかった。往復20分とのことだったが、先頭の男性がすごいスピードで進んでいったのにつられて休みもせずに上まで上がった。地上93メートルの鐘楼からはセビリアの街が一望。マエストランサ闘牛場も見えた。



大聖堂の礼拝堂の正面は金ぴかの祭壇。7000本のパイプを持つマホガニー製のパイプオルガンもあり、大きな時計の下には4人の王様が担ぐ立派な棺。中に入っているのはコロンブスとのこと。



車窓より

1200にバスへ。15℃になり、車内の冷房がはじめて入る。一面緑色の麦畑やオリーブ畑を見ながら走ること2時間。1340コルドバ入り。レストラン“アルムダイナ”での昼食は、タパスメニュー。おつまみのように少しずつ味を楽しむものとのこと。メニューは、お皿いっぱいのサラダ、鶏とイカの揚げ物、コロッケ、スペイン風オムレツにプリン。コルドバのガイドは、幸運にも、三人しかいない日本語を話せるガイドの一人でホァンさんという男性。メスキータ










1500メスキータ(イスラム教のモスク)へ。小さな礼拝堂が50もあるとのことだが、856本あるという円柱は見事。イスラム教とキリスト教の攻防の歴史がそのまま残っていて、モスクの中にキリスト教の大聖堂が造られている。金色に輝く聖体顕示台はキリスト教のお祭りでお神輿のように使われるものとのこと。立派なパイプオルガンもあった。続いてコルドバのシンボル、ユダヤ人街の「花の小道」へ。自由時間となり、30分ほど散策。



コルドバ駅


このあとコルドバ駅に向かい、そこで、最初からずっとお世話になったバスとドライバーのホセさんとお別れ。19℃。30分ほどの自由時間のあと、1743コルドバ発のスペイン新幹線AVEに乗り込む。車内はとてもきれい。1935、マドリッドのアトーチャ駅到着。珍しい斜めのエスカレータを何度も乗り継いで上に上がる。アトーチャ駅では20043月に爆破テロがあったが、建物自体の被害はそれほど無かったそうで、内部に植物園のようなものもあり、とても雰囲気のある大きな駅。外に出ると、もう真っ暗。街はあまりきらびやかな印象は無く、重厚な感じで、街路灯も暗い。車窓からアルカラ門のライトアップを見て、夕食の中華料理店「京城酒家」へ。メニューは5品にチャーハンとデザートのオレンジ。中華はやっぱり口に合う。久しぶりの温かいジャスミンティーもおいしかった。2130、“フェスタ・グラン・ホテル・コロン”到着。このホテルには連泊なのでゆっくりできる。2230就寝。



 



6日目 : 38日(水)  マドリッド ⇒ トレド ⇒ マドリッド

ゴヤの像

630起床。715朝食。サラダのスペイン風ドレッシングにニンニクがたっぷり入っていてびっくり。部屋に戻ってテレビをつけると「クレヨンしんちゃん」に続いて「ドラエモン」と「アルプスの少女ハイジ」まで放映されていてまたビックリ。“ハイジ”ならぬ“ヘイジー”がスペイン語でしゃべっているが、笑い声はそっくり。
845出発。8℃で快晴。アトーチャ駅の前を通り、まずはプラド美術館へ。ルーブル、メトロポリタンと並ぶ世界三大美術館のひとつ。正面玄関にベラスケス、南門にムリージョ、北門にゴヤの像が立っている。二組に分かれてゴヤの北門から入る。私たちは現地の日本人ガイド船水さんの組。今起きたばかりのような髪型で、ガイドというより画家という印象。船水さんの解説は、複数の絵の比較など、これまでになく面白い説明で興味を持てた。

エル・グレコ「受胎告知」
ベラスケス「ラス・メニナス(宮廷の侍女たち)」:門外不出の最高の絵、中心はマルガリータ姫、モデルになったつもりで見ること
ゴヤ「カルロス4世の家族」ゴヤの最高傑作、暗愚そうなカルロス4世の風貌や、狡猾で意地の悪そうな夫人の表情などには、ゴヤの精一杯の風刺が感じられる。左端左向きがゴヤ。


                                 





エル・グレコ「受胎告知」
ゴヤ「カルロス4世の家族」

ベラスケス「宮廷の侍女たち」


















国立ソフィア王妃美術センター
プラド美術館のすぐ前の日本人経営のブランド品のお店“TIMYR(ティミール)”に寄り、続いて、国立ソフィア王妃美術センターへ。小学校低学年ぐらいの子供達の団体がいくつも来ている。プラド美術館の作品以降のもの12,000点が展示されていて、ダリ、ピカソ、ミロが見どころとのことだが、ここは撮影禁止。荷物検査の後、まずはピカソの「ゲルニカ」を見に行く。

【ゲルニカ:スペインは1936年から内戦状態だったが、1937426日に、ナチス・ドイツがフランコ将軍率いる反乱軍の支援のため、スペイン北部の小さな町ゲルニカを無差別爆撃し多くの市民が犠牲となった。これに強い衝撃を受けたピカソは、当時パリ在住だったが、わずか1ヶ月で巨大なカンヴァスに「ゲルニカ」を描き、それはパリ万博のスペイン館の入り口に展示された。ピカソ独特の表現力によって描かれた牡牛や馬、鳩などの動物たちや、地面に倒れる兵士、死んだ子供を手に悲痛な顔をした母の姿は、破壊の恐ろしさを強く訴えている。】セルバンテスの像

ミロ、ダリの絵を見てからショップで絵はがきを買う。




バスに戻り、国立銀行の前を通って旧市街をゆっくり行く。王宮の前を通り、スペイン広場へ。
セルバンテスの没後300年を記念して作られた記念碑が池の向こう側に立ち、その下には、ロシナンテにまたがったドン・キホーテとロバに乗ったサンチョ・パンサの像。
広場には、馬に乗ってゆっくり歩く騎馬警官の姿も。
昼食のレストランに向かう車窓から、オエスタ公園に移築された紀元前4世紀のエジプトのデボット神殿を見る。“PAELLA  REAL”での昼食のメニューはサラダ、シーフードパエリア(ムール貝、エビ、イカ)、三色アイスで、なかなかおいしかった。
REAL”はサッカーチームの「レアル・マドリード」などにも使われている単語だが、英語の“royal”の意味とのこと。

サン・セルバンド城



1400、バスでトレドへ向かう。マドリッドに遷都されるまでは首都だった古都。雲が低くたれ込めたのが似合う街とのことだったが、今日も晴れ。1500過ぎ、トレドに近づくと、サン・セルバンド城と陸軍士官学校の建物が見える。タホ川を渡り、対岸の展望台の上からトレドの街を一望。トレドとは「守りの堅い街」の意とのこと。タホ川に囲まれていて、一つの山が街になっている感じ。スペイン瓦の家々が建ち並び、大聖堂が頂点に建っていて、とても雰囲気のある一幅の絵のよう。

トレドの街






トレドに入るとまずは、象眼細工の工房へ。店の中には甲冑を身につけた騎士が立っている。入り口で売っていたマサパンはアーモンドの粉を練ったお菓子で、甘さがまるで和菓子みたいなのでお土産にひと箱買うことに。トレド城(アルカサル)の前を通り、写真を撮りながら迷路のような旧市街を歩いて、高い塔のある大聖堂(カテドラル)へ。カテドラルとは司教のいる教会だそうで、ここはスペイン・カトリックの総本山とのことだが、残念ながら撮影禁止。太い柱があり、ステンドグラスが上の方にずらりと並んでいる。金色に輝く聖体顕示台、神父達がグレゴリアン聖歌を歌う聖歌台、パイプオルガン、大礼拝堂、建築後に高い技術をもって開けた光取り窓などを見て回った。続いてサント・トメ教会へ行き、エル・グレコの門外不出の最高傑作「オルガス伯爵の埋葬」を見る。

 
スーパーマーケット



バスのところまで写真を撮りながら歩いて下り、1730から1時間かけてマドリッドへ戻る。19℃。夕食の集合が2010とのことなので、近くのスーパーへ買物に出かける。4分でゆであがるという細くて短いパスタを買う際、50セントほどのところ、間違えて5ユーロ札を出して、店員さんを混乱させてしまった。1930、ホテルに戻り、一休み。






フラメンコ・ショー




2010集合で“TORRES  BERMEJAS”のフラメンコディナーショーへ。バスから降りるのが遅かったので、ステージから離れたテーブルになってしまった。おつまみとして、ポテトチップス、オリーブ、クリームコロッケが出て、ワインも少し飲んだ。続いて、スープ、サーモングリル、ケーキ、コーヒー。メインが終わる頃からショーが始まった。ギタリスト2人、歌い手2人、踊り手は女性ばかり4人。一番年配の女性だけが一人黒い衣装で、熟練と見える。洞窟のフラメンコの方は眉間に皺を寄せて、「苦悩の踊り」という感じだったが、こちらはカスタネットを使って、手拍子を入れて、笑顔で楽しそうに踊っていて、いかにもショーという感じ。途中でギタリストと歌い手がメンバー交代、と思ったら男性の踊り手が出て来て最後まで一人で激しく踊った。2230終了。23時前にホテルに帰着。シャワーを浴びて2400就寝。





7日目 : 39日(木)  マドリッド ⇒ アムステルダム(乗り継ぎ) ⇒ 成田

王宮


6
00起床。いよいよスペインでの最終日。荷物をまとめ、持って帰る方を極力少なくと、スーツケースに詰め込むが、調節のために多めに持ってきた衣類がかさばって大変。715、レストランが開くと同時に朝食へ。食事が終わって出ようとしたら、いつになく入り口に長蛇の列が出来ていてビックリ。同じツアーの一日遅れの組が来ていて、それが何とバス2台で総勢70名とのこと! トイレもレストランも、行く先々でさぞ大変なことだろう・・・。
今日の午前中は自由時間なので、825に待ち合わせてタクシーでマドリッド市内の王宮へ。やさしい運転手さんだったのでほっと安心。9時オープンと聞いていたが、観光客用の入り口の前に一番に着き、しばらく並んでから看板をよく見てみると、10月から3月までは930オープンという事がわかった。

王宮内部




周りで写真を撮って時間をつぶし、結局、本日のトップで入場。ガイドが無いのが残念だったが、すばらしく豪華な部屋を次々と見て回った。タクシーでホテルまで戻るが、その時の運転手はいかにもスペイン男という感じの人。大きな目と大きな声が恐かった。ホテルに着いてから、お土産を買いにもう一度スーパーへ行き、1200集合でバスへ。15℃。
スペインでの最後の食事は旧市街の「チッキー」というレストラン。メニューはお米のパエリヤ、ローストポークにマッシュポテト、デザートはピンクの甘いソースをかけたパイナップル。





バラハス国際空港


1330、レストランを出て、30分でマドリッドのバラハス国際空港着。
今年2月にオープンしたばかりという、ユニークで明るい空港。天井が
カーブした竹で作られている。中国の竹だそうだ。その支柱が青から緑、黄、赤へ延々とグラデーションになっていてとてもきれい。スーツケースを預けて、セキュリティチェックのあと、お土産のチョコレートを買い込むと手荷物がずっしりと重くなった。延々と10分ぐらい歩いて、1530過ぎ、空港の端のH4ゲートの前へ。ガラス張りで外がよく見える。スペインの田舎の景色ともこれでお別れ。1615JL5322便に搭乗。32列の中型の飛行機。1640、離陸。

アムステルダム空港






2時間後、乗り継ぎのアムステルダム空港に到着。空港の中を添乗員さんの後に続いてすごいスピードで移動し、EU出国手続き。2000JL412機に搭乗。2030、離陸。成田まで10時間50分とのこと。2200、遅い夕食が出た。和食を選んで正解。牛肉の角煮がメインのメニューだったが、久しぶりの醤油味がやけにおいしい。機内食をこんなにおいしいと思ったことは無いような気がする。食事が終わると機内が暗くなり、いつの間にか眠った。何度か首が痛いと思ったような気がする。目をさますと時計は500310日になっている。日本時間の1300に合わせる。機内が明るくなって、おしぼりが配られた。もうすぐハバロフスクにさしかかるところ。あと2時間半。1330、朝食が出た。いや、昼食か? あまりお腹がすいていなかったので、メインはほとんど食べられなかったが、果物がおいしかった。この機は時々揺れて不安になることもあったものの、1525、無事成田着。



プロローグ

アルハンブラ宮殿




この旅は、なんと言ってもお天気に恵まれた。お世話になった添乗員さん、ガイド、ドライバーさんもみんな良かった。雲ひとつ無い青い空、青い海、白い家、スペインの色とでも言うようなその土地の土の色の家々。屋根に苔むして崩れそうに古い家も風景によく合っている。どこをとっても絵になる景色。特に印象に残ったのは、アルハンブラ宮殿トレドかな・・・。
トレド








朝の出発もホテル到着も適当な時刻でよかった。第一、危険だ、危険だと言われていた治安はずいぶん落ち着いていて、ヨーロッパの他の都市と特に変わりはなく、被害にあっている人を見かけることもなかった。日程の組み方や添乗員さんの機転のお陰でどこへでも早めに到着できて混雑を避けられたこともよかった。写真は800枚近く撮り、旅行記は葉書大の手帳に30ページほどにもなった。







★スペインの治安についての添乗員さんの話

スペインは治安が悪いという評判になっている。45年前には50100万円で売れる日本人のパスポートを狙った首絞め強盗などが多発していて、2003年には112件も起きたが、20043月にマドリッドのアトーチャ駅でテロがあったのをきっかけに、スペイン警察がモロッコ人やアルジェリア人を締め出したため、件数は激減した。しかし、マドリッド、バルセロナ、セビリア、グラナダなど主な観光地ではまだ起きていて、2005年には年間49件を数えた。

また、強盗が減ったとはいえ、ルーマニア人などによる置き引き、スリなどは増えており、犯罪件数全体としては減ってはいない。手口は、観光客を装って紛れ込んで来るもの、睡眠薬入りのパンやワインを勧めるもの、警官と偽って所持品検査で財布を見せろというもの、街中で衣類を脱いで気を引くもの、店から出て来たところを狙うものなどいろいろ。週末や祝日の25時のシエスタの時間は街が閑散とするので被害に会いやすい。貴重品はホテルのセーフティボックスに預けてパスポートのコピーを携帯する、パスポートはお腹に巻く、お金やカードは分散して持つ、街中で財布を開かない、バッグは肩に斜め掛けにして必ず手をおいておく、あるいはバッグを掛けた上に上着を着る、団体で歩くときは間に他の人を入れない、個人での移動はタクシーを利用するなどの自衛策が必要。