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浪漫的廃棄物堆積場

その人と私は同じ腕の形をしていた。静脈に針を刺すときのように肘の内側をむき出しにして二本の右腕が並べられていた。男性の方がやや太くて長い。色も黒い。でもその輪郭はあまりにも符合する特徴を具えていて、同一人物のものとしか思えないほどだった。気味が悪いわけでもないし、別段感激したわけでもない。自然すぎて味気ないくらいの発見だったけれど、じわりと心が温まるのを感じた。
::::: 10/29 :::::

映画を観ていた。ジャングルの中を彷徨う数人のグループがいて、彼らは野営をしながら何かから逃げるように生活しているようだった。金髪で髭を伸ばした背の高い男が数人の老人や子供を引き連れている。そこに都会から逃れてきたばかりの女性が加わった。彼女は慣れていない。テントに眠るときに、誰かが突然入り込まないように、または野生の動物がくるのを恐れてか、テントの周囲に念入りに鋲を打った。まん丸い形のテントは高さはとても低いけれど、内部はかなりの広さがある。そこで彼女は身を横たえた。金髪の男は彼女に寄り添いながら云った。防衛する心を持つことで新たな障害を数々生んでいるということに気づきなさい。あなたは信頼するということを覚えなくてはならない。この台詞はもっと端的ではっとするほど美しい言葉だったのだけど、そのまま再現できないのが口惜しい。
::::: 10/20 :::::

バスを降りると、小高い丘の上のターミナルだった。駅前で降りたはずなのに、いつのまにこんなになっちゃったんだろうと思った。見渡すとそれは丘の上ではなくて、巨大なビルの屋上らしき場所だった。バスターミナルの中央には緑の豊かな庭園もある。西の方角には入り江が一望できた。入り江の奥には切り立った崖がある。深く美しい曲線を描いて切り込んでいる砂浜。海の色は淡かった。
駅へ向かいたいのだけれどどちらへ行ったらいいか全く分からない。きょろきょろと辺りを見回しても、背の高いビル群の天辺がちらちらと覗いているだけだ。そのなかに金色の時計台があった。陽光を受けて眩しく光っている。三越と小さな字で書いてあって、そのデパートの位置が分かった。そっちの方に降りていけば間違いはないと思った。
私同様迷っているらしい人がふたりいる。ひとりは二十歳前後のケバイ服装の女の子。もうひとりは物静かなおばあさん。女の子は気さくに、というより図々しく感じるくらいにしつこく話しかけてきて、そっちがホントに駅なのかと甲高い声でわめいている。おばあさんはまるで無言だけれど私の行く方向について行くという意思ははっきり見て取れる。自信の無いままに下へ向かうエスカレーターに乗った。 おもちゃ売り場を通り過ぎ、次の階に書店とCDショップがあった。環境音楽と映画のDVDばかりが置いてあるように見えた。変な品揃えだ。通り過ぎて、ふたりを引き連れたまま最下階に向かう。履いていた青いミュールは歩きやすいものではなかったので靴擦れが出来たりしないか心配だったけれど、不思議と全然平気だった。
辿り着くと、別世界のような喧噪とアスファルトの上の陽炎があった。丸井だのパルコだの、ないはずの場所にファッションビルが建っている。ビルは所々真っ赤な色で、見上げると色圧に軽く眩暈を起こした。ビルの壁面に、等身大の十倍くらいのモデルの巨大写真が黒いロングブーツでポーズを決めている。女の子とおばあさんはここに来るのを初めから知っていたようにそれぞれ自分の道へと消えていった。私は何をしに来たのか、どこに行きたかったのか、いつの間にかさっぱり分からなくなっていて、ただ都会の高圧的な空気に胸苦しさを覚えるだけだった。
::::: 10/19 :::::

とても美しい歌を聴いた。歌詞も完全に付いていて歌う男性の声もよく知っている声のような気がした。シンプルだけれど琴線に触れるようなせつないメロディー。普遍的な恋の詩。あまりにリアルすぎるほど細部まではっきりしているので、どこかで聴いて忘れてしまった歌を思い出しただけなんじゃないかと、夢の中でさえ思った。
何とか記憶しておこうと何度も夢うつつの状態でリプレイして、完全に憶えたつもりだったのに、起きたらきれいさっぱり忘れてしまっていた。どうやっても思い出せなくてとても口惜しい。
::::: 10/15 :::::

AirMac(アップル製無線LANベースステーション)が届いた。接続すると、チベットの楽器シンギングボウルのようにチーンと鳴るのだ。馥郁とした余韻を放つ独特の響き。音には4つの表情があって、中国語の母音のようだと思った。こんなオプションがあるとはどこにも書いていなかった。はじめは、パソコンを操作するたびに鳴るので、ちょっと邪魔かも、と思った。しかしそれに積極的に聴き入るようにしてみると、不思議なくらいに生活のすべての雑音までもが完璧な調べのように聞こえるようになった。
::::: 10/14 :::::

心臓の外科手術を受けることになる。医師は、重度の疾患ではないし簡単な手術だからそんなに心配はいらないと云った。カルテを見ながら髄分とあっさりと。
私はそんなことになるとは夢にも思っていなくて、誰も付添人もいないし、一人で病院のベッドに横になりながらいろいろ悪い想像ばかりした。いくら簡単な手術とはいえ心臓を切り開くのだから、一つ間違えば命はないに決まっている。死ぬことなんてそんなに怖くないと豪語していたくせに、簡単な手術一つに震え上がっている自分が情けない。今まで家族や猫が手術を受けた際にも、その恐怖心を拭ってあげるような対応一つ出来なかった。私はこんなにも人の痛みを共感できない人間だったんだと思った。
夢とは思えないような理路整然とした夢だった。
::::: 10/13 :::::

旅行先の土地は海であふれかえっていた。海面の高さが土地よリ高い。いかなる時も、カップから水があふれる瞬間のように、世界中が息を呑んで見つめている。それは奇妙な静けさ。表面張力という薄い皮膜一枚にぶら下がる世界。
古めかしい日本旅館に宿泊した。部屋の窓を開けた。そこには見渡す限りの海。夕暮れの空と海では、蛍光するショッキングピンクと物憂げな藍色、鋭角的で透明な深緑色とが交錯している。さざ波が時折銀色の粉を吐くように舞い踊るのが遠くに映った。海面はほぼ窓枠の高さだ。遠い緑の森が海の左側に開けていて、夜闇をいち早く呼吸するように薄青く光っていた。 右の方には観覧車のようなものも見える。無邪気だか得体の知れぬ異世界。だんだん海以外のものが認識され始めた。波打つと窓枠から海水がなだれ込んできそうだ。私はあわててカメラを黒いナイロンのバックから取り出した。
望遠のレンズとカメラ本体。そのほかに黄色の靴、ストラップのついたメリージェーンが入っていた。スクエアトウで、防水仕様になっているもの。出かけるときに幾つかの靴のなかから選んだものだった。他の靴、黒い合成皮革のミュール、グレーの霜降りの軽量スニーカーなどは、何故か下駄箱のなかで既に水浸しだったので。
カメラのレンズを望遠に付け替えたかったけれど、夕暮れの空は一瞬ごとに色を変えていく。とにかく早くと私はシャッターを切った。障子をさらに大きく開けた。そのとき大きな波が来た。危惧した通りに高波は室内になだれ込んだ。強毅として、畳の仄かな緑色とい草の匂いを掻き消す。私はカメラに夢中だったので、まるで違う次元で起きた出来事のように傍観を決め込む。カメラが濡れていないか気にかかった。濡れてはいなかったものの、ちりめんじゃこのような小さな透明な魚がレンズの周囲一面にこびりついている。湿気の多いところに保管していたから発生したのだろうかと思った。それがとても恥ずかしいことに思えて、私はカメラを友人達の眼から隠した。ふき取っても小さな魚はなかなか拭い切れない。
::::: 10/12 :::::

またまたドラマ「白い影」の直江庸介登場。撮影現場らしきところでディレクターとふたりで何か話している。ドラマの内部だけに生きる存在の筈が、撮影現場という外部にもかかわらず存在している。私はそれを俯瞰するように見ている目。異様なほど整った白い歯が印象に残る。菩薩のような笑みは健在。とても美しい手。 全てが現実離れしていて、なんだか哀しくなる。これはここにない世界。どうしてここにないものを見てしまえるのか、そう思って口惜しくなる。
また別の夢。腕がむくんで二倍くらいに太くなってしまう。なにこれ!と思って目覚めたら、猫が腕の上にでんと乗っていた。
::::: 10/08 :::::

ケーキのおいしい店があると聞いて、私はどうでもいいと思いつつ連れられて行ってみた。それは昔よく行ったビルの五階の奥まったところにあった。本屋さんの離れに漫画だけ並べてある一角、その奥に隠れるように店があった。そこでは注文しなければいけないものが決まっていた。ブルーベリーとマスカットと大粒の巨峰とメロンとをふんだんに詰め込んだタルトだった。淡い緑から青、そして深い紫にフェイドアウトしていく色彩が目を見張るほど美しい。ビックファットマンと呼ばれる料理人がそれを作り出すのだった。私たちは大きな円形のタルトを切りわけて小皿に取った。口にしてみると、人工的な香料とはっきり分かるようなものが添加されていて、味もちっとも美味しくなかった。少なくとも私はそう感じた。店の奥から料理人と思しき人が出てきた。芸術家然とした人で、坂本龍一さんにちょっと似ている。この味が分からないやつは出て行けと冷たく言い放って彼は消えた。なんだかよく分からないうちに私は店を追い出された。
::::: 10/07 :::::

田中真紀子さんの秘書になっている。何故かNGOに派遣されて難民らしき女性たち数人の世話に当たることになる。英語しゃべれんしどうしようと焦るけれども、難民の人たちも英語がよく分からないのででたらめ同士何となく通じ合えた。そんなことは今まで無かったなあと思い、なんだか嬉しく自信が持てた。紅茶を勧めるのに一人一人銘柄を聞いて回った。ダージリンがいいとかアールグレイだとか。それは彼女らにとって絶対に譲れない個性と尊厳の現れる選択なのだった。
::::: 10/04 :::::

映画「座頭市」をビデオに録画したものを、深夜一人で観ようとしていた。 私は観るのを楽しみにしていて、深夜ようやく落ち着いて観ようとするのだけれど、親戚の車がやってきて、母はガレージを開けるから家の車を出す、窓とカーテンを開けて庭に光を漏れさせてくれという。私はビデオを観ているのがなぜだか恥ずかしくて、家族に知られたくない。そのたびにビデオを止めて、巻き戻しだの早送りだのを繰りかえしている。車の移動が終わってやっと落ち着いてまた見始める。すると今度は父がやってきて、お腹がすいたという。部屋にあったラムネ菓子を両手いっぱい掴んで父は持っていく。ラムネ菓子はミッキーマウスの形をしていて、ひとつひとつ薄青のフィルムに包装されていた。ビデオをストップしているので普通のテレビ番組が画面に映っている。政治家の討論番組で、父はそれをちらりとのぞき込んで、自民党の○○はだめだ、菅が小泉をやっつける、等々と独り言のようにまくし立てて去っていった。
そんな風に立て続けにいろいろな人が邪魔をしにくる。そのうちにビデオテープがいつのまにかおかしなものを映すようになってしまった。録画した覚えのない温泉番組だとか。
::::: 10/01 :::::

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