第4話 がんばり屋のガンバ

「我輩は、ネズミである。名前は、まだない」
今でこそ俺は『ガンバ』という名前を名乗り、みんなもそう呼んでいる。でも、ちょっと前まで、俺は『名無しのゴンベ』だったんだ。


俺たち町ネズミは、生まれてから一定の歳になるまでは名前がない。親がいいだろうと認めると、親の名前を継いだりする。
また、力や知能など何かに優れていて、自分に意思があればリーダー格のネズミ達に認めてもらう『儀式』に参加して
名乗ることを許される名前をもらうんだ。そういう者は、自分のエリアをもらえる。例外は、その『一定の歳』になる前に親が死んでしまったりする場合だ。
「おいらなんかが、いい例だよ」
ボーボは、小さい頃に親が行方不明になっちまって(口の悪い連中は、親に捨てられたんだ、とか言うけどさ)身寄りのない連中が
集まって暮らしていたところで、付いたあだ名がそのまま『名前』になったようなものだ。
ボーボも親の名前を覚えていれば、その名前を継ぐことができたのに…

じゃあ、名前がつくまではどう呼ばれているのかというと『○○の子供』という言い方で呼ばれる。この○○が親の名前だ。
俺なんかは(自分で言うのも、何か変だけどさ)悪ガキだったから、小僧とかボウズとか、ガキなんて呼ばれることが多かったなあ。
そんな俺が、一番嫌いだった奴がいた。後に、そいつは『ロック』という名前をもらった。
図体はでかいし(俺の2倍半ほどある)ケンカも強い。何でも、名前をもらう時の『儀式』で踏ん張る姿が岩のようだったからだとか。
奴は俺より少し年上だけど、しょっちゅうケンカしていた。なぜかって?
俺は、弱いものいじめが大嫌いだ。そして、ズルをして自分だけ楽したり、得したりするのも。こいつは、俺の嫌いな要素を、いくつも持ち合わせている奴だった。
だから、そうしたことを目撃するたびケンカになり、次に会うとこの間のお返しとばかりにまたケンカ…その繰り返しだった。
奴のパンチは強烈だから、ケンカの時には歯を食いしばっておかないと、たちまち目の前がふらついて動けなくなっちまう。
でも、そんな奴の弱点はスピードに弱いんだ。こっちが細かく動くと、攻撃が雑になる。そこを狙って攻撃するのさ。
腹にパンチや蹴りを入れたらさすがのロックも怯むから、あとは徹底的に攻撃し続けるだけ。腕といわず足といわず、思い切り齧ってやるのも俺の得意な攻撃だ。
時には、ボロボロに叩きのめされちまうこともあるけど…たいてい、奴の方が負け惜しみ言って立ち去るのさ。
それなのに、俺のことをいつもチビだとか言って、馬鹿にしている。そればかりか手下を引き連れては、エリアを荒らすし、仲間たちを怪我させるし
コソ泥みてぇな真似もしばしばだ…

しかし、ある時から俺はロックに歯が立たなくなった。
ある日のケンカでのこと、いつものように俺はロックの目を撹乱するように、細かく動きながら向かって行った。
ところが奴は、妙に落ち着いている。いつもなら、俺の動きを追ってくるのに…それでも俺は、かまわず突っ込んでいった。
「……!」
目の前に火花が散って、頭のてっぺんからつま先まで、一瞬のうちにものすごい衝撃が貫いた。
次の瞬間自分の身体が宙に浮いているのが、はっきり分かった。その後は…意識と共に身体もスーッと沈んでいくように感じて…
「おい、しっかりしろっ」
駆けつけた親父に、揺り起こされるまで記憶が途切れている。俺は、ロックのメガトン級の一撃を食らって、KOされてしまったのだ。
「…フフ、立派な面になったな」
親父は意識を取り戻した俺に、からかい半分の調子で言った。その時、俺の顔の左半分は無残に腫れていたのだ。
親父に背負われて帰る途中、だんだんと悔しさが胸にこみ上げてきた。涙が溢れてきたのを覚られまいと、必死に我慢していたが…
「どんなに強い奴でも、負けて悔し涙を流すことはあるもんだ…」
気配を察したのか、こちらを振り向くことなくぽつりと言った親父の言葉が胸に刺さった。俺は、親父に背中に顔を埋めて泣いた。
親父は黙って俺を背負ったまま、住処に戻った。


それからも、ロックとのいがみ合いは続いた。気に入らないのは、あれ以来、ロックが勝ち誇って俺をますます馬鹿にした態度で見下してくることだった。
それでも俺は、親父との『約束』もあるから、悔しいのを必死にこらえて相手をしないでいた。
『これに懲りて、むやみにケンカをするなよ』
あの時、親父は手当てをしてくれた包帯の端を少し噛み切って、俺の右手の小指にそれを結んだ。
『約束の印だ。おまえも、大きくなってきたんだ。俺の言いたいことが、少しは理解できるだろうし、そうでなければ困るぞ』
俺は、ロックの嘲笑を背中に受けながらその『約束の印』を見て、親父の言葉を思いだしその場を後にした。
本当は、そんなもの投げ捨ててロックに…たとえ、またこの間のようにKOされても、立ち向かっていきたかった。
そして、住処まで帰ると親父がいないのを幸いに、隅のほうで身体中から涙が一滴も残らないくらい、泣き続けた。

そして、数日後…

大勢のネズミが、ひとりを取り囲んでいた。こんな状況を見ると、俺はほっとけない性格なのだ。まして、その場に奴がいたら…
「待てよ!ひとりに対して大勢で…卑怯だぞっ!」
俺の声に振り返った連中の中に、ロックの姿が。
「フン、シッポの縮こまったお前に、卑怯者呼ばわりされたくはねぇな。それとも、この俺をKOできるとでも、言うのかい?チビのくせして
 散々生意気な態度を取りやがって。この間、その身体が吹っ飛ぶほどの一発をお見舞いしてやったのを、もう忘れちまったか?まあいいさ…来いよ。
 だが、今度は一発だけじゃ済まないぜ。おめぇに俺様のパンチを、嫌だといってもでも叩き込んでやるぜ。何百発でもな!」
今までのこともあったから、俺としてもとうとう我慢の限界を超えた。頭の中では、親父の声が、俺にブレーキをかけようとしたが…
“…父さん、ごめん!”
俺は、約束のしるしをむしり取った。

それから、大乱闘が始まった。最初は、俺とロックの一騎打ちだったが奴の手下が、俺に襲いかかってきた。中には、武器を持っている奴もいる。
俺は、奴らに殴られ蹴られ叩かれ…それでも、立ち向かった。
「こらっ、お前達は何をしている!」
誰かの声にその場にいた連中は、散り散りに逃げ出した。ロック達に取り囲まれていた奴も、いつの間にかいなくなっていた。
「……」
そして…振り向くと、親父が立っていた。腰に手を当てて、俺のことを黙って見ていた。
「…ごめんなさい。約束、破った…」
口は血だらけで顔も腫れていたから、思うように言葉が出なかったけど、とにかく謝った。
「お前は、あの少年を救うために立ち向かったんだな?」
親父は、やや低い声で訊ねた。俺は、黙って小さくうなずいた。
「…ケンカの理由は、分かった。それは、何も言わんが…約束を守らずに力づくで、ケンカという手段で立ち向かったのは、許されないことだぞ」
俺は、再び黙ってうなずいた。親父は、いつものように左腕で俺を抱え込むように持ちあげると、大きく右手を振り下ろした。
…そしてこれが、親父に尻を叩かれた最後だった。


それから、しばらくして…
「お前にも、いよいよこの時が来たな」
心なしか、親父は上機嫌だった。俺はというと、これからどんなことが始まるのか緊張と少しの不安を覚えていたというのに。
その日は、俺の名前を決める日だった。
「これはあくまで、俺の考えだが…お前には、俺が名前を与えるよりも、アカハナ達に名前をつけてもらった方がいい。彼らに認められて
 名前をもらうということは、この町でエリアを持ち、仲間を率いることだ。お前には、その素質がある」
親のひいき目だよと、俺は内心呟いていた。ともかく、俺はリーダー達の待つ場所へと向かった。
「…よく来たな。お前に名前を与えるに当たり、我々と勝負するのだ。さて、お前は何に自信がある?知力か?体力か?」
アカハナさんは、静かな声で聞いた。
もっとも、このアカハナさん達は俺がしょっちゅうケンカしていることを知っている。当然、オツムで勝負できないことも。
「…俺は、腕で勝負したい」
すると、アカハナさんは黙ってうなずいた。
「では…ベアーかジャック、どちらかと勝負するのだ。お前がその気なら、ふたりと戦うことも許そう。さて、どうするかな?」
俺は、改めてふたりを見た。ベアーさんは、ロックよりもさらに身体が大きい。ジャックさんは、ベアーさんよりは小柄だけど、それでも、俺より背は高いし…
「…ジャックさん、と…」
俺は、はっきり返事したつもりだったが、声が思うように出なかった。
「よろしい。では、ジャック…」
アカハナさんに呼ばれて、ジャックさんが立ち上がった。
「それじゃ…ルールを説明しようか。俺との勝負は、一対一の殴り合い。殴る以外の攻撃は、全て反則だ。攻撃していいのは、へそから上…
 後ろからや、後ろに手を回して攻撃するのも反則だ。勝敗は、どちらかがギブアップを宣言するか、完全に気を失って動けなくなるか…
 闘う意思があるのなら、何度倒されても何分倒れていてもかまわない。何か、質問は?」
俺は、黙って首を横に振った。
「では、始めようか。その前に…」
ジャックさんは、自分の拳に何かを巻き付けた。
「これでいい。素手でやったら、お前を殺しちまいかねないからな」
両腕を構えたジャックさんは、戦闘体勢に入った。
“……”
俺は、この時初めて向かい合った相手を怖いと思った。言いようのない、背筋に何か緊張が走るのが分かった。
“…くそっ!”
俺は、思い切ってジャックさんに突っ込んで言った。がむしゃらに拳を突き出して、攻撃を続けたが、一発も当たらない。
当たったと思っても、その瞬間、ジャックさんは目の前から消えている。無駄な攻撃を続けていた俺は、次第に息が切れて来た。
「どうしたい、もう終わりか?」
気がつくと、ジャックさんは呼吸ひとつ乱れていない。
「…それなら、こっちから行くぜ」
言うが早いが、ジャックさんは目の前に…そして、頬骨の辺りに鋭いショックを感じた。立て続けに、三発…
「ううっ…」
相手のパンチは、俺には見えなかった。俺が、体勢を立て直そうとしたその時…
「……!?」
身体が、ガクッと落ちていく感覚を覚えた。たちまち膝が崩れて、俺は両手を突いた。四つんばいの恰好になりながら、自分の身に何が起きたのか
理解できずにいた俺は、とにかく立ち上がろうとした。しかし、すぐに尻もちをついてしまった。
“あ…足に、力が、入らない…”
そう、俺はたった三発の…それも、本気とは言えないようなパンチを食らっただけで、脳震盪を起こしたのだ。
それから、必死に立ち上がろうとしては、前に後ろに無様に転げ回ったが、何とか立ち上がった。
自分が、相手に何一つ攻撃できないまま終わるのが、とても悔しかった。だが、そんな俺に対してジャックさんは容赦しなかった。
「ぐ…えっ…!」
今度は、突き上げるような一撃が腹に突き刺さった。まるで、腹の皮を破られたような…あのショックと苦しさは、例えようがない。
俺は、その場にうずくまったまま動くこともできなかった。どのくらい経ったか、とにかく俺は気絶しそうになるのを必死にこらえて身体が動くようになるのを
ひたすら待った。その間、何度ギブアップが喉まで出かかったことか…
でも、俺にはロックが嘲笑っているように思えてきた。降参なんか言えない。俺は、必死に身体を持ち上げた。たちまち、腹がズキンと痛む。
それでも必死に立った…目の前は、ぼやけている…身体がバラバラにされてしまったようだ。その時の俺は、ただ闘争本能だけで立っているようなものだった。

「…気がついたか?しばらく、動かない方がいい。相当なダメージを受けているからな。安静にしていろ」
気づいたら、親父に介抱されていた。
俺には、必死にジャックさんに立ち向かった後の記憶がない。あれからどうなったのか…
親父の話によると、必死に立ち上がった俺はフラフラの状態ながら、ジャックさんに立ち向かおうとしていたという。
ジャックさんのとどめのパンチを食らって、あえなく崩れ落ちた俺は、気を失いかけているのになお拳を握ろうとしていたという…
「そんなお前に、あいつらから『ガンバ』と言う名前をもらったぜ。頑張り屋のガンバ、だそうだ」
本格的に意識が回復した日、親父はそう言って笑った。
親父の眩しいくらいの笑顔を見たのは、それが初めてだった。そして、最後だった。

第4話・完

前のお話へ目次へ戻る次のお話へ