§第7章 そして、旅は終わらない§

二つの資料
ここに、二つの「資料」がある。

一つは、アニメ研究誌「エスカリア 第7号」である。
「エスカリア」は、アニメ研究グループのアニメディア(大手出版社から発売された雑誌に、同名の物があるが全く無関係とのこと)
が発行した「研究誌」で、この第7号では「ガンバ」を特集している。
単なる「アニメ好きが書いた、ヲタ系冊子」ではない。表紙は、椛島氏がデザインされており、出崎氏・椛島氏にはインタビュー、
芝山氏には電話取材、原作者の斎藤氏には手紙による取材と、主なスタッフや関係者から「生の声」を集めている。
さらに、新聞紙上に掲載されていたと言う、絵物語「冒険たち〜ガンバと15匹の仲間」についても、制作に携わっていらした
辻 真先氏に取材しているのは、特筆モノ。
もう一つは「アニメージュ」誌に、昭和58年頃に掲載されていた「わが思い出のアニメ―ション」という記事の第2回で、
ガンバを取り上げている。
丁度この頃、関東ローカルであったらしいが再放送があって(私が、偶然再会した放送であろう)根強い人気を裏付けたとある。
ここでは、最終回のラスト(イタチは全滅したが、ガンバも犠牲になったのだと、誰もが涙したシーンの辺り)について、出崎氏に
当時の想い出や、エピソードを取材している。
さすがに、アニメ専門誌だけにラストの名場面が、フイルム・ストーリー的なレイアウトで編集されているのだが、残念なのは
それにページの多くが割かれてしまい、肝心の出崎氏のインタビュー内容が、若干読みづらいことだろうか。

ここでは、これらの資料を元にガンバについて、もう少し掘り下げた考察をしてみたい。


出崎 統氏へのインタビュー「エスカリア」誌より
アニメ化のお話は、楠部三吉郎氏より持ちこまれた。お話があって、放映までに約1年くらいの時間があった。
アニメ化に当って、最も描きたかったのは「冒険をしながら、敵と戦う」と言うことで、それを動物(ネズミ)に託すことによって、
生きること・死ぬことを、より強調して描くことができた。
自分としては、町ネズミのガンバが大きな海を見て感動するところを一番やりたかったので、第一話・第二話に全てが凝縮されていると思う。

キャラクターについては、原作の16匹の中で印象に残ったのを選んで、中にはキャラを統合して、結局7匹に絞った。
そして、原作のイメージより年齢を下げて、全体的に若くした。シジンは、もう少し若くても良かったも知れない。
ガンバは、原作では少々優等生的な面があったが、アニメ化では感情の起伏を激しくさせ個性的なキャラクターにした。
7匹の中では、イカサマが良かった。主役があってキャラが引き立ち、同時に主役を引き立てる…例えるなら「あしたのジョー」の
力石 徹のようなキャラだった。

ノロイ島までの道程は、原作では1日程度だったがテレビでは、一本一本に「冒険者たち」というイメージが必要だし、すぐに着いたら
ノロイが主役になってしまう。
そこで、テーマの半分を町から海、そして島にたどり着くまでの道程にし、地図を描いて途中を決めた。
シリーズ構成は、当初から26話と言う設定で、軍艦島・ザクリ島・カラス岳…といったルートやエピソードも、予め大体決めていた。

演出上、基本的には劇画タッチを狙った。ドラマチックに、うんとリアルに…と、言った感じで。
キャラクターがネズミだから、ネズミの目線で主観で表現することに心がけた。また、作画面では光と影のコントラストを押し出した。
ガンバは、スタッフに恵まれた作品だったが、演出面では特に芝山さんの存在が大きかった。

最終回のモノローグは、作品が終わってしまうことに対する、ひとつの反抗だった。
あのモノローグには「辛くて苦しかったけど、僕達は旅を続けよう。冒険者達に終わりはない」ということで、見ている側に彼らは
また旅に出たんだなと、思わせたかった。また、ラストでノロイを「どう殺すか」について、いろいろ考えた。
あの作品では、声優さんたちのチームワークがとても良かった。だから、最終回で誰を立てるか悩みましたが、結局、ヨイショとイカサマを
立てることになりました。
作品は、名目上「小学校高学年」の特に男子をターゲットに、と言うことになっていたが(裏番組の関係もあって)結局、小学生には
難しい部分があったかも知れない。特に、一行に女性キャラがいなかったのは、ちょっとまずかったかも。

「続編」については、スタッフで勝手に「今度は山での冒険がいいのでは」などと話していて、かつての仲間が再び集結して今度は、
北の大地で熊や狼なんかと戦うのはどうかと、原作者の斎藤氏に打診したこともあった。


出崎 統氏へのインタビュー「アニメージュ」誌より
最終回、ノロイ以下イタチとの最後の戦いで、ネズミ達はツブリ達オオミズナギドリによって救出されていくが、ガンバだけは
襲ってきたノロイに食らい付いたまま、海へと消えた。
そして…ヨイショが、ガンバの名を叫ぶもののそれは空しく響くだけ…まさか、ガンバは本当に死んでしまったのか?
そこで、イカサマが無理に笑って涙をこらえるシーンが出てくるが、出崎氏によればここはポイントだと思って、イカサマひとりを
立たせてみたとのこと。ちなみに、この時のイカサマのセリフは、半日ほどあれこれ考えたのだそうです。

そこへ、ノロイが海の中から現われる。ノロイは死んでいなかったのだ。そして、彼らにノロイが迫り、海岸で荒れ狂う。
その背中には、ガンバが食らいついたままだった。
ノロイの復活については、ガンバ達の心に恐怖を残したかったからです。それは、もう一つの悪ではなく、来たら最後戦わねばならない存在…
として、ノロイがああして出て来るのです。
ノロイには、我々の心の中にも存在するのではないか…という象徴性を持たせました。忠太から話を聞いただけで、みんなが「ノロイめ!」
と思うような象徴性を持たせなければならないと、考えました。
その結果、ノロイは自然と巨大化し、目が赤く光ったり、残酷だったり…この世の醜いものを全て集めたみたいに。

ラストシーン、大海原を航海するイカダ。そこへ、シジンのモノローグ…
キャラクターには、ひとりひとり思い入れがあります。そして、ああしたいこうしたいと考える中、シジンは目立った活躍が少なかったし
トリを取らせるつもりでシジンが代表して、みんなの気持ちを詩にこめて語らせることにしました。


「ガンバ」のモチーフ@ 「仲間」「個を保ちつつ、仲間であるガンバ達」
ガンバ達は、具体的にチームを組んでいかねば、敵に向っていけない状態だった。
その中で、どれだけ「個」を保ち続けられるかが大きな問題だった。
ひとりひとりが、ひとりであることを忘れたら「仲間」にはなれない。その一方で、イヤだなと思いながらも、他の人のために…
何も報酬がなくても、ついやっちゃう。で、そのあとに何かフッと残る。そんな、微妙な優しさとか面白さが出せればと、思っていた。
17話では、ガンバ達が「仲間」をまじめに考える話を書きましたが、それを結論を出さない形でやって見ました。
仲間なんで役割をはっきりとさせない、ほど良い加減の中でガンバ達を書きたかったんです。

「ガンバ」のモチーフA 「海」「ガンバの、大人への旅立ちの入口」
原作を読んで、一番面白いと感じたのは「ネズミと海の取り合わせ」でした。
町に棲むネズミが、海を見たいと思ったと言うのに、興味をひかれました。自分の中では「ガンバ」のテーマは、小さいネズミが大きな海に
憧れる面白さを、書くことだったんです。
その辺りは、第2話のラストでガンバが青い海を初めて見るシーンは、ガンバの誕生を表現した形でもあります。
つまり、ガンバが海の話を聞き、ただ憧れて求めて行き、海を見てどうなったか…という過程を、ちょうど少年が大人への旅立ちをするような
形で描こうと思ったわけです。

「ガンバ」のモチーフB 「自然」「感情を受け入れてくれるのが、自然現象」
自然現象はいろいろあるけど、そういうものを失ったら、我々の存在はないと思う。
いつもそばに海があるわけではないけど、自然現象は文句なく美しいし、キャラクターを絶えずそこに置きたいと思うし。
舞台装置であると同時に、何かが現われる場所…
そこで、23話のラスト…裏切り者の太一を、イカサマが殴るシーンで、雨がザーッと降ってくる。どうして、雨なのか…
やっぱり、あのシーンでは風が吹きすさぶのではちょっと違う。ああいう場面での感情表現を、一番受け入れてくれるのは
やはり自然現象だと思うんです。
あのシーンで、イカサマやネズミ達が太一に何を言いたかったのかを、セリフではない表現を取るなら、ああして自然現象を借りないと。

「ガンバ」のモチーフC 「旅」「きびしい方へと、進んでいくもの」
旅は、やはり出会いと別れの繰り返しのような気がします。出会いの素晴らしさと、別れの辛さを持ちながら、また一歩進んで
大人になっていくような感じがします。
自分の周囲を、仲良しで固めてしまったら身動きが出来なくなるでしょう。そうじゃなくて、いつも内には風が吹いていたり
状況は孤独でも何かポッと小さな火を一つ持っているような旅を描きたいですね。
旅をしている人は、一見明るいけど旅の本当の怖さとかを、現実に背負っていると思うんですよ。
だから、旅はきびしい方へどんどん流されていく…そういうものだと思うんです。


芝山 努氏へのインタビュー「エスカリア」誌より
「画面設定」の仕事とは、普通のアニメでは主な「舞台」は、予め設定しておくのだがガンバの場合は、次々とキャラクターたちのいる
「舞台」が変わるので、美術監督ひとりで決めるのが難しく、それをまとめる役割でした。
ガンバの場合、主要な部分をレイアウトして、全カットをレイアウトしたのではなかった。それと別に「動きのレイアウト」もした。
これは、コンテに「奥に行く」と書かれていても、細かい動作が分からない。そこで、この荷物の間を通って…と言った指定をしました。
「ネズミの視線」は、アングルだけでなく全てに意識しました。
また、そこにネズミの感情も盛り込んで、ネズミの感化的視線で描くことを意識しました。

冒険ものは、素材として扱うのにとても面白いと思います。エピソードが描きやすいと言うのもあります。
ガンバの場合、七匹の個性がどう冒険に対処して言ったか、ということだったと思います。と言うのも、ファンからの手紙を見ても
それぞれ好きなキャラが違うんです。
それは、キャラクターの個性が上手く描けていたと言うことですし、私も冒険ものであれだけキャラクターの個性を、上手く描けた作品は
なかったのではと思います。
また、ガンバが主役なのに決して優等生なキャラではない、というもの面白かったです。間違いはするし、そこら辺にいるやんちゃな男の子
と言う感じで…これも、個性になるのでしょうけど、ガンバはやっていて面白い作品でした。

一番面白かったのは、第17話です。画面的にも雪山あり、川があり、汽車が出てきて…と、盛りだくさんでしたし、キャラクターの個性が
良く出ていましたから。
出崎さん、椛島さんと話をしていた時に、最終回で誰か殺そうと言うことになって、その時はイカサマが第一候補だったんですが…
局から「続編を制作する時に困るので、誰も殺さないでくれ」と言われて、止めになりました。
また、スタッフが何かとアイディアを持ち寄った作品でした。ノロイの最後は、椛島さんのアイディアからだったと思います。


椛島義夫氏へのインタビュー「エスカリア」誌より
ガンバの冒険は、出崎さんが最初に企画書を書かれました。その時、出崎さんはキャラのイメージも含めて書かれていましたが
テレビ化が決まってそのキャラクターをもうひとひねり、と言うことになりました。
結局、出崎さんが最初に書かれたイメージに近いものになりました。

キャラクターの中で、最も苦労したのはイカサマとガクシャです。名前から個性的で、限られたイメージのキャラクターでしょう?
そのイメージが、前面に出すぎたキャラでは面白くないし、月並みになるだけだし。まあ、他のキャラクターに匹敵するキャラになったと
思っています。また、シジンはどことなく自分に似ていて、愛着がありますね。

作画面では、出崎さんの絵コンテにこちらが引っ張られるような形でした。絵の非常に上手い人で、こちらもずいぶん参考になりましたよ。
白と黒を多用して、コントラストをはっきり出したのは、出崎さんの要求によるものです。
ガンバが、全体的に絵がきれいで画面が決まっているように見えるのは、東京ムービーとして初めて、レイアウトシステムを導入したことが
あると思います。そして、スタッフが日本の児童文学のアニメ化、と言うことで張り切っていた作品でした。

実際のネズミやイタチの動きも研究しましたが、アニメではそれらとは違った動きを出しました。
イタチなんか、実際は頭を持ち上げてクネクネと走るんですが、それを絵にするとどうもコミカルすぎて、悪役としての迫力が出ない。
ネズミの走りも、身体いっぱいにスピーディーに走る様を表現するのに、2コマ3枚と言う作画方法を使いました。

印象に残っているのは、自分が手がけたのでは第23話のラスト。雨の中、イカサマが泣きながら太一を殴り続けるシーンですね。
長いカットでしたが、自分自身ああ言う暗いシーンが好きなので、念入りにやりました。
また、自分はほとんど手がけていないのですが、最終回のラストでノロイが海から上がってくるシーンはすごいですね。
ガンバには「山での冒険」という、続編の構想があったのですが、実現しませんでした。
でも、ああいう「冒険もの」は、年齢や世代を超えて読み継がれていくものだと思いますし、ガンバの冒険もそれを見た子供達が大きくなって
その作品を覚えていてくれればと思います。


絵物語「ガンバと15匹の仲間」について「エスカリア」誌より
ガンバがアニメ化される前、読売新聞日曜版に「冒険者たち ガンバと15匹の仲間」という絵物語が、連載されていたことがありました。
これについて、当時制作に携わっていらした辻 真先氏のインタビュー記事を要約すると…


連載の経緯は、当時の新聞社文化部次長の方と、東映動画のスタッフが知り合いでお話が持ち上がり、原作者の方とも打ち合わせを重ね
こういう場合では異例ですが、八丈島までロケハンに行きました。
当初、連載は「何回まで」と期限を切らず、大河連載つもりで準備をしたのです。それというのも、東映動画としては「いずれ自分のところで
アニメ化を」と、考えていたのでしょう。

ところが、連載開始直前になって東京ムービーがテレビ化権を取っていると知りましたが、その時点ではまだ本決まりではなかったし
もしかしたら(話が)流れるのでは?と言うことで、半ば見切り発車で連載をスタートさせました。
しかし、それから東京ムービーでのアニメ化がスタートしたため、東映動画としては無理に連載を続ける必要性がなくなったのです。
同時に、新聞社側も人事異動などで紙面の刷新が図られることになり、結局打ち切りという形になりました。
最終回は、尻切れトンボで終わらせるのも何だと、無理やりストーリーを詰め込んだので辛い思いをしながら、文章を書いたのを覚えています。
また、作品の制作にあたっては原作を出来るだけ尊重しながら、キャラクターについてはややマンガチックになりながらも、
ストーリーによって絵を変えたりその構図をいろいろ考えたりと、丁寧な仕事を心がけたので、打ち切りになったことは残念でした。


「早瀬川の唄」についての考察
「エスカリア」には、原作者の斎藤惇夫氏への書面による質問も載っているが、内容的にあまりにシンプルで…(笑)
ただ、一つだけ気になった一文があり、早瀬川の唄には何かモデルがあるのかと言う質問に対して、斎藤氏は
「八丈島伝承の歌がヒントになっている」
と、お答えされています。
斎藤氏が、作品を書く前に取材に訪れていたのが八丈島であることから、ノロイ島のモデルが八丈島であることは、周知の事実ですが…
その「伝承の歌」とは?
早速、ネットで調べてみました。そして!ここに、その検証結果を発表します。

まず、早瀬川の唄の歌詞について…(テレビで放送されたものを基準に)
そろた そろたよ なかまが そろた いちねん ぶりに またそろた
おどり おどらば あのこと おどれ あかい そてつの さくしたで
むすめ ほしけりゃ およいで わたれ ねんに いちどの はやせがわ
わたれ わたれよ いそいで わたれ つきが みちた そのひのうちに


次に、八丈島の歴史について…昔(鎌倉時代頃と思われる)一つの島に、男女が一緒に住むと海神の祟りがあると言うので男女は
男ヶ島(おがしま:現在の青ヶ島)と女護ヶ島(にょごがしま:現在の八丈島)に別れて住んでいたと言います。
そして年に一度、男ヶ島から南風の吹く日に男達は、女護ヶ島へとやって来たのです。
そして、島には「ショメ節」という民謡があり、これは盆踊歌・酒宴歌で歌詞は即興で、その時の気持ちを唄ったといいます。
そのため、ある方がショメ節の歌詞を集めてみたところ、250以上の歌詞があったそうです。

ショメ節の歌詞は、多くの民謡がそうであるように「七・七・七・五」調で、特に七の部分が「三・四」「四・三」「三・四」です。
それを踏まえて、もう一度「早瀬川の唄」の歌詞を見て下さい。このショメ節にスタイルに良く似ています。
年に一度の逢瀬・その季節・唄のスタイル…これらから、この「早瀬川の唄」は、八丈島の「ショメ節」が、モデルであろうことは
まず間違いないでしょう。

ちなみに、唄の「合いの手」はショメー・ショメーと言う言葉で、それを楽譜にまとめたものを見る限り、メロディーは異なるようです。
(私は、オタマジャクシには弱いのですが)

なお、参照したいくつかのサイトについては、ここにURLを貼り付けるわけにもいきませんので、省略します。
ただ、検索エンジンで「八丈島」「ショメ節」といった語句で検索すると、それらしいサイトが見つかると思います。


とりあえず…
長々と、駄文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
「ガンバの冒険」について、これだけダラダラと書き連ねた愚か者は、他にはいまいと思いつつ…
また、何か見つかったらダラダラ書き出すでしょう(笑)

アニメの初回放映から、40年近くが経過しました(歳取ったわけだぁ…)テレビでのガンバ達の冒険は、たった半年の短いものでしたが
未だにファンの心を捉え、新しいファンを増やしています。その魅力については、私が駄弁をふるうまでもないでしょう(笑)
出崎氏の作品には、キャラクターが「旅立っていく」ラストが多いように思います。
ガンバも例外でなく、終わりなき旅に向かって行きました。

今でも広い海の片隅で、シッポを立てて旅を続けているであろう「冒険者たち」に、幸あれと願いつつ。

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