第7話 旅立ち

島の北側に、海岸線に沿った岩場がある。その岩場から少し離れたところに、岩穴が口を開けている。
ボクは泳いで濡れた身体の海水を払うと、中に入った。
“…変わってないや”
入口は狭くて小さいけど、中は広い。ここは、かつてボク達を窮地に追い詰めたイタチの大群と戦った、決戦の場だった。
「……」
今でも、あの時のことがはっきり甦ってくる。命がけの戦いだった。ボクも、無我夢中で戦った。一方で、悲しい犠牲も多かった。
今、ここには墓標が並んでいる。その一つは、長老さんのもの。そして、一郎さんと太一さんに、犠牲になった島ネズミ達…
その墓標には、まだ新しい花が供えてあった。特に太一さんの墓標には、他のと比べて多くの花がある。
“順太が来たんだな…”
あの時、甘えん坊で太一さんがいなくなって泣いてばかりいた順太も、今ではすっかり生意気になった。
ボクや姉ちゃんには従順だけど、他の仲間達の手を焼かせている。
「皆さん、島はすっかり平和になりましたよ…昔のような島になりました。これからも、島の平和と安全を見守っていてくださいね…」
ボクは、墓標に手を合わせた。しばらくして立ち上がると、ボクは岩場の裏手に出た。
“これも、相変わらずだな…”
遠く沖に島が見える。ここと、その島を隔てた海には今日も激しい渦が巻いている。ボクは思わず、口の中であの唄を呟いていた。
“ねーんに いちどーの はやせーがーわー…”
あの伝承の唄に、あんな『秘密』が隠されていたとは。あの時は、その事実とそれを解き明かしたガクシャさんの頭に驚いた。
何しろそれが、ノロイを倒す最大のきっかけになったのだから…
「ガンバさん達、元気かな…」
一度、ヨイショさんを知っているという船乗りネズミに、手紙を託したことがあった。でも結局、返事は未だに来ない。
時々、あの時の仲間に無性に逢いたくなる。もう一度、冒険の旅に出たくなる。今のボクなら…
決して、足手まといにはならない自信がある。もし、許されるのなら独りでイカダを作って、海に出たって構わない…でも、実際には無理がある。
ボクにとっては、みんなが逢いに来てくれるのを待つしかないのだ。
「そろそろ、帰らなくっちゃ…」
ボクは、ソテツの花の下を通って住処へと戻った。


…沖の島に渡ったボク達は、当初は翌年に夢見が島に戻る予定だった。でも、肝心の日…早瀬川が収まる年に一度の日、台風が一帯を襲った。
ボク達は荒れ狂う海と黒くたちこめる雲、吹きすさぶ風を恨めしく見ているしかなかった。
そして、二年後「その日」が近づいてきたので、ボク達は元の島に帰ろうと準備を始めたのだが…
「帰らないって…どういうことなの?」
この二年間と言う時間は、一部の仲間の意識を変えてしまったようだった。沖の島にも、仲間はいた。
古くから交流があったし、イタチと戦い生き延びたボク達を、彼らは好意的に迎えてくれた。島には猫や人間もいたけど、ノロイ達の脅威に比べたら
過ごしやすかったのは事実だ。
「それによ、年に一度必ず逢える日があるんだ。二度と逢えないわけじゃないんだぜ」
仲間の中には、島で相手を見つけた者もいた。そんな彼らは、沖の島での生活を選んだ。島を建て直そうとしていたボク達は、正直ガッカリした。
潮路姉ちゃんはそんな仲間達を、何とか説得しようとしたが結局、無駄だった。
あの時の仲間の約1/3が、沖の島に残った。夜の海岸で、ボク達はお互いに握手を交わして別れた。
あの日と同じ、いつもの荒れた海面が嘘のように穏やかになっていた。ボクは、必死に仲間達を救うべく、ツブリさん達を捜し駈け回った
あの夜のことを思い出しながら、海をひたすら泳いだ。

そして、これが残った仲間達との最後の別れになってしまった。

翌年の春先、ボクはショックな知らせを聞いた。
実は、あれ以来ツブリさん達オオミズナギドリは夢見が島の岩場に、営巣することになった。彼らは、早瀬川を気にせずに二つの島を行き来できるから
いろいろと情報を伝達してもらったりしていた。ところが…
「向こうの島のネズミ達が、どうやらほぼ全滅したらしい」
「何ですって!?」
話によると、その年の冬に島で人間達の間で悪い病気が広がったらしい。
それは、決してネズミが媒介する病気ではなかったのに、ネズミが目の敵にされて『駆除』されてしまったのだ。
「まあ、ネズミだけでなく人間が自分達に害を及ぼすと考えている動物は、次々とやられたらしいが…」
ツブリさんは、沈んだ声で報告してくれた。それでも、ボク達は満月の夜に岩場で待っていた。
誰かが…ノロイの脅威からも、何とか生き延びていた仲間達がいたのだ。たとえ一匹でも、泳いでくることを願って…いや、信じて。
でも、無情に月は沈み日が昇り始めると、海は再び渦を巻いた。…誰も、来なかった。
ボク達の頭の中には、いつまでも早瀬川の唄が響いていた。みんなで陽気に拍子を取って、大勢で唱和する声が、耳から離れないでいた。


ボク達は、島に戻るとまず南側の土地を目指した。ノロイ達が来る前に、暮らしていた場所だ。
民家の縁の下や、天井裏など、それぞれに棲み良い場所を見つけて暮らし始めた。
だけど、環境は昔とまるで変わっていた。人間には、イタチの存在は分かっていても、それとネズミがいなくなったこととの因果関係については
良く分からなかったらしい。単にネズミが減ったな…と思っていただけのようだ。だから、ボク達が現われると人間達はビックリしていた。
その上、沖の島での病気騒ぎはここにも伝わっていたから、人間達は神経質になってボク達を追い回した。
「人間達は、ノロイ以上に残虐だ!」
そう、彼らは「薬」を使うのだ。ガス状の霧を噴射されると、身体が痺れて息ができなくなる。
でもこれは、人間がボク達に向かって噴射する時、何らかの構えを見せるから、すかさず逃げることが肝心だった。
問題は、食べ物によく似た毒薬だった。
「昔は、明らかに怪しいと分かったものだが…」
人間の家に忍び込んで、何気にあった「それ」を口にしたらたちまち死んでしまった仲間は後を絶たなかった。
ボク達は匂いや形、色などを必死に覚えて、怪しい食べ物には手を出さないよう徹底したけど、悲しい犠牲は続いた。
「それだけじゃないよ…」
昔は、川の水は平気で飲めた。でも、戻ってみるとその水は臭くて濁っていた。
そう言えば以前、ガンバが町にいた頃の話をしてくれたが、川は汚くてゴミが浮いてて…と言っていた。
ボクはこんな感じの川なんだろうなあと思いながら、見つめていた。
「こんなんじゃ、とても棲めない!」
仲間達から文句が出るのも、無理はなかった。確かに、イタチはいない。隠れ棲んだり乏しい食料に泣くこともない。
森の中にも、蛇をはじめネズミを餌にする生き物や、上空からトンビに狙われたりするけど、それらの危険性は良く分かっている。
それに、かつてのノロイ達と違って、バランスと言うものを知っている。
「森へ…その周辺を拠点として、暮らすことにしよう」
ボク達は、結局人間のそばを離れて森を中心に活動することになった。
だけど、森の生活も決して安らかなものではなかった。ボクが生まれた頃…島には、豊かな緑が残っていた。
しかし、それもまた人間に奪われていた。森にいた仲間達は、ボク達の敵も含めて、次々と数を減らしていた。
それから森の中の食料も、思っていたほど豊富ではなかった。
こんな時、ノロイ達に追い詰められていた頃の経験が生きるとは…皮肉な話だけど、多少乏しい食料にも耐えることができたし、
何かの気配を敏感に感じて警戒することが身体に染み付いていた。北側の岩場だらけの土地に比べればここは遥かに棲み良い。
ボク達は案外、森の中での競争に強くなっていたのかも知れない。


夢見が島に戻ってから、瞬く間に二年の月日が流れた。ボク達は、すっかり森での暮らしに馴染んでいた。
たまに、人間の住む場所に出かけることはあっても、その辺りを住処にしようとする者は現われなくなった。
森にいる敵にやられてしまう仲間は少なくなかったけど、それは決してノロイ達のような脅威ではなかった。
「だけど…何か、みんな変わっちゃったよ」
「忠太…」
「確かに、平和だよ。ノロイに追われていた時みたいに、恐怖と緊張の毎日でもない。ガンバ達と戦っていた時のような
 命がけの連続でもない。だけど…」
「そうね。何か変わったわね…」
「潮路姉ちゃんは、分かってるの?」
「何が?」
「みんなが、変わってしまった理由とか…どうしたらいいのか、とか…」
潮路は、黙ったままだった。
「ボクには…理由は分かるような気がする。でも、どうしたらいいのかは…」
暗に潮路から答えを引き出そうという口調で、忠太はポツリと自分の意見を言ったが、潮路は動じなかった。
「……」
忠太は、居たたまれなくなったように住処を出た。こんな時、決まって脳裏に浮かんでくるのは、ガンバ達のことだった。
初めは自分の命でさえ、危ないところだった。それを助けてくれたばかりか、一緒に戦ってくれると言った仲間達…
島に帰るまでの道程には、色々なことがあった。
でも、今はそれらが懐かしい想い出だ。姉のことがいつも心配で、泣いてばかりいた自分…その姉は、あの旅で忠太は成長したと言うが…
確かに、昔ほど泣き虫でなくなったとは思うけど、まだまだチビだし力だって…頭脳だって…
「またみんなで、冒険の旅がしたいなあ…」
木の上で、ぼんやりと昔のことを思い出していた忠太の足元で、ボクを呼ぶ声がする。
「忠太さーん、お話聞かせてよーっ」
この頃、自分より小さい子供達によくボクの体験を話すことがある。
ノロイとの戦いはまだちょっと刺激が強いから、主にこの島に辿り付くまでの冒険の話だ。彼らは、目を輝かせてボクの話を聞き入る。
「どこまで、話したっけ?」
「野犬をやっつけたところまで!」


今の仲間達にいないのは、かつての長老さんのような存在だ。冷静に、公平に、適切に物事を判断し、指示できる『まとめ役』はいるけど
かつての長老さんほどの威厳はない。
そして、何かと仲間達がバラバラでまとまってくれないと、愚痴ばかり言う。
「それに、もう一つ足りないものがあるわ」
「何、それは?」
「リーダー格を、補佐する役割…」
「補佐…?」
「そう。リーダーが独りで全てを背負いこんだら、いずれ押しつぶされてしまうわ。適切なアドバイスや、お手伝いのできる補佐役がいないと」
「そうかあ…」
「忠太になら、それができると思うけど?」
姉の言葉に、忠太は飛びあがった。
「じょ、冗談じゃないよぉ…潮路姉ちゃん、本気で言ってるの?」
潮路は、じっと忠太の目を見ていた。その目が『ええ、そうよ』と、言っている。
「そんなあ…」
思わず、忠太は視線をそらして呟くように言った。
「だって、ボクは…」
「もう、昔のように泣き虫でもなくなったし、あたしに甘えることもなくなったわ。あの冒険の旅と、イタチとの戦いは忠太を大きくしたのよ。
 あたしは、忠太がいずれこの島のネズミ達のリーダーになると信じているわ」
忠太は、言葉を失ったままうつむいていた。
「でも…そんな弱気では、無理かも知れないわね」
『そんなこと…ないよ』
喉まで出かかった言葉を、忠太は飲み込んだ。自分には虚勢を張るほどの自信は、まだなかった。
「忠太さーん、お話聞かせてよーっ」
そんな忠太に、子供達の無邪気な声が飛んできた。忠太は、いい潮時とばかりにその場を離れて話を始めた。すると…
「おや、そうだったかい?」
突然、物陰から茶々を入れる声が。忠太も、その場の子供達もビックリして周囲を見渡していると…
「イ…イカサマさん…!?」
懐かしい顔が、ちょっとニヤニヤ笑っていた。


イカサマは、墓標に花を供えると片膝をついた姿勢で、ジッとしばらくそれを見つめていた。
忠太はイカサマの気持ちが分かるから、黙っていた。
「これで、一郎も…いや、長老さんも太一も、みんな浮かばれるな」
イカサマは、立ち上がるとポツリと言った。
「ええ…みんな、イタチからこの島を、仲間達を守ろうとした勇者達ですから…」
「そういや、順太は元気かい?」
「ええ。腕白盛り、生意気盛りですよ」
この言葉に、イカサマはちょっと笑った。
「忠太も、少しはオトナになったんじゃねぇか」
「ええ…?そ、そうですか?」
「へへ、冗談だよ」
イカサマは、忠太をからかうように笑うと岩穴から表に出た。早瀬川を見ているイカサマの横に、忠太もやってきた。
「忠太よ、おめぇ旅に出たいんじゃねぇのか?」
イカサマは、わざとまっすぐ前を向いたまま言った。図星を刺された忠太は、返事ができず言葉を必死に探していた。
「ベ…別に…」
やっとの思いで出てきた言葉だったが、誰の目にもそれが嘘だと分かった。
「さっきよ、ガンバ達と再び冒険の旅に出たときの話を、熱心に聞いていたが…忠太の目は、羨ましそうだったぜ。
 もう一度、そんな旅がして見たいって目だった」
「……」
イカサマが、忠太の方を向くと忠太は思いつめた表情でイカサマを見ていた。
「イカサマさん…」
「分かった、分かった。もう、何も言うなって。潮路さんに話しづれぇんなら、俺から話をしてやるぜ?」
「い、いいんですか…?」
「ああ。いいってことよ」
胸を張って見せたイカサマを見て、忠太は思わず涙ぐんだ。
「あ、ありがとう…イカサマさん…」
「おいおい。昔の泣き虫忠太に逆戻りだな?」
からかうイカサマの言葉に
「いいえ…な、涙じゃなくて…泣いてませんよ」
忠太も、負けじと言った。


翌日、イカサマがどのように潮路に話を持っていったのか、忠太は知らない。
「…話は、イカサマさんから聞いたわ」
潮路は、ちょっと真剣な顔で忠太の前に座った。
「…話の内容は、あたしもうすうす感じていたの。ただ…あたしとしては、忠太の口から直接それを聞きたかったわ…」
「ご、ごめんなさい…でも、ボクがそんなことを言うのは単にわがままだと…思われるだろうし…」
忠太の声は、次第に細くなっていった。
「忠太…ちゃんとした理由があってのことだと分かれば、あたしは反対しないわ。でも、単に物見遊山な気持ちで言っているのなら…
 決して賛成はできなかった。あなたの口から、聞かせてちょうだい。旅に出たいという、目的は何なの?」
「それは…ボク自身が、もっともっと…いろいろなことを経験して、大きくなること!」
それを聞いて、潮路は深くうなずいた。
「分かったわ。忠太、旅に出なさい。独りでもいい、イカサマさんたちと一緒でもいい、ともかく見識を広めていろいろ体験して
 大きくなって帰ってきなさい」
潮路の目には、涙があふれてきていた。
「ね…姉ちゃん…」
忠太の目にも、大粒の涙があふれ始めて…ふたりは、ただうなずきあっていた。

数日後、忠太はイカサマと共に島を離れるはしけの中にいた。
「ガンバさん達に、逢えるかなあ…」
忠太は、目の前に広がって行く海に思いを馳せていた。心の片隅に、潮路との約束をしっかりしまったまま…
『忠太、約束してほしいの。一つは、必ず無事に帰って来ること。そして、もう一つはこの旅で得たものを、あなたの今後に生かすこと…』
忠太とイカサマを乗せた船は、水平線のかなたに消えて行った。

第7話・完

前のお話へ目次へ戻る次のお話へ