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浪漫的廃棄物堆積場

卒業式の三日前だった。クラスで後ろの席の男の子が、私に何か話しかけた。どうやら私の心の地雷を踏んでしまったその言葉。私は彼の頭に新聞紙を何枚か被せて、コンクリートの壁めがけて何度も何度も打ち付けていた。手を離すと新聞紙が落ちて、男の子のこめかみから太い血が一筋流れた。怒りはおさまった気がした。同時にこんなことでおさまるはずがないとも思った。何に怒っていたのか判らなくなった。男の子はどこかに消えていなくなった。
これでやっと卒業できるはずだったのに。自らの心が読めなくなってしまっては、また一からやり直しになってしまうのかしらと怖くなった。これで終わりにしてしまってはまだいけないという気持ちもした。完全をめざしながら完全を恐れている。自分を許していないから。
::::: 4/22 :::::

騒がしくて目が覚めると、隣の家の屋根の上に大きなクレーンが覆い被さるように延びていて、周囲一帯が期待と緊張の空気で張りつめていた。窓の外を見ると我が家のベランダにも見ず知らずの人がいっぱい登っていて、私は驚いて、思わず開けようとしたカーテンを閉めてしまった。ベランダだけでなく、我が家の庭にも、屋根の上にも、至る所に人々がすし詰め状態になっていた。
夥しい歓声が上がった。私はカーテンの隙間からのぞき見た。隣家の屋根の上に歌手が飛び上がって、観客に手を振っている。軽々と2階建ての屋根の上にまでジャンプして、慣れた様子でお決まりのファンサービスをしている姿。今夜、うちの北側にある公園でコンサートをするらしい。警備員やファンが入り乱れて朝のうちからこの騒ぎでは、夜になったらどうなるんだろうと思った。
我が家の東側一帯は一面が苔で覆われた湿地帯になっていて、なんの目的にも利用されることなく放置されている。この広い空き地に会場を設営すればいいのに、と私はぼんやり思った。しかし、北の公園の狭い敷地に様々な装置を詰め込んで、刻々と準備が進んでいるようだった。苔の絨毯に抱かれて、一堂に会した幾万の観客が恍惚としている様を想像した。しかし現実には、私ひとりが、うねる苔の波間に佇んでいる。
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十二の星座と惑星が、羅針盤の上に円く並んでいた。星座を象ったシンボルは陶器のようなもので精密にできていて、計算された無駄のない動きを繰りかえしていた。回転すると、中央の針が金星を指し示した。金星のまわりには首飾りのように、輝く真珠が輪になって取り巻いていた。間接照明がぼんやりと灯る薄暗い部屋は、見覚えがないが、どこにでもある校舎のどこにでもある教室のようなつくりだった。黒板の左脇の壁、高い位置に羅針盤は掛けられてあって、誰かがそれをはずし、教壇に左にある切株の上に置いた。切株の年輪は数え切れないほどで、線と線が密集していて、見つめると目がチカチカした。
頭の中で時計が逆に回転していく。時が遡っていく。1900年、1800年...江戸時代? いやもっと前だ。誰かの声が呟いた。13XX年、時計が止まった。
あなたの時は、ここではじまった。そう言われた。そこから続く流れの帰結として、長い時間の果てに、針がこの星を指し示す瞬間を待っていたのだ、と。こんな素晴らしい幸運はない、と。その場に流れる、この世のものとは思えないおどろおどろしいような空気に、私はただ怯えるだけだった。そんなに重たい幸運なんて、逃げ出したくなって当然だと、もうひとりの自分の声が私に語りかけた。私は必死に、怖れを納得しようとした。
羅針盤はいつの間にか壁に戻っていた。そしていつの間にか、優しい色彩の人物画に変わっていた。
::::: 2/21 :::::

トレーラーのような、貨物列車のような、不思議な乗り物で旅をしていた。旅というか、オリエンテーリングのような一種のゲーム。リーダーは昔クラスメイトだったY君。巨大な迷路のような古都をさまよう。何処かにゴールのような違う世界へのドアのような、いわゆる終着地があるのだけれど、わかりにくい手書きの地図と、緑の多い景色、どこに行っても同じような細い路地の連続で、迷いに迷う。私は時々運転を任された。細い曲がり角を無事に曲がるにはとてつもないテクニックを要した。トレーラーはとても長い。リーダーは時にとても弱気で、頼りない。
猫が2匹同乗していた。1匹は私の飼っているロシアンブルー、もう1匹はポメラニアンだ。ポメラニアンなのに、なぜか「猫」だった。2匹は私たちの心配をよそに何度も姿を消した。どこかで停まったときに飛び降りてしまったのか。トレーラーが動き回っている以上、迷子になったらもう見つからないだろう。私はやきもきして猫たちを監視するのに必死だった。
地図上に、北に向かう一本道があって、それは古都の西の方からくる細い道と合流していた。この先に何かがありそうだと、私は言った。リーダーはそれでも、もと来た道を戻るという。古都の南西の端に大きめの交差点があって、そこまで戻った。古都の入り口まで戻ってしまったことになる。そこには大きな柿がたくさん落ちていて、アスファルトの上で熟し切って腐敗寸前だった。ようやくリーダーは私の進言を受け入れた。
トレーラーは古都の東端に向かい、そこから一気に北上することになった。まっすぐな一本の道だけれど、周囲にはごちゃごちゃと様々な旅館や福祉施設が点在し、看板だらけでとても紛らわしい。なぜ一本道なのに道に迷うのか、とても腹立たしい。地図上とは違う道を走っているのかも知れないと思ったが、みんなが声に出さず腹にしまっている。
またロシアンブルーがいなくなった。トレーラー中を見て回った。クローゼットのついた車両の、洋服の中に丸まって猫がいた。不服そうな顔をして私に抱かれた猫は、腕をふりほどいて飛び降りようと藻掻いた。何がそんなにいやなのだろう、私たち人間の無知が腹立たしいのかも知れない、そう思った。
そのとき、神の声のような、天上から響く声がしたような気がした。猫たちが道を知っている。あれこれ思い悩むのは無駄に身を削ること。もう考えてはいけない。そう言われたような気がした。私は耳を疑っていたと思う。でも猫たちは、急におとなしく素直になって、当然といった顔で私を見つめていた。
道は繁華街を過ぎ、急に静かになった。誰かの手で疎抜かれたように、まばらな木々。 何かがあつらえられている、そんな気がした。これは正しい道だと直観した。
::::: 2/06 :::::

小さな映画館のようなサロンのような暗い空間にいた。スクリーンで長い長い映画を上映している。かなり重厚で深刻な内容の映画で、すべて観るには10時間くらいかかる。暗色の靄がかかったような理屈っぽい映像が坦々と続く。あまりに長いので途中で休憩を入れることとなり、そこは突如としてカラオケバーみたいな状態になった。
深海のようにヴィヴィッドな青のシルクサテンをまとった女優Kが、マイクを握った。スティングの「フラジャイル」という曲を歌い始めた。なんか暗い曲でごめんなさいね、と少し恥ずかしそうに前置きして。ホルターネックで背中の露出した、引きずるように長い丈のドレスは、普段のKの持つ快活で気さくなイメージとはかなりギャップのあるもので、別人のようだった。
辺りは薄暗いままで、客席の背もたれも高いので、まわりにいる人々の様子はあまりよく判らない。人々の話し声もひそひそと低く、そのために歌声はよく通るはずだったけれど、なぜだかはるか遠くの方から聞こえてくるように微かな声だった。囁くように歌っているわけでもないのになんでだろうと思った。
突然、ものすごい大柄で太った白人の男が席を立ち、狂ったように暴れはじめた。意味不明の雄叫びを上げて、彼の妻らしき、これもかなり太った短髪の中年女性を殴りつけ、はじき飛ばした。女性は金切り声を上げて助けを請う。謝っているのか。私には彼らの言葉が何語だかも判らない。男は何も聞こえていないようにますます猛り狂う。脚にすがりつくようにして妻は男を見上げる。哀れみを誘うような態度は習慣化した匂いがして、心のこもらない芝居めいた様に見ている私の気持ちも僅かに冷えた。男も、妻の打算を蹴散らすかのように派手な足蹴りを食らわせた。
Kがいつの間にか男に歩み寄り、大胆にも肩を掴んで、止めなさいと叫んだ。巨漢を前に、彼女は子犬のように小さかった。男は当然のように、振り向きざまに肘でKを突き飛ばした。Kは何事もなかったようにすっくと立ち上がり、ふたたび男を止めに入った。彼女は何度か同じことを繰りかえしたが、どんなに叩きつけられても傷ひとつ負わない。痛みすら全く感じていないようでもある。
私にはとても止めに入る勇気などないし、Kは呆れるほどすごいと思った。隣には、私の夫らしき人がいたのだけれど、彼も全く放心して身動きひとつしなかった。咄嗟に止めに入れなかった自分を恥じているのだろうかと思った。でも私は彼に怪我などして欲しくなかったので、ただ呆然と見ていてくれたことを少しだけ嬉しく思った。そして、そんな風に思った自分を少しだけ恥ずかしいと思った。
::::: 2/05 :::::

かつての親友と久しぶりに会う約束をした。出かけていく時間になると、どうしても気が進まなくて、憂鬱になる。ドタキャンすることへの罪悪感だけに突き動かされて仕方なく出かけようとする。着替えようとするとまともな服が全然ない。同じような古ぼけた暗い色の服ばかりがずらっと並んでいて、ため息をつく。鏡が私を笑っている。気がつくと私はブティックにいた。微妙な中間色のブラウンが素敵な服があった。迷って一周するとそれはもうなくなっている。見る度に違う服が現れて消えていく。結局何も選べない。
エスカレーターで降りていくと、がやがやと市場の喧噪。そこに身を置くうちに徐々に意識が遠のき、思考が停止していく、そんな類の賑わい。菓子折を売っているのが目につく。何でもいいからとりあえず一箱手にとってレジらしきところに持っていくと、見上げるように大きな機械があって、何やらそこで支払うみたいなのだけれど使い方が判らない。五千円札を挿入すると、様々な大きさの見覚えのない紙幣が山と出てきた。自動的に両替されてしまったらしい。どこの国の紙幣か判らない。セピア色の上にくすんだ紅色や緑色で、人物画や解読不能な文字列が並んでいる。それら小額紙幣の束を手にして、ノートパソコンのDVDの挿入口に差し込む。でも札束は厚みがあってなかなか入らない。トレーがガチャンと音を立てて出てきた。そこに乗せればきちんと入るかと思うが駄目だった。また日本円に両替したいけれど、手数料で二重に損をすると思うと馬鹿馬鹿しかった。よく見るとノートパソコンには汚れがこびりついていて、油だらけの換気扇のようになっている。日頃の行いが悪いからこんなことになるんだと思った。
諦めて、うなだれたままでエスカレーターに乗る。香港に似たその街は霧散した。けれどエスカレーターは一方向にしか動いておらず、どちらに乗っても約束の場所が遠のいてしまう。そのうち自分がどこにいるのか全く判らなくなった。
駅のガード下、古着を売る店や露天商が連なる、少し薄汚れた界隈に、親友がひとりで待っている映像が見えた。それはしかし、私を待っているわけではないのだ、そんな気が何故かした。
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お笑い系タレントUさんに、相方になってくれ!と頼まれた。嫌だよ、嫁のもらい手がなくなるから、と私は言った。大丈夫相方なんだから!と返された(?)。声が思いきりうわずってる。コントの最中によく聞かれるあの声。ふたりして顔は引きつり笑い。目だけが泣いている。あれはコントの一部だったのか?相方Nさんはどうするつもり?
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家の隣の空き地に、グランドキャニオンの縮小版のような赤い大地と切り立った崖があった。そこにたくさんの車が集まって、崖を飛び降りる競技をしている。スキーのジャンプ競技のように車が次々に崖を飛び立って、砂埃をもうもうと上げて着地していく。私は喧噪に不快を感じて窓を開け、そのことに気づいた。
競技に参加しているのはみな、暇をもてあましたような元気な中高年たちで、そのなかに母がいた。危険なことをしていると心配するより、何を馬鹿なことをしているんだろういい年をして、と私は思った。母が実際に参加しているゴルフやダンスサークルの友人達もいる。 私は無性に腹が立って、文句を叫ぼうと思ったり、出て行って止めさせようと思ったが、なぜだか怒りは内側にとぐろを巻いて、自分自身を浸食し始めた。私はなぜだか、亀の子だわしを見つけてきて赤い大地に向けて投げつけた。たわしは今から崖へ向けて突進しようとしている最前列の車のボンネットに当たった。しかしまるで蚊が飛んできたくらいの影響しか与えられず、たわしはそのまま土の上に転がった。そして、高速で回転するタイヤに弾かれて遠くに飛んでいったきり、たわしは見えなくなった。
庭に降りていくと父がいて、母に小言を言ってもらおうと思って近づいていった。父は庭の松の木陰で小さな子象と格闘していた。なぜか子象は興奮して暴れており、父は背中から抱え込むようにして子象を押さえつけた。子象は父の腰くらいの背丈で、松の樹皮のような皮膚をしている。父の手がそのざらついた皮膚で傷つくのではないかと思ったけれど、見たところ、父の手も同じような樹皮で出来ている。子象を抱えた父は妙に優しい表情をしていて、普段では考えられないようなあんな顔をすることもあるんだなと、私は少しだけびっくりした。象と父は松の根元に落ちた針のような濃い緑を踏みしだき、なんだかとても楽しそうだった。私はそれをじっと見ていた。
やがて競技会は終わって、騒がしかった赤土は静けさに眠っていた。空き地の隅に、私の投げたたわしがぽつんと転がっていた。
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