第3回大会(1979年・昭和54年)

国内第一次予選後楽園球場参加1,362名
                                                                  
第1問:水戸黄門は、徳川家康の孫である
答え…○
   参加者は、グラウンドに集合。今回は、受付で風船を手渡された参加者たち。実は、これが第1問で使用される風船だったのだ。
   問題が○だと思えばそのまま持っている。×だと思えば手を離す…と、いうもの。
   今年も外野に設けられた○×のサークル内に、制限時間内に駆け込まねばならないが今年から、群集心理を防止する為にサークルの
   赤白のゴムボールのエリアが設けられた。答えが○だと思えば赤のボールを、×だと思えば白いボールを取って、サークル内に
   駆け込まねばならない。
    ちなみに、前回のチャンピオン北川さんは○のボールを持って×のサークルに向かったため、失格となってしまった…   
    なお、問題の中の「右巻きの蚊取り線香、裏返すと左巻きになる(答え…○)」は、青島幸男氏の娘さんが問題製作スタッフの一員だった時に作った名作とか。
   参加者の中から、100名が第一次予選を通過した。

1,362 → 100


国内第二次予選成田空港ジャンケン
   成田空港の、成田エアポート・レストハウスに参加者達が集合。
   第二次予選をどんな方法で行うのがいいか、アンケートが取られた。
   クイズ・アミダくじ・ジャンケンの三者択一で、結果としては「アミダくじ」が過半数を占めたのだが…中間意見でジャンケンになってしまった。
   敗者は徳光アナをピコハンマーで叩けるのだが、だんだんそれがエスカレートしていくことに危機感を感じ(?)等身大の「徳光人形」を用意
   したのだが、本物を叩いた人のほうが多かった。

100 → 50


第1チェックポイント成田⇒サイパン500問ペーパークイズ
   飛行機に乗ると、400問ペーパークイズ。狭い機内で、隣とはついたてで隔たれている。
   サイパン国際空港には「合否判定ゲート」が待っている。不合格者は赤ランプ点灯・ブザー鳴動で、赤っ恥をさらして強制送還。
   最高得点329点(正解率約82%)以下、40名の勝者がサイパンの土を踏んだ。
   一方、機内食一食で日帰りUターンした10名の敗者を待っていたのは、不合格者の得点表と徳光人形だった。

50 → 40


第2チェックポイントサイパン○×クイズ
   早朝のジャンケン、機内ペーパークイズを終え島内観光を済ませた参加者達を待っていたのは、この日3つ目の試練だった。
   その名も「お泊りクイズ」で、勝てばホテルの部屋。負けたらビーチのテントで一泊というもの。
   ホテルの部屋のベランダに、参加者達が○×の旗を持って並びクイズに挑戦。クイズは一発勝負で、間違えたら即テント村直行。
   ここで、半分の20名に絞られてしまう。結果、その中に女性は2名しか残らなかった。
   一方の敗者20名は、夜遅くまで語り明かしていた。またスタッフも、安全のため寝ずの番をしていたとのこと。

40 → 20


第3チェックポイントハワイ早押しダイビングクイズ
   かつての名映画監督、ジョン・フォード氏の持ち船「ウインド・ジャマー」号がクイズ会場。
   ダイヤモンドヘッド沖の海の上で、一対一の対戦。船の後部に設置されたボードの上に座っての早押しクイズ。
   2ポイント先取で勝ち抜けとなるが、相手に2ポイント先取されたり自分がマイナス2ポイントになると、3mの高さから海へと後ろ向きで
   ドボンと落下…と、言うルールである。

  《罰ゲーム》
   宙返りをしながら、あるいはおっかなびっくり、海の藻屑と消えていった敗者達は、アウトリガーと言うカヌーを漕いで帰っていった。
   また、福留アナも勝者10名に胴上げされついでに(?)海へ落とされてしまった。

20 → 10


第4チェックポイントロスアンジェルスゲスト3択クイズ
   ロスアンジェルスの有名な遊園地「ナッツベリー・ファーム」がクイズ会場。
   ゲストは、かつての大スター ジョン・ウェイン、マリリン・モンロー、エルビス・プレスリーのそっくりさんが登場。彼らにまつわるクイズを
   出題した他、空手でピアノを二分足らずで壊してしまう三人組や、アイスクリームの早食い世界チャンピオンが登場し、ゲストクイズを出題した。
   この他、ご当地3択クイズで4ポイントを先取した8名が勝ち抜けた。

  《罰ゲーム》
   敗者は、男性2名。彼らは、ベニス・ビーチから空港までローラースケートを履いた状態で、足を結んで二人三脚の状態になり帰ることだった。
   胸には“You’ve got trouble!(お前は罰を受けている)”のゼッケンを付けながらの二人は、七転八倒の罰ゲームとなった。

10 → 8


第5チェックポイントグランドキャニオン早押しクイズ
   まさにアメリカ!と、言った雄大な景色が広がるグランド・キャニオンでのロケとなった。
   ここでのクイズは、3ポイント先取の早押しクイズ。お手つき・不正解の場合はマイナスポイントとなる。
   ちなみに、当時日本のテレビ局がここでロケするのは、きわめて異例であって、ロケに際しては約8000ドルの保証金を納めた上で
   ロケが許可されたのだとか。

  《罰ゲーム》
   ここでの敗者は、同室の人や隣の席の人が次々と敗退していったことから、自ら「死神」と名乗っていた男性だった。
   彼は、水や食料・テントなどをロバの背に乗せて、グランド・キャニオンの谷を下っていくことだった。

 → 7


第6チェックポイントツーソンバラマキクイズ
   アリゾナ州の郊外、オールド・ツーソン(数多くの「西部劇映画」が撮られた場所である)の砂漠が会場である。
   ここで、史上初の「バラマキクイズ」が行われた。
   この広大な砂漠に、100枚の封筒に入った問題をばら撒く。参加者は摂氏43度の灼熱の中、サボテンの乱立するの砂漠の中を
   走り回って封筒を拾い、福留アナのところまで持っていって問題に答えねばならない。
   しかも、封筒の二割は「ハズレ」でもう一度問題を取りに走らねばならないルールだ。ゲートルと皮手袋に身を固めて、スタート。

  《罰ゲーム》
   ここでは、二人だけ残っていた女性の一人が敗れた。彼女は、運のないことに「ハズレ」を4回も拾ってくるツキのなさ。
   彼女は、駅馬車強盗に襲われて砂漠の中の牢屋に、独り閉じ込められてしまった。
   ちなみに、彼女はこれが初めての海外旅行だったそうで…

 → 6


第7チェックポイントサンアントニオ早押しクイズ
   ラテンムード漂う美しい街サンアントニオは、メキシコ軍の総攻撃を受けて玉砕した激戦場「アラモの砦」で有名だ。
   ここでは、3ポイント先取の早押しクイズが行われた。
   ウルトラクイズの兵どもは、テキサス州旗「ローン・スター」がたなびく中で、戦闘を開始した。

  《罰ゲーム》
   ここで敗れた男性への罰ゲームは、メキシコ名物「ハルピニオン」を食べること。
   実はこのハルピニオンというのは、メキシコで大食いコンテストが行われると、失神者続出すると言うほど激辛料理なのだ。
   敗者は潔くこれを口に頬張り、ペダル・ボートを漕いでサンアントニオ河を下っていった。

 → 5


第8チェックポイントヒューストン三択クイズ + 早押しクイズ
   ヒューストン郊外の「オークツリー・ランチ(樫の奇牧場)」がクイズ会場。
   ここで、優勝商品が発表された。それは「競走馬のオーナー」になること。所有してから三ヶ月間は、諸費用は全て日本テレビが負担し
   稼いだ賞金はクイズ王のものになる、と言うもの。
   そしてクイズ形式は、動物ゲストにまつわる三択クイズと続いて早押しクイズで、5ポイント先取で勝ち抜けとなる。

  《罰ゲーム》
   敗者となったのは、唯一残っていた女性だった。旅の途中で足を怪我したものの、ここまで頑張ったがここで敗れた。
   彼女への罰ゲームは、ゲストに登場した「全米一太ったブタ」と共に、トレーラーの荷台に乗せられると言うもの。
   哀れな敗者は「もう絶対豚肉食べない」の、名(迷)言を残して去っていった。

 → 4


第9チェックポイントマイアミ早押しクイズ
   アメリカの人にとって、有数のリゾート地であるマイアミ・ビーチがクイズ会場だが、ルールが急遽変更になった。
   男性4名になったため、1問ごとに大型のタイヤを引っ張って15メートル走り早押しボタンを押さねばならない。体力だけでなく駆け引きも
   勝負の鍵となる。問題を読み上げてからのスタートで、フライングはマイナスポイント。4ポイント先取で準決勝進出だ。

  《罰ゲーム》
   敗者の男性は、必死に走ってガッツを見せたものの駆け引きに敗れた。
   彼への罰ゲームは、自分のトランクを頭に乗せて、ソロソロと沖に浮かぶボート目指して海へ入ったが…その辺りは、急に水深が深くなる
   「危険地域」だった。さらに、その先にあるのは謎の「バミューダ・トライアングル」…

 → 3


第10チェックポイントワシントンD.C早押し封鎖クイズ
   ワシントンは、ホワイトハウスの前でニューヨーク行きを賭けて、決戦が行われた。
   ここでのクイズは、5ポイント先取の「早押し封鎖クイズ」である。1問正解すると、次の問題について残りのうち誰かの解答権を「封鎖」できる。
   封鎖は、一問ごとに行われ全員解答がないと封鎖は解除される。
   強いやつを封鎖するか、弱いやつを封鎖するか、これまた敵を蹴落とす駆け引きである。

  《罰ゲーム》
   二人から封鎖を集中されて敗れたのは、サラリーマンの男性。彼への罰ゲームは「日米親善ゴミ拾い」だった。
   赤白の縞の囚人服を着せられ、背中には「ウルトラクイズで負けると、こうなるのだ」と英語で書かれた籠を背負って、ワシントン広場に
   スタッフがわざわざ捨てたゴミを拾う羽目に…

 → 2


決  勝ニューヨーク早押しクイズ
   決勝の地ニューヨーク。今年も参加者2名は、摩天楼をヘリコプターでゆっくり廻りながら、決戦場となるパンナムビルの屋上へと
   降り立った。ここで、10ポイント先取の早押しクイズで優勝者・クイズ王が決定する。今年は、男性同士の対戦となった。
   ちなみに、二人ともプロレスの大ファンで、機内ペーパークイズは同点5位とまさに「実力伯仲」の戦いだ。

  《戦い終わって》
   ニ代目クイズ王の栄冠に輝いたのは、宗田利八郎さん(当時29)だった。
   その風貌から「ブッチャー」のあだ名を頂戴した彼だが、神経性(クイズ性?)胃炎に悩み続けたけっこう繊細な人である。
   学生時代、落語研究会で「狂亭競馬」と名乗っていたほどの彼だけに今回の賞品は打ってつけ。ところが…
   彼が選んだ馬は、血統は良いのだが8歳馬(人間で言えば40歳前後)と言うオチが付いていた。


   ちなみにこの年は、こんな年でした♪