第5話 ガンバと故郷
「おい、ガンバ。そろそろ船が着くぜ」
ヨイショに身体を揺すられて、ガンバは眠そうな目をあけた。そして、大きく伸びをすると周囲を見渡した。
「あれ…ボーボは?」
「さて。トイレにでも行ったんじゃ、ないんですか?」
ガンバの背中から、ガクシャの無責任な返答が飛んできた。その口調には、ボーボの姿が見えないからと言って、いちいち騒いでいたらキリがない…
と、言う彼の本音がありありと出ている。
ガンバは、ゆっくりと立ち上がると自分も用を足すついでに、ボーボの行方を捜しはじめた。
「ボーボ、いるか?」
しかし、自分達が用を足す場所と決めていたところにボーボの姿は無かった。
“しょうがねぇなあ…”
ガンバは船の厨房など、ボーボが好んで忍び込みそうな場所を探したが、徒労に終わった。人間の姿がないところを見ると、まだ夜が明けきっていないようだ。
ガンバは、甲板へと出てみた。すると、舳先の方にボーボの姿が。
「どうしたんだよ、捜したぞ」
ちょっと口をとがらせながら、ガンバはボーボに声をかけたが当の本人は
「ガンバ、するよ。においが…」
こちらに振り向くと、ちょっと興奮気味な口調でいる。
「におい?ご馳走でも、泳いでんのか?」
半ば呆れていたガンバは、からかい半分にもならない言葉を返した。
「違うよ。懐かしいにおい…町のにおいだよ」
「町の…?」
言われて、ガンバも鼻を動かすが…大きな港独特の、妙に臭い海の匂いがするだけだ。
「そおかあ?」
ガンバが、ボーボの方を向き直ろうとした瞬間…
「あ…」
ガンバの鼻に、覚えのある『匂い』が微かだが入ってきた。
「ねっ?」
嬉しそうに声を上げボーボに、ガンバもにっこり笑って見せた。
“…帰ってきたんだ”
“思えば、全てはここが『出発点』だったんだ…”
ガンバとボーボは、まだ夜の明けきらぬ港に降りるとある建物の前に立った。あれは、もうどのくらい前のことだろうか…
海を一目みたいと、ボーボと共に川を下ってやっとの思いで着いた海は、雷雨の夜の下ではただ真っ暗な世界だった。
そして、雨宿りのつもりでたどり着いたここで、ヨイショにガクシャにシジンに出会い、忠太が助けを求めに来たのがきっかけで…
ノロイとの死闘の後、俺達は冒険の旅を続けた。
しかし、そのうちイカサマがサイの目が皆さんと違う方に出たと行って、気ままな方に歩き出した。
シジンも、そろそろ自分が本当にやりたかったことをしたいと言い出して、小さな病院を開くという夢を追って行ってしまった。
残った俺たちも、しばらくして着いた港町でひとまず冒険の旅は休もうということになり、俺とボーボは住み慣れた町へと向かったが
その途中で、シジンが開いた病院で世話になったというネズミと出会い、場所を教えてもらった。そこへ向かった俺達は、偶然の再会を果たして
再びみんなで冒険の旅に出た。
その旅が終わると『新婚』のシジンとナギサさんは、ふたりだけで別の道を取り、例の港町の病院へと戻っていった。イカサマも例によって途中で分かれた。
ヨイショに「さてどうする?」と、訊ねられた俺はしばらく冒険の旅を続けたら、棲み慣れた町に戻りたいと言った。
『そうか。まあ、おめぇはもともと町ネズミだものな。帰れる場所があるなら、たまにゃ帰るのもいいもんだ』
俺は、ヨイショに故郷はないのかと訊ねたことがあった。
『ハハハ、船乗りネズミにゃ故郷なんてねぇのよ。強いて言ゃあ、旅で立ち寄った港一つ一つが故郷ってところかな。顔見知りがいて、よぉ元気だったか
などとお互いに肩を叩き合えて、酒の一つも酌み交わせる…そんな連中のいるところが、どこでも俺の故郷ってわけだ』
そう答えてヨイショは、笑っていた…
「ガンバ、どうしたの?」
ボーボの声に、ガンバは我に返った。
「それじゃ、前に話したとおり1ヵ月後にここで、俺達と港ネズミとのパーティーが開催される。それまで、この港町に長逗留だ。ガンバ達は町に戻るんだよな。
もしもまた俺達と旅に出たいなら、パーティーの日までにここに戻ってきな。それまでに戻ってこなけりゃ、俺達は勝手に旅立つだけだからよ」
ヨイショは、ガンバ達との約束事を繰り返すと二人を見送った。ガンバ達は、ふたりに別れを告げると川に沿って、道を遡っていった。
ガンバとボーボは、唖然とした表情で目の前の光景を見ていた。
「ど…どういうことだよ…」
彼らが『異変』に気づき始めたのは、かつて苦労しながら下った川がある地点からその姿を消してしまったことからだ。
見上げると、高速道路が空を覆っている。その下…そこに川が流れているはずだった。川は、何ヶ所か合流している部分があった。
それらを道標にしていたのだが『目印』が何も見えない。分からない…
「ボーボ、何か匂わないか?」
ガンバに訊ねられて、ボーボは必死に鼻を動かすが…
「ダメ…この、車の、排気ガスが、ひどくて…」
ボーボは顔をしかめる。
「ちくしょう…どうなってんだよぉ」
それでも、彼らは『目印』を探して歩いた。やがて…
「あった!」
見覚えのある鉄塔は、テレビ塔に間違いなかった。ここから見える大きさだと、自分達のエリアまでもう少しだ。
「行こうぜ、ボーボ!」
「あ…ま、待ってよー」
勇んで走り出すガンバを、ボーボが慌てて追った。
“もう少し…もう少しだ…”
しかし、ガンバ達の目の前に広がった光景はあの、ごみごみと建物が密集し昼も夜も人間のざわめきが絶えない…そんな見慣れたものではなかった。
「あ…ああ…?」
冷たく光る全面ガラス張りのビル、外装デザインに意匠を凝らした建物、アスファルトが広がるだけの駐車場…下水の側溝も、下水道に通じる無数の抜け穴も
全ての進路を知り尽くした雑居ビルも、自分達の住処のあったパチンコ屋も…
「…な、ない」
ガンバは、狂ったように走り出した。細く、狭く、薄暗い路地はなくなり、明るく陽が差し込み、植え込みの緑が整然と並んでいる。
砂利混じりの道路に代わって、見た目もきれいなブロックが敷き詰められている場所を、何かを探して走り回った。最早、ボーボの制止も耳に届いていない。
「…やっぱり、ない」
ガンバは、ガックリと膝を落とした。声をかけるにかけられないでいたボーボがオロオロしていると、彼らの背後で足音がした。
「ガ…ガンバじゃねぇか!それに、ボーボも!」
彼らと歳の近い、若いネズミだった。名前をチョッキーといい、俊敏な動きから情報収集役として、リーダー達に可愛がられていた。
「そうか、帰ってきたのか…びっくりしただろう?この変わりようじゃなあ…」
チョッキーは、周囲を見渡しながら言った。
「一体、何が?人間がやったにしたって、これは…俺、何十年も町を離れていたわけじゃないんだぜ?」
ガンバは、チョッキーに質問すると言うより食ってかかる勢いで訊ねた。
「ああ、分かった。落ち着けよ、案内するぜ。アカハナさんがいる」
アカハナと言う名前を聞いて、ガンバは沈黙しチョッキーの後についていくことにした。
彼が、ガンバ達を案内したのはかつて『隣町』と呼んでいたエリアだ。彼らの足で15分はかかる。そこには、かつてガンバ達が暮らしていたときのような
町並みが残っていた。
「ここだよ」
チョッキーは、ある排水溝に身をすべらせると地下の下水道へと抜けた。薄暗い地下水道を通って、ある一角に出た。
「アカハナさん、帰りました」
そして、チョッキーはふたりを招じ入れた。
「おおお…元気だったか!」
中にいたのは、やつれて白い毛になったネズミ…ガンバは彼がアカハナであることを、とっさに理解できなかったようだ。
「さあさあ、こっちへ。立派になったな…伊達に経験をつんできたのではなさそうだ…」
目を細めるアカハナを見て、ガンバはまるで別人になった彼とどう接していいのか分からないでいた。
「ガンバ、実はあれからいろいろあってな…」
見かねたチョッキーが口を挟んだが、アカハナはそれを制した。
「おいおい、その話は私が後でする。遠路帰ってきた者に無粋な真似は止せ。まずは、お前の話から聞こうじゃないか」
言われるがまま、ガンバは川を下って海に出たときのことから話しはじめた。
だんだんとガンバの口調にも熱がこもり、アカハナはその話を熱心に聞いていた。だが、ガンバは熱を込めて話していても、どこか空しかった。
相手が、アカハナだけ――それも、とてもかつてのアカハナと同じと思えない――であることも確かだが、この町に何が起きたのか、仲間達はどうなったのか…
気になって早く話を切り上げようと、気持ちが急いて仕方なかったのだ。
ガンバの話が、一通り終わるとアカハナさんが重い口を開いた。
あれは、半年ほど前のこと…突然の出来事だった。
大音響と共に、地響きが起きた。何が何だか分からないまま、表に出てみると…
「火事だ!」
お前も知っていると思うが、我々のエリアとこの隣町との境界線近くにガソリンスタンドがあっただろう。そこで、爆発が起きたんだ。
我々には棲みやすい、古い建物の密集地帯はああいうときに弱い。瞬く間に、我々のエリアは火に包まれた。
「早く避難しろっ!エリアを持つ者は、自分のエリアの仲間の安否と、安全を確保し誘導するんだ!」
そうは言っても、我々の頭の上で人間がパニック状態になって、右往左往している…我々だって必死だ。誰もが必死に逃げた。
自分達の仲間の安否を気遣うことさえ、ままならなかった。必死に川を越えこちらに逃げた。とりあえず、私と周囲の仲間の安全は確保できたのだが…
問題はその後だった。
火事が収まったのは、夜も更けてからだった。ガソリンスタンドにあったガソリンが燃え尽きるまで、消火活動が続いたのだ。
そして、この火事で町ネズミの多くが、命を落としたと思われる。その中には、仲間を火の手の中から救おうと自ら飛び込んだまま、行方不明のベアーもいる…
それからが、地獄のような日々だ。建物の多くは、瓦礫と化した。その中から、我々も必死に生存している仲間を探した。だが、どれもこれも無残な遺体ばかり…
あるものは黒焦げになり、あるものは瓦礫に押し潰され…私も、捜索中に崩れた建物の瓦礫に足を挟まれてしまってな。歩くのも不自由な状態だ…
そして、これらは全て人間のエゴが起したのだ。
一部の人間は、我々の棲んでいた町を整備する目的で建物を取り壊そうとしていた。一方で、そこの住民の多くが反対していた。
そこで、立ち退きへの大義名分とやらをつくるため、例の爆発事故は仕組まれたものだった…
私は、それ以来町にいたネズミ達の安否を一つ一つ調べていったが…残念なことに、8割以上が死亡が確認されたか、行方が分からない。
残りの仲間の多くは、結局この町を離れていった。残るのは、私と私の手足の代わりを果たしてくれているチョッキーと…数えるほどしかいない。
そして、私も長くはない…彼らには言ってある。私が死んだら、ネズミが住みやすい場所に行きなさいと。
この周囲は、古くからの縄張り争いで我々が入り込む余地はない。どこか遠くへ…それこそガンバ、お前のように旅にでも出て遠く離れた土地で、
新たな生活を築きなさいと。
「…そうか、おめぇも大変だったな」
ガンバから事情を聞いたヨイショは、独り納得したようにうなずいていた。
「で、これからどうするんだい?」
ガンバはそう尋ねられて、ちょっと下を向いた。
「まあ、おめぇが俺たちと一緒に旅をするってのなら、俺たちは歓迎するぜ。全く知らねぇ間柄じゃねぇしな」
「う、うん…」
ヨイショは乗り気だが、ガンバの生返事は変わらない。ガンバが、何をためらっているのか分かっているガクシャは、黙っていた。
「お、おいらは…ガンバと一緒だよ」
ボーボが、ガンバの背中から呟くように言った。それを聞いたガンバは、うつむき加減の顔を上げた。
「お、おいらだって…いろいろ冒険したもん。おいら、鈍いけど…足、遅いけど…みんなに迷惑かけるけど…だけど…やっぱり、ガンバと一緒にいたいよ…」
「ボーボ…」
涙に濡れた顔で、ガンバはボーボの手を握った。ガクシャは、黙って小さくうなずき、ヨイショは思わず鼻の頭を手でこすった。
「さあ、そうと決まれば、パーティーまで一週間だ。準備を急ごうぜ!今年は、盛大なパーティーになりそうだぜ!」
ヨイショは、いつになく上機嫌で仲間のネズミ達と準備に精を出す。ガンバとボーボも、彼らを積極的に手伝った。
そして、その日がやってきた。
会場は、かつてガンバ達が紛れ込んだ時以上の盛り上がりを見せた。ここに『あのノロイ』を倒した勇者が4匹揃っているのだから。
彼らは座の中心に陣取って、話の中心になった。そのうち、ヨイショとガンバのどちらがすごいかを巡って競争をはじめ、それなら腕で…となった。
「あの時の決着、つけてやるぜ!」
ふたりは、お互いに同じ事を言って取っ組み合いを始めた。しかし、ふたりともお互いの腕も力も知っている。決着はなかなかつかない。
と、言うよりふたりとも決着をむりやり付けたいと思っていないようだ。場は、大いに盛り上がっていた。
その時…!
「……!」
会場だった倉庫の扉を叩く音が、場の盛り上がりを一瞬にして静まり返らせた。そして、扉が細く開いて…細く開いた扉の間から、こちらを遠慮がちに
覗き込む影を見たガンバは、思わず声をあげた
「ち…ちゅ…忠太!?」
すると、その影は隙間からこちらに飛びこんでくると
「ガンバさん…!」
聞き覚えのある声が、こちらに駆け寄ってきた。
「ど…ど…どうしたんだよ?こりゃあ、一体…?」
「えへへ、皆さんに逢いたくなって…」
そう言って、忠太は後ろを振り返った。
「…イカサマ!」
立て続けの驚きに、ガンバはもちろんヨイショ達も唖然としていた。
「…まあ、例によってサイの目の出るまま、旅を続けていたんですがね。それがいつの間にか、ノロ…じゃねぇ夢見が島の近くまで来ちまってねぇ。
素通りも出来ねぇし、ちょいと挨拶にでもと立ち寄ったんでさあ」
「で、イカサマさんと話をしていたら…どうしても、皆さんと逢いたくなっちゃって」
屈託のない笑顔を見せる忠太は、あの頃のあどけなさは残っていたものの、どことなく逞しさを帯びていた。背丈も伸びただろうか…
「たしか、今頃ここでパーティーが開かれているはずですし、誰かしらに逢えるんじゃねぇかってね」
「そう言うことだったのかぁ…」
「これで、シジンがいりゃあなあ」
ヨイショの言葉に、イカサマと忠太はちょっとニヤリとして見せた。
「それが、来るんですよ。シジンさんも」
「何だって?ほ、本当か!?」
「ええ、途中の港町で逢ってきました。明日の船で、ここに着くそうです」
「いやあ、こりゃ思いがけないことになってきたなあ!」
と、ヨイショはますます上機嫌。
「何だか、驚きの連続で…まさに、事実は小説よりも奇なりですなあ」
ガクシャも珍しく興奮している。
「すげぇや、仲間がこうして再会できるなんて!イカサマのサイコロも、粋なことするねぇ」
「そこで皆さん、ボク達の島に…あれから、建て直しも進んで棲み良くなったし、みんなも歓迎しますから、遊びに来ませんか?」
忠太の提案に、異を唱えるものは誰もいなかったのは言うまでもない。翌日、シジンの到着を待ってその夜は再び、飲めや唄えの大騒ぎを繰り広げた後
夜半に出港する船に忍び込んだ彼らは、久しぶりに夢見が島へと向かった。
船の中でいつもの自分を装っていたものの、ガンバが一番嬉しそうにはしゃいでいた。その夜、興奮から眠れないガンバは、出もしないのに用を足しに行った後
しばらく甲板をうろついてから、船底に戻ろうとした。
すると、途中の通路の壁にイカサマが、頭の後ろで手を組んだ恰好でもたれていた。
「何だ…眠れねぇのか?」
ガンバの問いかけに、イカサマは口元に笑いを浮かべると
「それはおめぇだろう?」
「そうでも…ないさ」
イカサマは、ガンバをちらりと見ながら
「ガンバ…おめぇ今度こそ、潮路さんにちゃんと言ってやるんだぜ?」
この言葉に、ガンバは身を堅くした。そして、一気に顔が紅潮する。
「な…何を…だよっ!?」
大きな声を上げたガンバに、イカサマは右手の人差し指を口に当てて『静かに』という仕草をした。そして、ガンバに半分背を向けた状態で
「それより、忠太に聞いておくんだぜ。あれから、潮路さんがどうなったのか…ってね」
この言葉に、ガンバは強く反応した。
「ど、どう言うことだよ!?イカサマ、おまえ何か知ってんのかよっ!?」
しかし、イカサマは半分ペロリと舌を出すと自慢の俊足で船底へと消えていった。
「お…おおい、待てよっ!話、聞かせろよ!」
ガンバも、慌ててイカサマの後を追って船底へ走っていった。