ウルトラクイズといえば「ジャンケン」が目玉の一つだったが、クイズ番組で海外脱出を賭けた手段がジャンケンというのは、挑戦者にとって
相当のショックだったようだ。この時は、5ポイント先取で勝ち抜けとなった。
80名中、40名がパンナム機に搭乗して日本を発った。
80名 → 40名
第1チェックポイント | 羽田⇒グァム | 800問ペーパークイズ |
飛行機に乗ると、休む間もなく水平飛行に移ったところで早速クイズ。
三者択一式クイズを、途中5分の休憩をはさんで1時間の制限時間内に、800問をこなすハードスケジュール。
解く方も大変だが、グァム到着までにそれらを採点し、成績をはじき出すスタッフも大変だったと思われる。
この時は、まだ「合否判定ゲート」はなくグァム到着後、スチューワーデス嬢が成績を上位から発表した。
ところが、最後の一人になって同点が二人いたため、急遽「同点決勝」でサドンデス形式の○×クイズが敢行された。
このサドンデス決勝で敗れた一人を含む、下位10名が強制送還となった。
40名 → 30名
炎天下のビーチで、全員○×のパネルを持って集合して、一発勝負の○×クイズに挑戦。1問でも間違うと即、失格というルールだったが
わずか二問で17名が勝ちぬけた。
そこで、第二問目で失格した7名が飛行機出発前に、空港ゲートで敗者復活戦を行い3名が復活した。
30名 → 20名
ハワイ沖に双胴船に乗って、1対1の早押しクイズ。ここで、ウルトラ名物である「早押しハット」が登場。
3点先取で勝ち抜けとなるが、お手つき・不正解はマイナスで−3ポイントで失格。
ロケ当日は、強風で波が荒く船は大きく揺れたために、挑戦者・スタッフとも船酔いで倒れる者が続出したとか…
《罰ゲーム》
勝者は船上でフラダンスを楽しむ中、敗者10名はライフジャケットを身に着けて、5キロ先のワイキキビーチまで若干水漏れのするポートを
漕いで帰っていった。
20名 → 10名
サンディアゴの「シーワールド」がクイズ会場。挑戦者は、正装の上目隠しをして解答席に。
ゲストは、ジミー・カーター氏(当時、アメリカ大統領)のそっくりさんと、世界一身長のある女性(当時)が登場し、ゲストにまつわる
クイズを出題した。
《罰ゲーム》
敗者4名は、シーワールド名物の「シャチのキス」を、恐る恐る受けるハメに。
今では、日本の水族館などでも良くあるが、当時の日本人にはビックリドッキリの「罰ゲーム」だった。
10名 → 6名
摂氏42℃のアリゾナ砂漠がクイズ会場。クイズは、3ポイント先取の早押しクイズだが、お手つき・誤答の場合10メートル後方のサボテンを
廻ってこなければならない(全員分らないと、全員で廻る)ルール。
灼熱の中、悪戦苦闘の挑戦者だった。
《罰ゲーム》
ここからは、一人で罰ゲームを受けて強制送還となる。その第1号となった男性に与えられたのは「空港までヒッチハイクで帰る」こと。
そんな彼を拾ったのは、耳の遠いおばあさんドライバー。しかも、傍らにはショットガン…でも、これは「ドッキリカメラ」だったというのが
オチだった。
6名 → 5名
ダラス郊外の「ファンダーバーグ牧場」がクイズ会場。ここでは、3ポイント勝ち抜けの早押しクイズ。
次第に人数が絞られてきて、挑戦者同士うちとける反面、ライバル意識も芽生えて駆け引きが熾烈になってくる。
《罰ゲーム》
ここでの敗者は、男勝りのタフさを誇っていた女性だった。彼女は、ハードスケジュールの中で体調を崩したのが、敗因となったようだった。
そんな彼女への罰ゲームは「空港まで、馬に乗って帰ること」だった。
5名 → 4名
ミシシッピー川を進むショーボート「ナッチェス号」が、クイズ会場。5点先取の早押しクイズ。
土地柄、音楽に関する問題が中心だった。そして、ここで優勝商品が「ラスベガスの土地1エーカー(約1300坪)」と発表された。
《罰ゲーム》
ここでの敗者となった女性は、涙に濡れながらショーボートを降りて…あれ、罰ゲームは?
ところが、その後スタジオゲストとして呼ばれた彼女は、そこで「ビックリ箱」を送られて驚かされるという「罰ゲーム」があった。
4名 → 3名
第8チェックポイント | アトランタ | ゲスト3択+早押しクイズ |
準決勝となったアトランタ、クイズ会場は郊外の「ストーン・マウンテン公園」
ここでは、ゲストを迎えての3択クイズと早押しクイズで、7ポイント先取で勝ち抜け。ゲストは、世界一巨体の双子プロレスラー
マクガイヤー兄弟だった。
《罰ゲーム》
クイズ終了後、一行が公園内のSLに乗ると突如、インディアンが襲いかかってきて敗者の男性を連れ去った。
そして、彼は哀れ火あぶりに…?もっとも、これは特別ショーの一環であった。
3名 → 2名
決勝の地は、ニューヨーク。挑戦者2名は、摩天楼をヘリコプターでゆっくり廻りながら、決戦場となるパンナムビルの屋上へと
降り立った。ここで、10ポイント先取の早押しクイズで優勝者・クイズ王が決定する。
《戦い終わって》
初代クイズ王の栄冠に輝いたのは、松尾清三さん(当時38)だった。
決勝戦の終わった夜、ブロードウェイのピアノバーで祝賀会が催されたが、そこへ決勝戦の相手だった女性が登場し、特大シャンパングラスを
差し出した。シャンパン1本が余裕で入るグラスを手に、アルコールが苦手という松尾さんはそれを飲み干した。
そして、優勝商品を受け取るためにラスベガスへと向かったのだが…
ラスベガスというのは、ネバダの砂漠に作られた「人工都市」であるから、ちょっと外れると荒れた砂だらけの乾いた土地。
実は、商品の「土地」はそんな砂漠のど真ん中。スタッフのブラックユーモアだったのだ。