第6話 潮風のリル
「丁半揃いやした。勝負…!」
パッと、空き缶が除けられるとそこから出てきたサイコロの出目は…
「ピンゾロの丁!どうやら、また俺のいただきのようだ…」
その瞬間、賭けの物に手を出そうとした腕を、別の太い腕がむんずと掴んだ。
「イ…イテッ…!」
「おい、若造!いつまでも俺らの目を、欺けると思うなよ!」
相手は、言うが早いが空き缶を鷲掴みにした。
そうはさせまいと、空き缶を隠そうとする動きがぶつかって、缶は賭場の真ん中に転がった。
「……!」
果たして、中から細工用のサイコロが転がり落ち、缶の中の「仕掛け」も見えた。場の空気は一瞬にして、緊張に包まれた。
「さて、どういうことか説明してもらおうか?」
賭けの『細工』を見破ったのは、どうやらボス格のネズミらしい。その後ろには体格の良い腕っ節の強そうな連中が、ずらりと控えている。
「へ、へへ…生まれつき、手癖は悪くてねぇ…」
追い詰められていることを、分かっていてかいなくてか開き直ったような態度で、ニヤリと笑って見せた「若造」の返事に、
相手の表情が一気に険しくなった。
「どうやら、痛い目に遭わないと分からねぇらしいな。おい…!」
ボスが顎で指図すると、手下たちがズラリと彼を取り囲むようにした。手には、金属や木の棒、釘、その他武器になりそうな物を
いつの間にか手にしている。
「ヘッ、数の上に武器まで揃えて…ケンカのやり方、知らねぇらしいな」
「ツベコベ言うなっ!やっちまえっ!」
これを号令に、大立ち回りが始まった。あわれ、例の『若造』は多勢に無勢であっさり取り囲まれ、袋叩きにされ…
「ま、待てっ!野郎がいねぇぞ!」
ボスの言葉に、一斉に手下たちは手を止めた。収まってみると、彼らが袋叩きにしていたのは、何と手下の一人だった。
「……!」
突然、ボスは床板を跳ね上げた。そこには、いざと言うときの隠し扉があるのだが…
「チッ…まんまとやられた!」
隠し扉は、ダランと下に垂れ開いたままになっていた。奴が、騒ぎの中ここから逃げたことは確かだ。
「野郎…このままで済むと思うな!今度逢った時は、身体をバラバラにしてやる!」
歯軋りするボスは、怒りのあまり床板を蹴り破って叫んだ。
「へへ…間抜けな奴らだぜ」
抜け道は、下水の地下水道に通じていた。迷路のように水路が通っている。
「さて…どっちへ行きやすかね」
そういって、手にしたサイコロを振ってみた。
「あっち…ねえ」
彼は、サイの目の出たままの方角へ走っていった。
しばらくして、排水溝の隙間から表に出てみると、さっきの場所とはかなり違った町並みが広がっていた。
「まあ、ひとまず安心…か?」
と、周囲を見渡していると背後で声がした。
「いたか?」
「いや、まだだ。奴め、こっちへ逃げ込んだのは、確かなんだが…」
「良く捜せ!草の根分けてでも、あいつを見つけるんだ!」
一瞬、彼は自分のことかと身構えたがその声の様子から、どうも違うようだ。
「誰か、俺みてぇに追われてる奴でもいるのかねぇ…」
彼は自分に対する危機でないと分かると、たちまち他人事のような態度になった。
そして、ビルとビルの隙間に身を入れると奥へ入って行った。
「……?」
その奥の、町ネズミが身を隠すのに恰好な建物の隙間に、ダンボールの切れ端に身を隠し何かが震えるようにして、うずくまっていた。
「おい…?」
彼は、声をかけて手を伸ばそうとした。その時!
「……!」
突然、相手は身体を覆っていたダンボールの切れ端をかなぐり捨てた。
しかし、その下から現われたのは『お尋ね者』にしては、あまりに場違いな女の子だった。
「あ…?」
突然の展開に、言葉の出ない彼にその女の子は突然飛び付いて来た。
「お、お願い!助けて…私を、私を助けて下さい!」
彼は、ガラにもなく自分の身体が硬直し、呆然としていることすら分からない様子で、ただ突っ立っていた。
「あの…?」
彼女としては、相手が何らかのリアクションを起すと思っていたので、ちょっと拍子抜けの様子で、相手の顔を見た。
「へ…?あ、ああ…何だって?」
とんちんかんな受け答えに頓着せず、彼女は真顔で言った。
「私を、助けて下さい。追われているんです」
「…ってことは、俺もおめぇも追われる身ってことだ」
相手は、小さくうなずいた。
「でも何で…」
そう言いかけて、彼は口を閉じた。彼女の、哀しげな目を見てしまったのだ。
「わ、分かったよ。事情は聞かねぇ…でも、何だ…名前くらいは…」
「…リル、と言います」
「リルさん、かあ。俺は、イカサマって言う…」
すると突然、彼女は可笑しそうに吹きだした。
「ど、どうしたんだい?」
「ごめんなさい…イカサマって…ご本名?」
イカサマは、リルのコロコロ変わる態度にちょっと面食らっていた。
「ご…ご本名も何も…変かい?」
「と、とんでもない…ごめんなさい、笑ったりして。実は、私の名前も場所によっては間抜けなおバカさんを意味するってことを知ってから…
それ以来、何となく自分の名前が嫌になっていたの」
「そうかい…まあ、俺の場合は名前の通り手癖の悪い、流れ者だけどよ」
「そんなことはないわ…突然のことなのに、私をかばってくれた。ありがとう…」
大胆にも、リルはイカサマに身体をぐっと近づけた。キスでもしそうな勢いに、イカサマは慌てて
「お…おい…」
と、少し離れた位置に座りなおした。
「どうしたの?顔が赤いわ…」
「な…何でも…ねぇよ」
“一体、この娘は何を考えてんだ…?”
その時、始めてイカサマは彼女の身体から、いい薫りが放たれていることに気付いた。服装は普通のものだが、束ねた髪はほどくと長そうだ。
あまり見かけない灰色の瞳、どことなく上品な物言い…
“まさか…このリルって娘…?”
その時、イカサマの耳が遠くの声を捉えた。
「誰か来る…隠れてな!」
言われるがまま、リルは物陰に身を隠した。するとほどなく、さっきの連中とは違った匂いのする連中がやってきた。
「おい、そこの奴!この辺で、少女を見なかったか?」
「さあてねぇ。こんな場所に来るんじゃ、よほどのお尋ね者かい?」
「てめぇに関係ねぇ!見たのか、見ねぇのか!?」
「見てたら、覚えてるだろうぜ?」
「チッ、食えねぇ野郎だ。おい、あっちを捜すぞ」
彼らの足音が、消え去ったのを確認するとイカサマはリルを出した。
「あいつらかい?おめぇを追っているってのは…」
リルは、黙ってうなずいた。
「見たとこ、まともな連中じゃあねぇなあ。そんなのに追われるとは…やはりおめぇは、訳ありみてぇだな…」
リルは、ちょっと辛そうにうつむいた。
「心配すんなって。訳は聞かねぇって、言ったろう?」
そう言って、イカサマは立ち上がった。
「さあて…どこへ行きやすかねぇ…」
独りなら、どこへでも気ままに行くところだがリルが一緒では、そう自由な行動は取れない。
「あの…」
突然、リルが声を上げた。
「何だい?」
「町を…見たいの」
「何だって!?お、おめぇ…自分の立場ってもん、分かってんのか?」
イカサマは、思わず大声を上げた。
「…分かっているわ。でも、それでもお願いしたいの。どうしても…」
いつもなら、馬鹿馬鹿しいと突っぱねるところだが、リルの瞳がうるんでいるのを見ると、言葉が出てこなくなった。
「わ…分かったよ。けどな、万一の時は俺独りだ。守りきれねぇこともあるぜ。そん時は恨みっこなしで…」
腕組してちょっと斜を向いて喋ったのは、不承不承仕方ないから言うことを聞いてやる…と、いう態度のつもりだったが、リルは頓着しなかった。
「ありがとう!素敵なひと!」
リルは、そんなイカサマの頬にチュッとキスをした。
「そうと決まれば、早速行きましよう!」
硬直状態のイカサマに、リルの無邪気な声が飛ぶ。
そして、リルはまだ呆然としているイカサマを引きずるように、連れて行った。
…そんなふたりを、離れたところからじっと見ていた複数の視線に気付かずに。
町の中を、さながら遊園地に遊びに来た子供のように好奇心に溢れた表情で歩くリルに、イカサマは引っ掻き回されてばかりだった。
何しろ、自分達に歯を剥き出すネコにまで
「これが、うわさに聞く野良猫なんですね?」
と、興味深げに見ている始末である。
“やれやれ…無邪気と言うか、脳天気と言うか…第一、自分はあんな連中に追われてるってこと、分かってんのかね?”
それでも、リルが見せる心からの笑顔にイカサマは文句の一つも出ないで、彼女を連れて歩いた。
「これは…?」
「何だい、カンヅメも知らねぇのかい?こうやって…」
イカサマが、力を入れてプルタブを持ち上げるとパクッと音がして、缶詰が開いた。
「まあ、美味しそう…」
中身の魚を取ろうと近づくリルを、イカサマが慌てて制した。
「あ…ダメだよ!この辺りは、鋭いんだ。怪我するぜ…」
勢い余って、缶の縁で腕の部分に小さな傷を作ったのはイカサマの方だった。
「あっ、大変!」
慌てて駆け寄るリルに
「へっ、どうってことないぜ。そのうち、治っちまうよ」
と、平気な顔して見せたがリルは承知しなかった。傷口の血を、自分の口を当てて拭おうとする。
ビックリしたイカサマが、身体を動かした拍子にサイコロが転がり落ちた。
「あら、こんなものを持っているの?」
リルの問いかけに
「あ、ああ…こいつは、俺にとって命の次に大切なものさ。サイコロの目は、嘘をつかねえしな」
右手で、サイコロをもてあそびながらイカサマが言う。
「そうなの…?」
「そうさ」
そう言って、無造作に投げたサイの目は『四・四』の丁…
「いっけねぇ…危険が近づいているようだ」
サッと、サイコロを握ったイカサマは周囲を見渡した。そして、何かの気配を感じ取った。
「こっちだ…静かに…」
イカサマは安全だと思われる方に向かって、リルと共に隠れるように姿を消した。
その後から、これまた体格のいい連中…とは言っても、先ほどのチンピラ風とは別の雰囲気である…が、現われた。
「…まだ、近くにいるはずだ。急いでリル様の身柄を、確保するんだ!」
一方、その頃イカサマとリルは例の怪しげなチンピラ連中に囲まれていた。
「この間は、ご挨拶だったな…その娘を知らねぇと、よくまあすっ呆けてくれて…おめぇにゃ関係ねぇ娘だろう、こっちに渡しな」
この間、イカサマに食って掛かったネズミがふてぶてしい態度で迫った。
「さあてねぇ…俺にとって関係ねぇって言ったのは、おめぇらの方だぜ。渡すわけにゃ、いかねぇな」
「何だと?てめぇ、自分の立場ってもんが分かってねぇようだな…」
相手は、右手の拳を左手で握ってポキポキ音を立てた。
「どうやら、痛い目に遭わないと分からねぇらしいな…!」
言うが早いが、相手はイカサマに向かって突進した来た。
「キャッ…!」
リルが悲鳴をあげた次の瞬間、ドサリと音がした。
何と、突進してきたチンピラの足を引っ掛けて、イカサマは見事に相手をつまづかせたのだ。
「リル!物陰に隠れてろっ!」
イカサマの怒鳴り声が、乱闘開始の合図だった。だが、今度も多勢に無勢。おまけに抜け道はないし、リルの身も守らねばらない。
「こりゃ、分が悪いぜ…」
もはや、イカサマの顔は無残に腫れて血だらけ…それでも、リルが隠れた場所に近づこうとする連中からリルを守ろうとするが…
“チッ…限界か…?リ、リル…”
イカサマは、それからしばらく記憶がない。
「リ…リル…!」
ガバッと跳ね起きたイカサマは、そこがどこだか分からなかった。
生まれてこのかた、寝たこともないフカフカの布団、両手両足を目いっぱい広げても、まだ余る大きさ…
自分はとても高級なベッドに寝かされていたのだ。
そして、次の瞬間全身を襲う激痛が、自分がどうなったのを思い出させてくれた。良く見ると、全身包帯だらけ。
「い…痛ててて…」
思わず、苦痛の声を上げるイカサマ…それを合図にしたように、傍らのドアが開いて誰か入ってきた。
「気がついた?大丈夫?」
その声は、リルの声だった。しかし、そこにいたのは『あのリル』とは全く別人の、令嬢だった。
「リ…リル…?」
「ええ、わたしよ。ごめんなさい、イカサマ…」
事情を呑み込めず、怪我の激痛も収まらず、イカサマはただ目を白黒させていた。と、そこへ別の紳士然としたネズミが入ってきた。
「話は、娘から聞きました。この度は、とんだご迷惑を…」
相手は、イカサマに対して頭を下げた。
「い…一体、こりゃあ?」
「これは失礼を。私は、ここから西にある国に棲むハロルと言う者です。こちらは、娘のリル。ご覧の通り、おきゃんなおてんばで…
その上、 とんだ世間知らずに、育ててしまいまして。この度は、見知らぬ町を見てみたいと、勝手に飛び出してこの騒ぎです。
私は、立場上敵も多く…娘が独りでいるところを狙われたらと、気が気でないというのに…」
イカサマは、大体の事情を察知した。そして、リルの父親は、娘をかばって大怪我を負った若者を下にも置かぬ扱いだった。
いつものイカサマなら、さっさと逃げ出すところだが、ここはハロルの持つ船の上。ハロルは、富豪だったのだ。
ともかく怪我が治るまでと、引き止められてイカサマも納得していたが…
“何だか、面倒なことになりそうだぜ…”
ハロルは、イカサマを自分の国に連れて行きそうな勢いになっていた。それを察したイカサマはどうにか逃げ出そうとするが
部屋の出入口はもちろん、廊下やトイレにまで執事が立っている。体のいい牢獄のようなものだ。
“冗談じゃ、ねぇぜ…”
ここに来て、一週間。イカサマは決意を固めた。
「怪我もほとんど良くなったし、そろそろ帰してくれねぇかなあ…」
リルを部屋に呼ぶと、イカサマはぶっきらぼうに言った。
「でも、あなたは誰かに追われていたのでは…?」
「ヘッ、何とでもならあ。あんな間抜けな連中」
「ここの生活が、お気に召さないのね」
リルは、少し悲しそうな顔をした。
「そ、そうじゃねぇけど…もともと、俺は親も身寄りもねぇ風来坊だ。何ていうか…その…旅に出てぇのよ」
イカサマは、リルの目を見ないように顔をそむけながら言った。
「そう…」
「ま、悪りぃけどよ…その、世話してくれた恩は忘れねぇよ」
イカサマは、リルに背中を向けようとした。その時…
「ねえ、私と勝負して」
リルはちょっと強い口調で言った。
「何だって!?」
「サイコロで、勝負して。あなたが勝ったら、あなたの好きにして。でも、私が勝ったら…その時は…」
言葉を詰まらせたリルを見て、慌ててイカサマは言った。
「わ、分かった。分かった。やるよ、やる」
イカサマは、勝負の準備を整えた。
「勝負は、一発勝負。この中のサイの目が丁か半かだ。リルが宣言した出目と、同じならリルの勝ち。違ったら、俺の勝ちだ」
リルは、小さくうなずいた。そして、イカサマの手元をジッと見ている。
「それじゃ…入ります!」
イカサマは、サイコロを入れたカップを床に伏せた。
「さあ、どっちだい?」
リルは、カップを見つめていたがやがて顔を上げると
「丁!丁だわ」
イカサマは、リルの視線に動かなかった。
「じゃ、勝負!」
カップが取り払われると、現われた出目は…
「一・二の半」
やがて、ハロルの船は砂浜に着いた。
「行くのね…イカサマ」
「勝負は、勝負さ」
「てっきり、あなたの好きなピンゾロの丁ってのが、出ると思ったのに…」
「これ…おまえにやるよ」
イカサマは、サイコロをリルの手にねじ込むようにして渡した。そして、まだ言い足りない様子のリルを振り切るように、イカサマは船を下りた。
「じゃ、な」
「ありがとう、イカサマ。いろいろ楽しかったわ…」
すると、潮風に髪をなびかせながらイカサマは身体を半分リルの方に向け、左手の親指を立てて見せた。
そして、リルが何か言おうとする前に彼女に背中を向けると、自慢の俊足でその場を去った。
“また、どこかで…逢いたいわ。さようなら、イカサマ…”
彼女はサイコロを手に握って、心の中で呟いていた。やがて、ハロルの船は水平線に向かって遠ざかっていく…
イカサマは、それを潮風に吹かれて、じっと高台で見ていた。
「……!」
しかし、背後で足音がして振り向くと…
「やい、若造!今度こそ逃がさねぇぞ。この間のオトシマエ、きっちりつけてもらおうじゃねぇか!」
以前、賭場でまいたチンピラ連中である。
「やれやれ…しつけぇ連中だぜ。下らねぇこと、思い出させやがって…」
イカサマは、再び連中をまくと町の中へと消え去っていった。