クイズ・アミダくじ・ジャンケンの三者択一で、結果としては「アミダくじ」が過半数を占めたのだが…中間意見でジャンケンになってしまった。
敗者は徳光アナをピコハンマーで叩けるのだが、だんだんそれがエスカレートしていくことに危機感を感じ(?)等身大の「徳光人形」を用意
したのだが、本物を叩いた人のほうが多かった。
100名 → 50名
第1チェックポイント | 成田⇒サイパン | 500問ペーパークイズ |
飛行機に乗ると、400問ペーパークイズ。狭い機内で、隣とはついたてで隔たれている。
サイパン国際空港には「合否判定ゲート」が待っている。不合格者は赤ランプ点灯・ブザー鳴動で、赤っ恥をさらして強制送還。
最高得点329点(正解率約82%)以下、40名の勝者がサイパンの土を踏んだ。
一方、機内食一食で日帰りUターンした10名の敗者を待っていたのは、不合格者の得点表と徳光人形だった。
50名 → 40名
早朝のジャンケン、機内ペーパークイズを終え島内観光を済ませた参加者達を待っていたのは、この日3つ目の試練だった。
その名も「お泊りクイズ」で、勝てばホテルの部屋。負けたらビーチのテントで一泊というもの。
ホテルの部屋のベランダに、参加者達が○×の旗を持って並びクイズに挑戦。クイズは一発勝負で、間違えたら即テント村直行。
ここで、半分の20名に絞られてしまう。結果、その中に女性は2名しか残らなかった。
一方の敗者20名は、夜遅くまで語り明かしていた。またスタッフも、安全のため寝ずの番をしていたとのこと。
40名 → 20名
かつての名映画監督、ジョン・フォード氏の持ち船「ウインド・ジャマー」号がクイズ会場。
ダイヤモンドヘッド沖の海の上で、一対一の対戦。船の後部に設置されたボードの上に座っての早押しクイズ。
2ポイント先取で勝ち抜けとなるが、相手に2ポイント先取されたり自分がマイナス2ポイントになると、3mの高さから海へと後ろ向きで
ドボンと落下…と、言うルールである。
《罰ゲーム》
宙返りをしながら、あるいはおっかなびっくり、海の藻屑と消えていった敗者達は、アウトリガーと言うカヌーを漕いで帰っていった。
また、福留アナも勝者10名に胴上げされついでに(?)海へ落とされてしまった。
20名 → 10名
第4チェックポイント | ロスアンジェルス | ゲスト3択クイズ |
ロスアンジェルスの有名な遊園地「ナッツベリー・ファーム」がクイズ会場。
ゲストは、かつての大スター ジョン・ウェイン、マリリン・モンロー、エルビス・プレスリーのそっくりさんが登場。彼らにまつわるクイズを
出題した他、空手でピアノを二分足らずで壊してしまう三人組や、アイスクリームの早食い世界チャンピオンが登場し、ゲストクイズを出題した。
この他、ご当地3択クイズで4ポイントを先取した8名が勝ち抜けた。
《罰ゲーム》
敗者は、男性2名。彼らは、ベニス・ビーチから空港までローラースケートを履いた状態で、足を結んで二人三脚の状態になり帰ることだった。
胸には“You’ve got trouble!(お前は罰を受けている)”のゼッケンを付けながらの二人は、七転八倒の罰ゲームとなった。
10名 → 8名
第5チェックポイント | グランドキャニオン | 早押しクイズ |
まさにアメリカ!と、言った雄大な景色が広がるグランド・キャニオンでのロケとなった。
ここでのクイズは、3ポイント先取の早押しクイズ。お手つき・不正解の場合はマイナスポイントとなる。
ちなみに、当時日本のテレビ局がここでロケするのは、きわめて異例であって、ロケに際しては約8000ドルの保証金を納めた上で
ロケが許可されたのだとか。
《罰ゲーム》
ここでの敗者は、同室の人や隣の席の人が次々と敗退していったことから、自ら「死神」と名乗っていた男性だった。
彼は、水や食料・テントなどをロバの背に乗せて、グランド・キャニオンの谷を下っていくことだった。
8名 → 7名
アリゾナ州の郊外、オールド・ツーソン(数多くの「西部劇映画」が撮られた場所である)の砂漠が会場である。
ここで、史上初の「バラマキクイズ」が行われた。
この広大な砂漠に、100枚の封筒に入った問題をばら撒く。参加者は摂氏43度の灼熱の中、サボテンの乱立するの砂漠の中を
走り回って封筒を拾い、福留アナのところまで持っていって問題に答えねばならない。
しかも、封筒の二割は「ハズレ」でもう一度問題を取りに走らねばならないルールだ。ゲートルと皮手袋に身を固めて、スタート。
《罰ゲーム》
ここでは、二人だけ残っていた女性の一人が敗れた。彼女は、運のないことに「ハズレ」を4回も拾ってくるツキのなさ。
彼女は、駅馬車強盗に襲われて砂漠の中の牢屋に、独り閉じ込められてしまった。
ちなみに、彼女はこれが初めての海外旅行だったそうで…
7名 → 6名
ラテンムード漂う美しい街サンアントニオは、メキシコ軍の総攻撃を受けて玉砕した激戦場「アラモの砦」で有名だ。
ここでは、3ポイント先取の早押しクイズが行われた。
ウルトラクイズの兵どもは、テキサス州旗「ローン・スター」がたなびく中で、戦闘を開始した。
《罰ゲーム》
ここで敗れた男性への罰ゲームは、メキシコ名物「ハルピニオン」を食べること。
実はこのハルピニオンというのは、メキシコで大食いコンテストが行われると、失神者続出すると言うほど激辛料理なのだ。
敗者は潔くこれを口に頬張り、ペダル・ボートを漕いでサンアントニオ河を下っていった。
6名 → 5名
第8チェックポイント | ヒューストン | 三択クイズ + 早押しクイズ |
ヒューストン郊外の「オークツリー・ランチ(樫の奇牧場)」がクイズ会場。
ここで、優勝商品が発表された。それは「競走馬のオーナー」になること。所有してから三ヶ月間は、諸費用は全て日本テレビが負担し
稼いだ賞金はクイズ王のものになる、と言うもの。
そしてクイズ形式は、動物ゲストにまつわる三択クイズと続いて早押しクイズで、5ポイント先取で勝ち抜けとなる。
《罰ゲーム》
敗者となったのは、唯一残っていた女性だった。旅の途中で足を怪我したものの、ここまで頑張ったがここで敗れた。
彼女への罰ゲームは、ゲストに登場した「全米一太ったブタ」と共に、トレーラーの荷台に乗せられると言うもの。
哀れな敗者は「もう絶対豚肉食べない」の、名(迷)言を残して去っていった。
5名 → 4名
アメリカの人にとって、有数のリゾート地であるマイアミ・ビーチがクイズ会場だが、ルールが急遽変更になった。
男性4名になったため、1問ごとに大型のタイヤを引っ張って15メートル走り早押しボタンを押さねばならない。体力だけでなく駆け引きも
勝負の鍵となる。問題を読み上げてからのスタートで、フライングはマイナスポイント。4ポイント先取で準決勝進出だ。
《罰ゲーム》
敗者の男性は、必死に走ってガッツを見せたものの駆け引きに敗れた。
彼への罰ゲームは、自分のトランクを頭に乗せて、ソロソロと沖に浮かぶボート目指して海へ入ったが…その辺りは、急に水深が深くなる
「危険地域」だった。さらに、その先にあるのは謎の「バミューダ・トライアングル」…
4名 → 3名
第10チェックポイント | ワシントンD.C | 早押し封鎖クイズ |
ワシントンは、ホワイトハウスの前でニューヨーク行きを賭けて、決戦が行われた。
ここでのクイズは、5ポイント先取の「早押し封鎖クイズ」である。1問正解すると、次の問題について残りのうち誰かの解答権を「封鎖」できる。
封鎖は、一問ごとに行われ全員解答がないと封鎖は解除される。
強いやつを封鎖するか、弱いやつを封鎖するか、これまた敵を蹴落とす駆け引きである。
《罰ゲーム》
二人から封鎖を集中されて敗れたのは、サラリーマンの男性。彼への罰ゲームは「日米親善ゴミ拾い」だった。
赤白の縞の囚人服を着せられ、背中には「ウルトラクイズで負けると、こうなるのだ」と英語で書かれた籠を背負って、ワシントン広場に
スタッフがわざわざ捨てたゴミを拾う羽目に…
3名 → 2名
決勝の地ニューヨーク。今年も参加者2名は、摩天楼をヘリコプターでゆっくり廻りながら、決戦場となるパンナムビルの屋上へと
降り立った。ここで、10ポイント先取の早押しクイズで優勝者・クイズ王が決定する。今年は、男性同士の対戦となった。
ちなみに、二人ともプロレスの大ファンで、機内ペーパークイズは同点5位とまさに「実力伯仲」の戦いだ。
《戦い終わって》
ニ代目クイズ王の栄冠に輝いたのは、宗田利八郎さん(当時29)だった。
その風貌から「ブッチャー」のあだ名を頂戴した彼だが、神経性(クイズ性?)胃炎に悩み続けたけっこう繊細な人である。
学生時代、落語研究会で「狂亭競馬」と名乗っていたほどの彼だけに今回の賞品は打ってつけ。ところが…
彼が選んだ馬は、血統は良いのだが8歳馬(人間で言えば40歳前後)と言うオチが付いていた。