第2回大会(1978年・昭和53年)

国内第一次予選後楽園球場参加 700名
                                                                  
第1問:ニューヨークの自由の女神が、たいまつを持っているのは左手である
答え…×
   参加者は、グラウンドに集合。今回は、外野に設けられた○×のサークル内に、制限時間内に駆け込まねばならない。
   「当日は軽装で」という注意書きにも関わらず、ハイヒール姿の人もいたとか。
   また、第1問では700人中699人が×のサークルに駆け込み、第2問でも699人中698人が正解するなど、群集心理に惑わされた人が
   続出した。
   700名中、100名が第一次予選を通過した。

700 → 100


国内第二次予選成田空港ジャンケン
   この年に成田空港が開港し、ウルトラクイズで数々の名場面・名勝負が繰り広げられた成田エアポート・レストハウスが、第二次予選の会場
   となった。
   当然のように、参加者達にはここで何が行われるか知らさせていなかったが…当然のようにジャンケン判定機が登場。5点先取で勝ち抜け
   勝者は、コンチネンタル航空機に乗って国外脱出。敗者は、成田山参詣付きバスで東京へと向かった。

100 → 50


第1チェックポイント羽田⇒サイパン500問ペーパークイズ
   飛行機に乗ると、今年も早速クイズ。
   今年は三者択一式クイズを、途中5分の休憩をはさんで40分の制限時間内に、500問をこなすハードスケジュール。
   また、この年から「合否判定ゲート」が登場し、サイパン空港でタラップを降りたところで、不合格者は赤ランプ点灯・ブザー鳴動…と赤っ恥を
   さらすハメに。
   最高得点426点(正解率約85%)以下、40名の勝者がサイパンの土を踏んだ。

50 → 40


第2チェックポイントサイパン○×クイズ
   今年も炎天下のビーチで、全員○×のパネルを持って集合して、一発勝負の○×クイズに挑戦。
   半分の20名が勝ちぬけのはずが、三問終わった時点で正解者が7名に減ってしまい、三問目を誤答した25名で敗者復活戦が行われた。

   敗者復活戦は、サイパン国際空港前に緋毛氈を引いての「カルタ取りクイズ」取り札は、全て数字になっていて1枚取れば敗者復活。
   お手つきすると、マイナスポイントとして黒いシールを顔に張られてしまう。
   これで、13名が復活し総勢20名がハワイへ駒を進めた。

40 → 20


第3チェックポイントハワイ早押しクイズ
   カピオラニ・パーク内の野外ステージに、参加者20名が集合。ここでのクイズは「記憶力クイズ」で、ステージ上で繰り広げられる
   「フラダンスショー」から、クイズを出題。解答は、スケッチブックに書いて出す。
   3ポイント先取で、いよいよアメリカ大陸上陸サンフランシスコへ。

  《罰ゲーム》
   敗者10名は、ハワイ名物輪タク「ぺディー・キャブ」に、日頃走っているドライバーを乗せて、空港までの30キロを漕いで走って行った。

20 → 10


第4チェックポイントサンフランシスコゲスト3択クイズ
   サンフランシスコの「マリン・ワールド・アフリカ・USA」が、クイズ会場。
   ゲストは、全米アマチュア女子重量挙げチャンピオン・全米カエル三段跳びの全米記録を出したカエルの調教師・変わったもの(昆虫)を
   食べる男が登場。彼らにまつわるクイズのほか、ご当地クイズなどが出題された。

  《罰ゲーム》
   敗者に対する罰ゲームは、マリン・ワールドのショーの一つ「象の下敷きになる」こと。
   動物が苦手という、新婚奥さん(当時)がその犠牲者になったが、この象は「スター・ウォーズ」にも出演した、いわば「大スター」だったのだ。

10 → 9


第5チェックポイントレイク・タホリレークイズ
   夏は避暑地、冬はスキー場として賑わうタホ湖畔がクイズ会場。
   ここでは、難問続出の「リレークイズ」が行われた。解答者にクイズが出題され、不正解または答えられない場合、次の人に解答権が移る。
   1問正解で勝ち抜けとなるが、難問だらけだから解答の順番と駆け引きがものを言う。
   まずは、席順を決めるためのクイズ「タホ湖の水温当て」からスタート!

  《罰ゲーム》
   ここでの敗者は、今回最年長の男性。彼は「罰ゲームは空港で行う」と言うスタッフの言葉を信じて、その途中あるレストランに…
   そこで彼を待ち受けていたのは、椅子に仕掛けられたブーブークッションと、ウェイトレスからのパイ投げという「ドッキリカメラ」だった。
   敗者曰く「空港で、ポーターでもやらされるものと思っていた」とか。

 → 8


第6チェックポイントリ ノ早押し「ギャンブル」クイズ
   リノは、ラスベガス・アトランティックシティーと並ぶ「カジノの街」である。
   ここでは「ギャンブルクイズ」が行われた。1問正解するごとに「フォーチュン・ウィル」を回して、得点を決めることが出来る。この「幸運の輪」には
   1・2・5・10・20・40($)の札が貼ってあり、$6と出れば勝ち抜け(なお、$40は27分の1の確率)それ以上は差額がお小遣いとなった。
   また、ここでは男女4名づつに分かれて対戦する形式になっていた。

  《罰ゲーム》
   男性軍・女性軍それぞれの敗者が、ルーレットの赤黒一発勝負に挑戦。結果、男性が敗者と決まった。
   そんな彼への罰ゲームは「アンフォーチュン・ウィル(不幸の輪)」スキー・後ろ向き・鉄下駄・長ばかま・キャデラックの書かれた輪を回し、
   矢印が止まったところの物を使って空港まで帰るというもの。結果はスキーで、敗者は初秋のリノの町をスキーを履いて歩いていった。
   (ちなみに、キャデラックと言っても子供用のオモチャのそれである)

 → 7


第7チェックポイントデンバー早押しクイズ
   デンバーからコロラド・スプリングスを経由して、標高4300メートルのパイクス・ピークがクイズ会場。
   ここでは「酸素欠乏・耐寒クイズ」が行われた。酸素の薄い高地で、お手つき・不正解の場合は着ている服を、一枚づつ脱がねばならない
   ルールである(全員、答えられないと全員が一枚づつ脱ぐことになる)
   なお、問題に正解すると次の問題は7つあるジャンルから、好きに選ぶことが出来る。3ポイント先取で、勝ち抜けだ。

  《罰ゲーム》
   先のリノで、$40を出した女性がここでは運に見放されてしまった。マイナス2℃の気温の中、半袖のTシャツ一枚になってしまいダウン。
   これ以上、罰ゲームはムリだとのドクター・ストップがかかった。
   結局、彼女はアメリカ本土上陸した参加者の中で、事実上罰ゲームを受けなかった唯一の参加者となったが…これも立派に罰ゲーム(?)

 → 6


第8チェックポイントシカゴ国際電話連想クイズ
   シカゴにある、ジェットコースターの宝庫「グレート・アメリカ」がクイズ会場。
   ここで、優勝商品が発表された。家族二人をニューヨークに招待し、最高級ホテルで最高級のもてなしを受け、ニューヨークの休日を楽しんで
   もらうと言うもの。
   そしてクイズ形式は、シカゴと日本約12000キロを結んでの「連想クイズ」だった。出題側は、シカゴの参加者。解答側は、日本の家族。
   国際電話を使って上手くヒントを出し、答えを引き出さねばならない。もちろん、国際電話だから間があくし制限時間は90秒。
   さらに、シカゴは朝10時前だが日本は夜中の12時前だ。

  《罰ゲーム》
   敗者となった女性は、グレート・アメリカ名物の「360度回転のジェットコースター」に、独りで乗ることだった。
   今でこそ、360度回転など日本でも「当たり前」だが、当時は世界中でもここくらいと言う珍しいコースターだった。 

 → 5


第9チェックポイントナイヤガラ早押しクイズ
   アメリカ有数の観光地であるナイヤガラ。その「カナダ滝」をバックに、オーソドックスな早押しクイズである。
   参加者も5名に絞られ、そろそろ実力が物を言うようになってきた。ここでの5ポイント先取の早押しクイズは、駆け引きも重要となってくる。

  《罰ゲーム》
   ナイヤガラ名物は、合羽を着ての「滝壷見学」だが…勝者4名が、合羽姿で楽しむ中で、敗者だけは合羽なしでずぶ濡れになりながらの
   見学と相成った。

 → 4


第10チェックポイントボストンバルーン・ダウン・アップ・クイズ
   明け方のボストン郊外に、目隠ししてやってきた参加者達の前に現われたのは、4台の熱気球。
   ここでのクイズは、この熱気球を使った「バルーン・ダウン・アップ・クイズ」である。熱気球は、参加者を乗せて地上12メートルのところ
   からスタート。○×クイズに回答し、正解なら熱気球は4メートル下がる。逆に不正解だと4メートル上がる。3ポイント先取した2名が決勝の地
   ニューヨークへ。なお、諸条件を考慮して参加者にはトランシーバーが渡され、問題ごとにボックスに入れた用紙を渡した。

  《罰ゲーム》
   敗者は、ママさんと学生のお二人。当然のように(?)二人を乗せた熱気球は、そのまま上空へと上っていって
   大空の彼方へ…それにしても、当時のVTRでは福留さん「敗者2名が、何事かほざいておりますが(笑)」って…

 → 2


決  勝ニューヨーク早押しクイズ
   決勝の地ニューヨーク。今年も参加者2名は、摩天楼をヘリコプターでゆっくり廻りながら、決戦場となるパンナムビルの屋上へと
   降り立った。ここで、10ポイント先取の早押しクイズで優勝者・クイズ王が決定する。今年も、男女2名が決勝戦のテーブルに着いた。
   ちなみに、決勝の模様は電話回線を通じて成田空港で待機している、家族のもとに中継されている。ニューヨーク午後1時、成田午前2時。

  《戦い終わって》
   ニ代目クイズ王の栄冠に輝いたのは、北川宣浩さん(当時24)だった。
   そして、ブロードウェイのレストランで祝賀会が催されたが、そこへ直行便で駆けつけた母親と妹さんが到着。
   その夜は、ホテル「エセックス・ハウス」の特別室「ウェリントン卿の間」で、家族三人水入らずのディナーを済ませて、眠りに着いた。


   ちなみにこの年は、こんな年でした♪